2012年8月31日金曜日

アンジェイ・ワイダ作品「菖蒲」を観る


☆ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督(86)の作品「菖蒲」(2009年、87分)を試写会で観た。簡単に言えば、美しく重厚な人間的ドラマだ。万人の運命である、生と死の隣接性、連続性、ないし、死を包含した生を描く。愛の非永続性、刹那性も描かれている。

★10月20日から、東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。 

☆ウィスク川と見られる大河の畔の美しい小さな町で物語は展開する。映画の内容が3重構造になっているのが新鮮だ。まずワイダ自ら登場する撮影隊が、この映画を撮影している有様。そこで撮影された『菖蒲』(ヤロスワフ・イヴァシュキエヴィチ原作、1958年)の物語。さらに主演女優クリスティナ・ヤンダの実人生描写部分の独白および撮影現場から離脱する光景が描かれる。
 
☆菖蒲」の主人公である医師の夫人マルタ(ヤンダ)は、肺癌にかかって余命いくばくもない。実人生のヤンダには、実際に死んだ夫である撮影監督エドヴァルト・クウォシンスキがいた。マルタの役柄と実人生の夫の病気がつながる。私たち観客は、三重構造の内容を備えた四重構造の完成品を観ることになる。

☆「菖蒲」の診療所兼住宅には、「開かずの間」がある。第2次世界大戦中の1944年の対ナチ・ワルシャワ蜂起で死んだ息子2人が居た部屋だ。マルタはある日突然、その部屋に入るが、夫に言われて部屋を出て鍵を閉めた後、その部屋に庭から息子たちが昔遊んでいたボールが転がり込む。シュールレアリスモではあるが、この種の幻想的現実は、いまや現実の一部としてごく普通に用いられ、誰も奇異に感じなくなっている。

☆マルタは、死んだ息子たちと歳の似た青年に母性的な淡い恋心を抱く。青年は向こう岸まで泳いで、菖蒲を採って来る。夏の到来を祝う聖霊降臨祭にマルタが必要としていたからだ。だが青年は2度目に川を泳ぎ渡り、菖蒲を抱えて泳ぎ戻る途中、溺れて死んでしまう。衝撃的な展開だが、マルタの命も夏には途絶えるかもしれないのだ。

☆人間を描く秀作が少なくなった今日、これぞ、それに該当する作品だ。 

ラ米にはオバマ政権継続が望ましい


☆11月6日に予定される米大統領選挙の共和党正副大統領候補が8月29日、正式に決まった。ロムニー・ライアン組が、民主党現職のオバマ・バイデン組と対決する。私は、ラ米を長年観てきたジャーナリストとして、ラ米のためには民主党政権が引き続き米国を統治するのが望ましいと考える。 

☆共和党のブッシュ前政権の8年間に、近視眼的な<対テロ戦争>が世界中に拡がり、国際情勢は悪化した。ラ米情勢も、ウリーベ前コロンビア政権のような極右政権が登場し、米軍に基地を提供するなどして、南米域内関係が悪化した。 

☆オバマ政権は、全体的に言ってリベラルな政策で、ラ米の信頼を勝ち得てきた。国交のないキューバとの関係も幾分和らいでいる。キューバとラ米は、オバマが第2期政権でキューバとの関係を正常化する方向に動かすのではないかと期待している。 

☆この点一つをとってみても、民主党政権がラ米にとって望ましい。米国とキューバの間で冷戦関係が半世紀以上も続いている異常事態は、一刻も早く解消させなければならない。

 

「維新」とは復古主義か


★大阪市の現職市長が「維新」を標榜している。144年前、1868年の明治維新に発想の源があるのは疑いない。何が市長の目指す「維新」なのか?
 
市長は最近、旧日本軍慰安婦問題に関する「河野談話」に疑問を挟む発言をした。そして、同談話批判の急先鋒、安倍元首相と「急接近」していると伝えられる。安倍は、戦後最たる右翼(ライトウィング)政権を率いた岸信介の孫であり、「祖父を尊敬する」と強調してきた。
 
日本政界の右翼党である自民党の中の右翼派閥・町村派に安倍は属している。平和憲法の手直しに執念を燃やす安倍は政界における、現代国家主義、復古主義の代表格と目されている。それと連携する構えを見せる大阪市長の「維新」とは、「いつか来た道」に後戻りする復古主義以外の何なのか。思想の自由を求める学校教師への締め付けの態度からも、国家主義や復古調はうかがわれていた。
 
日本は、中国、韓国、ロシアという近隣3国との外交関係がぎくしゃくし、北朝鮮とは外交関係がいまだにない。東シナ海、日本海、オホーツク海の波は昨今、一層高く荒くなっている。そんなときには、A紙が指摘するように「枝でなく幹を見る」政治家、あるいは「木でなく森を見る」政治家が不可欠だ。国際情勢を直視しない、内向きの狭い復古調では何も変わらない。いや、事態を悪化させるばかりだろう。
 
★政治や行政の「能率」を求める大阪市長の政策には、一考に値するものもないわけではない。だが、そうした「能率」に、歴史や思想をめぐる復古政策が伴うとしたら、全くいただけない。何が目指す「維新」なのか。市長は連携を模索する前に、全体像を明確に示すべきである。
 
★マスメディアも、市長絡みの政局報道に熱中せずに、この点を追求すべきだ。

キューバ後継者候補の娘が脱国

▼▼▼キューバの経済改革を指揮している閣僚評議会副議長(副首相)マリーノ・ムリージョ(51)の娘グレンダ・ムリージョ=ディアス(24)が8月16日ごろ、メキシコ・タマウリパス州ヌエボラレードから米テキサス州ラレードに入り、キューバ人難民として保護された。マイアミのヌエボ・エラルド紙が28日伝えた。

▼グレンダはハバナ大学で心理学を学んでいた。メキシコでの心理学会に参加したまま帰国しなかった。フロリダ州タンパには、母方のおばイダニア・ディアスが住んでおり、ハバナ在住の祖父ロランド・ディアスがたまたまイダニアを訪ねて滞在中だったところにグレンダが到着した、という。グレンダは現在、このおばの家に落ち着いている。この事実は24日確認されたという。

▼父ムリージョは、ラウール・カストロ議長から特別に目をかけられ、市場原理を取り入れた経済改革を指揮している。指導部の若返りを公約しているラウールの、有力な後継者候補と目されてきた。娘の米国への出国を確認したムリージョは、号泣したという。

▼グレンダの脱国がムリージョの指導者としての経歴に傷となるのは疑いない。だが<致命傷>になるかどうかはわからない。フィデル・カストロ前議長の孫たちの一部や非嫡子の娘らは同様に脱国し、米国、スペインなどに住んでいる。

▼マイアミに本部のある、反カストロ派組織「キューバ系米国人財団」(FNCA、英語でCANF)は、社会主義キューバで特別待遇を受けているはずのエリート家庭の娘さえも経済的満足だけでは耐えられなかったと、グレンダ脱国に言及している。

【キューバ指導部の肉親の脱国者については、フアーナ・カストロ著『カストロ家の真実』(伊高浩昭訳、2012年、中央公論新社)参照。】

ハメネイ師が非同盟運動の改革を呼び掛け

☆★☆第16回非同盟諸国首脳会議が8月30日、テヘランで始まった。イランの最高指導者アリ・ハメネイ師は開会演説で、過去に原爆を製造し(日本に対し)使用したことを「許し難い罪悪だ」と糾弾し、イランは核兵器を決して製造しないと述べ、中東を非核地域とするよう呼び掛けた。だが、イランは核エネルギー平和利用の権利は捨てない、と強調した。

☆ハメネイは、イスラエル国家の存在を認めないと、従来の立場を表明したが、パレスティーナ紛争の公正かつ民主的な解決を図るため、イスラム、キリスト、ユダヤ3教徒が参加する住民投票を実施すべきだ、と語った。

☆非同盟運動については、世界は東西冷戦終焉と、その後の一極覇権主義の失敗を受けて新しい国際秩序構築に向かっており、非同盟は新たな役割を担うべく改革すべきだ、と強調した。

☆国連については、拒否権を持つ安保理の5常任理事国のあり方を「非論理的、不公正、反民主」と非難し、「独裁的な一部西側諸国に支配されている」と指摘した。

★バン・キムン国連事務総長はイランに、ウラン濃縮全面停止を義務付けた安保理決議を順守し、国際原子力機関(IAEA)の査察に便宜を図るよう求めた。

★総長はまた、イスラエルと米国を示唆するように「いかなる国連加盟国による(イランへの)軍事攻撃の脅し」はあってはならない、と非難した。同時に、「劇的な史実であるホロコースト」を認めないイランを、「そのような人種差別主義は国連の基本的原則を侵す」と厳しく批判した。

★シリア内戦については、新たに国連特使になったアルジェリア外交官ライダル・ブラヒム氏に協力するよう、中東諸国と非同盟加盟国に呼びかけた。

☆イランのマハムード・アハマディネジャド大統領は、ハメネイ師の発言を継いで、カダフィ・リビア体制の打倒を念頭に置くかのように、「安保理は戦争や暗殺を正当化している」と前置きし、「今日の世界の指導者たちは、昨日の黒人奴隷売買者だった。彼らは戦争を仕掛け、諸国を屈従させ弱体化させている。無垢の市民を殺している。だからこそ新しい秩序と指導性を確立すべきだ」と訴えた。

★非同盟運動の前議長であるエジプトのムハンマド・ムルシ大統領は、「エジプト革命は<アラブの春>の柱だ。チュニジアに始まり、エジプト、リビア、イエーメンへと波及し、いままたシリアの抑圧体制に対する革命のさなかにある」と、大胆な発言をした。

★また、アサド・シリア政権を、暴力行使によって正統性を失ったと決めつけ、「反逆する人民を支持するのは倫理的義務だ」と言いきった。

★だが、内戦拡大は抑えなければならないとして、反政府派にも平和解決の道を探るよう呼び掛けた。ムルシは既に、エジプト、イラン、トルコ、サウジアラビアによる「接触(連絡)グループ」の設立を提案している。

★イランは従来、アサド政権支持の立場を貫いてきたが、ムルシの融和的姿勢は、イランにとっても、シリア関係外交の行き詰まりを打開する<救い>になるもよう。

☆一方、ワリド・ムアレム外相らシリア代表団は、ムルシ演説が始まると退席した。同外相は、シリア通信に対し、「議長だった者の伝統に反する。内政干渉だ」とムルシ発言を非難した。

☆首脳会議は31日に終わる。

☆首脳会議には、元首29人、副元首級9人、首相7人が出席している。他は外相ら閣僚、ないし大使が出席している。代表団の総人員は7000人にのぼる。

2012年8月29日水曜日

マリオ・バルガス=ジョサ著『チボの狂宴』を読む

☆★☆マリオ・バルガス=ジョサ(MVLL)著『チボの狂宴』(2011年、作品社。原題「La Fiesta del Chivo(仔山羊の祭)」2000年)を読んだ。長らく<積んどく>していた半実半虚の小説だ。

☆ドミニカ共和国(RD)の独裁者だったラファエル・トゥルヒーヨの暗殺(1961年5月30日)をめぐる物語だ。ただ前進するだけでは単調になりがちな物語に変化をつけるため、回想場面が盛んに用いられ、ちりばめられている。この作家の確かな表現技術がうかがえる。

☆私が1970年代前半にRDを初めて取材した折、トゥルヒーヨ暗殺団の一員だったルイス・アミアマ=ティオ(1915~80)が健在だった。私は、この物語の主人公の一人、ホアキン・バラゲール大統領(当時)とアミアマ=ティオにインタビューを申し込んだが、いずれも実現しなかった。大統領公邸と、トゥルヒーヨ暗殺現場を写真取材しただけだった。

☆このMVLLの本で物足りないのは、暗殺団の生き残りだったアミアマ=ティオの描写が希薄なことだ。作家の取材が、そこまで及ばなかったのか、それともアミアマ=ティオが取材を断ったのか。いずれにせよ、ひと工夫、欲しかった。

☆当時のケネディ米政権は、カリブ海の2つの<目障りな国>、カストロ政権のキューバと、トゥルヒーヨ独裁のRDの両国政権を転覆させようと画策していた。キューバに対しては61年4月、CIAが組織した侵攻部隊をヒロン浜(プラヤ・ヒロン)に上陸させながら撃破され、失敗した。その翌月、CIAを使ってトゥルヒーヨ暗殺には成功した。

☆日本外務省は、現地調査を十分にしないまま、日本人移民をRDに送りこんでいた。トゥルヒーヨは、1937年にハイチとの国境地帯でハイチ人定住者1万数千人を虐殺した。だがその後もハイチ人の侵入を警戒して、国境の不毛地帯の人口を増やそうと、「我慢強い働き者」として知られていた日本人の導入を図った。移住者は言わば、国境地帯の防人(さきもり)の役割を担わされたのだ。

☆ところが、日本人移民が入植して間もなく、庇護者だった頼みの独裁者は暗殺された。その結果、日本人移民の苦闘が始まった。よく知られている、日本政府の無責任RD移住問題である。

☆フィデル・カストロは大学生時代に、トゥルヒーヨ打倒のためのRD侵攻作戦に参加するため軍事訓練を受けていた。有名な「カヨ・コンフィテスの訓練」だ。59年の革命成功後、カストロはRDにゲリラ部隊を送り込んだが、トゥリヒーヨ打倒に至らず失敗した。その後も、ゲリラ部隊を侵入させたが、失敗した。

☆キューバ革命後3年間のカリブ情勢や米政府の陰謀という実話を背景に書かれたのが、この小説だ。当時の情勢を踏まえて読むと、一層面白くなる。英政府諜報機関MI・6の要員だった作家グレアム・グリーンの一連のラ米ものとは一味違う技法の物語だ。ラ米好きには、堪えられない。

☆チボ(仔山羊)は強壮とされ、RDを30年も独裁支配したトゥルヒーヨの強壮性を象徴する。仔山羊はまた山羊として、生贄にされる。政敵や反対派を容赦なく殺害した独裁者は、最後には暗殺された。「仔山羊の祭」という原題が意味するところだ。

☆訳者は「フィエスタ」を敢えて「狂宴」などとせず、「饗宴」とすればよかった。あるいは、「仔山羊の祭典」でも悪くはなかった。

   

今年のキューバ訪問者は290万人か

☆★☆キューバ観光省は8月28日、今年来訪する外国人観光客は290万人に達する見込み、と明らかにした。去年は270万人で、今年は7・4%増となるもよう。

☆去年の観光収入は25億ドルで、一昨年と比べ、12・8%伸びた。

☆観光客が多い上位9カ国は、加英亜仏伊独露西墨。このほか蘭コロンビア智スイス秘が増えている。

☆キューバには国際観光用ホテル300、計6万室がある。

☆観光産業は、海外からの送金、ニッケル、砂糖、生物工学とならぶ重要な外貨獲得源となっている。

☆だが、外貨を得て消費生活を向上させたい若い女性たちによる売春が急増している。また、キューバ政府にとって好ましくない情報も、観光客を通じてキューバ人に伝えられている。外国人とキューバ人との生活格差も浮き彫りになる。政府は、このようなリスクを<必要悪>として計算したうえで、観光に力を入れている。

2012年8月28日火曜日

取材陣装ったメキシコ麻薬一味を逮捕

▼▼▼ホンジュラス国境のラス・マノスでニカラグア警察は8月22日、現金920万ドルを密かに持ち込もうとしたメキシコ人18人を逮捕し、現金を押収した。27日までに明らかにされたところでは、一味はコスタ・リカで「代金を支払うため」現金を運ぼうとしていた。コロンビア方面から来るコカインの代金の支払いのためではないか、と見られている。

▼一味は、メキシコ北東部のタマウリパス州を拠点とし、8月16日にメキシコの民間テレビ放送「テレビサ」の取材車を装った6台の車に分乗し、グアテマラ、ホンジュラスを通過して、ニカラグアに入った。現金は小額紙幣ばかりで、23個の現金輸送バッグに入れられていた。

▼タマウリパス州は麻薬マフィア「ロス・セタス」が勢力を張っており、ニカラグア警察は、一味と同マフィアとの関係を追及している。

▼一味の首領はラケル・アラトーレという女性。裁判に備えて、ニカラグア人弁護士3人を雇った。

▼逮捕のきっかけは、ホンジュラス国内のホテルに宿泊していた一味の会話を、同じホテルにいたニカラグアの元治安要員が耳にし、本国の警察に通報したこと。

▼ラケルをはじめ一味の多くは、過去に何度も中米地上ルートでコスタ・リカに行っていた。これまで摘発されていなかったことから、中米各国に一味の協力者がいると見られている。

▼名を騙(かた)られたテレビサは、7月1日のメキシコ大統領選挙で当選したとされるエンリケ・ペニャ=ニエト候補に6~7年前から肩入れし、同候補に有利になるよう偏向報道を続けていた。このため、メキシコ世論から厳しく批判されている。

テヘランで非同盟会議始まる

☆★☆テヘランで8月26日、非同盟諸国会議(NOAL)の事務方協議が始まった。28~29日は外相会議、30~31日は、第16回首脳会議が開かれる。

☆今会議は、イランへの軍事攻撃も辞さないと侵攻意欲をあからさまにしているイスラエルとイランの厳しい対立と、近隣シリアでの内戦を含む「アラブの春」後の状況の下で開かれた。イラン政府は会議を、国際社会の連帯を取り付け、孤立脱却を図る好機、と捉えている。

☆イランは、エジプト、ベネズエラ、イランで「トロイカ」を組み、シリア内戦の和平に取り組む提案をしている。これには、イラク、レバノンのシリアの両隣国も取り込みたい、としている。

☆このほか「南南協力」の枠内で、開発、環境、食糧、保健、テロなどの諸問題に取り組むことを話し合う。

☆非同盟運動は、東西冷戦さなかの1961年に結成された。今日、会議には120カ国が加盟し、27の国と組織がオブザーバー参加している。

☆首脳会議には、前議長国エジプトのモハメド・ムルシ大統領、前々議長国キューバのホセラモーン・マチャード国家評議会第1副議長ら30カ国以上の政府首班級、潘基文国連事務総長らが出席を予定している。2015年の次回会議を開くベネズエラのウーゴ・チャベス大統領の出欠予定は不明。

☆潘総長は29日テヘラン入りし、マハムード・アハマディネジャド大統領と会談した。北朝鮮最高人民会議(国会)の金永南常任委員長(議長)も同日テヘランに到着した。

コロンビア政府とFARCが和平交渉で合意

★☆★コロンビアのフアン=マヌエル・サントス大統領は8月27日、政府は、ゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC=ファルク)」と和平交渉をしており、近く進捗状況を公表する、と述べた。

☆カラカスに本部を置くラ米多国籍テレビメディア「テレスール」は同日、コロンビア政府とFARCはハバナで会談していたが、10月5日オスロで本格的な和平対話を開始することで合意した、と伝えた。

★それによると、政府とFARCはベネズエラ、キューバ、ノルウェーの3国政府の仲介で5月からハバナで秘密裏に交渉を続けていた。10月5日のオスロ交渉で一定の合意に達した後、場所をハバナに移してさらに交渉を続けるが、政府とFARCは最終的な和平協定調印まで戦闘をしないことを取り決める方向にある、という。

☆それは、オスロ会合が事実上の和平合意を生みだすことを意味する。2日後の10月7日はベネズエラで大統領選挙がある。隣国コロンビアの和平が固まれば、出馬している現職のウーゴ・チャベスは得票上、明確に有利になる。

☆チャベスは、多数の死傷者を出した25日のアムアイ製油所の爆発・炎上事故で打撃を受けた。このタイミングでのテレスール報道は、その打撃を和らげる意味を持つ。

★コロンビアでは1940年代末からゲリラ戦が始まり、59年のキューバ革命を経て、FARCがコロンビア共産党の民族主義武闘部門として生まれた。だが東西冷戦の終結や、ラ米で選挙による革新政権が相次いで登場したことなどから、FARCの武力革命路線は非現実的と見られるようになり、支持を大きく失うことになった。FARCがコカインを資金源にしてきたことも、「革命の理想」に疑念を抱かせてきた。

☆右翼のウリーベ前政権と保守リベラル路線のサントス現政権は、米国から軍事支援を得てFARCに攻勢をかけてきた。FARCは最高指導者マヌエル・マルランダの病死に次いで、最高幹部3人が政府軍によって次々に殺害され、戦力が低下しつつあった。

★FARCも不毛な革命路線の限界を悟ったようであり、チャベスとカストロ兄弟の説得を容れて、政府との交渉に入っていた。

☆FARCが武器を置けば、ラ米最大・最古のゲリラ組織が消えることになり、ラ米の左翼ゲリラの時代が名実ともに終焉することになる。

★コロンビアにあるもう一つのゲリラ組織「民族解放軍(ELN=エエレエネ)」はカストロ・ゲバラ路線であり、和平と武装解除に従わざるを得なくなるだろう。事実ELN指導部は27日、政府とFARCの交渉進展を祝福している。サントス大統領も、ELNも交渉に入ることになるとの考えを示唆している。

2012年8月27日月曜日

グアテマラ左翼党が党大会

☆★☆グアテマラ民族革命連合(URNG=ウエレエネヘ)は8月24~26日、グアテマラ市で第3回党大会を開き、権力到達のための党勢拡大、政策策定、選挙戦略などについて討議した。

★URNGは、政府軍相手に内戦(1960~96年)を戦ったゲリラ組織の連合体で、キューバのフィデル・カストロ議長(当時)の勧告を受けて、82年に発足した。99年以降、国政・地方選挙に参加してきたが、党勢は伸び悩み、現在、国会議員は一人しかいない。

☆今大会は「団結を強化した30年」をスローガンに開かれ、20県の代議員700人が出席した。エクトル・ヌイラ書記長、カルロス・メヒーア国会議員らが議長席を占めた。

★大会には、キューバ共産党(PCC)、ニカラグア・サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)、エル・サルバドール(ES)ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)、ベネズエラ統一社会党(PSUV)、エクアドール・パイース同盟(AP)、ウルグアイ・拡大戦線(FA)、ブラジル・労働者党(PT)の7カ国政権党代表が招待された。

☆中米で内戦を戦ったニカラグア、ES、グアテマラ3国のうち、ゲリラ組織から発展した政党が政権に就いていないのはURNGだけだ。「それはなぜか」が中心的テーマだ。

★最大多数派のマヤ先住民族が貧困にあえぎ、分断され、買収され、政治的理念を獲得するに至らず、左翼政党に支持が届かない。これが、一般的な分析だ。

【最近のグアテマラ情勢については、月刊誌LATINA7月号(6月20日発行)の「ラ米乱反射第77回、マヤ民族は自然・文化を浄化する<人的資源>」を参照されたい。】

2012年8月26日日曜日

ベネズエラ最大の製油所が炎上

▼▼▼ベネズエラ西部のファルコン州パラグアナー半島西岸のプント・フィホ市にあるパラグアナー製油所(CRP)の3製油所の一つで、同国最大の製油能力を持つアムアイ製油所(日量64万5000バレル)の貯油タンク(容量26万バレル)3基が8月25日未明から25日にかけて爆発、炎上した。

▼消防士220人が83時間をかけて消火活動に当たり、26日鎮火させた。

▼この事故で警備に当たっていた国家警備隊(GNB)の要員18人とその家族を含む41人が死亡し、84人が負傷した。また付近の住宅500戸が破壊された。車多数も破壊された。

▼ベネズエラ石油公社(PDVSA=ペデベサ)社長を兼ねるラファエル・ラミレス石油相は、「ガス漏れ」があったことを明らかにした。引火の原因については、サボタージュの可能性も含め、約1か月かけて調査する、と述べた。

▼ウーゴ・チャベス大統領は、3日間の国喪を宣言した。26日には現地を視察し、犠牲者の遺族らを見舞った。また、犠牲者遺族と被災者に計1億ボリーバル(約2320万ドル)の賠償金を支払う、と表明した。

▼ベネズエラ石油労働者統一労連(FUTPV)のイバーン・フレイテス書記長は、事故の起きた製油所の維持点検を過去3年間要請していたが資金が投入されなかった、として、政府を非難した。これに対し、CRPは、過去3年間に60億ドルが投下された、と反論した。

▼CRPは、この国の製油能力の71%を占める、最重要石油関連施設。またプント・フィホ港は、最大の石油輸出先である米国に石油を積み出す最重要港の一つ。

▼10月7日の大統領選挙を控えるチャベスには、経済の命綱である石油部門で最悪の事故が起きたのは大きな痛手だ。

▼ラミレス石油相は、9月上旬には復旧するとの見通しを明らかにしている。


包囲されたのは政治だけではない

★☆★毎週金曜日に首相官邸前に、原発全廃を求める意識した人々の群が異議を唱えるために集まる。自分たちが選んだはずの国会議員の多くが依然危機感を持たず、その国会議員が構成する政府が秘密主義で、原発企業と電力大消費企業の肩を持っているからだ。

☆あらゆる不正、あらゆる理不尽なことに無反応だった多くの日本人がいま、立ち上がっている。これは東電福島原発が招いた人災=放射能漏れの一大悲劇が喚起した、尊く民主的な副産物だ。日本市民も、かすかではあるが、諸外国の市民に近づくことができた。

★あるメディアは、「国会が包囲されている」と指摘した。

☆否! 包囲されたのは政治、すなわち首相官邸、国会、政党、諸官庁だけではない。これまで政官財の側に重点を置いて取材し報じていた大部分の大手メディアが包囲されているのだ。

★政局報道にばかり熱心で、真の政治のあり方を掘り下げることの少ないメディア、「体制」を支えてきたメディアが、いま取り囲まれているのだ。 

★彼らは、東電事故直後、拡散した放射線の危険性を市民に知らせるのを怠った。政府・東電と「共犯だった」と指摘する声が少なくない。また、反原発の動きが出ても、当初は真剣に伝えようとはしなかった。いまでも、その報道には、おざなりの印象が否めない。

★もし彼らメディアに「世論に包囲されている」という認識がなければ、絶望的だ。そんなメディアには、原発支持議員・政党と同じく、明日はあるまい。

☆メディアよ、曖昧にも<マスコミ>と自らを呼んで堕落せず、報道機関の原点に戻り、ジャーナリズムとなれ。それしか道はない。


2012年8月25日土曜日

カプリレスが初めてチャベスを上回る

▼▽▼世論調査機関「コンスルトーレス21」が8月24日公表した調査結果によると、10月7日実施の大統領選挙に出馬している野党統一候補エンリケ・カプリレスが47・7%で、現職のウーゴ・チャベス候補の45・9%を1・8pリードした。カプリレスは、今年2月に野党候補に決まってから、支持率調査で初めてチャベスを凌いだ。

▼だが、この調査結果は他のさまざまな調査結果と異なっており、有権者の動向を的確に反映しているかどうかはわからない。しかし、カプリレスがチャベスを追い上げている趨勢は反映している、と言える。

メキシコ選挙裁判所が一部投票結果を無効化

▼▽▼メキシコ選挙裁判所は8月24日、7月1日実施の大統領選挙の投票所14万3132か所のうちの、わずか0・36%にすぎない524か所の投票結果を無効と判断した。

▼得票2位のアムロ陣営は、1位のエンリケ・ペニャ=ニエト陣営に大規模な不正があったとして、選挙の無効化と再選挙を求め提訴していた。アムロ陣営は、379件、計8万2000か所の投票所の投開票結果について異議を申し立てていた。

▼法廷は、そのうち30件を却下し、残る349件を審理して、524か所の無効化を決めた。これにより、「ペニャ勝利」という事実上の選挙結果は一層動かぬものとなった、と世論は受け止めている。  

米州諸国機構がエクアドール支持

☆★☆米州諸国機構(OEA=オエア、英語ではOAS、キューバを除く34カ国加盟)は8月24日、ワシントンの本部で外相会議を開き、ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ氏亡命問題で対立するエクアドールと英国の関係をめぐるエクアドール提出の決議案をめぐって5時間余り討議した。その結果、修正を加えた6項目の決議を採択した。アサンジという氏名は決議の文言に書かれていない。

☆最も重要なのは、「加盟国はエクアドールへの連帯と支持を表明する」と明記した第4項。米国は、この項目だけ賛否を留保した。カナダは「英連邦加盟国として」、決議案全体の採択そのものに反対した。LAC(ラ米・カリブ)22カ国が足並みをそろえて賛成し、決議案全体が採択された。そこには、英連邦加盟のカリブ諸国も含まれている。

☆エクアドールは原案に、「外交公館の不可侵性を威力行使で侵すという脅迫を断固糾弾する」という趣旨の文言を盛り込んでいたが、「威力行使で侵す」は「危険に陥れる」に、「脅迫」は「意図」にそれぞれ修正された。「平和共存の原則に沿って問題を解決する」という文言は採択された。決議は、両当事国に対話を求めている。

☆エクアドールのリカルド・パティーニョ外相は会議後の記者会見で、「歴史的な文書が採択され、エクアドールの勝利だ。米州では帝国主義が命令する時代は終わった」と述べた。また、「ALBA、ウナスールに次いでOEAが支持してくれた。これは、あの悪名高い<ワシントンコンセンサス>とは異なる<ワシントン無きコンセンサス>だ」と指摘した。米加両国の姿勢については、「地理的な近さは政治的な近さを意味しない」という、エクアドールのラファエル・コレア大統領の言葉を引用して、「予想どおり」という見方をやわらかく示唆した。

☆エクアドールは、8月15日に「外交公館の不可侵性を認めない例外的措置をとる可能性」を英政府から伝えられたのを受け翌16日、大使館内に身を置いているアサンジに亡命を認め、併せてOEA外相会議の開催を要請した。

☆OEAは決議採択で、組織としての存在価値を辛くも維持した。米加を除く22カ国はすべて、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)の加盟国であり、OEAにおける北米両国と<南>のCELACの外交姿勢の違いが浮き彫りになった。CELACにはキューバも加盟している。

☆オバマ米政権は、今会議に国務省の米州担当副次官補という局次長級を出席させ、二国間問題を討議するのはOEAになじまない、との立場と<不快感>を表した。だが、カナダのように全面的反対はせず、LAC側に歩み寄る判断をした。11月に大統領選挙を控えるバラク・オバマ大統領には、もともとあるリベラルな外交姿勢に加え、会議をこじらせて共和党候補に攻撃理由を与えるのを避けたいとの配慮があった、とも言える。

2012年8月24日金曜日

チリ中高生が全国スト

☆★☆チリの中等学校生(12~18歳、日本の中学・高校生に相当)は8月23日、市立化されている公立中等学校の再国立化と、質を伴う無料教育を要求し、私学などの利潤追求教育に反対して全国ストライキを打った。

☆首都サンティアゴでは、従来のように一か所に集結して治安警察機動隊と衝突するのを避け、一万人が市内14区に分散してデモ行進した。警察も分散警備せざるを得なかった。だが結局、中心部に3000人が結集し、これを機動隊が放水と催涙ガスで規制した。学生140人が逮捕された。負傷者も出た。

☆中等生連絡会議(ACES=アセス)、中等生連絡(CONES=コネス)会議が主催し、大学生の全国組織であるチリ学生連盟(CONFECH=コンフェチ)が支援した。背景には、貧富格差の拡大で、高等教育の機会均等が侵されている状況がある。

☆チリでは去年、全国で学生デモが長期間続き、ピニェーラ右翼・保守政権は教育政策の再考を迫られた。だが小さな政府や民営化を基本とする新自由主義政策は変わらず、学生側の要求は認められなかった。このため、学生側はこの8月、またも攻勢に出た。

☆既に3週間にわたって学生の行動は続いており、首都にある国立チリ大学の中央校舎と、8つの中等学校校舎が学生に占拠されている。

☆来年11月17日には次期大統領選挙が実施される。学生たちは、民政移管された1990年3月から20年続いた中道および左翼の協和(コンセルタシオン)政権の復活を望んでいる。現在、社会党のミチェル・バチェレー前大統領が最有力候補と目されている。

2012年8月23日木曜日

ボリビア高地音楽への誘い

☆☆☆ボリビア南部のポトシー州の北部(ノルテ・デ・ポトシ-)には、ジャジャグアという鉱山の町がある。私は以前この町のシグロ・ベインテ(20世紀)鉱山で、錫や銀の生産現場を取材したことがある。鉱山労働者はボリビアの現代史を動かしてきたが、その中心的な町である。

☆このジャジャグアで1985年、「ノルテ・ポトシ」という、ケチュア人の音楽を演奏するグループが結成された。このグループが初来日し、東京都新宿区、福島市、足利市、富良野市で公演する。

☆メンバーは、リーダーのルベーン・ポルコ、妻でソプラノのコルネリア・ベラメンディ、夫妻の息子インティハイロ・ポルコ=ベラメンディ、およびフアンルイス・ウガルテの4人。ギター、チャランゴ、サンポーニャ、ケーナ、打楽器を操りながら、<アンデス音楽>を高らかに歌う。

☆東京公演は9月14、15両日。いずれも新宿区大久保の労音大久保会館。14日(金)は1900開演、15日(土)は1400開演。前売り4000円、当日4500円。問い合わせは、主催者・東京労音03-3204-9933。ボリビア大使館が後援。

キューバニッケル社幹部8人に禁錮刑

▼▽▼オルギン州人民法廷は8月20日、同州モアにある、基幹産業省所属の国営クバニッケル社ペドロ・ソト=アルバ工場の拡張計画に関する汚職で、同社幹部8人に禁錮刑を言い渡した。共産党機関紙グランマが21日報じた。

▼アルフレド・サヤス幹部ら副基幹産業相経験者3人に12年、10年、8年の実刑がそれぞれ言い渡された。他の8人にも禁錮刑の判決が下された。

▼ニッケルは、キューバの輸出額の30%を占め、昨年は90億ドルを稼いだ。

▼2010年には、共産党政治局員で基幹産業相のヤディラ・ガルシアが「無能」を理由に解任された。以来、最重要産業の一つであるニッケル部門への当局の監視が厳しくなっていた。

▼ラウール・カストロ議長は、経済建設への市場原理導入を慎重に進めている。その改革過程での最大の敵を腐敗と捉え、国営部門の取り締まりを強化してきた。

奈良原武士氏がサッカー殿堂入り

☆☆☆20世紀後半のサッカー報道の草分けの一人、元共同通信記者、奈良原武士氏(1937~2007)が8月21日、日本サッカー殿堂入りすることが決まった。日本サッカー協会による掲額式は9月10日に行なわれる。

☆カトマンズでNGO活動をしている長女の志磨子さんからの吉報だった。

☆奈良原は、私の通信社時代の先輩だった。1970年の第9回W杯メキシコ大会から、ドイツ、アルゼンチン、スペイン各大会まで4大会を連続取材した。私は光栄にも、70年大会と82年のスペイン大会を奈良原の指揮下で取材した。

☆メキシコ大会はブラジルが圧倒的な強さで優勝した。大会中、グアダラハーラの選手村で奈良原はペレー(エジソン・オランテス=ド・ナッシメント)にインタビューし、私が通訳した。付近にいた日本人特派員や外国人記者が私たち3人を取り囲み、大きな輪になった。

☆スペイン大会は6月末から7月半ばにかけて開かれた。私は当時、ヨハネスブルク支局駐在だったが、4~6月、アルゼンチンと英国のマルビーナス(フォークランド)戦争の取材で長期間ブエノスアイレスに出張し、亜国敗戦を見守ってからヨハネスブルク経由で、バルセローナに飛んだ。晩秋から初冬にかけての亜国は涼しく時には寒かった。ところがスペインは真夏だった。疲労も手伝って、30代末の私の体調は万全ではなくなっていた。その分、取材の戦力としては減退した。

☆80年代後半、私はリオデジャネイロ支局にいた。奈良原が写真記者とともにやってきた。当時、20歳未満でクリチーバで活躍していた三浦知良選手にインタビューして、その若いサッカー人生を描くためだった。私は、お手伝いをした。

☆90年代は、編集委員室で一緒だった。初めて先輩と机を並べた。97年、定年間近の奈良原にインドに出張してもらった。私が編集を担当していた通年企画の取材をお願いしたのだ。「ご褒美だな」と言いながら、インドに旅立っていった。その年、『ワールドカップ物語』(ベースボール・マガジン社)が出て、署名した一冊をいただいた。この本は、貴重な記録で埋まっており、いまも重宝している。

☆2002年にW杯日韓合同大会が開かれた。その折、私に「俺の人生もそろそろ終わりかな。もう長くはないと思う」と言った。それから5年後、70歳になる手前で亡くなった。病院に何度か見舞ったが、既に危篤で意思は通じなかった。棺の中の顔は、穏やかな初老の顔になっていた。

☆「国際情勢のわからない運動記者はだめだ。スポーツのわからない外信記者もだめだ」ー奈良原の言葉である。外信記者だった私は、五輪2回、W杯2回をはじめ、さまざまなスポーツの世界大会を取材する機会に恵まれた。ボクシングの世界タイトルマッチも何回も取材した。その都度、奈良原の言葉を思い出していた。

2012年8月22日水曜日

映画「イラン式料理本」

☆☆☆モハマド・シルワーニ監督2010年作品、イラン映画「イラン式料理本」(72分)を試写会で観た。イランの家庭に封じ込められている女性たちの、ラマダン期の料理に励まざるを得ない状況をユーモラスに描く、まじめで風変わりな映画だ。だが、これが現実なのだろうし、したがってリアリズムそのものの作品だ。

☆9月15日から、東京・神田神保町の岩波ホール(電話03-3262-5252)で公開される。

☆3世代の女性たちが、それぞれの家庭で料理に集中する。料理中の会話が諧謔に富み、イラン社会の伝統の変化がちりばめられ、面白い。6時間もかけて作った料理を男たちは15分程度で食べてしまう。宴の後を片付けるのも、やはり彼女たちだ。やれやれという表情を見せながらも、屈託なさそうで、女たちの尊ぶべき辛抱強さが浮き彫りになる。

☆上映後の感想は、一に、映画の中で作られた料理をすべて味わってみたい、ということ。次に、この物語を日本社会に当てはめて、同様の映画を作るべきだということ。日本人男性の多くは、恥入り反省するところが多いはずだ。

☆イランの主婦たちにとって、解放される一つの方法は離婚か。それが末尾で示唆される。やはり末尾で告げられる100歳の老女の死は、古く長い伝統の死と変容を意味するのだろう。

☆「たまには、こういう映画を観てみたい」と思うような、まさにそんな作品だ。

アムロ派が当選者認定を急がぬよう訴える

☆★☆7月1日のメキシコ大統領選挙で得票第2位になった野党・民主革命党(PRD)候補アンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(通称AMLO=アムロ)を支持し、得票1位のエンリケ・ペニャ=ニエト候補(制度的革命党=PRI=プリ)の「当選」無効を主張するアムロ派幹部は8月21日、選挙裁判所に当選認定を軽はずみにしないよう申し入れた。

★選挙裁判所は、9月6日までに当選者を最終的に認定することになっている。だがPRDのヘスース・サンブラーノ党首らは、次期大統領就任日は12月1日で、時間がたっぷりあるため、認定期限を延長するよう訴えた。

☆アムロ派は、選挙戦でペニャ=ニエトおよびPRIが大掛かりな票の買収など不正を働いた、として選挙無効を主張してきた。買収資金には、麻薬資金が含まれている、とも指摘している。また、テレビや新聞がペニャ=ニエトに一方的に肩入れした事実を踏まえ、メディア偏向報道をも非難している。

★サンブラーノ党首らは、軽率に認定すれば好ましくない結果を招く、と述べ、アムロ派をはじめ選挙不正を告発している広範な市民層による騒乱が起きる可能性を示唆した。

【註:メキシコ大統領選挙の経緯については、月刊誌「ラティーナ」8月号(7月20日発行)掲載の、「ラ米乱反射連載第78回  腐敗宣伝と金権選挙で<恐竜PRI>政権甦る  またも勝利から見放された嘆きの左翼アムロ」参照。】  

パラグアイが次期大統領選挙日程発表

▼▼▼パラグアイ選挙最高裁判所は8月21日、次期大統領選挙を来年4月21日に実施する、と発表した。登録有権者は350万人。副大統領、国会上下両院議員、南部共同市場(メルコスール)議会議員の選挙も併せて実施される。新大統領は8月15日就任する。任期は5年。

▼保守・右翼が多数派のパラグアイ国会は6月、穏健左翼のフェルナンド・ルーゴ大統領を弾劾、追放し、副大統領だった保守派のフェデリコ・フランコを暫定大統領に据えた。これを「国会クーデター」と捉えたメルコスールおよび南米諸国連合(ウナスール)は、パラグイアの加盟資格を次期大統領選挙実施後まで停止とした。

▼各政党は12月9日から1月20日の間に党内選挙などを通じて候補者を決め、12月10日から2月15日の間に出馬登録をする。

▼ルーゴ前大統領もフランコも、大統領選挙には出馬しないと表明している。

▼一方、ルーゴ支持派の左翼諸党の連合体「グアスー戦線」は21日、「即時民主化」を訴えた。同戦線は、6月の政変後、暫定政権を認めない公務員1500人が解職された、と現政権を非難した。

2012年8月21日火曜日

2人の日本人女性の死

★★★ジャーナリストの山本美香さん(45)が8月20日、シリア内戦の激戦地アレッポで政府側民兵と見られる部隊に銃撃され、死亡した。一方、大学生の益野友利香さん(20)は15日、ルーマニアの首都ブカレストの空港に到着した後に殺害された。

★★私は通信社に勤務していたころから、山本さんの仕事に注目していた。その仕事内容と取材姿勢を評価し、若い記者たちに、評価する理由を伝えていた。日本の報道界、国際報道界は、山本という優れたジャーナリストを失った。


★ここで付け加えるべきは、日本の大手メディアが、戦争や内戦など紛争地帯への自社記者派遣を避け、山本のような社外記者と契約する、一種の<代理取材>が常態化していることだ。本来、自社記者と契約記者が取材現場で補完し合うのが望ましい。

★山本は、死を懸けて取材していた。ジャーナリストならば誰しも願い、そして誰もが叶えることができるわけではない死を懸けた現場取材を、悲観も楽観もせずにこなしていた。私は山本に会ったことはなく、仕事を通して存在を知っていただけだが、それだけでも山本の生甲斐と死に様が理解できるのだ。

★★★益野さんは、夏休みを利用して短期間、ボランティアとして日本語を教えるため渡航したという。私はもちろん、益野のことを全く知らない。しかし、外国に出て行って何か有益なことをする、という精神は十分に理解できる。ここを評価したい。

★★小さな島国日本の日本人の若者の多くが内向きな時代に、益野は果敢にも欧州に出かけて行った。旧東欧、現中欧のルーマニアは経済が安定せず、犯罪が多い。残念ながら、益野は、その暗闇の部分に陥れられてしまったようだ。その結果として、死を懸けてしまった。

★山本と益野は世代も経歴も異なる。二人の死の様相も全く異なる。だが、同時期の日本人女性の異郷での「非業ながら運命的な死」として、私には忘れ難いものがある。記憶しつづけたい。

エバ・ペロンの死から60年~ラティーナ誌掲載~

☆故フアン=ドミンゴ・ペロン元亜国大統領の夫人で、ペロニスタ統合の象徴だったエバ・ペロンが1952年7月26日に癌で死去してから60年が過ぎた。クリスティーナ・フェルナンデス現大統領は、エバ没後60周年を記念して100ペソ紙幣を発行することを決めた。ペロン・エバ時代を全く知らない若い世代が多数派の社会となっているが、その時代の記憶を若者たちに引き継がせたいと、アニメも制作されている。

★「エバ神話」が内外に広まったのは、エバの華々しい政治活動に加え、永久保存遺体が奪われ行方不明になった事件に因るところが大きい。

☆月刊誌「ラティーナ」9月号(8月20日発売)は、「ラ米乱反射(連載第79回)」を、エバ特集で飾っている。その題名は、「数奇な運命を辿ったエバ・ペロンの永久保存遺体  没後60周年、<女神>を劇画で語り継ぐ」。執筆は伊高浩昭。

★貴重な写真も掲載されている。ご覧ください。

チャベスがカプリレスを依然リード

☆10月7日のベネズエラ大統領選挙まで50日を切った。4選して2019年まで連続20年の長期政権を目指す現職大統領ウーゴ・チャベス候補(ベネズエラ統一社会党=PSUV)と、野党統一候補エンリケ・カプリレス候補の事実上の一騎討ちで、7月1日から白熱した選挙戦が展開されている。

★最近発表された二つの世論調査結果は、いずれもチャベスがリードしている。だがカプリレスが徐々に追い上げている趨勢がうかがえる。チャベスの体内に潜む強敵「癌」が、本人の勢いを殺いでいるのは否めない。

☆8月9日までの調査の結果は、チャベス46・8%、カプリレス34・3%で、チャベスが12・5p上回っている。未決定は18・8%。

★だが8月15日までの調査の結果は、チャベス49・3%、カプリレス47・2%で、チャベスのリードは2・1pで、接戦となっている。

☆選挙戦の争点の一つは、凶悪事件が頻発している治安問題。8月19日には、カラカス郊外の刑務所で、対立する受刑囚集団同士が衝突し、25人が死亡、43人が負傷した。刑務所内での暴動による死者数は、今年に入ってから300人に達している。貧困大衆の生活向上で著しい成果を上げてきたチャベスだが、主として貧困層に根差す犯罪が減らないのがアキレス腱となっている。カプリレスは、この点を攻撃している。

★政権党PSUVは、有権者1900万人のうち約850万人を党員としており、PSUV党員の投票率が最高度に達すれば、チャベス勝利は固いと観られている。だが、過去の選挙で党員の離反が目立ったこともあり、党員の高投票率は必ずしも保証されているとは言えない。

☆一方、カプリレスの泣き所は、財界・富裕層の候補であるのが明確なことや、思想的に親米で右翼体質が濃いこと。カプリレスが勝てば貧困層救済政策は無に帰してしまう、とのチャベス陣営の主張は説得力を持って受け止められている。

2012年8月20日月曜日

アサンジ問題でエクアドールを支持

☆南米諸国連合(ウナスール、12カ国加盟)は8月19日、エクアドール太平洋岸の都市グアヤキルで外相会議を開き、最終宣言で、ジュアリアン・アサンジ氏に亡命を認めたエクアドール政府を支持し連帯を表明した。同時にエクアドールと英政府に対し、打開のための対話を呼びかけた。

★ウナスールは、同地で18日開かれた米州ボリアリアーナ同盟(ALBA、8カ国加盟)の外相会議に続いて開かれた。19日の記者会見の場には、ウナスール域外のALBA加盟国であるキューバ、ニカラグア、カリブ英連邦3カ国の外相らも出席した。

☆最終宣言を読んだウナスールのアリー・ロドリゲス事務総長(ベネズエラ)は、英国に対し、「脅迫をやめて対話せよ」と訴えた。「脅迫」とは、エクアドールがアサンジに亡命を認めた直後に、「出国を阻止する」旨の通告がなされたことを意味する。

★エクアドールのリカルド・パティーニョ外相は、「エクアドールと英国の間の力の差は歴然としている。だが、道理は力を必要としない」と述べ、自国の正当性を強調した。

☆エクアドールのラファエル・コレア大統領は、ウナスールとALBAが一致して支持と連帯を表明したことについて感謝し、「大なる祖国=ラ米」の存在の尊さを指摘した。

★米州諸国機構(OEA、34カ国加盟)は24日ワシントンで、アサンジ亡命問題をめぐるエクアドールと英国の対立について協議する。ウナスールとALBAはグアヤキル会議の結果を踏まえ、アサンジの身柄確保を渇望している米国を牽制することになる。

☆一方、アサンジは19日、ロンドンのエクアドール大使館のバルコニーに姿を現し、米国に対し「ウィキリークス絡みの魔女狩りをやめよ」と呼びかけた。

2012年8月19日日曜日

キューバで地方議会選挙実施へ

☆キューバ選管は8月18日、人民権力ムニシパル(市)会議(市議会)の議員約1万5000人を選出する投票を10月21日実施する、と発表した。市会議員の任期は2年半。

★有権者は850万人。うち満16歳になったばかりの新しい有権者は20万人。

☆選出される市会議員のなかから人民権力プロビンシアル(州)会議(州議会)議員が選ばれる。また、人民権力全国会議(国会)議員候補も選ばれる。州議会と国会の議員任期は5年。

★現在の国会は2008年2月に始まり、ラウール・カストロ現国家評議会議長が議長に正式に就任した。国家元首である議長は、国会が選ぶ評議会員のなかから選ばれる。

☆ラウールは、重要な公職在任期間を「2期10年まで」と定めている。このため、81歳のラウールが来年2月再任される公算が大きい。だが、若手に交代する可能性がないわけではない。

風雲急を告げるアサンジ亡命問題

☆ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ氏(豪州人)は、英当局による逮捕およびスウェーデンへの身柄引き渡しを避けるため、6月19日からロンドンのエクアドール大使館に身を置き、8月16日、コレア・エクアドール政権から政治亡命を認められた。これを契機に英・エクアドール両政府間の関係は一気に緊張状態に陥った。アサンジは大使館滞在2カ月となる8月19日(本日)、声明を発表することにしている。

★ラファエル・コレア大統領は、英当局が警官を大使館内に侵入させてでもアサンジ氏を逮捕しかねない構えを見せているとし、「それを文書で警告された」と語ったと伝えられる。これに対し、英政府は「警告」を否定し、平和解決のためエクアドール政府と交渉中、と表明している。

☆コレアやアサンジが恐れているのは、「女性への性的暴行」を理由にアサンジの身柄引き渡しを要求しているスウェーデン政府が、ひとたび身柄を確保するや、その身柄を米国に引き渡す公算が大きいからだ。

★著名なスペイン人の人権派元判事で弁護士のバルタサル・ガルソン氏が、アサンジの主任弁護士になることが決まっている。

☆一方、エクアドールが加盟するラ米左翼諸国がつくる米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ、8カ国)は8月18日、グアヤキル市で外相会議を開き、アサンジ亡命問題と英国の圧力に関する問題を討議する。次いで南米諸国連合(ウナスール、12カ国)も19日、同市で外相会議を開いて討議する。

★米州諸国機構(OEA=オエア)は8月24日ワシントンで、同じ問題で外相会議を開く。ALBAとウナスールのグアヤキル会議は、OEA会議に向けて共同戦線を張る目的を持つ。

☆米国、カナダ、TT(トゥリニダード・トバゴ)は「エクアドールと英国の2国間問題であり、OEAは無関係」と主張して、OEA外相会議開催に反対した。だがALBAとウナスールは、アサンジの身柄引き渡しを最も強く求めているのは、ウィキリークスに膨大な数の外交機密情報を暴露された米政府だとにらんでおり、アサンジの人権とエクアドール政府の立場を守るため、攻勢に出ているのだ。

★アサンジの母国の豪州政府は、アサンジの身柄が米国に引き渡される場合に備えて対策を既に講じている、と伝えられる。

2012年8月18日土曜日

ダニーロ・メディーナRD大統領就任

☆レプーブリカ・ドミニカーナ(RD=ドミニカ共和国)で8月16日、ダニーロ・メディーナ大統領(59)が就任した。ドミニカ解放党(PLD)所属。任期は4年。5月20日の選挙で、ドミニカ革命党(PRD)のイポリト・メヒーア候補(元大統領)を破って当選した。
 
 

☆メディーナは就任演説で、貧困を減らし、不平等と非識字を無くすと強調した。教育、保健、社会福祉を拡充するとも約束した。
 

☆就任式にはハイチ、エル・サルバドール、ホンジュラス、パナマ、スリナムの大統領、キューバ副議長、台湾副総統、ペルー、コスタ・リカの副大統領、プエルト・リコ知事、スペイン皇太子らが出席した。

ピースボート記者会見 ~波路はるかに~番外

☆私が船上講師として、カラカス・横浜間を乗船したPB(ピ-スボート、オーシャンドゥリーム号)第76回航海船は8月17日朝、横浜港大桟橋に帰着し、港内で、世界一周航海での活動状況をめぐる記者会見が行なわれた。

☆会見には、吉岡達也PB創設者・共同代表、モリース・レイナ在日ベネズエラ大使館文化担当官、乗客だった福島県人3人(早川のり子、見上香織、門間孝一)らが出席した。神奈川新聞、共同通信、毎日新聞など数社の記者が取材した。

☆県人らはロンドン、ヨーテボリ(スェーデン)、オスロで、東電福島原発の水素爆発事故後の深刻な放射線拡散被害状況を伝える運動を展開した。ロンドンでは、保守政権が原発推進派であるという事情もあってか、英国民に福島の悲劇が十分に伝わっていないことを実感し、福島の生の声を伝えるのが極めて重要だと認識した、という。

☆原発を持たないノルウェーの首都オスロでは、福島の声が届いているのを知った。現地で発言した60歳の早川さんは、「日本政府の事故終息宣言で福島の状況についての日本の報道が著しく減った。だが現実は依然厳しく、克明に報道してほしい」と訴えた。

☆スウェーデンには原発がある。福島事故後、国論は原発維持か廃絶かで二分されている。このため、福島の現状に強い関心を示している。早川さんは、「ある意味で当事者である日本人よりも関心が強い」と指摘した。

☆ベネズエラの首都カラカスでは、PBは写真家豊田直巳氏撮影の福島写真展を開いた。千羽鶴を折る人を新しいスペイン語で「オリガミスタ」というが、現地のオリガミスタたちが、写真展に自分たちが折った千羽鶴を寄贈した。その千羽鶴は、記者会見で披露された。

☆早川さんは結論として、「福島県民は心を一つにして」深刻な放射線状況に対峙すべきだと述べた。また「心のケア」が依然ないことを指摘するとともに、「汚染されている可能性のある野菜を先の短い老人が食べ、子供や若者には食べさせない」と日常生活の在り様を語り、「日本の広範な地域がすでに放射線で汚染されてしまっているのではないか」と懸念を訴えた。

☆県内の婚約者と結婚する26歳の見上さんは、「嫁に行くが、困難が待っているかもしれない。婚約者と、体内汚染などについて話し合っていく」と語った。

☆ニカラグアの首都マナグアで、ダニエル・オルテガ大統領夫妻によるPB乗船者全員に対する歓迎会が開かれた。大統領と吉岡代表は、壇上で「原発廃絶運動を展開していくこと」で合意した。ニカラグアは、国内の全市長が「平和市長会議」に参加している世界でただ一つの国だ。

☆大統領と言葉を交わした74歳の門間さんは、大統領から「原発事故直後の当局の対応は遅すぎたのではないか。原発は事故が重大な結果を招くため、民間企業ではなく政府の直轄とすべきだ」と指摘されたと明らかにした。

☆門間さんは、「事故直後、諸外国は在日自国民に半径80km以内から直ちに避難するよう勧告したが、日本政府は情報を隠していた」、「今も県民7万人が山形、新潟、東京などに避難している。仮設住宅では心労などで既に500人が死んでいる」、「原発事故後、屋外の人影、特に子供の姿が途絶えた。最近になってようやく、姿が見られるようになった」と語った。

☆記者会見では、本日18日1630から東京・千駄ヶ谷の津田ホールで開催される、福島のジュニアオーケストラの7人と、ベネズエラの青年オーケストラ「エル・システマ」の8人が合同で開くコンサートについて紹介された。計15人はメキシコのエンセナーダから乗船し、船内で稽古し、コンサートを開いた。

☆ヴァイオリンを弾くヘスース・グスマン君(16歳)は、「PB船で、福島の現実、放射線による深刻な問題を知った。僕の人生にとり重要なことだった。音楽を通じて平和と、生きる喜びの増進に貢献したい。PBの福島・広島・長崎を世界中に訴えていく使命の重要さがわかった」と述べた。

☆南相馬市の桜井勝延市長、東海村の村上達也市長らが世話人を務める「脱原発を目指す首長会議」の設立趣意書が会見の場で配布された。8月16日現在、全国の78市町村長らが会員になっている。韓国やオーストリアからの賛同する声も紹介された。


2012年8月16日木曜日

~波路はるかに~第12回=最終回

【816日太平洋上にて伊高浩昭】PBオーシャンドゥリーム号は明日17日午前4時頃、浦賀で水先案内人を乗せ、同6時頃、横浜港に入港する。1ヶ月間の旅だったが、収穫はかなりあった。幾つか記事にするつもりだ。だが何よりもうれしかったのは、ラ米人と連日連夜、語り踊り酒を飲んだことだ。大いに英気を養うことが出来た。
 ピースボートらしく、今航海でも平和、戦争、原発、放射能汚染、沖縄・広島・長崎、敗戦・終戦記念日、太平洋戦争、日本軍慰安婦、エイズ、貧困、若者と理想、在日市民などについて真面目に話し合われた。850人の乗客の4分の1を占める若者たちは、船内で爆発させたエネルギーを、陸(おか)で爆発させてほしいものだ。彼らは世界周遊航海を経て、羅針盤を確実に得たはずだ。
 これで今航海の「~波路はるかに~」は終わる。いつかわからない次の航海まで、さようなら。

マルコムX伝を読む

 「完訳 マルコムX自伝」(上下2巻、濱本武雄訳、2002年、中央公論新社)を読み終えた。マルコムX(1925~65)が語り、作家アレックス・ヘイリー(1921~92)が執筆し、マルコムXが暗殺された65年に出版されたものである。ある本を書くための参考資料として完訳本を読んだのだが、率直な感想は、原語で遅くとも70年代に読んでおくべきだった、ということだ。
 というのも、私は1981~84年、南アフリカのヨハネスブルクに駐在し、制度化された極悪の人種差別体制、アパルトヘイト(人種隔離)体制の下で取材し、暮らしたからだ。それは、異邦人としての「無関心・無関係」を許さない、非人道的な抑圧制度だった。制度維持に、日本政府や日本企業も加担していた。日本人は、不名誉きわまりない〈名誉白人〉として処遇されていた。この待遇を受け入れることで、やはり加担していた。もし私がこの本を読んで南アに赴任していたとすれば、取材・報道の角度や深度が変わっていたのは疑いない。あらためて不勉強を恥じた。
 下巻の巻末のヘイリーによるエピローグは、マルコムX暗殺の模様を克明に伝えている。彼は、過激な言葉を連ねる黒人自立主義で身を立て、汎アフリカ人主義、汎アフリカ系主義、全人種融和主義の方向に移行して間もなく、凶弾に倒れた。本書は、彼が離反するのを余儀なくされた黒人自立主義組織から嫉妬され狙われ殺された可能性が強いことを示唆している。暗殺者が誰であろうと、その背後には間違いなく、黒人を差別する白人至上主義の米国社会があった。マルコムXは、常にこの本質を突いたため、過激な発言を繰り返すだけで行動しない黒人過激派結社や、白人右翼から敵視されていた。
 ボクシングのヘヴィー級チャンピオンだったカシアス・クレイ=モハメド・アリとマルコムXとの交友の記述も興味深い。クレイは組織に残り、マルコムXは去った。私は1972年に、羽田からホノルルに向かう機内でモハメド・アリを見かけ観察したことがある。本書に記されたような彼の人間性を、かすかに垣間見ることが出来たように思う。
 マルコムXは黒豹のように躍動し、陳腐な黒白融和主義を引き裂いた。「ブラックパンサー」は、その流れを汲む。強烈な読後感が残った。細々とは書くまい。読んでいない人々には、一読することをお勧めしたい。【20120816 横浜に向かっているオーシャドゥリーム号にて伊高浩昭】 

2012年8月15日水曜日

~波路はるかに~第11回

【8月15日太平洋上にて伊高浩昭】船内で「終戦記念日」に因んだ会合があった。「地球小学校」というシリーズ企画の最終回だったが、聴衆の若者たちは歴史を知らず、まさに「小学校」的初歩の内容だった。しかし、企画者が在日の青年であるところに意味があった。生まれる前の遠い過去の日の史実を発掘して学び、それを若者たちと共有しようという、真面目さが光っていた。乗客の韓国人も発言し、日本敗戦と背中合わせの自国の独立記念日である「光復節」について説明した。日本の若者は、それを知らなかった。
 船尾のデッキでは、「太平洋戦争全関係諸国戦没者」のための追悼式があり、船客の中にいた仏僧が教を唱えた。正午には、オーシャドゥリーム号が汽笛を鳴らした。最後はお決まりの「故郷=古里」の合唱だったが、なぜこの歌が8・15などの慰霊行事に歌われる習慣が根付いたのか知らない。腑に落ちない。もとっと、ふさわしい歌があるはずだ。
 これで沖縄慰霊の日(6月23日で、私の乗船前)、広島・長崎、8・15と続く船内行事がみな終わった。福島原発人災関連行事も既に終わっていた。今日の8・15会合のさなか、近くの廊下では麻雀に興ずる音や碁の石の音が聞こえていた。大方の年配者の無関心と、ごく一部の若者の関心。今回もそれが際立った。船内にいる語学教師である欧米系青年の姿は、今日の追悼式では私の目には映らなかった。
 昨夜は快晴で、満天の星座が輝き、流星が数多く降った。今日は一転して雨だ。正午の汽笛は、霧笛のように響いていた。今夜半、時計は新たに1時間戻り、日本標準時(JST)と同じになる。下船準備態勢が今日から始まり、明日は荷造りだ。100日間の世界周遊航海を、若者たちは「短かった」と嘆き、年配者は「長かった」ともらして、自らを慰める。明後日17日には、横浜に帰着する。

2012年8月14日火曜日

~波路はるかに~第10回

814日太平洋上にて伊高浩昭】PB船は横浜に向かって南下している。海は今朝から完全に夏になった。昨日までの涼しさは消えてしまった。先住民族が恩恵を受けていた大海、そして、彼らの太平の夢を破ったスペイン人征服者の一人バルボアが1513年にパナマで展望した「静かな海=太平洋」は、こんな海だったはずだ、と思わせるような、波のほとんどない静寂な大海原だ。大空は青く澄み、点在する白雲は停止して動かない。
 マガリャンイス(マゼラン)がフィリピンに到達したのも、ポルトガル人がマラッカ海峡を越えて太平洋に入ったのも1520年代だった。世界はイベリア半島両国の航海者によって、一つの円周大航路で結ばれたのだ。ポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲を伝えたのは1543年だった。天正少年使節団はポルトガルの支援で16世紀末にインド洋・喜望峰航路で欧州に渡り、ローマに行った。支倉常長は1610年代後半に、スペイン人の支援によってアカプルコに渡り、ローマに向かった。帰路は、アカプルコからフィリピン経由で、仙台にたどり着いた。
 それにしても(大航海時代)という言葉は、あまりにも無味乾燥にして(中立的)すぎる。航海者とその母国群の領土、財宝、布教、強姦などへの野心を覆い隠す。「大略奪野心的航海時代」とも言うべきなのだ。
 昨日、船上講師としての仕事はすべて終わり、今日は海洋と対話しつつ、読書をしている。『マルコスX自伝』(濱本武雄訳、2002年中央公論新社)は下巻に進んだ。半世紀前の人物の伝記をいま読むのは、ある仕事の参考書としてだが、実に面白い本だ。快晴の海洋と対峙しつつも融合し、興味深い読書をする。今航海での最大の贅沢だ。

2012年8月12日日曜日

~波路はるかに~第9回

812日太平洋上にて伊高浩昭】波はあるが晴天で、静かな海だ。昨夜の「パブロ・ネルーダ朗読会」で、今回の私の船上講師としての仕事は99%終わった。「詩は決して無駄には詠われない」というネルーダの、ノーベル文学賞授賞式での言葉が甦った。11編の詩を読んだ11人の船客は、聴衆の前で朗読したことで詩人になったのだから。
 仕事は、明朝の音楽DJですべてが終わる。いま背後のバルで、ベネズエラと福島の学生たちがシンフォニーの合同演奏の練習をやっている。「ベネズエラ」という名の讃歌の音色が美しい。明日以降の発表に備えてだ。こういうのが、ピースボートのいいところだ。
 今日は、船内上映会でF・コッポラ監督の映画「三島由紀夫伝」を観た。日本では遺族の反対で未公開のままという。登場人物が話す日本語は英語字幕になるが、その上にポルトガル語の字幕がかぶさっていた。ブラジル辺りで上映されたものだろうか。面白かった。4部作で、三島の3つの作品を通じて三島の人物と美学を浮き彫りにし、最後は防衛庁での切腹の場面で終わる。インターネットで観られるというから、既に観た日本人も少なくないはずだ。
 数日前に沖縄についてシンポジウム形式の講座を開いたが、これを機に、持ってきていた『沖縄返還の代償-核と基地-密使・若泉敬の苦悩』(NHKスペシャル取材班、2012年5月、光文社)を読んだ。佐藤栄作の密使として活動した若泉の本心や、96年7月の自殺の謎を探る興味深い内容だ。乗船前に、取材班のひとり宮川徹志ディレクターから贈られていたものだ。日本外交は、密約と嘘という姑息な作風をやめない、ちっぽけな外交屋に牛耳られている。大いなる不幸だ。
 水平線が暮れてきた。オーシャンドゥリーム号は、大海原を北西の方向に斜めに進んでいる。

2012年8月10日金曜日

~波路はるかに~第8回

【8月9日太平洋上にて伊高浩昭】PB(ピースボート)オーシャンドゥリーム号は、日付変更線に向かって白雲と青空が半々の大海原を走っている。最後の寄港地エンセナーダを離れて1週間経った。私の船内講座は、今朝の沖縄シンポジウムをもって終わった。あとは恒例の「パブロ・ネルーダ朗読会」と、朝の音楽DJ番組を何回か残すだけだ。
 沖縄企画は、長崎原爆投下の日に因んだ「ピースデイ」関連企画の一環だった。船客のなかから仲田清喜・元琉球新報記者と吉原功・明治学院大学名誉教授を壇上に迎え、満場の船客とともに討論し、意見を交わした。船内のさまざまなサロンで終日、企画が展開される。
 真夜中に日付変更線を通過し、8月11日に移行する。8月10日は存在しない。西半球から東半球に入るために一日を失うのだ。横浜帰着まで1週間となった。
 先日、ラ米情勢を語ったとき、最近のベネズエラの南部共同市場(メルコスール加盟)の意味について質問された。南米中北部の米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)の盟主ベネズエラの、南米深南部のメルコスール加盟は、南米およびラ米の団結を強化するのに貢献する。チャベスのベネズエラは、険悪な対米関係上の立場を強化することになる。経済面では、ベネズエラはメルコスールから食料など産物を輸入するが、輸出すべきものはあまりない。この加盟は、メルコスールにとって輸出市場の拡大に繋がる。
 失策を犯したのは、先頃、国会でフェルナンド・ルーゴ大統領を弾劾し追放したパラグアイだ。この「民主制度の停止」を攻められ、メルコスール加盟資格を停止されてしまった。パラグアイ国会は、かつてのストロエスネル独裁時代からの右翼有産層の代表が多数派で、ベネズエラの加盟条約条項の批准を拒否してきた。ところが加盟資格停止となったため、批准済みのアルゼンチン、ウルグアイの加盟3国は、この機に乗じて、さっさとベネズエラ加盟を認めたのだ。
 話は変わるが、村岡博人・元共同通信記者の記者人生を克明に描いた『ここに記者あり』(片山正彦著、岩波書店)を読破した。私は1968年のメキシコ五輪時、開会式原稿を書く花形記者だった村岡氏の案内役兼通訳として、メキシコ市一帯を駆け回った。国際報道畑の私には取材上の濃密な接点はこれしかないが、氏の取材報道姿勢からは大いに学ぶべきものがあった。この本を読んで、そのことをあらためて思った。権力の延長線上に身を置いて良い気になっている記者が少なくない。権力に魂を売った記者さえいる。この本は、記者資格を倫理的に失いながら記者稼業を続けている彼らには、とりわけ苦い薬になるはずだ。
 付記すれば、著者の片山氏と親しく付き合った唯一の機会は、1992年のバルセローナ五輪取材時だった。当時まだ通信社記者だった魚住昭も一緒だった。

2012年8月4日土曜日

~波路はるかに~第7回-「私は132人目」声明


83日北米沖の太平洋上にて伊高浩昭】エンセナーダ港付近で2日夕、地元の大学生や青年労働者がつくる「私は132人目エンセナーダ支部」の青年男女約20人が、ピースボート乗客にメキシコ政治の現状を訴えるためデモ行進した。PBオーシャンドゥリーム号から遠い、港入り口の関門で阻まれ、彼らの声は船には届かなかったが、上陸した乗客たちの目を引いた。たまたま帰船するため歩いていた私は、彼らと話すことができた。
 私が、ジャーナリストであり、メキシコ情勢を注視しており、船内講座でも71日のメキシコ大統領選挙や「私は132人目」の運動ついて既に話したことを伝えると、彼らは喜び、作成したばかりのスペイン語の声明文を私に託した。船内および日本の関心を持つ人々に伝えてほしい、と頼まれたのだ。以下は、その要旨である。

 201282日、北下加州エンセナーダ市にて、停泊中のピースボートの皆さんへ、

 一つ、私たちの国メキシコは民主主義国として国際社会に紹介されているが、事実ではない。長年の政治的無関心がメキシコの先住民族および他の人民に対する重大な蹂躙を許してきた。

 一つ、メキシコ政府は、連邦、州、市の全領域でテレビをメロドラマやくだらない番組で埋め尽くし、人民の教育を怠り、支配階層や財界の利益ばかりを追求してきた。

 一つ、7月の大統領選挙でPRI(プリ=制度的革命党)候補エンリケ・ペニャ=ニエトが〈勝利した〉とされているが、同候補の選挙戦のさなかの5月、私たちの運動「私は132人目」が生まれた。選挙戦があまりにも空虚であるため、有権者の多くは眠っていた。そんな時に私たちの組織は生まれた。

 一つ、メキシコ市のイベロアメリカ大学の学生たちが、ペニャが責任を持つべき過去の重大事件について追及すると、ペニャは大学構内から逃げた。この事件の責任問題で同候補もPRIも、ペニャを全面支援するテレビサ、テレビアステカも沈黙を押し通した。「沈黙の共犯」によって、忘却を招こうとしたのだ。

 一つ、そうする一方で学生を、「偽学生」、「左翼候補の回し者」などと根拠なしに呼び、誹謗した。ここに怒った全国の人々が、イベロアメリカ大学の名乗りを上げた131人の学生に連帯し、私たちの運動が生まれた。これは「多数者の怒り」という国際的な運動の一環であり、メキシコでの現れとして位置づけることができる。

 一つ、私たちの目的は、情報への接近の自由、言論・表現の自由、真正な民主主義国の建設の3点の実現にある。

 一つ、全メキシコ人は、歴史の重大な転換期にある。私たちは目覚めつつある。私たちは孤立しているのではなく、仲間がいる。社会なくして個人は存在し得ない。私たちはこのエンセナーダで、政治的無関心や絶望と闘ってきた。流れに逆らえない魚は死ぬ。だから抵抗する。

 一つ、私たちは教養を備え、平和主義であり、人権を擁護する。暴力でなく対話を探っている。そのためには、社会ネットワークの構築が極めて重要だ。それを通じて、地元から全国へ、メキシコから全世界へと情報が伝わっていく。

 一つ、私たちは、エンセナーダ中の壁を「叫ぶ壁画(ムラレス・ケ・グリータン)」で埋め尽くすつもりだ。

 一つ、ピースボートの皆さん、メキシコの状況と、メキシコが歴史的転換期にあることを知ってほしい。そして連帯を求めたい。私たちの運動については、さまざまなビデオ映像で観ることができる。ぜひ観てほしい。(了)

~波路はるかに~第6回


82日エンセナーダにて伊高浩昭】PBオーシャンドゥリーム号は2日、メキシコ下加州の港町にして保養地のエンセナーダに寄港した。私は18年ぶりに訪れたが、街と周辺の景観が一変しているのに時の流れを感じた。タクシーで北方126kmの国境の町ティフアーナ市に行った。沿線は住宅開発で、新しい家々、高層アパルタミエント、別荘が連なっている。年金生活者ら米国人6万人が住み着いているという。
ティフアーナでは、まず海岸の国境線に行ったところ、ここも大きく変わっていた。メキシコ側の国境の鉄柵の一部には隙間がつくられていて、緩衝地帯とその先の米国側鉄柵が見えるようになっていた。その柵には「友人の間に壁があってはならない」、「壁に反対、橋に賛成」、「恥辱の壁」、「ベルリン-パレスティーナ-メキシコ」など、意味深い落書きの文字が続いていた。この壁が彼方の丘上まで繋がって見えた。壁はアリゾナ州との国境地帯では低くなり、やがてブラ-ボ川(グランデ川)が国境線となってメキシコ湾に至る。鉄柵の隙間から米国領を眺めていると、国境警備隊の巡視車がこちらを観察しながら通っていった。メキシコが、この地を観光名所にしているのがわかった。「メキシコはこの地点で終わる」と記した標石が建っていた。メキシコ政府が、160余年前に奪われた現米国西部への自国民の越境を取り締まることはない。
ティフアーナ中心街もすっかり変わっていた。観光化してしまっており、土産物店や酒場・レストランがひしめいている。だが旧中心部に、ずっと以前に泊まったことのあるカエサルホテルという古いホテルが残っていた。当時は一級ホテルだったが、いまでは三流ホテルになってしまったらしい。だが私がこの町にもし一泊せねばならなくなったとしたら、迷わずにカエサルに泊まるだろう。
このホテルの前のバーでテキーラを飲んだ。壁にはハビエル・ソリース、ホルヘ・ネグレテ、カンティンフラスなどの肖像画が描かれていた。主人は好人物で、しばし語り合った。いまやメキシコ人よりも私の方が往時のメキシコ事情に詳しくなってしまっており、しばしば彼らは私の経験や知識に驚く。人生の順番だから、仕方ない。観光レストランではなく、地元民の行く小さなタコス屋で、とびきり上等のカルニータ(豚肉のあぶり焼き)のタコスを頬張った。最高にうまかった。一個70円ぐらい。何と安くうまいのだろう! 少なくとも、この点においてメキシコ人は幸福だ。エンセナーダに戻ってから、再びタコスとテキーラを求めて散策した。46年の歳月を顧みながら、この乾いた火酒を味わった。
メキシコについての船内講座は1日までに、パブロ・ロモとの対談形式を含めて2回やった。カルフォリニア半島沖には寒流が流れており、一挙に涼しくなった。2日夜半、船は出航し、15日間の長い横浜までの最終航程に入った。