パラグアイ最高選挙裁判所は4月21日夜、同日実施の大統領選挙で、共和国民協会(ANR=通称コロラード党、右翼)のオラシオ・カルテス候補(57)が得票率45・91%で当選した、と発表した。カルテスは8月15日就任する。任期は5年。
ANRは1947~2008年、連続61年間政権党だった。その間、54~89年は故アルフレド・ストロエスネル将軍の独裁時代だった。89年の軍事クーデターで将軍が追放されると、政治は流動的な時代に入り、20年目の08年、フェルナンド・ルーゴ大統領の中道左翼政権が誕生した。これは、変革を求める有権者の願いの表れだった。
ANRをはじめとする右翼・保守勢力は財界、大地主、外資などと謀って昨年6月、ルーゴ大統領を国会で弾劾した。「解放の神学」派のカトリック司教だったルーゴは、国会内少数派であることなどから穏健な改革を進めていたが、旧支配勢力や外資は気に入らず、地方で起きた不可解な農民虐殺事件を機に弾劾に踏み切った。
熟考の上、編み出された「新手のクーデター」だった。背後で、首都アスンシオンの大使館を通じて米政府が関与したとの分析もある。
カルテスは10代を米国で過ごし、帰国後、両替商で成功し銀行を起こした。その傘下に25の企業をもつ。この国きっての富豪の一人だ。
だが米国やブラジルの麻薬取締当局の調べで、カルテスが自分の銀行などを通じて麻薬資金を洗浄した疑いが濃厚なことが明らかにされている。カルテスはANR党員歴が4年弱だが、潤沢な資金を使って党人派を押しのけ、大統領候補にのし上がった。
副大統領でありながらルーゴ弾劾に関わり暫定大統領になったフェデリコ・フランコの与党「真正急進自由党(PLRA)」=保守=は、エフライーン・アレーグレ候補(50)を立てたが、得票率35・84%で及ばなかった。
左翼陣営はメディアから差別されたうえ、都市部の穏健派と、ルーゴの流れを汲む農村部の急進派に分裂し、力を発揮できなかった。
国会クーデター後、パラグアイは南部共同市場(メルコスール)と南米諸国連合(ウナスール)から加盟資格停止処分を受けてきた。近い将来、両機構に復帰する公算が大きい。
ANRの政権復帰は、昨年のメキシコの制度的革命党(PRI)と日本の自民党の復帰と並べられ注目されている。3党は、過去に長期間政権党だったことと、右翼・保守体質の巨大政党という点で共通する。