2013年9月30日月曜日

グアテマラで古代マヤ塩田遺跡の発掘完了

 グアテマラ北部アルタベラパス県一帯で、古代マヤ遺跡(紀元前1000~800年ごろ)の発掘が完了した。同国文化省の9月27日の発表によると、サンカルロス大学と米ルイジアーナ大学の合同調査隊が2010年から発掘作業を進めていた。

 遺跡は「ヌエベセロス塩田」と呼ばれる。塩を含んだ川の水から塩を生産していた塩田遺跡である。長さ200m、幅100m、深さ13mの広大な塩田跡も見つかっている。塩の最大年産量は2万4000トンにも達したという。

 高さ8mのピラミッド3、球技場2も発掘された。工芸品も出土している。

 この塩田都市は紀元600~900年ごろには、最大版図35平方kmに達した。だが内乱などで1200年ごろ滅びた。

 塩はウスマシンタ川、シショイ川伝いにグアテマラ各地やメキシコ南部に運ばれていた。

 文化省によると、グアテマラにはマヤ遺跡4000か所があるが、発掘され保存されているのは64か所にすぎない。

2013年9月29日日曜日

ベネズエラ外相が国連で米国を厳しく非難

 ベネズエラのエリーアス・ハウーア外相は9月27日国連総会で演説し、「7年前にチャベス司令官が指摘した硫黄の臭いが、この演壇から消えていない」と前置きし、「米国は特別だ」と自任する米政府を厳しく批判した。

 外相は、「国連は、古い帝国主義に拉致されているため、世界の平和と尊厳はNYで人質となっている」とし、ニコラース・マドゥーロVEN大統領の総会不参加は、「米政府による、大統領と代表団に対する一連の遅延、障害、条件付け、安全保障欠如の結果だ」と指摘した。

 そのうえで、「米国は、国連本部設置合意に明白に違反している。国連本部が、国連をも加盟国主権をも尊重しない国にあるべきか否かを再考する必要がある」と強調した。

 ベネズエラは、「国連は、世界各地に持つ支部などで総会を開くべきだ」というボリビア大統領の提案を支持する、とも述べた。

 外相はさらに、「グアンタナモ収容所維持、無実の多くの市民を殺す無人機使用など米国による反人道行為を罰しようと国連に提案する者はいない」と非難。米政府による諸外国での大規模な通信傍受政策を念頭に、「全人類に私的自由の権利、傍受されない通信の権利を保障する組織新設を国連総長に提案する」と述べた。

 続けてシリア問題などを踏まえて、「国連は、憲章の賢明な理想を忘れ、軍事攻撃を決めたり許可したりする場に成り下がっている。安保理は好戦主義者の人質になっている」と指摘。「なぜ安保理はアルカイダなどテロ組織を支援するのか」と、シリア反政府勢力を支援する欧米諸国を糾弾した。

 

2013年9月28日土曜日

鶴見俊輔著『旅と移動』を読む

 鶴見俊輔著『旅と移動』(河出文庫)を読んだ。ラ米ではメキシコが出てくる。1972年から73年にかけて、大学院大学の客員教授としてメキシコ市に滞在したときの体験や取材をまとめた文章である。

 先住民族ヤキの集落や、グアダルーペ大寺院などを訪れて、鋭い直観と知性の膨大な記憶をもって状況の深層をえぐり出している。

 当時20代末期だった私は、先生のすぐ近くで、実にさまざまなことを教えてもらった。言わば、教室のない授業だった。

 先生は91歳になっている。とても懐かしく、この本を読み、書評を書いた。だから、ここでは内容には触れない。

 ただ月並みに、読むことを薦めるだけだ。  

2013年9月27日金曜日

米政府がベネズエラに「陰謀」の証拠提示求める


 米政府は9月26日、ベネズエラのニコラース・マドゥーロ大統領が前日指摘した「米国内での陰謀」を否定し、それを主張するなら証拠を示してほしい、とベネスエラ政府に要求した。

 同大統領は国連総会出席を取り止めたが、その代理としてエリーアス・ハウーア外相が既にNY入りしており、28日に演説する予定。その折、「陰謀」への言及もあるもよう。

 一方、マドゥーロは26日、シリアのアサド大統領と電話会談し、連帯を確認した。

パナマが北朝鮮貨物船に罰金100万ドル科す


 パナマ運河庁(ACP)は9月26日、北朝鮮貨物船チョンチョンガン号に罰金100万ドルを科した、と発表した。

 同船は7月、パナマ運河カリブ海入り口の海上で、パナマ当局に臨検され、キューバ軍の旧式兵器類を隠して積載していたのが摘発された。罰金は、この貨物届け出義務を怠ったためとされる。

 船、積荷、乗組員35人はパナマに留め置かれている。ACPは、罰金の3分の2に当たる65万ドルが支払われれば、解放するとしている。

 パナマ政府の要請を受けて国連安保理は調査団を8月パナマに派遣したが、調査結果は依然発表されていない。罰金支払いをもって事件が解決するのか否か、明らかでない。

ドミニカ共和国クーデター50周年


 ラ・ドミニカーナ(RD=ドミニカ共和国)は25日、1963年9月25日発生した軍事クーデターの50周年記念日を迎えた。さまざまな行事が催されている。

 RDではトゥリヒーヨ独裁(1930~61)を経て62年12月20日この国初の民主選挙が実施され、ドミニカ革命党のフアン・ボッシュ教授が当選した。ボッシュ政権は民主憲法を制定・施行し、社会の民主化に着手した。

 ところが、これに反発する独裁期からの支配勢力やカトリック教会が、軍部右翼に反乱を働きかけ、米政府も支持した。これを受けエリーアス・ウェッシン=ウェッシン大佐が蜂起し、ボッシュ政権を倒した。

 当時、空軍は英国から軍用機を500万ドルで購入する計画を立てていたが、空軍司令官がうち120万ドルを着服することが明るみに出た。ボッシュ大統領は計画を認めなかった。これが直接的な引き金になって、クーデターへ傾斜して行った。

 その後、キューバ革命の影響を受けた軍部左翼のフランシスコ・カアマニョ大佐は65年4月蜂起し、保守政権を倒した。これに対し軍部右翼はジョンソン米政権に介入を要請する。ジョンソンは直ちに海兵隊4万2000人を上陸させ、カアマニョ体制を打倒した。

 前のケネディ米政権はCIAを使って61年4月キューバ革命打倒、5月トゥルヒーヨ暗殺を画策し、キューバで失敗したが、暗殺には成功した。だが民主体制には反対した。

 カアマニョ元大佐はその後、キューバから発進し、ゲリラ戦を起こすためRDに上陸したが、短期間で掃討されてしまった。

 レオネル・フェルナンデス前大統領は記念式典で、「半世紀前のクーデターはRD史の汚点であり恥辱だ。長期独裁から民主時代に移行しつつあったのを押しつぶした」と指摘した。

2013年9月26日木曜日

ボリビア大統領が米人道犯罪裁く「人民法廷」を提唱


 ボリビアのエボ・モラレス大統領は9月25日、国連総会で演説し、オバーマ米政権の人道犯罪を裁くため「国際人民法廷」を設置すべきだと語った。

 人道犯罪の例としてイラクやリビアを爆撃したことを挙げ、狙いは石油奪取だった、我々の天然資源を奪うのが目的だ、と厳しく批判した。

 殺人罪などで起訴されているゴンサロ・サンチェス元ボリビア大統領が米国に亡命していることを念頭に、米国はテロリスタ、犯罪者、腐敗者を匿っている、と指摘した。

 ベネズエラのニコラース・マドゥーロ大統領は、自分が乗るキューバ航空機が米植民地プエルト・リーコ上空飛行を拒否されたこと、ベネズエラ国連代表団の一員への査証発給が拒否されたことを、最近非難した。これを受けてモラレスは、「領空飛行を拒否し国連出席を保障せず、民主政権・同盟諸国・国連をスパイしながら平和や民主を語るとは何事か」と、米政府を非難した。

 また「世界の主を名乗るな。国連決議を守らず、重要条約に加盟せず、間違っている」と、米国を糾弾した。

 さらに、「テロとの戦い」は一方的軍事介入の格好の言い訳にされているが、テロは軍事費拡大や一方的介入では戦えない、社会政策、宗教的寛容、民主深化で対応すべきだ、と強調した。

 モラレスは、米大使、麻薬捜査局(DEA)、米国際開発局(USAID)を追放したことに触れ、「これによりボリビアは民主的になった」と述べた。

 オバーマが一期目の就任時に「戦争を終わらせるため選ばれた」と語ったことを指摘し、「今は正反対だ。ノーベル平和賞は戦争賞に成り下がった」と扱き下ろした。

ベネズエラ大統領がテロの可能性示唆し、国連出席中止


 ベネズエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月25日未明、中国から帰国し、同日に予定されていた国連総会出席を取り止めたことを明らかにした。

 大統領は、ニューヨークのブルックリンで米市民と「人民会合」をすることも予定していた。だが「挑発があった。オットー・ライク、ロジャー・ノリエガ、ルイス・ポサーダ=カリレス(LPC)が関わっていた」として、陰謀の存在を示唆し、NY行きを中止したと説明した。

 マドゥーロは「私の任務は肉体の安全を確保すること」と述べ、対人テロリズモの陰謀があった可能性をにおわせた。

 大統領が名前を挙げた3人はいずれも反革命キューバ人亡命者で、CIA要員ないしCIAに極めて近い立場にあった。LPC以外の2人は、共和党政権で国務省米州担当次官補を務めた。

LPCはキューバ航空空中爆破事件の主犯で、フィデル・カストロ前キューバ議長暗殺未遂事件の主犯でもある。米当局の保護下に置かれ、マイアミで暮らしている。

 マドゥーロは、今回の訪中往復にキューバ航空機を使用した。仏エアバス社製の大統領専用機に重大な欠陥が見つかり使用できなかった事実を、理由として25日明らかにした。

 同機は5ヶ月かけてフランスで解体整備した後、カラカスに戻されたが、欠陥が見つかったという。政府は現在、同社に説明を要求しており、場合によっては法的措置を取る、と表明している。

2013年9月25日水曜日

エル・サルバドール大統領選は来年2月2日


 エル・サルバドール選管は9月23日、次期大統領選挙を来年2月2日実施すると発表した。選挙には10政党が参加する。有権者は、初めて国外在住者にも選挙権が認められたため、490万人に膨らんだ。任期は2014~19年の5年間。

 主な立候補者は3人。フネス現政権の与党「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」(FMLN、中道・左翼)はサルバドール・サンチェス副大統領(69)。ALBA加盟や「ビビール・ビエン(良く生きる)」社会建設を公約している。

 野党(前政権党)の「国民共和同盟」(ARENA、右翼・保守)は、ノルマン・キハーノ前サンサルバドール市長(66)。三番手は、ARENAから分派したUNIDAD(連合)のアントニオ・サカ前大統領(58)。

 サンチェスと、他の二人のいずれかが上位1、2位となり決選に進出し、3位票を期待できる右翼・保守候補が有利との見方がなされている。

ブラジル大統領が国連で米電子スパイ事件を糾弾


 ブラジルのヂウマ・ルセフ大統領は9月24日、国連総会で演説し、米諜報機関によるブラジル政財界とりわけ大統領に対する電子スパイ活動を糾弾した。

 大統領は、「通信・情報技術が戦いの場になってはならない。平静を装った非合法活動は許せない。一国の安全は、他の国々の主権を犯すことで成り立ってはならない。テロリズモから国際社会を守るためスパイ活動をしているという言い訳は通用しない」と、米政府を厳しく批判した。

 さらに、米国が管理するインターネットを「多国間管理にすべきだ」と提案した。また、「ブラジルは、主権侵害に対し、技術的防衛措置を開発する」と述べた。

 大統領は、安保理改革、米ソ率先核廃絶、国際的意思決定における多国間主義確立も訴えた。

 ルセフは10月下旬に訪米を予定していたが、スパイ事件で米政府が誠意を示さないとして、訪問を延期している。

 一方、ウルグアイのホセ・ムヒーカ大統領も国連演説で、米国による電子スパイ事件を非難した。また国連の不機能、一部大国の好戦主義を批判した。

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は、欧州で7月初め起きた同大統領機緊急着陸事件を糾弾し、米国の内政干渉を非難した。

 エクアドールのリカルド・パティーニョ外相は大統領代理で演説し、「国連は米国の圧力により電子スパイ事件を議題にしない」と非難した。

 ベネズエラのニコラース・、マドゥーロ大統領は24日に中国訪問を終えたが、NYに直行せずに帰国すると、北京出発前に表明した。

 チリのセバスティアン・ピニェーラ大統領は、安保理改革を訴え、伯独日印4ヵ国を常任理理事国に加え、非常任理事国を増やすよう訴えた。

2013年9月24日火曜日

パブロ・ネルーダ死去40周年、死因発表なされず


 チリのノーベル文学賞詩人パブロ・ネルーダ(1904~73)が69歳で死去してから9月23日で40年が過ぎた。内外でさまざまな記念行事が催されている。

 だが内外世論の最大の関心の的は、ネルーダが死の12日前の9月11日クーデターで登場したピノチェー軍政から毒殺されたか否かである。

 ネルーダは73年9月19日、軍政当局によって誘導され、太平洋岸イズラ・ネグラの邸宅から首都サンティアゴのサンタマリーア診療所に移された。その間、邸宅は軍政によって荒らされ、略奪された。

 ネルーダは23日メキシコに亡命することになっていたが、本人の意向で出発を24日に延期していた。

 23日病室から軍政の意向でネルーダ夫人マティルデと側近マヌエル・アラヤは追い出され、ネルーダは独りになっていたところ何かを注射され、容体が悪化し、その日死亡した。

 詩人がメキシコに行けば、ピノチェー軍政にとって最も手ごわい反対者となるのは明らかだった。ここに毒殺の意味があったとされている。

 遺骨は4月に邸宅内の墓から発掘され、米国とスペインの研究所で鑑定作業が続けられている。遺族ら関係者は、40周年の日に死因が発表されるのを望んでいたが、発表はなされていない。

 鑑定筋情報を踏まえた報道によると、死亡当時「前立腺末期癌」と発表された死因は否定され、「心肺停止」が死因である可能性が濃厚になっている。問題は、それを起こさせた要因の解明だ。

フジモリ元大統領は「日本で服役を」


 ペルーでアルベルト・フジモリ元大統領を日本に追放し、日本で残りの刑期を勤めさせればよい、という意見が出て、話題になっている。

 言い出したのは、元国会議長ダニエル・アブガッタース議員(ガナ・ペルー党)。追放すべき理由を、フジモリが日本国籍保持者だから、とし、「ペルー帰国を認めない。これで<フジモリ問題>は解決する」と述べた。

 当のフジモリはtwtで、「オヤンタ・ウマーラ大統領が私を恩赦すれば、ペルーが直面している治安問題は解決する。安い解決法だ」と述べ、アブガッタース発言を無視した。

 フジモリは大統領時代の人道犯罪などで禁錮25年の実刑判決を受け、服役中。

ウルグアイがコロンビア和平交渉の場として名乗り


 ウルグアイのホセ・ムヒーカ、コロンビアのフアン・サントスの両大統領は9月23日、国連総会出席のため滞在中のニューヨークで会談。ムヒーカ大統領は正式に、コロンビア政府とゲリラ「民族解放軍」(ELN)の和平交渉の場としてモンテビデオを提示した。

 ウルグアイの他、ブラジル、ベネズエラ、キューバ、コスタ・リーカも和平交渉の場として名乗りをあげている。サントス大統領は、相手(ELN)にも諮って決めたい、と応えた。

 コロンビア革命軍(FARC)と政府は、去年10月からハバナで和平交渉を続けている。

2013年9月22日日曜日

藤沢嵐子の思い出


 往年の日本の「タンゴの女王」藤沢嵐子が8月22日88歳で死去してから1カ月が過ぎた。何年か前、長岡市内の彼女の自宅を訪ねてインタビューをしたいと考えたことがある。だが人には会わないと間接的に伝えられ、諦めた。

 敗戦後の日本では、哀愁に充ちたタンゴ・アルヘンティーノ(亜国タンゴ)が大ヒットした時期がある。アルフレド・ハウゼ楽団のコンティネンタル(欧州大陸)タンゴも続いて流行った。嵐子は、一大タンゴブームの最大のスターだった。

 私は小学生から中学生にかけてラジオ、そしてテレビで嵐子の歌う、異国情緒たっぷりのタンゴに魅せられた。声量も素晴らしかった。

 記者になり1970年代初め、ブエノスアイレス取材を開始した。街のレコード店に行けば必ず、「嵐子は元気か」と訊かれたものだ。なんとなく嬉しかった。

 嵐子は、1953年に当時のフアン・ペロン大統領が公邸で催した茶会に招かれ、「ママ、ヨ・キエロ・ノビオ」(ママ、恋人が欲しいの)を歌って一躍有名になった。

 エバ・ペロンは前年7月26日に子宮癌で死去していた。エバは、敗戦直後の日本やイタリアに物資を満載した貨物船を派遣した。

圧倒的な人気を誇っていたタンゴの女王リベルター・ラマルケ(1908~2000)がいた。だがエバに疎まれ、1946年にメキシコに去り、帰化していた。

 その「空洞」を嵐子が埋められるわけはなかったが、タンゴ好きの亜国人の耳に認められ、大統領の前で歌うことになったのだ。

 嵐子は1990年代初めに引退した。そのころインタビューしておけばよかった、と悔やまれてならない。

 月刊LATINA10月号(9月20日刊行)が嵐子の特集ページを組んでいる。この雑誌ならではの鮮やかな即応ぶりだ。

ベネズエラ大統領が中国訪問開始


 ベネズエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月21日、中国公式訪問の初日、北京で習近平国家主席と会談した。その詳細は明らかにされていない。

 その後、両国間の電力・鉱業、融資・鉄道、石油の3部門の小委員会が設置され、協力関係を話し合った。

 ラファエル・ラミーレス石油相は、これまでの中国による借款は総額360億ドルで、ベネズエラは既に200億ドルを返済した、と明らかにした。中国が新たに50億ドルを貸与することが決まった。

 ベネスエラは日量60万bの原油を中国に輸出しているが、2015年には日量100万bに増やす方針。この輸出原油代金が借款返済に充てられている。

 石油相は委員会で、中国企業に対し、メルコスール・ALBA広域開発のため資材とサービスを提供するよう要請した。

 大統領はカラカス出発時に、米政府からプエルト・リーコ領空の飛行禁止を告げられたが、その後、禁止は解かれた。大統領はクーバ航空機に搭乗、北回り空路で北京入りした。

 一方、ボリビアのエボ・モラレス大統領は20日、アルヘンティーナとウルグアイの大統領と電話会談し、国連総会でベネスエラ大統領機通過拒否問題を提起するため連携しよう、と呼び掛けた。

 マドゥーロも訪中の帰途、国連総会出席を予定している。

2013年9月21日土曜日

米政府がベネズエラ大統領機通過を認めたと発表


 米国務省は9月20日、ベネズエラ大統領機のプエルト・リーコ上空通過拒否はしていない、と発表した。ベネズエラ側の外交手続きの遅延が通過許可を遅らせた、と述べた。一種の「外交的いやがらせ」だったようだ。

 同省はまた、国連総会に出席するベネズエラ代表団への査証拒否もしていない、と語った。ニコラース・マドゥーロ大統領は19日、代表団の一員、ウィルメル・バリエントス大統領府長官への査証が発給されていないという趣旨の発言をしていた。

 ベネズエラ国連駐在大使は20日、事務総長に対し、領空通過拒否問題善処のため早急に行動を取るよう要請した。

 一方、クーバ外務省は、拒否問題をCELACに諮ってから国連に提示すると述べた。クーバはCELACの輪番制議長国。

 上空通過拒否問題について、当のプエルト・リーコの独立派政治勢力はベネズエラの立場を支持し、米政府を非難している。

 マドゥーロ大統領は21~24日中国を公式訪問し、帰途、国連総会出席を予定している。

2013年9月20日金曜日

米国がベネズエラ大統領機のプエルト・リーコ上空飛行を禁止


 ベネズエラのエリーアス・ハウーア外相は9月19日、大統領機のプエルト・リーコ領空飛行を米政府が禁止した、と公表した。ニコラース・マドゥーロ大統領は21~24日の中国公式訪問のため、20日未明カラカスを出発する予定。

 外相は、「国家元首搭乗機の飛行を禁止するなどあり得ないことだ。米帝国主義の侵略行為だ。再考しなければ、対抗措置をとることもありうる。今は代替空路を探す」と述べた。

 この後、大統領は記者会見し、「プエルト・リーコは米国の植民地だ」と前置きし、「米国はなぜ、このように神経質になるのか」と疑問を呈し、「安全なクバーナ(クーバ航空)機を使う。故チャベス大統領がALBA航空網をつくり、クバーナも入っている」と述べた。

 大統領はまた、米政府が国連に行くベネズエラ政府当局者への査証発給で差別すれば、対抗措置を取る、と語った。

 中国は新たに、ベネズスエラに50億ドルの借款を供与する。

 一方、ボリビアのエボ・モラレス大統領はラパスで記者会見し、「米政府によるベネズエラ大統領搭乗機通過拒否に際し、米大統領を人道犯罪容疑で国際手配する準備に入る」と述べた。

 エボはまた、この件でラ米・カリブ諸国共同体(CELAC)に緊急会議開催を求める、と語った。さらに、ALBA諸国に駐米大使召還と国連総会出席拒否を働き掛ける、と明らかにした。

 エボの専用機は7月初めロシアからの帰途、米国の要請を受けた欧州4カ国(仏伊西葡)から領空通過を拒否され、ヴィエンナ空港に緊急着陸している。 

月刊LATINAが、チリ先住民族マプーチェのルポ掲載


◎月刊LATINA10月号(9月20日発売)の伊高浩昭執筆記事:

ラ米乱反射第92回「かくも長き不在-チリ先住民族マプーチェ」「政変40年を超越した500年の苦悩」(9月11日のチリ軍事クーデター40周年に因んだルポルタージュ。) 

【本号は、8月22日、88歳で死去した往年のタンゴの女王・藤沢嵐子の特集号でもある。】

2013年9月19日木曜日

ブラジル最高裁が議員買収事件の審理やり直し決める


 ブラジル最高裁は9月18日、ルーラ前政権時代の国会多数派工作に絡む大掛かりな議員買収事件(通称「メンサラン」事件)の審理やり直しを決めた。

 ルイス・ルーラ前大統領が関与していたか否かが鍵。来年の次期大統領選挙に向けて、与野党間で政治抗争が展開されており、野党側はこの事件を「腐敗の象徴」として攻撃してきた。

 ルーラは、再選を狙うヂウマ・ルセフ現大統領の「師」であり、野党はルーラを追及することによりルセフに打撃を与えようとしている。 

2013年9月18日水曜日

ブラジル大統領が盗聴事件未決着として訪米延期


 ブラジル政府は9月17日、ヂウマ・ルセフ大統領は10月23日に予定していた米国公式訪問を延期した、と発表した。米NSA(国家安全保障局)が同大統領の通信を傍受した事件が決着していないため。

 声明は、バラク・オバーマ米大統領が16日ルセフに電話をかけ20分間話し合ったことと、訪問延期が両大統領の合意によるものであることを明らかにした。両大統領は今月初めロシアで開かれたG20首脳会議の場でも40分間話し合った。

 だが、ルセフが望むスパイ事件の決着方法をオバーマが受け入れないため、ルセフは10月訪米しても意味はないと判断した。来年ブラジルで大統領選挙があり、ルセフは再選を期して出馬する。このこともあり、主権を侵された重大事件に強腰で臨んでいる。

2013年9月17日火曜日

ビクトル・ハラ虐殺40周年行事催さる


 キューバ革命以後ラ米に生まれた文芸創設運動の中に「新しい歌=ヌエバ・カンシオン」があった。その旗頭はチリ人ビクトル・ハラだった。ハラは1973年9月16日、軍事クーデターから5日目、サンティアゴ市外れの一般墓地の脇で、他殺体となって発見された。

 体には44か所の弾痕があった。両手は拷問で砕かれていた。「2度とギターを弾かせないため」、拷問者が潰したのだった。ハラはクーデター直後、ペドロ・バリエントス以下の陸軍小隊によって国立競技場に連行され、地下の部屋で殺害された。

 アジェンデ社会主義政権の「政治的文化」活動の中心人物だったため、またノーベル文学賞詩人パブロ・ネルーダに近かったことから、ピノチェー軍政に特別に敵視されていた。

 その殺害の40周年行事が15~16日、一般墓地のハラの墓一帯で、英人妻ジョアン・ハラ(元舞踊家・演出家)ら縁者、友人、ファンら多数が参加して催された。若者300人は、墓地周辺の壁300mに、ハラにまつわる壁画を描いた。

 バリエントスは米国に逃亡し、帰化してフロリーダ州内に住む。この九月、ジョアン夫人ら遺族は、米法廷にバリエントスを人道犯罪で裁くよう告訴した。だがチリ社会党幹部は16日、バリエントスの身柄送還を米政府に要求するよう、チリ政府に求めた。

 ハラは生きていれば、今月28日に81歳になるはずだった。

2013年9月16日月曜日

カラカスでの第1回国際反ファシズム会合終わる


 カラカスで9月11~13日、第1回国際反ファシズモ会合が開かれた。チリ軍事クーデター40周年に因んで組織され、国立劇場内の会場正面には故サルバドール・アジェンデ大統領の肖像が掲げられた。

 開催国代表のエリーアス・ハウーア外相は、「我々は萌芽期にあるファシズモと戦っている」と述べ、極右反政府勢力との闘争に触れた。

 パリで活動する西国人ジャーナリスト、イグナシオ・ラモネは、「メディアは体制を代弁する。大資本の介在なしにファシズモはあり得ない」と指摘した。

 パラグアイのフェルナンド・ルーゴ元大統領は、「ファシズモは民主の衣を被って存在している」と、去年6月自分を追放したパラグアイ支配勢力を非難した。

 ホンジュラスのパトリシア・ロダス元外相は、09年6月のマヌエル・セラヤ大統領を追放したクーデターに触れた。

 ボリビアのアルバロ・ガルシア副大統領は、「ファシズモは自由や人民を恐れるが故に、恐怖とテロを行使する」と強調した。

 ウルグアイ人作家エドゥアルド・ガレアーノは、「アジェンデは生きて政庁を出ないと言い、その通りにした。言葉と行動の乖離が著しい現代、稀なる言行一致だ。アジェンデにおいては言葉の尊厳があった」と讃えた。

2013年9月15日日曜日

チリ法廷が軍事クーデター「陰謀過程」の調査開始


 チリの法廷は9月14日、マリオ・カローサ判事の下で、1973年9月11日の軍事クーデターがいかに計画され実行されたかという、「陰謀過程」の調査を開始した。

 故サルバドール・アジェンデ大統領の腹心で社会党書記長だったカルロス・アルタミラーノ氏(93)は最初の証人として出廷し、キリスト教民主党(DC)が国会でのアジェンデ政権協調から脱落したのがクーデターを招いた主要な原因と指摘した。

 これに対しDC幹部は、当時DCは「民主的野党の立場をとっていた」と反論した。

2013年9月14日土曜日

露ガスプロム社がボリビアで油床開発へ


 ボリビア国会で9月13日、露ガスプロム社に原油・天然ガス採掘権を与える新法が成立した。南東部のサンタクルス、チュキサカ両州にまたがるアセロ油床で、同社は仏ベルギー合弁トタル社と共同開発する。

 開発地区の面積は70万hr。期限は40年間。ボリビア国営石油公社「国庫油床」(YPFB)とガスプロムは8月合意していた。

 同地区一帯では既に、西レプソール、伯ペトロブラス、英ガスが開発している。生産された天然ガスは亜伯両国に輸出されている。

 ガスプロムは、南米ではベネズエラに進出している。

2013年9月13日金曜日

チリ軍事クーデターを先住民族マプーチェの視点から観る


 アジェンデ社会主義政権を倒したチリ軍事クーデターは、先住民族の視点、とりわけ最大先住民族マプーチェの視座から観る必要がある。

 これについては、今月20日発行の月刊「LATINA」10月号に、ルポルタージュを掲載する。8月発行9月号のラパヌイ(イースター島先住民族)ルポと併せて、お読みいただきたい。

 クーデター40周年記念日は9月11日夜、サンティアゴで若者集団と治安警備隊(カラビネロス)が衝突し、264人が逮捕され、警官42人が負傷する事件をもって終わった。 

2013年9月12日木曜日

チリ40周年-連れ合いを奪われた女性が「独りクエカ」踊る


 軍事クーデター40周年の9月11日、チリ全国各地で「逮捕失踪者家族協会」(AFDD)が一斉に記念行事を催した。南部のビオビーオ州ニュブラ郡チジャン市のAFDDは市立劇場で会合した。同協会のロサリオ・ペーニャ会長は、次のように語った。

「ここでは依然95人が消息不明のままです。私たちは協会を結成したときは80人でしたが、いまでは17人です。40年経っても、痛みは消えません。殺人や拷問の責任者が無処罰を謳歌して公然と闊歩しています。無処罰がある限り、正義を目指して闘い続けます」。

彼女は会合の最後に、舞台でただ独り、ハンカチを手にクエカを踊った。「独りクエカ」は、夫らを失った女性の孤独を表している。満場が涙と拍手に包まれた。 

チリ大統領がクーデター40周年機に和解呼び掛け


 チリのセバスティアン・ピニェーラ大統領は、軍事クーデター40周年記念日の9月11日、首都サンティアゴのラ・モネーダ政庁で記者団を前に短く演説し、「我々の世代は同じ憎しみと国民分断状況を子孫に引き継いではならない」と、和解を訴えた。

 大統領は、「民主主義破壊と人道犯罪は直接手を下した者の責任だが、制度上、阻止すべき立場にありながら怠った者にも責任がある」と指摘し、当時の最高裁判所や政治家を暗に批判した。

 ピニェーラはまた、「和解には真実追究と正義追及が不可欠であり、それなしの和解は砂上の楼閣になってしまう」と、人道犯罪追及や賠償の必要を強調した。

 また「大多数の同胞は和解が必要だと感じていると思う」と前置きし、民政移管後、前政権までの4代大統領に「過去40年と今後40年のどちらが重要なのか」と問いかけた。

 これは大統領が9日政庁で催した公式の40周年記念式典を、4人の大統領がボイコットしたのを念頭に置いている。

 首都をはじめ重要都市では、治安警備隊(カラビネロス)が厳戒態勢を敷いている。

2013年9月11日水曜日

チリのミチェル・バチェレー前大統領が旧拷問所で献花


 チリの前大統領で、中道・左翼政党連合「新多数派」の次期大統領候補ミチェル・バチェレーの父は、アジェンデ社会主義政権の高官で、クーデターに反対したアルベルト・バチェレー将軍(空軍)だった。軍政に「反逆罪」で糾弾され、拷問されて死亡した。

 娘ミチェルと母親(将軍の妻)アンヘラ・ヘリアは、首都東部の拷問所ビージャ・グリマルディに連行され、数カ月拷問された後、欧州に亡命した。この拷問所では229人が殺された。

 バチェレー候補は9月10日、母親および、殺された人々の遺族らと拷問所跡地にある犠牲者記念碑を訪ね、涙し、献花した。

 彼女は、「私はこの拷問所の生存者として訪問した。かつて生きていた何千人もの男女同胞の思い出を運んできた。真実をさらに追究し、教訓を引き出さなければならない」と、記者団に語った。

 9・11の前日・前夜、国中でさ、さまざまな記念行事が続いた。 

今昔物語--身延でラ米を遠望する


 50年ぶりに山梨県身延町を訪ねた。昨9月10日のことである。商店街の7月の福引きが特等賞を呼び寄せ、日帰りの団体バス旅行で甲府盆地と身延町に行ったのだ。

 下部温泉でしばし脚湯を楽しみ、眼前の池の無数の鯉たちとたわむれながら、今日11日のチリ軍事クーデター40周年のことを考えた。

 実は50年前の冬、大学同級の親友と二人で身延山久遠寺に1週間籠もり、修行した。朝5時ごろから、本堂の長さ50mの幅広い廊下の雑巾がけ、大広間の掃除、広い庭の清掃、坐禅などをした。

 友人の見習い僧は、我々が朝の仕事をこなしていたころ、褌一つで滝水に打たれて寒行に勤しんでいた。彼も我々も朝食時、体がほてりつつ弾きしまっているのを感じていた。3食はみな、精進料理だった。

 近くの富士川の河原で、将来のことを考えた。ラ米でジャーナリズム活動をすること。これが希望だった。当時はラ米が未来だった。今ではラ米は過去であり、現在だ。富士川は昔も今も同じように流れている。

 温泉旅館の女将に久遠寺までの交通を訊ねた。すぐ近くを走っている身延線は本数が少ないのでタクシーがいいが、往復1時間近くかかるという。団体旅行ゆえ出発時刻に違反してはならない。断念し、脚湯に浸かったのだった。

さて、チリも11日未明に入っている。そろそろ40周年の原稿に取り組まねばならない。

ベネズエラが米州人権体制から正式に脱退


 ベネズエラは9月10日、米州諸国機構(OEA、本部ワシントン)の下にある米州人権条約から正式に脱退した。1年前、当時のチャベス政権が脱退を通告していた。

これによりベネズラは、米州人権委員会(ワシントン)、米州人権裁判所(CIDHCRサンホセ)からも脱退した。

 ニコラース・マドゥーロ大統領は脱退理由について、「CIDHはラ米カリブの進歩的、民族主義的、革命的政権を意図的に糾弾してきた。米国の利益代表機関にすぎない」と述べた。

具体的にはCIDHが、2002年4月のクーデターで2日足らず臨時政権に就いた非合法の「カルモナ政権」を逸早く承認したことや、04年に外交公館に爆弾を仕掛けた反ベネズエラのテロリスタを擁護したこと、を挙げた。

 一方、エクアドールのラファエル・コレア大統領は10日、我が方も条約脱退を検討すると述べた。「なぜ米州人権委員会がワシントンになければならないのか」との、積年の強い疑問を表明した。 

2013年9月9日月曜日

チリで軍事クーデター40周年行事続く


 チリの首都サンティアゴで9月8日、「国民人権会議」主催で市民6万人が、軍事クーデター40周年(11日)に因み行進した。参加者は市の外れの一般墓地で、アジェンデ廟および、軍政下で殺され氏名が判明した約3230人の名前を刻んだ石碑の前で、追悼行事をした。

 首都の旧国会議事堂ではこの日、国際セミナリオが開かれ、故サルバドール・アジェンデ大統領の娘イサベル・アジェンデ上院議員、ミチェル・バチェレー前大統領(次期大統領候補)らが講演した。

 チリは8日夏時間となった。首都を始め各地で、さまざまな9・11記念行事が展開されている。

 一方ベネズエラ政府は、11~13日カラカスで「反ファシズム国際会合」を開くと発表した。ラ米・カリブと欧州から識者を招くという。

2013年9月8日日曜日

ALBAがシリア難民支援を決める


 ベネズエラのニコラース・マドゥーロ大統領は9月7日、現政権の10月打倒を狙う「コラプソ・トタル(全面的崩壊)」作戦の陰謀を潰した、と明らかにした。

 大統領は書類を手に、「陰謀はホワイトハウス(米大統領政庁)で練られた。その日付と出席者名をすべて把握している」と述べた。

 一方この日カラカスで、米州ボリバリアーナ同盟(ALBA、9カ国加盟)政治理事会(外相会議)の特別会合が開かれ、米仏によるシリア軍事攻撃の企図を糾弾し、思いとどまるよう求めた。

 出席したキューバのブルーノ・ロドリゲス外相は、国連総会でシリア攻撃阻止のため外交攻勢に出ようと提案した。

 会議はまた、レバノンに逃れたシリア難民への人道的支援物資供与を決めた。ベネズエラは来週、物資を積んだ航空機を派遣する予定。

2013年9月7日土曜日

ボリビア大統領がローマ法王に謁見


 ボリビアのエボ・モラレス大統領は9月6日、ヴァティカンでローマ法王フランシスコに謁見した。大統領は法王が7月ブラジルを訪問した際、ミサに参列していた。

 モラレスは2009年の新憲法で、国家とカトリックを明確に切り離した。先住民族主義と社会主義を掲げるモラレスは教会を相手にせず、むしろ「教会は政党活動をしている」と非難していた。

 だが来年、大統領選挙に3選をかけて出馬するため、集票作戦の一環としてカトリック色を打ち出しつつある。

 現法王は隣国アルヘンティーナ(亜国)人であるため、スペイン語で自由に話せることや、親近感もある。

カリブ海で米州海軍合同演習「ウニタ」開始


 カリブ海南部で第54回米州海軍合同演習「ウニタ作戦」が9月6日始まった。米南方軍主催で、コロンビアが共催国。15日まで続く。

 参加国は、米加墨コロンビア・エルサルバドール・ホンジュラス・パナマ・ラドミニカーナ・赤道国・秘智伯ジャマイカ・ベリーズ。域外参加国は英独。英国はカリブ海沿岸に英連邦諸国を持つ。

計16カ国の1800人が艦船で展開している。

 ラ米不参加国はベネズエラ、グアテマラ、ニカラグア、ボリビア(内陸国)、パラグアイ(同)、ウルグアイ、亜国、コスタ・リーカ(国軍無し)、ハイチ(同)、クーバ(社会主義国)。

 ウニタは、冷戦時代の1959年に米軍主導で始まった。米軍の今日の意図は、クーバやベネズエラへの牽制、ラ米での軍事主導権維持だが、「麻薬密輸取締」を名目にしている。

2013年9月6日金曜日

「週刊金曜日」がパラグアイ情勢分析記事を掲載


 「週刊金曜日」誌9月6日号(本日発売)に、南米農業国パラグアイの最新情勢を分析した記事(伊高浩昭執筆)が掲載されている。

 主題:貧困層に支持された左翼政権が潰され「恐竜」が復活
 副題:親米・新自由主義路線強化に加え民主政治は後退

 8月15日のカルテス新政権発足に至る、昨年6月の「国会クーデター」によるルーゴ改革政権崩壊、腐敗した暫定政権、新政権の問題点などを分析している。

「軍事クーデター40周年のチリ」をイスパニカで講演


 9月5日夜、東京のイスパニカ溜池山王教室で、「軍事クーデター40周年のチリ」と題して講演した。あの流血の政変は、私のラ米取材のなかで、印象深く重大な事件の上位10の上の方に位置づけられる大事件だった。

 1970年のアジェンデ社会主義政権実現までの20世紀チリ人民戦線の歴史、アジェンデ政権実現前夜に始まったニクソン米政権と米資本によるアジェンデ打倒の陰謀、アジェンデ政権発足後の革新政策と妨害工作、クーデター、ピノチェー軍政の政策と人道犯罪、新自由主義経済政策、国民投票によるピノチェー敗北と民政移管、軍部と右翼に押しつけられた歪んだ憲法規定と選挙制度、それに基づく歪んだ2大勢力対峙制度、現在の問題点と11月17日の次期大統領選挙の展望、先住民族マプーチェへの差別・迫害問題、文化の空洞、などを90分話した。

 ジャーナリスト、銀行員、商社員、チリ大使館員、元南米在住者ら、さまざまな経歴の人々が集まった。講演後は、イタリア料理とワインのひと時となった。 

チャベス死去から半年、追悼式典挙行さる


 ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領が3月5日死去してから9月5日で半年が過ぎた。この日、カラカスの旧陸軍ラ・モンターニャ砦のチャベス廟で、ニコラース・マドゥーロ大統領らが出席して追悼式典が催された。

 大統領はチャベスを賛美した後、「いかなる困難や陰謀を超えて革命を堅固にする」と誓った。チャベスは、腰部癌という極めて珍しい病気で死亡したが、大統領は「奇異な病気がなぜ発症したかを科学的に調査する」と述べた。

 街では、石膏製で軍服姿のチャベス像が売れている。高さ120センチの大型は150ドルで、施設や家庭の祭壇などに飾られている。

2013年9月5日木曜日

ラ米に代えて『エレンディラ』を楽しむ


 頭の中のラ米を一時的に一掃するため、ガブリエル・ガルシア=マルケス(GGM)の『エレンディラ』(ちくま文庫)を久々に再読した。7編の短編集だ。

 GGMは作品の中で、鳥のように空を飛び、魚のように深海を泳いでいる。これは「魔術的リアリズム」でなく、シュールレアリスムの世界だ。

 だがGGMの筆にかかると、物語の流れの中で、自然に笑って読み過ごすことができる。

 短い文庫だが、読み終えて、あまりにも自由な飛翔から地上に落とされて、ほっとした。

 たちまち、ラ米が私の脳裏を埋めた。

チリ判事協会が軍政期の過ちを謝罪


 チリの裁判官組織「司法権判事協会」は9月4日、ピノチェー軍政時代に裁判官が犯した過ちを謝罪した。法廷は1973年9月11日の軍事クーデターを支持し、多くの市民から求められた人身保護を拒否した。また偽りの判決を下した。

 これを受けて、最高裁が謝罪するか否かに関心が集まっている。

 一方、最高裁は同日、亜国人元判事オティリオ・ロマーノ被告の身柄を亜国に引渡した。同被告は亜国軍政期に100件を超える人権蹂躙事件を覆い隠すなど、人権犯罪に加担した。2011年チリに逃亡した。

 ロマーノを裁く裁判は、メンドサ市で開かれる。

ベネズエラで大停電、「電力クーデターの演習」と大統領


 ベネズエラで9月3日朝から4日にかけて国土の大半で長時間の停電があった。電力省は4日、送電線の鉄塔一か所で、送電を遮る工作がなされた可能性がある、と明らかにした。

 首都カラカス、および23州のうちの13州で停電が起きた。カラカスでは信号機と地下鉄が麻痺するなど、大混乱に陥った。

 ニコラース・マドゥーロ大統領は4日、これは敵が仕掛けた「電力クーデターの演習」だとし、「低強度の戦いを仕掛けてきた。低強度の反撃をする」と述べた。大統領はまた、「ティック・タック」を名乗る極右一味の犯行の可能性がある、と指摘した。

ベネズエラは、電力事情が悪く、妨害工作も起きるため、いま「電力非常事態」下に置かれている。

2013年9月4日水曜日

ブラジル国会が米機関スパイ事件で調査委員会設置


ブラジル国会上院は9月3日、米NSAによるヂウマ・ルセフ大統領スパイ事件を調査する「議会調査委員会」(CPI)を設置した。

委員会は、対米関係の在り方を探るのではなく、あくまでブラジル主権が侵害された事実関係を明らかにするため活動する、という。

180日後に調査報告を出すが、必要ならば180日間の延長も可能。

【日本もスパイされている事実が明らかになっているが、安倍政権も国会も何ら行動を起こしていない。いくら日米安保体制が「国体」であろうと、正すべきは正さねばならない。伯国政府と国会に見習うべきだ。】