2014年4月23日水曜日

ピースボート第83回航海「2014波路遥かに」第2回 =地中海にて= 伊高浩昭

 オーシャンドゥリーム号はイタリア東海岸のバーリに着いた。復活祭で静寂な古い街に入ると、大聖堂前と周辺で、まさに復活祭の行列に出くわした。正装した警察の楽隊が葬送の曲を奏で、喪装の男たちが山車を担ぐ。ガラス棺に横たわるキリストが行列の中央にあった。小雨降る中世の遺跡のような街を、歴史が流れる。
 新市街地の、遅く開いたレストランで生ハム、スパゲッティ、白葡萄酒の昼食をとる。船上講師仲間の千田善やPB職員と一緒だ。旧市街には、巨大な砦がある。洞穴式のバルでカフェを飲む。主人は元船乗りで、日本を知っていて、日本好きを名乗った。そして日本製の高級カメラを持ち出してきて、200ドルで買わないか、と持ちかける。カメラバッグごとだ。おそらく日本人客が店に忘れていったものだろう。もちろん、買わない。
 翌朝、アドリア海対岸のドゥブロヴニク港に入る。クロアティアの飛び地だ。90年代後半に、内戦の傷跡取材でボスニアやクロアティアを訪ねたのを思い出す。中世の町を高い城壁が囲んでいる。内戦中、ユーゴスラヴィア、セルビア人、モンテネグロの軍隊に包囲さて、攻撃された。着弾地が地図で示されている。この中世の市街地は世界遺産で、一大観光名所になってる。我々日本人、中国人、韓国人ら、東洋の面々が猟景する。すると、団体の中の中年女性が近寄ってきて、「私たち中国人じゃないよ」と言った。台湾人の一行だった。「学生たちが国会を占拠して、賑やかだったようですね」と言うと、黙して肯いた。
 千田さんは、日本サッカーチーム監督オシムの通訳をしていた。セルビア語が得意で、レストランの注文やバスの乗り降りの際に大いに貢献してくれた。猫が実に多い。みな野良ちゃんと見受けた。街が飼っているわけだ。愛のある街だ。猫も美男美女が多い。長らく猫族と同盟関係にある私は、昼飯の魚介類の切れ端を振舞った。私は牛ステーキを食べたのだが、千田さんらが注文したのの残飯をニャンたちに回したのだ。
 次の日は、モンテネグロの峡湾奥の中世の町コトロを訪ねた。3日続きの雨だ。岩山の連なりを自然の防壁とし、その中腹に万里の長城のような城壁と見張り台がある。アドリアの海から峡湾に入ってくる敵船の有無を絶えず見張っていたのだろう。雨に煙る岩山、街、湖水のような海。水墨画そのものだ。T骨ステーキを食べたが、硬くて歯が折れそうだった。

 3日間の3港停泊が終わり、船は地中本海に出、シチリア島南端、マルタの北方を通過した。船は数日後、エスパーニャのモトゥリールに入港する。「スペイン内戦と現代」を主題に、90分間話した。この日、東京では訳書『ウーゴ・チャベス-ベネズエラ革命の内幕』が出たはずだ。船はサルディニア島の南、チュニジアの北を通り、西へ航行する。 

2014年4月22日火曜日

★☆★2014年「波路遙かに」第1回~伊高浩昭~

   4月半ばの、日付が変わったばかりのある深夜、羽田空港からアラブ首長国連邦のエミレイト航空機で日本を離れた。羽田から日本を離れたのは、1967年に初めてメヒコに向かった時と、72年に再びメヒコに向かった時以来で、3回目だと思う。しかし今の羽田の国際便専用空港部分は、世界でも真新しい光輝く殿堂で、遠い日の追憶と郷愁を許さない、過去と隔絶した機械的空間だった。
 機は、ソウル、北京の上空をかすめ、中国の外延部を回ってインド北部からパキスタンを縦断し、インド洋上に出た。アフガニスタンとイランの領空通過を避けた航路である。オマーンの南を通ってドゥバイに着く。荒れ地に蜃気楼のごとく現れる石油の富が生んだ人工都市である。空港内を1kmは歩いて、アテネ行きの待合室に辿り着く。当然のことながら、アラブの人々が行き交うのが新鮮だ。女たちは色白だが、男達は浅黒く髭が濃い。時差は5時間。
 羽田で知り合ったフラメンコ歌手のハイメと夫人は、グラナダの故郷に帰るため、マドリー行きの待合室に去っていった。機中で隣合わせた人のいい蘭人商業者もアムステルダム便目指して、うれしそうに歩いていった。機はペルシャ湾を、イラン領空を避けつつ西西北に飛び、クウェート上空からイラクに入る。バスーラとバグダッドの上空を通過して北西端に出て、トルコを東端から横断する。通常の航路はシリア経由だが、その上空を避けたわけだ。イスミール上空からエーゲ海に出て、アテネに着いた。飛行4時間半。時差が1時間加わる。都心のホテルに入った時、東京の家を出てからぴったり24時間経っていた。正味1日であり、くたびれた。眠る。
 翌朝、シンタグマ広場から繁華街を通って、アクローポロスを彼方に見上げる広場に行き、そこから丘を巻くように登ってアクローポリス正面下に出た。大通りを経てシンタグマ広場に戻り、ホテルへ。1時間、大急ぎ、5km弱の散策だった。13ヶ月ぶりのアテネだったが、元気を出し過ぎて疲れてしまった。
 タクシーで小30分、ピレウス港へ。我が海の家、ピースボート「オーシャン・ドゥリーム」号に迎えられる。この大型旅客船は横浜を経って既に一ヶ月経っている。スエズ運河、トルコ、ミコノス島を経て、到着していた。若い仲間たちと抱擁を交わし、再会を祝した。この船が、向こう70日間の我が家となる。
 横浜から乗ってきていて、アテネで下船し帰国する中東研究者の高橋和夫水案(船上講師)と、久々に会う。彼から水案のバトンを渡された。ギリシャ駐在の西林万寿夫大使が正午来船、船内を視察。昼食は、エーゲ海を見下ろす断崖上の舟形のヨットクラブレストランで海産物料理を大使からご馳走になった。ギリシャ経済、海運産業の特別な地位、対日関係などについて聴き、日本社会、ラ米情勢を話す。昨日発生した韓国フェリーの海難事故について、新情報をもらう。
 17日、「内外ニュース」を80分に亘って船客に伝える。これが終わったところに、ガブリエル・ガルシア=マルケスがメヒコの自邸で死去した、との一報が届いた。87歳だった。私は出発前に、肺炎にかかっていたガボは退院したが容態は微妙、という情報をブログに記した。やはり、死ぬために自邸に帰ったのだ。ガボの数多い作品や評論には世話になった。学ぶことが多かった。
 24日に東京で発売される拙訳『ウーゴ・チャベス-ベネズエラ革命の内幕』は、ラ・アバーナからカラカスに向かう機内でのチャベスとガボの会話から始まる。ガボには70年代初めのメヒコから90年代初めの東京まで、何度かインタビューしたり言葉を交わす機会があった。忘れ得ぬラ米知識人の一人だ。

 時差は1時間加わる。船は、ペロポネソス半島を大きく迂回して、イタリア東海岸に向かう。晩冬の寒気が迫ってきた。

2014年4月14日月曜日

『ウーゴ・チャベス-ベネズエラ革命の内幕』近く刊行

 ベネスエラの故ウーゴ・チャベス大統領の施政14年を、欧州人ジャーナリストが分析した『ウーゴ・チャベス-ベネズエラ革命の内幕』が4月24日発売される。

 著者は、アイルランド人で英紙ガーディアン記者のローリー・キャロル。チャベス政権期にカラカス通信員を務めた経験を基に、調査取材を加え、本書をまとめた。訳者は伊高浩昭、出版社は岩波書店。

 だが、執筆の最終過程にあった昨年3月5日、末期癌のチャベスが死去した。キャロルは急遽、一部を書き直し、時制を過去形にし、4月19日のマドゥーロ現政権発足までを書き加え、7月刊行に漕ぎ付けた。キャロルは現在、同紙ロサンジェルス通信員。

 ベネスエラ情勢は、本ブログも伝えてきたように、2月初めから荒れ続けてきた。本書には、チャベス政権の作風だけでなく、なぜ現在のような状況になったのか、今後どうなるのか、などを考える基盤が盛り込まれている。

 ラ米、とりわけベネスエラに関心を抱いている人々に是非読んでいただきたい。最寄の図書館に入れていただき、多くの人が読めるようになるのを、訳者として期待したい。

ベネズエラ大統領が「チャベス復権記念日」に反政府派を牽制

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は4月13日、全国からミラフローレス政庁前に参集した支持者数万人を前に演説し、「寡頭勢力(オリガルキーア)はゴルペ(クーデター)によっても投票によっても政権に復帰することはできない」と述べた。

 12年前の2002年4月11日、当時のウーゴ・チャベス大統領を追い出すクーデターが発生し、経団連会長ペドロ・カルモーナが暫定政権に就いた。だが13日、チャベスに忠誠を誓う陸軍主力部隊が反乱し、カラカス丘陵地帯のチャベス派人民が政庁に押しかけ、チャベス復権を要求した。

 カリブ海の島に幽閉されていたチャベスは、13日から14日にかけての深夜、陸軍のヘリコプターで政庁に帰還し、政権に戻った。カルモーナはコロンビアに亡命した。

 政府は4月13日を「尊厳の日」と定めた。また軍と人民がともに蜂起したことから、その後組織された「国家民兵隊」(MNB)の創設記念日にもなった。MNBは、「市民・軍人連携の象徴」とされている。

 マドゥーロは、「12年前の4月11~13日は、21世紀ベネスエラの分岐点だった。親帝国主義のブルジョア資本主義モデルか、それとも反帝国主義の人道的・民主的な憲政モデルか、どちらに進むかの決定的な日々だった」と述懐した。

 また、「寡頭勢力は歴史に学んでいない。チャベス死後1年足らずで、過去と同じようなゴルペ、サボタージュ、街頭暴力を仕掛けた」と、反政府勢力を強く牽制した。

 一方、チャベス政権下で副大統領、外相、国防相を歴任したジャーナリスト、ホセ=ビセンテ・ランヘールは13日、「市民と軍人が連携し忠誠を意識しているかぎり、革命は継続可能だ」と指摘した。

エル・サルバドール次期大統領がキューバ訪問

 エル・サルバドール(ES)のサルバドール・サンチェス次期大統領(現副大統領)は4月12日、ハバナでラウール・カストロ国家評議会議長と会談した。

 サンチェスは6月1日就任するが、就任前の近隣諸国訪問の一環として訪玖した。ラウール議長は、ゲリラとして革命戦争を2年半戦った将軍。一方のサンチェスは、革命戦争と位置付けたES内戦を12年間戦ったゲリラ部隊の司令だった。

 次期大統領は、既にグアテマラ、ベリーズ、パナマ、ニカラグア、ラ・ドミニカーナを訪問している。近くヴァティカン、米国、コスタ・リーカなどを訪問する予定。

バルパライーソ燃ゆ

 チリ首都サンティアゴの外港都市バルパライーソの丘陵地帯で4月12日火災が発生、13日鎮火したが、12人が死亡、500人が負傷した。住民1万人が非難した。うち8000人が焼け出された。

 ミチェル・バチェレー大統領は、15日に予定していたアルヘンティーナ公式訪問を中止・延期し、現地で対応している。

 この都市は、港を中心に太平洋岸に細長く拡がり、北はビニャデルマル市に隣接する。市の東側には海岸山脈の丘が連なり、低所得者居住地域となっている。

 火災は丘でしばしば発生し、強風に煽られて火の手が拡がる。今回も5つの丘、計800hrが全焼した。

 筆者が同市に滞在していた昨年2月半ばにも、同じ丘陵地帯で火災が起きた。黄金色の厚い煙が丘陵から海にたなびき、さながら「バルパライーソ燃ゆ」の観を呈した。

 低地の市内には、国会議事堂、パブロ・ネルーダ邸跡や、歴史ある旧市街があり、通勤電車が走っている。低地から幾つかの丘にはケーブルカーやエレベーターで上がることができる。

2014年4月13日日曜日

オクタビオ・パスの『太陽の石』を読む

 メヒコのノーベル文学賞詩人オクタビオ・パス(1914~98)が1957年に世に出した長編詩「太陽の石」が日本語に訳され、刊行された。パス生誕100周年の3月31日、東京のメヒコ大使館で出版記念会を兼ねた、この詩の朗読会が催された。

 やはり1957年にパスとの共訳で、芭蕉の『奥の細道』をメヒコで出版した元外交官林屋永吉、日本文学研究者ドナルド・キーンら、パスと縁の深い文化人らも出席した。

 この詩本『太陽の石』の後半には、林屋、キーン、詩人・大岡信らの文章が並ぶ。みな味わい深いものばかりだ。巻末の、監訳者が述懐する翻訳の苦労話も興味深い。

 パス生誕100年は、ローマに行った支倉常長が1614年にアカプルコに上陸した400周年でもある。この記念すべき年に、パスの長編詩の翻訳出版は、日墨文化交流史に特質されるべき優れた事業となった。

 文化科学高等研究院(EHESC)の出版。監訳者は阿波弓夫、伊藤正輝、三好勝。この3人を含む6人の共訳。

 さて、肝心の作品だが、抒情と叙事が絡み合い、走馬灯のように流れている。解説はできない。読者に読んでいただくしかない。 

フランス外相が31年ぶりにキューバ訪問、ラウール議長と会談

 クーバのラウール・カストロ国家評議会議長は4月12日、来訪したローラン・ファビウス仏外相と会談した。フランス外相の訪玖は31年ぶり。

 会談では、両国関係、国際情勢、クーバ革命時の逸話などが話し合われた。両国関係では、投資をはじめとする経済関係強化が中心議題だった。外相には、フランス財界人が同行している。

 ファビウスは、ブルーノ・ロドリゲス玖外相、ハイメ・オルテガ枢機卿(ハバナ大司教)とも会談した。両外相は、米政府による対玖経済封鎖を批判した。 

 仏外相は、ハバナで1月開催されたCELAC(ラ米・カリブ諸国共同体)首脳会議の成功を讃えた。

2014年4月12日土曜日

LATINA誌「乱反射」はエル・サルバドール情勢特集

 月刊LATINA誌5月号(4月20日刊)の伊高浩昭執筆記事は次の通り。

 「ラ米乱反射」連載第99回 「元ゲリラ幹部S・サンチェスがエル・サルバドール新大統領に」、「新自由主義に抗いつつ貧困救済の経済モデル確立目指す」--3月9日の決選投票で接戦を制し、6月1日就任する元FMLN司令の選挙戦、政策などを詳述する。

 「エスパシオ」欄 「ベネズエラ情勢」:「マドゥーロ政権と野党連合が<異床異夢>の対話開始」--2月から街頭騒乱事件で荒れに荒れたベネズエラの最新情勢を報告する。

 「書評」  『ブラジルの環境都市を創った日本人 中村ひとし』 服部圭郎著、未来社

 『メキシコ麻薬戦争』 ヨアン・グリロ著、山本昭代訳、現代企画室

★「週刊読書人」(4月11日号)書評 『メキシコ麻薬戦争』(同上)


 

  

2014年4月11日金曜日

ベネズエラ政府と野党連合が会合し、対話継続で合意

 ニコラース・マドゥーロ大統領らベネスエラ政府と、エンリケ・カプリーレス(ミランダ州知事)ら野党連合MUD指導部は、4月10日から11日未明にかけ6時間に亘ってミラフローレス政庁で話し合った。

 8日の第一回会合を受けたもので、ブラジル、コロンビア、エクアドール3国外相とローマ法王庁大使が立ち会った。

 大統領は冒頭40分間語り、「交渉するのでも協定を結ぶのでもない。あるのは、人道的なボリバリアーノ社会主義と、野党が主張するものとの二つの異なるモデルの平和共存を図るための話し合いだ」と強調した。

 これに対しカプリーレスは、「(自身が大統領選挙で敗れた)去年4月14日以来、国は悪くなった」とし、経済・社会の問題点を批判した。

 双方は15日に新たに会合することで合意し、解散した。

 一方、検事総長は10日、2月12日以来の街頭暴力事件で計191人を起訴した、と発表した。うち174人は拘禁中だが、学生はその中の12人にすぎない、と明らかにした。

 一連の事件による死者は39人で、うち8人は治安部隊要員ら当局者。負傷者は650人に達している。

 街頭暴力扇動などで逮捕され起訴された極右政治家レオポルド・ロペスの予審は、5月8日に開かれることになった。

   

2014年4月10日木曜日

ペルー次期大統領の最有力候補はケイコ・フジモリ

 ペルーで4月9日公表された世論調査結果によると、2016年の次期大統領選挙での最有力候補は、ケイコ・フジモリで、支持率31・5%。ケイコは元大統領アルベルト・フジモリの長女で、「フエルサ・ポプラル」(人民勢力)党首。前回選挙に出馬し、決選でオヤンタ・ウマーラ現大統領に敗れた。

 2位以下は、元経済相ペドロ・クチンスキ14・6%、前大統領アラン・ガルシア9・5%、元大統領候補ルールデス・フローレス7・9%、現大統領夫人ナディーン・エレディア7・1%、元大統領アレハンドロ・トレード3・2%。支持者なしは17・6%だった。

 一方、禁錮刑に服役している元大統領フジモリは、今月16日からの聖週間期間中に「人道的理由」により赦免される可能性がある、との見方がリマで流れている。

ベネズエラ大統領が野党連合と話し合う

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は4月8日、野党連合MUD幹部らと国内の対立状況に関し4時間に亘って話し合った。7日から訪問中の南米諸国連合(ウナスール)外相団が、この会合を仲介した。

 双方は、9~11日の間に再度会合することで合意した。その新たな会合には、ブラジル、コロンビア、エクアドール3国の外相が立会う。また、ローマ法王庁高官が仲介者として出席する可能性がある。

 一方、この日、ルイス・ルーラ前ブラジル大統領は、マドゥーロ大統領にメディアを通じて、緊張緩和のため(野党との)連立政権を樹立してはどうか、と働きかけた。

 これに対しマドゥーロは、「野党との交渉も協商もない。あるのは対話であり討論だ」と、柔らかに反論した。

 ベネスエラ国会は9日、2月からの反政府派による街頭破壊活動、殺傷事件などを調査する「真実委員会」の第1回会合を開く。

2014年4月9日水曜日

作家ガルシア=マルケスが退院、容体は「微妙」

 ノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(GGM、87)は4月8日、メヒコ市内の病院を退院し、同市内の自邸に帰った。GGMは脱水症状、気管支炎、腎臓疾患により3月31日から入院していた。

 GGMはコロンビア人で、メヒコ市に永住権をもって暮らしている。

 容体は依然「微妙」だという。
 

2014年4月8日火曜日

ベネズエラ大統領が南米外相団の仲介で野党と会談へ

 南米諸国連合(ウナスール)外相団は4月7日カラカスを再訪し、野党連合MUD代表と、ニコラース・マドゥーロ大統領と個別に会談した。その結果、両者は8日、話し合いの席に着くことになった。

 外相団は、亜伯URU智BOL赤COLスリナムの8カ国外相。当初は伯COL赤3国の「外相委員会」の訪問とされていたが、8カ国に膨らんだ。PAR秘ガイアナ3国外相は参加しなかった。

 MUDは、「対等、ラジオ・テレビ全国統一中継、双方合意議題、双方合意立会人参加」の4条件を提示した。大統領が、これらを受け入れたか否かは不明。MUDは、「恩赦法による囚人や亡命者の免罪」も訴えている。

 大統領は2月からMUDをはじめとする反政府勢力に対話を呼び掛けてきたが、MUDは拒否してきた。MUDは街頭暴力を制止することなく、街頭暴力を背景にして、政府に譲歩を求めてきた。

 外相団は7日夜、ミランダ、ララ、アマソーナス3州の野党知事と会合する。

 一方、ボリビアのエボ・モラレス大統領は7日、サンタクルスデラシエラ市で開かれた列国議会同盟会議の開会演説で、ベネスエラの「マドゥーロ正統政権防衛」を訴えた。エボは、「一連の暴力事件の背後には、ベネスエラの石油を狙う米国の陰謀がある」と指摘した。

 カラカスでは6日、民放テレビ、グロボビシオン社の幹部社員が武装3人組に拉致される事件が起きた。政治的背景があるかどうかは確認されていない。

2014年4月7日月曜日

コスタ・リーカ次期大統領はルイス・ソリース氏

 コスタ・リーカ選挙最高裁判所(TSE)は4月6日夜、同日実施の大統領選挙決選投票の、開票率約80%段階での結果を発表、野党・市民行動党(PAC)のルイス・ソリース候補が得票率77・88%(125万票)で、事実上、当確となった。

 敗れたのは、政権党・民族解放党(PLN)のジョニー・アラヤ候補で、22・12%(35万票)だった。棄権率は43・19%と極めて高かった。

 2月2日の第一回投票で得票2位となったアラヤは、その後の支持率で勝ち目がないことを悟り、候補辞退を宣言していた。決選に向けて集票活動をしたのはソリース陣営だけだった。この異常な決選が有権者をしらけさせた。

 ソリースの勝因は、長らく続いてきたPLNの親米保守路線が飽きられ、有権者が新鮮さを求めたため。

 ソリースは5月8日就任するが、6月1日就任するサルバドール・サンチェス次期大統領のエル・サルバドール、ダニエル・オルテガ大統領のニカラグアとともに、中米のラ米6カ国の半分は中道左翼~左翼の政権が支配することになった。

 パナマ、グアテマラ、オンドゥーラスは保守・右翼政権下にあるが、パナマでは5月4日、大統領選挙が実施され、結果次第では政治路線が変化する可能性がある。

ベネズエラ内相が政権支持をあらためて確認

 ベネスエラのミゲル・ロドリゲス内相(陸軍将軍)は4月6日、民放政治番組「ホセ=ビセンテ、オイ」(きょう、ホセ=ビセンテ)で、「野党勢力は政権奪取のため違憲手段をとってきた。嘆かわしい」と述べた。

 内相は、「暴力勢力は米政府の支援を受けている。だが我々ベネスエラ軍部は、ボリバリアーナ革命を意識した堅固な組織だ。2002年末に首都のアルタミーラ広場を右翼軍人14人が占拠したような事態は起きない。先月逮捕した空将3人は取り調べ中」と強調した。これは反政府勢力が抱くゴルペ(軍事クーデター)への期待を打ち砕く発言。

 さらに、「極右勢力は第一次街頭蜂起に失敗したため、第二次蜂起を準備している」と指摘し、「軍部は多数派のために尽力している政府を信頼している」と言明した。

 またベネスエラ人に向けて、「事態(暴力状況)は外国の介入を招くための忌まわしい謀略であり、そのことを理解してほしい」と訴えた。

 一方カラカスでは4日、ALBA(米州ボリバリアーナ同盟)の社会運動をラ米大陸全体に拡げるための連絡会議が始まった。LAC(ラ米・カリブ)21カ国から38人の代表が参加している。8日まで開かれる。

 南米諸国連合(ウナスール)外相委員会は7日カラカス入り、和平醸成のための仲介努力を続開しる。

2014年4月6日日曜日

コスタ・リーカできょう大統領選挙決選投票

 コスタ・リーカ大統領選挙の決選投票が4月6日実施される。2月2日の第一回投票の得票上位2候補が進出したが、僅差で2位になった政権党候補が3月5日候補辞退を表明し、選挙戦を打ち切ったため、得票1位の野党候補を事実上の当確者としての風変わりな決選となった。

 保守・中道右翼の民族解放党(PLN)のジョニー・アラヤは第1回投票の得票率が30%弱で、野党・市民行動党(PAC、中道左翼)のルイス・ソリースの31%弱にわずかに及ばなかった。その後の世論調査でソリースが圧倒的に有利との予測が相次いで出たため、アラヤは勝ち目がないとして辞退を表明した。

 だが国家元首を選ぶ最重要の民主制度であるため、決選は予定通り実施されることになった。ラウラ・チョンチージャ現大統領は有権者に投票するよう訴えている。

 新大統領は5月8日就任する。任期は4年。

2014年4月5日土曜日

ベネズエラ検察が野党指導者を扇動罪などで起訴

 ベネスエラ検察庁は4月4日、極右野党党首レオポルド・ロペス(42)を、公然煽動、資産損傷教唆、放火教唆、犯罪関与、で起訴した。公判は5月上旬開始の見通し。すべてが有罪になれば、禁錮13年余りの実刑となるもよう。

 ロペスは、マドゥーロ政権打倒を目指し街頭蜂起するよう学生らに呼び掛け、2月12日、カラカス市内で死者3人、負傷者66人、逮捕者69人が出る大規模な事件が起きた。

 検察庁はまた、2月12日以来の一連の破壊活動や暴力事件により、死者39(うち治安部隊要員8)人、負傷者608(同194)人、逮捕出廷者2285人、身柄拘禁者192(同17)人が出た、と発表した。

 出廷者のうち904人は「学生」を名乗ったという。

2014年4月4日金曜日

ベネズエラ政府が暴動事件解明のため「人権理事会」設置

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は4月3日、国家機関として「人権理事会」を設置した。2月以来の反政府派を中心とする一連の破壊活動、殺傷事件、外国の介入などを解明するのが目的。

 ホルヘ・アリアサ副大統領を議長に、閣僚、国会議員、人権団体、オンブズマンら計15人で構成される。国会にも3月「真実委員会」が同じ目的で設置されており、役割分担が定かでない。

 大統領はこの日、国内23州のうち6州に分離主義があり、調査すると語った。タチラ、スリア、メリダ、ララ、カラボボ、ヌエバエスパルタの6州という。

 マドゥーロは4日には、政府と全知事・市長が問題を解決するため話し合う「10部会」を設置、世論の不満に対応することになった。安寧秩序、生産向上、保健、エネルギー、教育、輸送機関、道路網、住宅などをめぐる問題点の解決策を策定する。

 一方、南米諸国連合(ウナスール)は3日、ブラジル、コロンビア、エクアドールの3国外相が7、8両日カラカスを訪れ、和平達成のため仲介努力を継続する、と発表した。

 2月12日から激しく続いていた反政府暴動は3月下旬下火に向かい、4月に入ってからは政府の治安政策が奏功しつつある。ベネスエラ中央大学(UCV)の政府派学生会は、同大学の反政府派学生団による破壊活動や脅迫の実態を3日明らかにし、検察庁に4日、資料を提示する。

 チャベス派政権の打倒を目指す内外の新自由主義、右翼、保守のメディアはベネスエラの事態を意図的に歪めて報じたり、選別した事実を針小棒大に伝えてきた。その空虚な実態が明らかになるにつれて、反政府行動はしぼんできた。

 

米国際開発局のキューバ向け反体制工作が暴露さる

 米政府の対外援助・工作機関「米国際開発局」(USAID)が、2010~12年に「クーバtwt」という、携帯電話で送受信できるインターネットを使って、クーバの若者らを反体制方向に導く活動をしていた事実が明らかになった。

 AP通信が4月2日報じたもので、同局職員が2010年7月、ワシントンとデンヴァー、およびコスタ・リーカとニカラグアから技術面の専門家を伴ってスペインに行き、組織を整え、銀行口座をケイマン島に置いた。

 クーバに近い発信拠点を中米に置いたが、コスタ・リーカの公算が大きい。この作戦は「スンスネオ」計画と呼ばれていた。クーバで「ハチドリの羽音」を意味する言葉だ。

 計画は、当初はスポーツ、音楽など当たり障りのない番組を流し、利用者が増えた段階で政治的情報を流し、若者らを反体制に導くというもの。利用者は12年8月には4万人に達した。

 米政府は、この暴露報道を受けて3日、「クーバ人若者が相互の、もしくは対外的なコミュニケーションを拡大できるよう」、その事業をしていたことを認めた。

 「黙視できない環境」が対象の場合、秘密裏に事業をすることがあり、クーバだけが対象ではない、とも明らかにした。

 問題の事業は、理由が公表されないまま打ち切られた。09年にクーバで逮捕されたUSAID契約職員アラン・グロスと、この事業との関係がうんぬんされているが、米政府は、その関連性を否定した。

 ラウール・カストロ議長は元日の革命55周年記念式典での演説で、「クーバの歴史的指導部と若い世代を離反させ、不安と未来への懸念を醸し、社会主義を潰すという工作がある」と述べていた。グランマ紙は、USAIDの工作暴露を受けて、議長発言が証明された、と指摘した。
 

2014年4月3日木曜日

マルビーナス諸島にNATO基地がある、と亜国大統領指摘

 アルヘンティーナ(亜国)のクリスティーナ・フェルナデス=デ・キルチネル大統領は4月2日、対英マルビーナス戦争開戦32周年記念日に際し、領有権をあらためて主張し、「M諸島では軍事化が進んでおり、英軍基地の他、OTAN(オタン=北大西洋条約機構)の基地まである」と指摘した。

 大統領はまた、1833年にM諸島が英国に奪取された直後蜂起した亜国人ガウチョ、アントニオ・リベーロを描いた50ペソ紙幣を向こう半年内に発行する、と発表した。

 一方、M諸島に亜国本土から最も近いリオグランデ市をこの日、英国植民地ジブラルタルと地理的に対峙するスペイン・アルヘシラス市の市長ホセ・ランダルセが訪れ、英支配下にあるヒブラルタルとマルビーナスの奪回を望む共通の立場から連帯・連携する意志を表明した。リオグランデ市内には、姉妹都市提携を記念する小さな広場が開かれた。

ベネズエラ大統領がNYTに寄稿し、平和呼び掛け

 ベネズエラのニコラース・マドゥーロ大統領は4月2日、ニューヨークタイムズに「ベネスエラからの平和の呼び掛け」と題して寄稿し、米国民に「<制裁>はベネスエラの貧しい人々を苦しめるだけだ」と述べ、米議会に<制裁>しないよう訴えてほしいと呼び掛けた。

 ベネスエラ政府は、米国に<制裁>される理由はないとの立場だ。

 大統領は寄稿記事で、「ベネスエラの抗議行動の狙いは、民主的に選ばれた政府を倒すことだ。国際メディアの大部分は、ベネスエラの実情を意図的に歪めて伝えている」と指摘した。

 また、「米政府は、抗議行動は平和的だがベネスエラ政府が暴力で弾圧している、と言うが事実でない」とし、「米政府は、かつてベネスエラ人の99%を排除し、石油の富を独り占めにしていた、米企業を含む富裕な1%の側に立っている」と批判した。

 そのうえで、米国民に「真実を見極めて」<制裁>しないよう議会に働きかけるよう訴えた。

 米フロリダ州のリック・スコット知事は、州内の反カストロ派クーバ系右翼団体の言い分などを受けて、米議会にベネスエラ<制裁>発動を働きかけている。

 同クーバ系は、ベネスエラ政府を弱らせ政権交代を導けば、ベネスエラ原油がクーバに行かなくなり、クーバの社会主義体制が脆弱になる、との立場だ。

 一方、エクアドールのリカルド・パティーニョ外相は2日キトで、南米諸国連合(ウナスール)外相団が4月7、8両日、カラカスを訪問する、と発表した。同外相団は3月下旬、カラカスで政府・反政府派双方から意見を聴取し、国内和平への空気を醸成した。

 外相団の顔触れは明らかにされていないが、ブラジル、コロンビア、エクアドールの3国外相で構成される委員会が訪問する、との見方がある。

2014年4月2日水曜日

ブラジル国防省が人道犯罪調査開始を決定

 ブラジルのセルソ・アモリム国防相は、1964年ゴルペ(軍事クーデター)50周年の3月31日、軍事政権時代に軍事施設内で起きた拷問と殺害に関する調査を開始する、と明らかにした。

 国軍が組織的に関与した人道犯罪を自ら調査するのは初めてであり、画期的な決定と受け止められている。

 軍政下の人道犯罪を究明してきた国家真実委員会は2月18日、政府に調査開始を要請したが、これに国防相は回答した。

 問題の施設は、リオデジャネイロ州内一カ所、陸海空軍基地各一カ所、陸軍のサンパウロ、レシーフェ、ベロオリゾンチ3市内各一カ所の、計7カ所。

 ブラジルには恩赦法があり、人道犯罪に関わった軍人、警官、極右民間人らは断罪を免れてきた。だが、恩赦法廃止を求める声が高まりつつある。国防相は世論と、ヂウマ・ルセフ大統領の強い意志に配慮して調査開始に踏み切った。

2014年4月1日火曜日

ウルグアイ大統領が米政府のベネズエラ干渉を批判

 ウルグアイのホセ・ムヒーカ大統領は3月31日モンテビデオで、「世界中がクーバへの経済封鎖の破棄を米政府に求めている時に、米政府はベネスエラへの制裁の可能性を口にしている」と米政府を批判し、「ベネスエラを尊重すべきだ」と述べた。

 ムヒーカはまた、「米国は歴史を全く学んでいないのだろうか。ベネスエラとラ米は敬意を払われなければならない」と語った。さらに、「我々は自分たちの歴史をつくっている。良かろうが悪かろうが、我々の歴史なのだ。このことが理解されないとしたら最悪だ」と強調し、米国の対ラ米姿勢を批判した。

 一方、ベネスエラのエリーアス・ハウーア外相は31日、同国民放テレビ局によるインタビューで、「ベネスエラに問題が存在するが、それは米国が資金を融資しているからだ。この事実は証明されている」と述べ、米政府の干渉を非難した。「米国は、ベネスエラが紛争の中に沈んでしまうのを望んでいる」とも指摘した。

 外相は3月下旬カラカスを訪れベネスエラ各界から事情聴取した南米諸国連合(ウナスール)外相団について、「外相団は触媒の役割を果たし、対話に道を開いた」と前置きし、「ヴァティカン(ローマ法王庁)が仲介することは可能だ」と述べた。

 ベネスエラ最高裁は31日、米州諸国機構(OEA)大使会議で、パナマ代表団次席代行を務めた極右国会議員マリーア=コリーナ・マチャードの議員資格を剥奪した国会の決定の正当性を認めた。