オーシャンドゥリーム号はイタリア東海岸のバーリに着いた。復活祭で静寂な古い街に入ると、大聖堂前と周辺で、まさに復活祭の行列に出くわした。正装した警察の楽隊が葬送の曲を奏で、喪装の男たちが山車を担ぐ。ガラス棺に横たわるキリストが行列の中央にあった。小雨降る中世の遺跡のような街を、歴史が流れる。
新市街地の、遅く開いたレストランで生ハム、スパゲッティ、白葡萄酒の昼食をとる。船上講師仲間の千田善やPB職員と一緒だ。旧市街には、巨大な砦がある。洞穴式のバルでカフェを飲む。主人は元船乗りで、日本を知っていて、日本好きを名乗った。そして日本製の高級カメラを持ち出してきて、200ドルで買わないか、と持ちかける。カメラバッグごとだ。おそらく日本人客が店に忘れていったものだろう。もちろん、買わない。
翌朝、アドリア海対岸のドゥブロヴニク港に入る。クロアティアの飛び地だ。90年代後半に、内戦の傷跡取材でボスニアやクロアティアを訪ねたのを思い出す。中世の町を高い城壁が囲んでいる。内戦中、ユーゴスラヴィア、セルビア人、モンテネグロの軍隊に包囲さて、攻撃された。着弾地が地図で示されている。この中世の市街地は世界遺産で、一大観光名所になってる。我々日本人、中国人、韓国人ら、東洋の面々が猟景する。すると、団体の中の中年女性が近寄ってきて、「私たち中国人じゃないよ」と言った。台湾人の一行だった。「学生たちが国会を占拠して、賑やかだったようですね」と言うと、黙して肯いた。
千田さんは、日本サッカーチーム監督オシムの通訳をしていた。セルビア語が得意で、レストランの注文やバスの乗り降りの際に大いに貢献してくれた。猫が実に多い。みな野良ちゃんと見受けた。街が飼っているわけだ。愛のある街だ。猫も美男美女が多い。長らく猫族と同盟関係にある私は、昼飯の魚介類の切れ端を振舞った。私は牛ステーキを食べたのだが、千田さんらが注文したのの残飯をニャンたちに回したのだ。
次の日は、モンテネグロの峡湾奥の中世の町コトロを訪ねた。3日続きの雨だ。岩山の連なりを自然の防壁とし、その中腹に万里の長城のような城壁と見張り台がある。アドリアの海から峡湾に入ってくる敵船の有無を絶えず見張っていたのだろう。雨に煙る岩山、街、湖水のような海。水墨画そのものだ。T骨ステーキを食べたが、硬くて歯が折れそうだった。
3日間の3港停泊が終わり、船は地中本海に出、シチリア島南端、マルタの北方を通過した。船は数日後、エスパーニャのモトゥリールに入港する。「スペイン内戦と現代」を主題に、90分間話した。この日、東京では訳書『ウーゴ・チャベス-ベネズエラ革命の内幕』が出たはずだ。船はサルディニア島の南、チュニジアの北を通り、西へ航行する。