エクアドールのラファエル・コレア大統領は5月30日、39歳6カ月で死んだ故ハイメ・ロルドス大統領の死因を再調査すると明かにした。遺族の願いでもあるという。
ロルドスは大統領就任後2年経っていなかった1981年5月24日、アンデス山脈のウアイラプンゴ山に大統領専用機が墜落し、死亡したとされる。だが「墜落直前に空中爆発した」とする目撃者談話などがあり、謀殺説が途絶えていない。
専用機は小型で、大統領夫妻、国防相夫妻、操縦士を含む軍人4人、女性乗務員1人の計9人(全員)が死亡した。
ロルドスは、内政不干渉原則を超える国際人権規範制定を働き掛けるなど進歩主義外交を展開し、米政府と対立していた。ニカラグアのサンディニスタ政権とも友好関係を維持していたが、81年1月就任した極右のロナルド・レーガン米大統領は、ニカラグアに反革命のゲリラ戦を仕掛け、ニカラグアは80年代いっぱい内戦の巷と化した。
レーガンの前のジミー・カーター大統領は、パナマの最高指導者オマール・トリホス将軍との間で新パナマ運河条約を結び、運河を1999年12月31日正午にパナマに返還することを決めた。ロルドスの死から間もない81年7月31日、トリホスはヘリコプターの空中爆発により死亡した。CIAの陰謀との判断が定着している。
ロルドスの死は、レーガン就任後5カ月目のことだった。