社会正義のあるよりよい世界創設を志す世界社会フォーラム(FSM)の第12回大会が8月9~14日、カナダのモントリオールで開かれた。「北」の工業先進国での開催は初めて。問題点が浮き上がった。
初日は市の中心街を多数の参加者が「アルテルムンディズモ」(よりよい世界を求める思想)の横断幕を掲げて行進。カナダの知識人、ナオミ・クラインも加わった。
6日間の会合には125カ国から3万5000人が参加したが、主催者が予定した5万人を下回った。ラ米やアフリカなど「南」からは1000人程度しか参加しなかった。旅費や宿泊料が高いのが一つの問題だった。
またカナダ政府は査証発給を制限、アフリカ人やラ米人の講演予定者230人が入国を拒否された。これが最大の問題。
FSMは2001年、世界経済フォーラム(WEF、ダヴォス会議)に対抗して始まり、第1回会合が伯南部のポルトアレーグレで開かれた。それから15年、FSMは曲がり角に立っている。
それはFSMを推進してきたブラジル労働者党がヂウマ・ルセフ大統領弾劾の危機にあることや、強力な支援者だったウーゴ・チャベス前ベネスエラ大統領の死去、亜国政権がペロン派左翼から保守・右翼のマクリ政権に代わったことなどによる。
また「アラブの春」が色あせ、内戦や混乱を招いたこと、欧州などでの無差別テロリズムの頻発なども原因だ。
G7の一員カナダでの今会合では、対立を避けるため、環境・気候温暖化、課税回避・脱税、移民など、南北間に共通する問題が議題に選ばれた。これらの議題を中心に22の主要な会合が開かれた。
だが、ルセフ大統領を弾劾しようとしているブラジル国会による「制度的クーデター」を会合は糾弾できなかった。反対意見があったためだ。こうした点は前回までのFSMと大きな違いだ。
FSMの発案者の一人、ブラジルの神学者レオナルド・ボフは、「リオ五輪開会式の5日夜は広島の6日朝だった。我々は国際五輪委員会に開会式さなかの黙祷を求めたが拒否された」と明らかにしている。
ラ米諸国の進歩主義・左翼勢力は、8月26~28日リマで、「ラ米共産党・革命政党会合」を開き、ラ米情勢を総括することにしている。
2016年8月20日土曜日
2013年4月1日月曜日
チュニジアでの「世界社会フォーラム」終了
アルテルムンディズモ(よりよい世界を築く運動)の中心組織「世界社会フォーラム(FSM)」の2013年度会合は3月26~30日、チュニジアの首都チュニスで5万人が参加して開かれた。地元チュニジアから、政変後の新時代を象徴するかのように、多くの若者が参加し、これが活気を与えた。
議題の中心は、「第三世界」ないし発展途上諸国が今なお苦しんでいる対外累積債務問題だった。「第三世界債務廃止委員会(CADTM)」を率いるベルギー人専門家エリック・トゥサンが中心的な役割を担った。トゥサンはコレア・エクアドール政権の顧問として、同国に「不正債務返済拒否」を決断させた実績を持つ。
最終宣言には、反資本主義・反新自由主義、人間的社会建設過程にあるマグレブ中東人民支持、同地域での過去2年間の変革過程の保守化非難、パレスティーナ・サハラウイ(西サハラ)・クルドゥスタン(クルド人領土)の自決・主権支持、イスラエル制裁運動促進、NATOとの闘い強化、核兵器廃絶、世界人民の連帯などが盛り込まれた。
サハラウイの領土の多くを占領しているモロッコの当局関係者たちが会議に入り込み、サハラウイとの連帯決議を妨害しようとする一幕があった。この種の妨害工作は、2011年のFSMダカール会議でも見られた。
トゥサンは、援助を通じて対外介入する米機関USAIDが会場にブースを出していたのを問題点として指摘した。
会合は、3月5日死去したベネズエラのウーゴ・チャベス大統領を讃えた。FSMは、「世界経済フォーラム(WEF)」の対抗組織としてブラジルのポルト・アレーグレで設立され、ラ米諸国が大きく関与してきた。
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