2012年9月28日金曜日

アサンジ問題めぐるエクアドール・英外相会談が物別れ


▼▼▼エクアドール(赤道国=略号「赤」)と英国の外相は、ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ氏の亡命問題をめぐり9月27日NYのホテルで30分会談した。だがリカルド・パティーニョ赤外相が、アサンジ亡命のための安導権授与を求めたのに対し、ウィリアム・ヘイグ英外相は、亡命を認めず、アサンジの身柄をスウェーデンに引渡すとの決定も変えず、会談は物別れに終わった。

▼だが両外相ともに「会談は友好的だった」と表明しており、数週間内に再度会談する可能性が残されている。

▼赤外相は、ロンドンの赤国大使館での滞在が長引いているアサンジの健康が変調を来たしつつある、と懸念を伝えたという。

▼一方、アサンジは27日国連で赤側が設定したビデオ会見場で、「米政府はウィキリークス追及をそろそろやめるべきだ」、「米国は私を<国家の敵>と宣言したが、馬鹿げている」、「英・スウェーデン両国は、私を米国に引渡さないという保証をすべきだ」と訴えた。

▼ロンドンに本部のあるアムネスティー・インターナショナル(AI)も27日、スウェーデンに対し、「アサンジの身柄を米国に引渡さないという保証をすべきだ」と呼び掛けた。 

 

2012年9月27日木曜日

ホンジュラスで人権派弁護士が暗殺さる


▼▼▼▼▼ホンジュラス(HON)で、権力とつながる強者から土地を奪われた貧農たちを支援していた人権派弁護士アントニオ・トゥレホ(41)が9月22日夜、首都テグシガルパのトンコンティン国際空港近くで暗殺された。至近距離から頭部などを銃撃された。

▼トゥレホは、アグアーン盆地で土地奪回闘争を続ける「アグアーン土地回復真正運動」(MARCA=マルカ)の顧問弁護士だった。

▼事件の背景には、富裕な大土地所有者や農産業経営者が司法当局と癒着して、貧農たちから土地を奪い、アフリカ椰子などの栽培地にしているという近年の事情がある。

▼トゥレホは今年6月末、土地を奪われた農民側の勝訴を実現させた。だが、その判決は高裁で葬られた。トゥレホは、土地を奪う側を糾弾し続け、死の強迫を何度も受けていた。

▼米国務省は、HON政府に今回の暗殺事件の徹底捜査を求めるとともに、捜査協力を申し出た。国連人権高等弁務官事務所は、犯罪者の無処罰をなくすよう、HON政府に求めた。

▼この種の政治的殺人は、この国では珍しいことではない。マヌエル・セラヤ元大統領は、富裕層に属しながら富裕層に歯向かって政権を追われたが、26日、HONには「エスクアドロン・デ・ムエルテ」(専門的殺し屋集団)がある、と語った。

嘆かわしい政治記者たちの劣化


▼▼▼日本の政治記者たちの長年にわたる恒常的な劣化には、驚き、かつあきれる。9月26日の安倍自民党新総裁の記者会見の質問ぶりを観聞きして、そう感じた。

▼安倍元首相といえば、自民党の極右に位置する。記者たちは当然のことながら、靖国参拝、A旧戦犯だった祖父岸信介、旧日本軍慰安婦、対アジア侵略戦争、改憲条件簡易化、教育改革の内容、沖縄の軍事基地、北朝鮮現政権への対応などについて見解をただすべきだった。

▼ところが、ほとんどの質問は自民党内の人事など、少し待てばわかるような、本質的でない技術的な問題ばかりだった。政治家の嫌がる質問をするという、記者の「鉄則」に全く関知しない世代になったのか。

▼長年のジャーナリズムの劣化は、国会議員たちを長年、劣化させてきた。劣化した議員たちと毎日付き合うから、記者たちも劣化から逃れられない。視野は、永田町という偏狭で劣化した風土に限られる。劣化は、政治よりも政局を優先させる。

▼安倍は首相時代、ある民主党議員が、安倍が唱えていた「戦後レジュームの転換」の「レジューム」について質問したところ、正面から回答しなかった。この種の質問に慣れていなかったのか。永田町の住民と変わらない発想の者が多い記者たちの質問ぶりから、さもありなんとあらためて思わざるをえない。
 
 

メキシコで「失踪」した反PRI青年が保護さる


★★★かつての独裁政党・制度的革命党(PRI=プリ)政権の復活に反対してきた若者たちの政治運動体「#132」(私は132人目)の、北下加州エンセナーダ支部のアレフ・ヒメネス代表(32、海洋学者)が「9月20日エンセナーダ市内で失踪した」と報じられ、大きな問題になっていた。

★だがアレフ本人が26日、メキシコ市で「肉体的危害を加えられる恐怖を感じたため、ラパス(南下加州都)に隠れていた」と明らかにした。一時、「連邦警察による拉致ではないか」と見られ、全国的な関心を集めていた。

★アレフは、下加州知事、同州検察庁の速やかな介入で居場所と安全が確認された。アレフはラパス空港から25日メキシコ市に移動し、国家人権委員会(CNDH)の保護下に置かれた。国連高等弁務官事務所駐在員も保護に関与している。

★「#132」は、7月1日の大統領選挙で当選したPRIのエンリケ・ペニャ=ニエト(EPN)次期大統領の選挙戦のさなか、EPNによる長年のテレビ放送買収、大掛かりな票買収による金権選挙に異議を唱え、選挙の民主化を求めて全国的に運動を展開した。

EPNは12月1日就任する。9月15日夜は「メキシコの夜」と呼ばれるメキシコ独立記念日前夜で、恒例の「ビーバ・メヒコ」(メキシコ万歳)という「独立の叫び」が国内各地で行われる。エンセナーダでは15日夜、PRI所属の現市長が叫んだ際、アレフら運動の地元幹部は「PRI無きメヒコ万歳」を叫んだ。

★このためアレフらは一時的に逮捕され、暴行を受けた。アレフは、17日に記者会見し、その弾圧を訴えた。ところがその後、監視されたり尾行されたりするようになり、身の危険を感じた、という。

★運動仲間らは「アレフ失踪」を州当局とメディアに通報した。結果的に、州当局の素早い反応と、大々的な報道で、アレフの安全が保障されたとも言える。

★新政権登場前に、<この世の春>の再来を待ちきれないPRI系警察当局者が「拉致した」との見方が拡がっていた。今回の<事件>は、メキシコの人権擁護の脆弱性をあらためて浮かび上がらせたが、同時に、当局とメディアが動けば最悪の事態が食い止められる可能性があることを示した。

2012年9月26日水曜日

安倍自民党総裁選出で外国メディアが論評


▼▼▼安倍晋三・元首相(58)の自民党新総裁選出について、幾つかの外国メディアは9月26日、次のような論評をした。

▼英ロイター通信:「中韓両国は警戒する」、「民主党にはいいニュースだ。有権者が自民党を見放した原因の一つが安倍だったからだ」(日本人識者の見方を紹介)。改憲論者である。日本軍慰安婦問題に関する河野談話、侵略戦争謝罪に関する村山談話を覆したがっている。国家主義傾向を批判されている大阪市長と連携する可能性があり、その連携は右傾化する可能性がある。中韓との関係は一層困難になる。2030年代に原発を全廃するとの政府方針に反対している。

▼仏AFP通信:保守鷹派。「だが政権に就けば、対中関係は穏健になるはずだ」、「有権者受けの良い他の人物が党首になった場合と比べ、自民党勝利の可能性は縮まる」(識者の意見を紹介)

▼米AP通信:鷹派、国家主義者、対中強硬路線。

▼中国・新華社:(論評抜きで、安倍選出と、次期総選挙での自民党勝利の可能性に触れた。)

▼西EFE通信:改憲派。自衛隊の役割を強化したがっている。

▼米VOA:尖閣問題で対中強硬路線を訴えていた。

▼英ファイナンシャル・タイムズ:党首選自体が右傾化。尖閣問題が右傾化を促進した。国家主義傾向の持ち主。右傾化で中韓との関係は緊張するか。改憲派。侵略戦争謝罪見直しを主張。安倍は不人気だが、自民党は次期総選挙で第1党になる公算。「維新の会」も躍進しそうだ。

▼米WSJ紙:対中強硬路線に転換しそうだ。

▼米ビジネス・ウィーク誌:改憲派。尖閣問題で対中強硬派。日銀にインフレ3%を要求している。「首相時代に極めて拙(まず)い形で躓(つまず)いた」(識者の意見)。政情はますます不安定になる。

▼(共同通信英文記事):国家主義的発想で知られる。

ブラジル真実委員会が「コンドル作戦」調査へ


★☆★☆★ブラジル政府官報は9月25日、国家真実委員会(CNV、委員7人)が軍政時代を中心とする国家による人道犯罪を、「コンドル作戦」を含め調査する、と発表した。調査結果は、1914年末までにまとめられる。

CNVは、そのための調査委員会を設置する。委員長には、CNV委員である人権派弁護士ロザ・カルドーゾ=クーニャが就任する。他にジャーナリスト、歴史学者、弁護士の各1人が委員となる。

★「コンドル作戦」は一種の<暗殺同盟>で、1975年、CIAの仲介でチリの首都サンティアゴで策定された。チリ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビアの南米6カ国軍政が加盟した。6ケ国内で、反軍政派市民を相互に逮捕、拉致、拷問、身柄引き渡し、暗殺するのが目的だった。

★だが、CNV筋によると、ブラジル軍政は1970年に逸早く同種の作戦を実行していた。それを示す文書があり、80年までの10年間に、公表されている数字よりもはるかに多い犠牲者が出ている、という。

★ブラジルの元大統領ジョアン・ゴラールは1976年、亡命先のアルゼンチンで死亡したが、これは「コンドル作戦」による暗殺だった事実が判明している。CNVの調査委員会は、ゴラール暗殺事件も解明する。

★ボリビアのフアン=ホセ・トーレス元軍政大統領や、チリのカルロス・プラッツ元陸軍司令官もアルゼンチンで暗殺されている。 

2012年9月25日火曜日

チリ政府紙「ラ・ナシオン」が閉刊


▼▼▼チリ政府の日刊紙「ラ・ナシオン」が9月24日閉刊され、同新聞社は解体されることになった。1917年に創刊されたが、95年で社史は幕を閉じた。

▼保守・右翼政権を率いるセバスティアン・ピニェーラ大統領は、以前からラ・ナシオンが野党連合「コンセルタシオン(協和)」の肩を持っていると非難していたが、就任後の2010年11月、新聞発行を停止させ、電子版だけを発行させてきた。

▼政府は、ラ・ナシオン社の株の69%を握っていた。24日臨時株主総会が開かれ、1時間の議論を経て、政府側の意思で閉刊と新聞社閉鎖が決まった。官房長官は、「政府紙は不要だ」と表明した。

▼ラ・ナシオン社は、官報も印刷・発行してきた。今後、官報だけは切り離されて発行されることになる。

▼新聞社閉鎖・解体で、労働者117人が職を失った。31%の民間株主と労働者は、法廷に閉刊・閉社決定の無効を求めて提訴した。チリ新聞記者協会もラ・ナシオン労組を支援している。

▼チリでは、1990年3月ピノチェー軍事独裁が終わり、キリスト教民主党(中道・保守)と社会党(中道左翼)を中心とする「協和」が4代大統領・計20年、政権を維持した。その後を受けて発足したピニェーラ現政権は、新自由主義政策を推進しており、ラ・ナシオン閉鎖も「小さな政府」化政策の一環だ。

▼政府は、公共放送は従来通り維持することにしている。

村田晃嗣著『レーガン』を読む


☆『レーガン』(2011年、中公新書)は、必要があって読んだが、元米大統領ロナルド・レーガン(1911~2004)の生涯を描いて、面白い。

★ラ米との絡みとしては、カーター政権による新パナマ運河条約締結、レーガン政権下でのイラン・コントラ事件、ニカラグア内戦介入、エル・サルバドール内戦介入、英亜マルビーナス戦争での英側支持、グレナダ侵攻が少しずつ出ている。

☆ほぼ世界中の情勢に関与している米国であり、相手国の立場をいちいち取り上げ分析するための紙面がないことは、よくわかる。だが、とくにニカラグア内戦画策・介入は、ラ米側から見たら80年代の最悪の出来事であり、読者とすれば、攻め込まれたニカラグアの立場を慮る記述が欲しかった。同内戦は、もっぱらイラン・コントラ事件の視点から書かれている。

★このレーガンが「最も偉大な米国人」に選ばれたというのだが、米国人とは何と能天気なのだろう、と思わざるを得ない。

☆後継のブッシュ父親大統領は1989年12月パナマを軍事侵攻し、NGOの推計で最大8000人の貧しいパナマ人が殺された。この侵略で、カーターがオマール・トリホス将軍と結んだ新運河条約は完全に骨抜きになった。トリホスは、レーガン政権初年度の81年に「謎の死」を遂げた。CIAが関与した暗殺事件と見る向きが多い。この点には、ぜひとも触れてほしかった。

★「北の視座」と「南の視座」のどちらをとるかで、書物の内容は大きく異なってしまう。一人の著者が両方の視座を踏まえるには、大変な努力が必要だろう。

☆南絡みの問題は、南の知識人が「南の視座」で書くのが望ましい。だが、南の知識人は誰も、レーガンを取り上げる価値のある人物とは思わないだろう。

 

2012年9月24日月曜日

尖閣問題でスペイン語メディアが論評


★日中間の尖閣問題で、幾つかのスペイン語メディアは次のように報じている。

☆スペインのABC紙は9月24日、「中国と日本―勝者なき紛争」と題して、以下のように論評した。「従来、両国は経済的利益を重視し、緊張を一定程度に抑え込んでいた。だが今回は日本が尖閣諸島を国有化したことで、様相が異なるようだ」、「だが中国は日本の資本と技術を必要とし、日本は中国という巨大市場を必要としている。だから事態が悪化すれば、双方が敗者となる」。

★同紙はまた、「両国貿易は過去10年間に3倍に増え、去年は往復3450億ドルだった。日本は中国にとって米国に次ぐ貿易相手国(9%)だが、中国は日本の最大の相手国(21%)だ」と前置きして、「事態が悪化すれば、日本が受ける打撃の方が大きい」との中国の論評を紹介した。

☆スペイン・アラゴン州のエル・ペリオディコ紙は24日、「侍の忍耐に竜が威力行使」と題して、紛争に至る歴史的経緯を報じた。

★スペインのエル・パイース紙は23日、「1968年の尖閣海底油田発見の直後から中台が領有権を主張し始めた」と指摘しながらも、「経済的繁栄を享受し続けたい両国の、巨大な相互依存性と補完性の大切さが、双方に相互理解を義務付けている」と強調した。

☆コスタ・リカのラ・ナシオン紙は23日、「今回の国防長官の日中歴訪に見られるように、米政府の両国への配慮が問題の複雑さを示している」として、「米国は同盟国防衛を義務づけられながらも、中国の怒りを買わないように努めている」と指摘した。

★コロンビアの週刊誌セマーナは23日、「今回の尖閣紛争は、中国の膨張主義だけが原因ではない。中国最高指導部が交代する微妙な時期に、日本を(悪役として)使い、国論統一を図った」と分析した。さらに、「日本も2大政党の党首選挙期にあるが、日本人は尖閣問題よりも、景気後退や原発全廃問題の方に関心が強いようだ」と論評した。

☆一方、中国電子情報CRIが24日伝えたところでは、ドイツラジオ放送は、「日本が第2次世界大戦で侵略者として犯した過ちを真摯に反省しないかぎり、尖閣問題は解決しない」と論評した。

★同放送は、「日本は戦後、ドイツと違って、適切な方法で歴史を認めたことがない。それが尖閣・竹島問題に反映されている」、「日本政府には、領土問題に関する政策を定める実利的発想が欠けている」とも分析した。 

2012年9月23日日曜日

エクアドールがアサンジ問題で提案


★在英エクアドール大使館に亡命しているウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジ氏の身柄をどうするか、という問題は、英政府が亡命を認めず、身柄のスェーデン移送を主張して膠着状態にあるが、エクアドールは事態打開のため一つの提案をした。

★スウェーデン政府は、アサンジが「女性2人に性的暴行をした」とされる事件で同氏の身柄引き渡しを英政府に要求している。だがエクアドールは、アサンジの身柄が次いで第3国(米国)に送られる危険性が濃厚だとして、スウェーデンへの引き渡しに反対してきた。ウィキリークスによって膨大な量の外交機密をすっぱ抜かれた米政府は、厳しく追及する構えを見せている。

★リカルド・パティーニョ外相は9月21日、英政府がアサンジの身柄を逮捕せず、エクアドールの在スウェーデン大使館に身柄を安全に移動させることに同意すれば、事態の打開は可能だとの立場だ。身柄を米国に送られずに、在スウェーデン大使館で現地検察の事情聴取に応じることができるようになる、というのが理由だ。

★同外相は27日、この提案を柱に国連本部でウィリアム・ヘイグ英外相と会談することも明らかにした。

★英政府が、エクアドールが提示する条件の下で身柄をスウェーデンに移送することに同意しない場合、スウェーデン検察が在英大使館で事情聴取する選択肢も残されている、ともパティーニョは語っている。

★外相はまた、「女性暴行事件」で決め手となるDNA鑑定について、「驚くに値する新事実があるかもしれない」と示唆した。

2012年9月22日土曜日

クエルナバカの「シケイロス工房工場」が復活


☆★☆★☆メキシコ壁画運動3巨匠のひとり、故ダビー・アルファロ=シケイロス(1896~1974)が60年代半ばから死ぬまで使用していたクエルナバカ市郊外の広大な「シケイロス造形芸術工房工場」が、長らく閉鎖されていた後、新装なって、9月20日扉が再び開かれた。

★メキシコ市内の「シケイロス文化殿堂」の全壁面を飾る巨大壁画「人類の行進」は、70年代初めに、この工房で完成した。私は1967年6月工房を訪ね、一日がかりでシケイロスにインタビューした。その模様は、『メヒコの芸術家たち』(1997年、現代企画室)に詳述してある。「壁画、それは一度に万人に語りかける芸術だ。建物の中にあって何かを訴え、あるいは外壁にあって風雨と闘う」という言葉が今も鮮明に耳に残る。画伯夫妻とは画伯の死の日まで、記者としての職業上の交際が続いた。

☆工房は、シケイロスの後援者だった実業家の故マヌエル・スアレスが建設し、シケイロスの死後、故アンヘリカ・アレナル夫人によって国家に寄贈され、芸術庁(INBA=インバ)の管轄下に置かれていた。だが1982年に登場したミゲル・デラマドリー大統領は新自由主義路線を採り、工房維持費を打ち切った。

★私はシケイロス夫妻の死後、シケイロスの娘で舞踊家の故アドゥリアーナ・シケイロスにインタビューした折、工房や文化殿堂が荒れ放題になっている、と嘆くのを聞いた。

☆会場式には、画伯の孫で写真家のダビー=コンスタンティーノ(アドゥリアーナの息子)、フェリーペ・カルデロン大統領らが出席した。

★工房には、壁画制作をはじめとする造形芸術や壁画運動の資料を集めた資料館もつくられる。来年からは、造形芸術家らのための工房、宿舎としても使われるという。

2012年9月21日金曜日

故エバ・ペロン夫人の記念紙幣発行される


☆★☆アルゼンチン中央銀行は9月20日、故エバ・ペロンの肖像入りの100ペソ札を流通させた。ことし7月26日に死去60周年となったエバを記念して発券された。

☆表面の右側には、イタリア人画家レナト・ガラシが描いたエバの横側、裏面には「労働者の権利を守り、女性参政権を実現させた」とエバの功績を讃える文章が書かれている。

☆エバは、故フアン=ドミンゴ・ペロン大統領の夫人として活躍したが、子宮癌で早世した。

★同時に、今年4月のマルビーナス戦争開戦30周年に因んだ2ペソ硬貨も流通開始となった。「M諸島領有権奪回30周年」という名目で、表面は上部に「1833年」という、英国に領有権を奪取された年、中央にM諸島を旋風が巻き込んでいるような絵柄、下方に「1982~2012年」が、それぞれ刻まれている。裏面には、亜国が主張している「南極領土」とともに、M諸島の地図が描かれている。

☆30年前の対英戦争は仕掛けた亜国が敗れ、「領有権奪回」は、亜国軍によるごく短期間のM諸島占領期間中だけだった。

【月刊誌LATINA9月号の伊高浩昭執筆「ラ米乱反射第79回『数奇な運命を辿ったエバ・ペロンの永久保存遺体 没後60周年、<女神>を劇画で語り継ぐ』」を参照されたい。】

2012年9月20日木曜日

スペイン共産党のサンティアゴ・カリージョ元書記長死去


★★★スペイン共産党(PCE)の元書記長サンティアゴ・カリージョが9月18日、マドリー市内の自宅で午睡中に死去した。97歳だった。

★カリージョは1915年1月18日、アストゥリアス州ヒホンの、労働運動指導者の家に生まれ、15歳で、スペイン労働社会党(PSOE=ペソエ)の機関紙エル・ソシアリスタの記者になった。34年に社会主義青年同盟(JS)幹部になり、モスクワでスターリンに説得され、共産主義青年同盟(JC)との合体の交渉に臨んだ。

★36年7月スペイン内戦が勃発すると、フランスから帰国し、共和国防衛のため戦闘に参加する。内戦末期フランスに出国し、パリを拠点に抵抗戦線を構築する。当時PCE書記長だったドローレス・イバルリ(ラ・パシオナリア)から指令を受けていた。

★60年、PCE書記長に就任する。ソ連軍が68年8月チェコスロヴァキアを侵略するとソ連を非難し、伊共産党書記長エンリコ・ベルリンゲル、仏共産党書記長ジョルジュ・マルシェらとともに、「欧州共産主義=エウロコムニズモ」を構築する。

★PCEは77年に合法化され、カリージョは民主化過程に関与する。その後、総選挙で党勢は下降し82年、書記長の座を明け渡した。その時の対立が尾を引き、85年カリージョ派は党から追放される。一部はPSOEに入党し、一部は86年「統一左翼(IU)」を結成した。

★カリージョは執筆活動に力を注ぎ、多くの著書を発表する。最後の著書は96歳の日に刊行した『困難なスペイン人の和解』だった。

★19日の告別式には、2万5000人が参列した。国王夫妻も、カリージョ宅を弔問した。粘り強い現実主義者で、毀誉褒貶の多い政治家だった。

【1970年代半ば過ぎカリージョは来日し、東京で記者会見を開いた。スペイン内戦への思い入れの強かった私は、最前列に着席し、質疑応答をした。会ったのは、この時だけだ。応答の内容は既に記憶が薄れ、当時の記事を探さなければわからない。】

LATINAに「ニカラグアルポ」掲載


☆★☆月刊誌「LATINA」10月号(本日9月20日発行)掲載の伊高浩昭執筆・連載企画「ラ米乱反射」は通算80回となりました。休載せずに6年8カ月書き続けてきたことに、我ながら驚いています。

★今回は、『「21世紀型社会主義」に変身したニカラグア』、『オルテガ大統領夫妻への<崇拝>拡がる』です。7月に2年ぶりにニカラグアを訪れた時の取材記録です。

★コロンビア人作家ホルヘ・フランコの小説『パライソ・トラベル』の書評も出ています。

☆ブラジル・サンパウロ州にある「弓場農場」の珍しいルポも載っています。これは、気鋭の国際派いわもとのりこさんの執筆です。ご覧ください。

2012年9月19日水曜日

チリ誌「プント・フィナル」が創刊47周年


☆☆☆チリの左翼誌「プント・フィナル」(PF、「終止符」などを意味)が9月15日、創刊47周年を迎えた。故マリオ・ディアス=バリエントス初代編集長の下で1965年のこの日、創刊号が出た。

★73年9月11日の軍事クーデターの日、首謀者の陸軍司令官アウグスト・ピノチェーは、PF誌の関係者全員を逮捕するよう命じた。クーデター直前に発行された第192号は、軍部の横暴を厳しく非難していた。軍部はPF編集部を荒らし、放火した。殺されたり拷問されたり投獄されたりした同誌の編集者や執筆者は少なくない。

☆ディアスは亡命先のメキシコ市で81年、国際版(PFI)を発行した。ディアスは84年に死去したが、PFIは86年まで続いた。民政移管前年の89年、サンティアゴでPFは復刊した。

★67年1月前半号(第19号、初期には月間だった)は、当時ボリビアでゲリラ戦の準備に入っていたチェ・ゲバラの書簡をトップで掲載した。チェはそのなかで、モンカダ兵営襲撃蜂起から革命にかけての経緯を語り、フィデル・カストロの指導力を讃えている。25ヶ月間の革命戦争では「2万人が死んだ」と記している。

☆チェは67年10月処刑された。ボリビアでの野戦日記が残されていた。当時の謎めいたボリビア内相アントニオ・アルゲダスは68年初め、部下を使って日記の写しを密かにサンティアゴに運び、PF誌に渡した。ディアス編集長が、それをキューバに運び、カストロに渡した。日記は内容が厳しく点検され、同年半ばキューバで刊行された。

★PFは今月14日に第766号が出た。フレイ・ベット、エドゥアルド・ガレアーノら、ラ米の知識人が執筆者名簿に名を連ねている。「事実を正確に詳しく伝え、読者に判断してもらう」という、創刊時からの編集方針を守っている。

【私は、アジェンデ政権時代、チリに出張するたびにPFを読み、取材の参考にしていた。】

2012年9月18日火曜日

片桐薫著『ポスト・アメリカニズムとグラムシ』を読む


☆『ポスト・アメリカニズムとグラムシ』(片桐薫著、2002年、リベルタ出版)には幾つかの興味深い指摘がある。国際的な右翼陣営は1970年代から新自由主義という、国家の役割を限定させる一種の変革イデオロギーを編み出したが、これに気づくのが遅れた左翼陣営は、組織解体と方向感覚喪失という歴史的敗北を喫した、という指摘もその一つだ。

☆ラ米では21世紀第1デカダ(10年期)に、新自由主義の廃墟から登場したウーゴ・チャベスら新しい型の左翼が相次いで、国家の復権を正面に据える「21世紀型社会主義」を打ち出し、その潮流がうねりとなった。(もちろん、この潮流は本書の出た02年にはさほど顕著ではなく、本書には、ブラジルの変化の方向性のわずかな指摘を除いて、潮流についての記述はない。)

☆本書は、時代が激変する過程で「古いものが死に、新しいものが生まれていない事実のなかに、まさに危機がある」と喝破したグラムシの有名な言葉を掲げている。チャベスは演説などで、グラムシのこの言葉をしばしば引用して、「その危機のなかで自分は新しい革命体制を構築しつつある」と強調してきた。

☆グラムシの洞察をキューバに当てはめれば、20世紀型社会主義が死につつあるのに死にきれず、市場経済原理導入も難産で生まれきらないという現状は、まさに重大な危機ということになる。

★著者は知識人論のなかで、エドワード・サイードの持論を紹介する。ブッシュ息子政権のような極悪の無法権力体制の存在を前置きし、「最も質(たち)が悪いのは、そのような政策実行者に対して、知識人や芸術家やジャーナリストの側が、たとえ積極的でないにせよ、共犯者になってしまうことだ。彼らは国内では進歩的であり、注目に値する所見を発表していても、こと国外で米国の名の下に行なわれていることが問題になると、体制(米国)支持の側に回る」と、サイードは言うのだ。

★あの米国のイラク侵略戦争開始当時、私はサイードが指摘するような、メディアの編集幹部を何人見たことか! まさに「ワシントン-東京-日本メディア」という従属構造があった。いまも同じだ。情けない。知識人の裏切り以外の何ものでもない。否、似非知識人だから、平気でそうなるのだろう。

☆グラムシが使った「サバルタン(従属者)」についての記述も面白い。グラムシは出自や自ら辿った運命から、自身を「ネオサバルタン(新型従属者)」と見なした。これを後年、ガルブレイスは「アンダークラス」と呼んだ。今日の「怒れる99%」はまさに、これだ。「21世紀型社会主義」の指導者たちは、「新型従属者」を現代の「階級」と捉え、「階級闘争」は変質しながらも存続している、と主張する。

☆グアテマラの旧ゲリラ勢力(現在は野党)は先月(8月)、新しい闘争主体を「先住民、女性、若者」と規定した。自国のネオサバルタンを基盤として新しい闘争形態を構築しようと<過去からの脱皮>を試みつつあるのだ。

★本書は、ラ米の状況に当てはめられる点が多いことから、読みやすかった。

 

2012年9月17日月曜日

アンデス農民が「サミット」開催


☆アンデス5カ国農民組織代表200人が9月11~13日ラパスに集まり、「アンデス農地改革・食糧主権クンブレ(サミット)」を開催した。主催者は「ラ米農村諸組織連絡会議(CLOC=クロック)加盟の「アンデス地方農民の道」。ボリビアのアルバロ・ガルシア副大統領も出席した。

☆会議は、アンデス地方(ベネズエラ、コロンビア、エクアドール、ペルー、ボリビア)各国の農業政策の現状を分析した。新自由主義政策によって貧困、失業、土地収奪、経済難民、農村の軍事化、腐敗などが著しく悪化したことが指摘された。

☆「21世紀型社会主義」を採るベネズエラ、ボリビア、エクアドールの政府政策は評価された。だがコロンビアは、耕作地の62%が地主の0・4%に集中していること、内戦状態のどさくさに紛れて1000万hrの土地が奪われ、農民500万人が避難民になったこと、などが槍玉にあげられた。ペルーについては、カハマルカでのコンガ計画に見られるように、大型鉱山開発が先住民や農民の土地と環境を破壊している深刻な問題が討議された。

☆会議は、女性・若者の人材育成、女性への暴力根絶、農民の権利防衛、環境保護、水利防衛、生物多様性(生態系)防衛、天然種子の復活、農産業・農薬・遺伝子組み換え種子・大土地所有制度・土地投機収奪・多国籍鉱山開発との闘争強化、などを決議した。また、農民指導者暗殺、農民運動弾圧を糾弾した。

☆ALBA(米州ボリバリアーナ同盟)、CELAC(ラ米・カリブ諸国共同体)、ウナスール(南米諸国連合)を支持し、パラグアイ政変を非難した。コロンビア政府とFARCとの和平交渉開始を支持した。

☆組織強化、闘争などに関する14項目の「主要戦略」を採択した。

 

2012年9月14日金曜日

キューバ機関員5人の逮捕から14年経過


★★★米フロリダ州からキューバにテロ活動をしかけていた亡命キューバ人組織に潜入して情報を探っていたキューバ情報機関員5人が逮捕されてから、9月12日で14年が過ぎた。彼らはキューバでは「5人の英雄」と讃えられ、米国では「マイアミ・ファイヴ(マイアミの5人組)」と呼ばれている。 

★在京キューバ大使館は14日、この問題で記者会見を開き、終身刑を含む長期刑を科すなど米司法当局の「不当な扱い」を批判するとともに、5人の一人、アントニオ・ゲレロ受刑囚からの「14年の不当な投獄」と題した書簡を公開した。 

★1998年9月の5人逮捕の経緯については、『フィデル・カストロ-みずから語る革命家人生(下)』(伊高浩昭訳、2011年、岩波書店)巻末の「解説」に詳述した。参照されたい。
 
▼▼▼一方キューバでは10日、著名な反体制派活動家マルタ=ベアトゥリス・ロケ(67、経済学者)ら13人が、刑期を終えた仲間の即時釈放などを要求して断食ストに入った。  

石川好著『60年代って何?』を読む


☆1960年代の調べごとがあって、『60年代って何?』(石川好著、2006年、岩波書店)を読んだ。著者が特筆する1968年に、メキシコで体制変革を求めた学生運動を取材し、ヘンリー・ミラーを愛読し、ベトナム反戦とチェ・ゲバラの大人気の波に煽られていた私には、懐かしい場面がずいぶんあった。 

☆周辺ではマリファナが愛され、性が奔放に開花し、プロテストソングが盛んに流れていた。私は60年代の東京とメキシコで青年時代を送った、紛う方無い60年代世代である。 

☆考えてみると、あのまま成長しないで40余年経ってしまったような気がする。この本の中心テーマは著者が得意とする米国政治・社会の潮流だが、米国人もさして成長していないように見受けられる。 

☆「リベラル論」が当然出てくる。私はかつて恩師から、「リベラルとは、たとえば反共主義に反対することだ」と教わった。米国の右翼・保守頑迷派は、この言葉のもつ本来的な意味を歪曲し矮小化してしまっている。ここに米国政治の限界がある、と私は見る。否、そこに米国政治の恐ろしさがある、と言うべきか。 

☆日本では、自民党が政権奪回に向かって色めいている。党首候補が顔を並べているが、旧時代のように視野が偏狭な国会議員が数人含まれている。「自由と民主」という結構な名称を所属党に付けているが、彼らにとって「リベラル」とは、米共和党右翼のそれとどう違うのか。日本政治も進歩が止まっている。 

☆メキシコでは、金権選挙の結果、ことし12月、旧秩序政党PRIが12年ぶりに政権に復帰する。自民党政権が復活すれば、日本もメキシコのように過去に向かって進むことになる。すなわち、政治の<後進>である。 

 

カタルーニャが独立を志向

☆★☆スペイン(西国)の最富裕州カタルーニャのアルトゥル・マス首相は9月13日、マドリーでの国際会合で、「西国を変革すべく努力してきたが失敗した。いまや我々は国家の地位を得る必要がある」と述べ、州民投票を実施する可能性に触れた。

☆カタルーニャは、西国GDPの18・5%をまかなっている。長年、国家経済に大きく貢献してきたわけだが、西国が経済危機に見舞われ負担が際立ってきたため、反動として独立志向が表面に強く出てきた。

☆2日前の11日には、州都バルセローナで州民150万人(州警察発表、西国警察推定で60万人)が、独立を求めてデモ行進した。

☆同州では、カスティージャ語(西語)と異なるカタラン(カタルーニャ語)も公用語。州民の間では、フランコ長期独裁が終わり民主化過程に入ったころから独立意思が表明されてきた。

☆マス首相は、「北欧州が南欧州に疲れたように、北スペインも南スペインに疲れている」と指摘した。

2012年9月12日水曜日

ベネズエラが米州人権条約脱退を通告

★☆★ベネズエラ政府は9月10日、米州諸国機構(OEA=オエア、本部ワシントン)事務総長に対し、米州人権条約からの脱退を通告した。これにより、ベネズエラは、米州人権委員会(CIDH=シダーチェ、ワシントン)、および米州人権裁判所(CorteIDH、サンホセ)から脱退することになる。

★条約規定により、通告から1年後に脱退は成立する。ベネズエラは同条約に1969年加盟し、77年に批准していた。

★ワシントンを本拠とするOEAとCIDHは、米政府の強い影響下にある。また親米派のコスタ・リカの首都にあるCorteIDHも、米国の影響力と無縁ではない。

★米国と冷戦状態にあるウーゴ・チャベス大統領は、「米政府の差し金によるCIDHの内政干渉」をしばしば非難してきた。

★チャベスは11日、脱退通告について、「十分な根拠がある。CIDHは、司法の追及を逃れたベネズエラのテロリストを支援してきただけだ」と糾弾した。これは反カストロ派キューバ人で、ベネズエラ国籍を取得したルイス・ポサーダ=カリレスを指す。

★ポサーダは、1976年のキューバ航空旅客機空中爆破事件の主犯だが、責任を問われないまま、米当局の保護観察下で、マイアミで暮らしている。

チリ法廷が「アジェンデは自殺」と断定

★★★1970年に自由選挙で誕生したサルバドール・アジェンデ大統領の人民連合社会主義政権が、軍事クーデターで倒された39周年記念日に当たる9月11日、サンティアゴ高裁は、同大統領の死は自殺だった、と断定した。

★アジェンデは、クーデターが発生した73年9月11日、空爆され炎上していた政庁内で、キューバのフィデル・カストロ首相(当時)から贈られ所持していたAK47突撃銃で自殺した。

★遺族の申し立てで去年5月、首都の一般墓地のアジェンデ家の廟から遺体が取り出され、解剖された。サンティアゴ地裁は12月末に「自殺」と判断した。これに対し、今年1月、異議が申し立てられた。これを受けて高裁は、さらなる調査をしていた。

★今回が最終判断となり、この問題で審理が繰り返されることはない、という。

★この日、クーデター後に逮捕されたり失踪した人々の家族(遺族)の会は、一般墓地内の記念碑の前で追悼行事を催した。

★クーデター後、ピノチェー軍政によって3225人が殺された。数万人が拷問され、多くの市民が国外亡命を余儀なくされた。

★これまでに軍政時代の要員76人が人道犯罪裁判で有罪になり、うち67人が収監された。依然350件の裁判が続いている。

2012年9月11日火曜日

Aカミュ原作の映画「最初の人間」を観る


☆☆☆☆☆アルベール・カミュ(1913~60)原作、仏伊アルジェリア3国合作の映画「最初の人間」(105分)を試写会で観た。見応えある作品だ。12月15日から東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。

☆アルジェリアでフランス人移住者の家庭に生まれたカミュの自伝的小説で、カミュが交通事故で死去した際、執筆中のこの原作の原稿が鞄の中に残されていたという。未完の作品は、1994年に刊行されるまで眠っていた。結果として、自伝にして<遺書>となった。

☆題名の「最初の人間」は、移住者としてアルジェリアに住みついていた父親までのフランス人系世代を指すようだ。アルジェリアではアラブ人、ベルベル人ら先住民族こそが言わば<最初の人間>であり、この点の思考がカミュには薄かったように見受けられる。

☆だから、アルジェリア人の多くが希求した「独立」を支持するまでに至らなかった。そして、その1962年の独立を見ずに死んでいった。

☆アルジェリア人とフランス人の融合・共存を願ったカミュだった。その<中立的理想>は激しい独立戦争によって崩れ去る運命にあった。生前すでに壁にぶち当たっていたカミュの思想的苦しみが、全編を貫いている。

☆評者は、この作品が「実存主義や不条理観など、カミュに結び付けられる概念を改めるよう促す」と指摘する。イタリア人のジャンニ・アメリオ監督は、「映画化に際し、私がカミュと同じ立場をとることが重要だった。今なお、自身に深く刻まれた戦争の記憶を抱えている人々の懊悩が正確に表現される映画を作りたかった」と述懐する。

☆この映画は、来年のカミュ生誕100周年を記念して製作された。だが1年以上経った今も、フランスでは公開されていないという。アメリオ監督が示唆するように、多くのフランス人の心の中で過去の整理がついていないためだろうか。

2012年9月10日月曜日

AMLOがPRD離党し新党結成へ

★☆★7月1日のメキシコ大統領選挙で得票2位に終わったアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)元メキシコ市長は9月9日、同市中心部の憲法広場(ソカロ)で10万人集会を開き、23年間所属していた民主革命党(PRD)を離党することを明らかにした。

☆当面は、自身が率いる「国家改新運動(MORENA=モレーナ)」を通じて活動する。12日から全国各地で会合を開き,MORENAの政党化について話し合う。11月20日のメキシコ革命記念日までに結論を出すことにしている。

☆AMLOは「PRDと決裂したわけではない」と述べた。PRDも「AMLO同志に挨拶を送る」と表明した。

☆一方、政治評論家らは、「AMLOの分派行動であり、PRDおよび左翼陣営はさらに分裂し弱体化する」と指摘し、穏健左翼の指導者マルセロ・エブラルド現メキシコ市長(PRD)がどう動くかに注目したい、としている。
 
☆AMLOは2006年の大統領選挙でも、事実上勝利しながら、開票の不正工作で勝利を奪われた。PRD候補として連続2回、政権到達が叶わなかったわけであり、離党に踏み切った。

 

2012年9月9日日曜日

アンジェイ・ワイダの「大理石の男」を観る


☆☆☆ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の1977年の作品「大理石の男」をビデオで観た。日本では岩波ホールで1980年に公開されたのが初めてだが、私はこれまで観る機会がなかった。3時間に届きそうな長編だが、それだけの長さが不可欠な、歴史的に重い筋である。

☆この映画には、スターリン主義、生産性向上運動としての労働英雄制度、共産党の監視・陰謀、スペイン内戦、東西冷戦時代の東西競争、名誉回復、甘い生活、人間と<非人間>などが盛り込まれ、ちりばめられている。

☆主人公の建設現場の労働者マテウシュ・ビルクートと、その人生の実相を追究する若い女性アグネェシカ(新人クリスティナ・ヤンダ)を柱に、物語は時空を超えて展開する。先日、試写会でワイダ監督の「菖蒲」(岩波ホールで10月20日公開)を観たが、その主人公は59歳の熟女であり大スターになっているヤンダである。

☆たまたま両作品を同時期に観たことにより、ポーランド現代史、ワイダ監督の半生、ヤンダの女優人生の3つを垣間見ることになった。

☆過去の名画をビデオで観るのは仕方ないが、<名画座>で再々上映してほしいものだ。この映画は、制作の数年後に起きたグダンスク造船所労働者の「連帯」の動きを予言していたように見受けられる。言うまでもないが、優れた芸術=古典である所以だ。