★☆★バスコ人詩人で作家のキルメン・ウリーベ(1970年生まれ)の小説『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(2008年)が今年10月、白水社から金子奈美訳で翻訳出版された。これを機に著者ウリーベが来日した。
★東京・麹町のセルバンテスセントロで11月7日夕、ウリーベの対話形式の講演があった。書評を書く参考にする意味もあって出かけたが、とても興味深い話だった。
▽バスコ語は過去50年間、とりわけフランコ独裁体制が終わり民主化されてから言語として息を吹き返し、表現手段として発展した。
▽私は詩人だから表現を繰り返す。物語は時系列的進行と、(フラッシュバックなど)繰り返しとで進展する。
▽記憶が重要だ。国、家族、個人の認同(イデンティダー=アイデンティティー)がどう変わっていくか。変わりつつ発展する。ここに過去の再現としてのフィクションが生まれる。
▽小説は事実を語るのではなく、ただ語るのだ。フィクションは、多くの現実を繋ぐ。
▽過去40年にバスコ語とバスコ文化は大きく発展した。言葉を選ばずに自然に書けるようになった。強化された言葉で書ける。
▽バスコ地方には、バスコ語出版社は十幾つあるが、小さなものばかり。作家も誰も金持にはなれない。だが読者がいる。通常の初版は1点700部程度だ。多くても1000~2000部だ。
▽翻訳は、商売としてではなく、文学への愛から為される。
▽小説家には詩人の魂が必要だ。心の中に詩が要る。語りすぎるな、しゃべりすぎるな、ということだ。
▽私の世代はアングロサクソン文化と交流できる。バスコは小さな文化だ。限られている。外に開いていくしかない。
★この小説の初めの方に、バスコ人画家アウレリオ・アルテタの壁画「巡礼祭」(1917年ごろの作品)の写真が挿入されている。アルテタは内戦中、共和国側から、ゲルニーカを空爆したフランコファシズムとナチスドイツの横暴を告発する壁画制作を依頼された。だが仕事を蹴ってメキシコに去ってしまった。このため、この仕事はパリにいたピカーソに回された。ウリーベは、これについて、「芸術と人生のどちらを選ぶか、という問題がある。アルテタは人生を選び、ピカーソは芸術を選んだ」と指摘した。
[会場の聴衆席に光がほとんどなく、メモが十分に取れなかった。取ったメモも読めない部分が少なくなく、再現できないのが残念だ。]