2012年4月29日日曜日

パネッタ米国防長官の南米歴訪終わる

▼▽▼レオン・パネッタ米国防長官は4月23~27日、コロンビア、ブラジル、チリの南米3国を歴訪した。米国のラ米とりわけ南米に対する影響力が衰退しつつある状況の下で、米国の最強部門である軍事を通じて影響力の回復を図るとともに、中国の進出を見据えながらアジア太平洋地域での安全保障への南米側の協力を得るのが、歴訪の目的だった。また兵器販売も図った。

▽米国は2001年以降、コロンビアゲリラ殲滅が主要な狙いの「コロンビア計画」に計80億ドルを援助し、国軍がコロンビア革命軍(FARC=ファルク)などゲリラ組織に攻勢をかけるのを支援してきた。パネッタ長官はボゴタで、その成果を讃えた。

▼コロンビアには、米軍が共同使用できる軍事基地が複数ある。コロンビア軍と、フロリダ州に本拠を置く米南方軍が組んで、中米の安全保障に関与するという戦略があり、中米では、ホンジュラスにある米空軍基地が中心拠点になる。

▽長官は米軍が使用できるトレマイダ基地を訪れ、コロンビアがヘリコプター「ブラックホーク」10機など航空機15機を買うことになった、と明らかにした。同基地には最近、イスラエル国防相が訪れており、同国防相はその後、南米歴訪直前のパネッタとワシントンで会談している。以前からある米・イスラエル・コロンビアの軍事協力関係の緊密化をうかがわせる。

▼パネッタはブラジリアでは、セルソ・アモリン国防相と会談した後、リオデジャネイロの上級軍事学校で25日講演し、中国の南米進出と存在強化に鑑み、アジア太平洋地域での米国と南米諸国の軍事協力関係が重要だ、と語った。長官はまた、ブラジルが米国製最新鋭戦闘機を買えば、その技術を移転するのにやぶさかではないと述べた。

▽最後の訪問国チリでは26日、アンデレス・アジャマン国防相と会談し、セバスティアン・ピニェーラ大統領を表敬した。国防相会談後の記者会見で、アジャマンは会談内容を踏まえて、「米国がラ米の安全保障を支える時代は終わった。ラ米の内外問題に軍事介入する時代も終わった」と前置きし、「今は<協力>という言葉が正しい。ラ米は平和地域として、全球的脅威に対応するための共同戦略を練りつつある」と述べた。アジャマンはまた、太平洋同盟(メキシコ、コロンビア、ペルー、チリ)の経済を柱とする関係が強化されつつあることを強調した。

▼国防相と長官は、サンティアゴの外港バルパライソ市内のコンコン地区にあるアグアヨ基地を「米軍が訓練を理由に軍事進出拠点にしようとしている」との見方を否定した。

▽同基地内では、チリ軍および警察が訓練を受けてきた。二人は、「訓練は国連管理下にあり、米軍が指揮しているのではない」と否定した。チリでは、1973年のピノチェークーデターの背後に米政府がおり、米軍がピノチェー軍政と密接な関係にあったことから、米軍の動向には極めて敏感だ。

▼長官は帰国に先立ち、チリ北部イキーケでのチリ3軍合同演習をアジャマンとともに視察した。長官に同行した米国防省筋は、米軍を主体とするNATO軍のアフガニスタンからの完全撤退に備え、ラ米諸国に治安確保上の協力を要請することにいずれなる、と語ったという。

▽一方、ベネズエラのヘンリー・ランヘル国防相は27日カラカスで、パネッタは南米に武器を売るため、そして脅威を与えるためにやってきた、と非難した。さらに、「我々は<大なる祖国>の強化過程にあり、外部からの脅威に対抗するための盾として、協力強化を図りつつある」と述べた。この日、ベネズエラとニカラグアは軍事協力合意書に調印した。

▼モンテビデオで10月、米州国防相会議が開かれる。米国とベネズエラの広域軍事戦略をめぐる対立が火花を散らし始めた。

2012年4月28日土曜日

トゥリコンティネンタル誌ゲバラ文章掲載45周年

☆★☆ハバナに本部のある「アフリカ・アジア・ラ米人民連帯機構」(OSPAAAL=オスパール)の機関誌「トゥリコンティネンタル(3大陸)」が、チェ・ゲバラの歴史的文章を1967年4月16日掲載してから45年が過ぎた。

★これは特別号で、ボリビアでゲリラ戦を展開していたチェ・ゲバラの、「二つ、三つ、たくさんのヴィエトゥナムをつくろう」というあの有名なメッセージを伝えた。アフリカ大陸の中心コンゴで戦ってから南米の中心ボリビアに行ったゲバラは、アジアで米軍相手に果敢に戦っていたヴィエトゥナム人民に連帯しながら戦っていた。<同時代・同時期の米帝相手の戦争>だった。

☆45周年記念日の式典は、ハバナ市内にあるALBA(アルバ=米州ボリバリアーナ同盟)館で、ゲバラの夫人だったアレイダ・マルチ、米国で囚われている「5人の英雄」の家族、3大陸関係諸国大使らが出席して挙行された。

2012年4月26日木曜日

資産の記述なかったピノチェー遺言状

▼▽▼チリの軍事独裁政権を率いた故アウグスト・ピノチェー将軍は、巨額の公金を横領し、不正蓄財した。これを生前から調べてきた司法当局は4月25日、裁判所内で将軍の遺言状を強制調査した。遺言状は2002年に作成され、05年に書き直された。調べられたのは05年のものだった。

▽ところが、その主要な記述は遺言執行人の変更だけだった!

▼ピノチェーは最大2600万ドルの不正蓄財をしたとされ、うち2000万ドルは外国銀行に預金されたとみられてきた。これらの預金の出所は<不明>である。

▽当局はこれまでに不動産と一部預金を計260万ドル相当差し押さえただけだ。

▼巨額の遺産は5人の子供と夫人が相続したと見られているが、05年の遺言状には資産や想像に関する記述が一切なかったというのだ。捜査の進展を期待していた当局や、意気込んでいた報道機関は肩透かしを食らった。

▽1973年9月11日のピノチェークーデターの数日後、首都サンティアゴの外港バルパライソのチリ海軍本拠港に停泊していた練習帆船エスメラルダ号は、臨時の政治囚収容所とされた。多くの市民が拷問され殺害された。チリ系英国人のミゲル・ウッドワード神父もその一人だった。

▼エスメラルダ号は4月22日、来年1月までの世界一周航海に出発した。その出航式の日、
ウッドワード神父を支援していた人々は抗議集会を開いた。神父は、バルパライソの貧民街で活動していたことから逮捕され、殺害されたのだった。

2012年4月21日土曜日

ラ米乱反射は「マルビーナス開戦30周年」

☆★☆月刊誌「LATINA」5月号(4月20日刊)の連載「ラ米乱反射」(伊高浩昭執筆)第75回は、マルビーナス開戦30周年(4月2日)を迎えたアルゼンチンの状況をまとめた「軍政の過去切り離し、対英外交攻勢で成果」。

★開戦時の亜国軍部の内情や戦略の不備を明らかにした「ラテンバッフ報告」や、秘亜両国の軍政が取引したペルー人13人の拉致連行事件、および同事件と絡むサッカーW杯78年大会の八百長事件が含まれている。

☆ところでLATINAは5月、創刊60周年と通算700号という歴史的節目に到達する。

★5月号には記念特集の一環として、ラ米と西葡両国の「最も重要なアーティスト60人」が掲載されている。ダリエンソ、カナル、ピアソーラ、ガルデル、ユパンキ、ソサ、パラ、ハラ、パンチョス、ペレス=プラード、イグレシアス(西)、ロドリゲス(葡)、ジョビン、メンデス、ポルトゥオンドら、大スターたちが登場する。ファンにはたまらない豪華さだ。

2012年4月18日水曜日

アエラ誌がキューバの医療状況ルポ

☆★☆週刊誌アエラの4月23日号が、「医療大国担うキューバの女医」と題したルポルタージュを掲載している。筆者は、斉藤真紀子記者。今年1月16日号の「キューバ人はなぜ幸せか」に次ぐ、同記者のルポ第2弾だ。

★キューバが医療大国なのは有名な事実だが、女医たちの活動や生活に焦点を当てたのがいい。とても面白い好ルポである。書き手としての批判眼を光らせながらも、人間としての共感を常に持つ取材姿勢が行間から窺える。

☆医療、キューバ、女性専門職などに関心を持つ人々には、ぜひ読んでもらいたい記事だ。

2012年4月17日火曜日

アルゼンチンが<石油主権>回復

☆★☆アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナデス=デ・キルチネル(CFK)大統領は4月16日、スペインのレプソール社が所有する元亜国営石油会社「YPF(イペエフェ=国庫油床)」の株51%強を取得するための「油床主権回復法」案を同日、国会に提出すると発表した。

★亜国では、パタゴニアのコモドロ・リバダビアで1907年に原油採掘が始まり、22年にYPFが設立された。だが70年後の92年、当時の新自由主義右翼カルロス・メネム大統領が民営化に着手し、99年それが完成した。最大株主のレプソールは57%を保有している。

☆CFKは、「YPF経営陣は石油価格の高騰や値上げで利益を挙げるだけで投資・増産を怠り、亜国は去年17年ぶりに石油・天然ガスの大幅輸入に追い込まれ、30億ドルも輸入しなければならなかった」と前置きし、「このままでは亜国は信頼されない国に堕してしまう」と述べた。

★同大統領は直ちに法案を国会に送るとともに、フリオ・デビード企画相とアシェル・キシロフ経済計画次官をYPF介入担当責任者に任命した。

☆レプソールは、51%の買収価格を80億ドル以上と計算しているが、亜国では60億ドル程度との見積もりがなされている。

★亜国が買収する51%のうち26ポイントは国、25%ポイントは産油10州がそれぞれ握ることになる。

☆スペインのマリアーノ・ラホーイ首相は緊急協議に入った。同国では、亜国の国営化政策を激しく非難する声が高まっている。ラホーイは17日メキシコを訪問し、太平洋岸のプエルト・バジャルタでの「世界経済フォーラム」会議に参加するが、フェリーペ・カルデロン大統領と亜国政策への対応を協議する。

★メキシコ石油公社(PEMEX=ペメックス)はレプソール株の10%を保有している。カルデロンは、亜国の決定について「極めて残念だ。考え直してほしい」と述べ、CFKの決断を暗に批判した。

☆亜国内では労連、市民・人権団体、左翼勢力などがCFKの決定に賛成している。

米州首脳会議終わる

▼▽▼コロンビアのカルタヘーナで4月14日開会した第6回米州首脳会議は、15日閉会した。キューバ参加問題で全会一致の合意が成らなかったことなどから、最終宣言は策定されなかった。

▽会議は、貧困対策、治安・組織犯罪、情報技術獲得、社会基礎構造統合、天災対策の5つの議題を基に開かれた。だが中心を占めたのは、2015年にパナマで開催予定の次回首脳会議にキューバを招くか否かという問題だった。

▼会議は、6月リオデジャネイロ開催予定の「リオ+20首脳会議」支援、麻薬マフィアなどの組織犯罪対策の練り直し、10月コロンビア開催予定の「第6回米州競争力フォーラム」支援、に関する共同声明を採択した。

▽アルゼンチンのCFK大統領は15日、閉会式を待たずに帰国の途に就いた。マルビーナス諸島領有権を主張する同国の立場への公式な支持表明が会議でなされなかったことから、不快感を示すためと見られている。ボリビアのエボ・モラレス大統領も閉会式前にコロンビアを離れたが、これはキューバとアルゼンチンに連帯するため、とされている。

▼今会議で目立ったのは、米国の影響力の衰退が進み、止まらなくなっていることだ。米政府の対キューバ冷戦継続、中国のラ米への進出拡大、BRICSを組むブラジルの存在拡大、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)発足などが原因だ。

▽今会議では、キューバやマルビーナス問題の討議で、米加北米両国とCELAC諸国の意見が割れた。バラク・オバマ米大統領は批判の矢面に立たされたもようだが、それを予測して会議の討論は一切非公開とされた。11月の選挙で再選を狙うオバマの立場を慮(おもんぱか)ってのことだ。

▼CELACができたいま、このような状態が続くなら次回会議は意味がない、との意見が、ラ米諸国から出ている。

2012年4月15日日曜日

第6回米州首脳会議始まる

▼▽▼米州諸国機構(OEA=オエア)加盟の34カ国が参加資格を持つ米州首脳会議の第6回会議が4月14日、コロンビア・カリブ海岸のカルタヘーナで始まった。会議は15日までの2日間。

▽今会議の<陰の主役>は、1962年1月米国にOEAを追放され復帰していない社会主義キューバだ。キューバを含むラ米左翼陣営の政策協議・経済協力機関「米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)」は先に、第6回会議主催国コロンビアがキューバを招待しない場合は欠席するという案を話し合った。

▼これを提起したエクアド-ルのラファエル・コレア大統領は逸早く欠席を表明し、欠席した。ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領も欠席し、14日は首都マナグアの革命広場でキューバへの連帯集会を開いた。オルテガは自ら会議に出ないことによって、キューバに連帯したわけだ。

▽最大の不在は、癌再手術部位の放射線治療を優先させ、14日ハバナ入りしたベネズエラのウーゴ・チャベス大統領だ。生命に関わる治療に専念するのは当然だが、首脳会議に招かれなかったキューバに会議期間中滞在することで、不在を一層印象づけることになった。

▼ハイチのミシェル・マルテリ大統領も、「右肩手術後の経過観察のため」として欠席した。同大統領には<汚職疑惑>の噂が浮上しているが、同大統領打倒の陰謀が暴露されるという重大局面もあり、そのための欠席と見る向きが多い。

▽結局、出席した首脳は30人にとどまった。そのうちペルーのオヤンタ・ウマーラ大統領は、内政問題への対応を理由に14日、帰国の途に就いた。

▼開会式は、歌手シャキーラがコロンビア国家を独唱して始まった。会議議長のフアン=マヌエル・サントス同国大統領は開会演説で、「古いイデオロギー論争はやめよう。次回首脳会議からはキューバの不在は受け入れがたい」と、キューバ招待に反対した米国を特に牽制した。

▽だがサントスは同時に、「キューバの内政改革に無関心ではいられない。イデオロギー上の頑迷さが招いた麻痺状態を克服すべき時だ。キューバ人のために改革が良好な結果をもたらすため、合意を形成すべきだ」と述べた。これはキューバ指導部に本格的な改革を求めるとともに、キューバへの経済封鎖を半世紀以上もとり続けている米政府への政策転換を求めたものだ。

▼首脳会議開会に先立つ13日、カルタヘーナでは米州外相会議が開かれた。集結したALBA諸国外相は、「キューバが参加しない米州首脳会議には今後一切参加しない」との決意を表明した。

▽これは、外相会議で米加両国外相が、次回の第7回首脳会議(パナマ開催)からキューバを招くとのラ米側提案を葬ったことへの対抗措置だった。このため、15日に首脳会議の最終宣言が発表されるかどうかが危ぶまれている。会議は全会一致制であり、米加はキューバ招待案を潰すことができたわけだ。

▼会議に出席しているバラク・オバマ米大統領は、コロンビア紙エル・エスペクタドールに、「キューバの参加を阻んでいるのは、米国ではない。国際原則に反しているキューバ自身だ」と語っている。

▽会議の場外では醜聞事件が起きた。米大統領警護班(SS)要員11人と、これを支援する米南方軍派遣要員5人が、カルタヘーナで売春婦と過ごしたということで、尋問を受けるため帰国させられたのだ。

2012年4月14日土曜日

アルジェリア元大統領ベンベラ死去

☆★☆アルジェリアのアハメド・ベンベラ元大統領(93)が4月11日、病気によりアルジェの自宅で死去した。

★ベンベラは、民族解放戦線(FLN)を率いて宗主国フランスと激しい武闘を展開し、独立を勝ち取った。独立した1962年に首相になり、63年には大統領に就任した。だが65年に軍事クーデターで倒された。

☆ベンベラは、59年元日革命に成功したキューバと親密な関係を築いていた。当時のフィデル・カストロ首相は、アジアではヴィエトゥナム、アフリカではアルジェリアと、帝国主義軍を撃破・撃退した両国を高く評価し、関係強化を図った。

★カストロは、腹心のチェ・ゲバラをベンベラの元に派遣し、アフリカと南米での同時的解放闘争の展開について協力を仰いだ。その結果、ゲバラのコンゴ(旧ザイール、現コンゴ民主共和国)でのゲリラ戦参加が決まった。その遂行中にベンベラは追放され、キューバは打撃を受けた。

☆南米解放闘争では、ベンベラはアルゼンチン解放闘争に参加したゲバラ直系のゲリラ組織の軍事訓練などを支援した。

第6回米州首脳会議は波乱含み

▼▽▼米州諸国機構(OEA=オエア、英語でOAS)加盟34カ国が対象の、第6回米州首脳会議は、コロンビアのカルタヘーナで4月14、15両日開かれる。主役の一人、バラク・オバマ米大統領は13日、ヒラリー・クリントン国務長官を伴って現地入りした。

▽もう一人の主役はベネズエラのウーゴ・チャベス大統領だが、14日には癌再手術後の放射線治療のため、またもハバナに行く予定で、出席が危ぶまれている。チャベスは13日、2月下旬の手術後4度目のハバナ行きを発表したが、首脳会議出席については「私でなく医師団が決める問題」として、出欠の明言を避けた。

▼チャベスが出席するとすれば、14日の会議開会式に合わせて短時間だけ、という見方が拡がっている。

▽今会議は準備段階で、OEAを1962年1月追放されて以来、復帰していない社会主義キューバのラウール・カストロ国家評議会議長を招くか否かで紛糾してきた。エクアドールのラファエル・コレア大統領は、開催国コロンビアのフアン・サントス大統領が「加盟国内の合意が得られなかったためキューバは招待されない」と発表した後、首脳会議欠席を表明した。

▼会議の議題に、キューバ出席問題のほか、グアテマラが提案している「麻薬合法化」問題、アルゼンチンが訴えているマルビーナス諸島領有権問題などの難題を加えるか否かで最終合意が依然為されておらず、一部首脳の出欠問題と併せて波乱含みだ。

▽ラ米・カリブ33カ国は昨年12月初め、ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)を設立した。うちキューバを除く32カ国はOEA加盟国であり、米州首脳会議への参加資格を持つ。CELAC発足でOEAが空洞化する可能性が指摘されてきた。

▼別の見方をすれば、OEAはCELACという巨大な<獅子身中の虫>を抱えているわけで、カナダとともにCELACに加盟できない北米の米国が、米州でキューバを除外したまま主導権を握るという時代は過去のものとなった。

▽オバマは11月に大統領選挙を控えており、キューバに対し<甘い態度>を示せば、米国内のキューバ系や右翼系の有権者を怒らせることになり、一層難しい対応を迫られている。

2012年4月13日金曜日

チャベス打倒未遂クーデター10周年

▽▼▽ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領の打倒を狙った2002年4月11日の民軍合同のゴルペ・デ・エスタード(クーデター)事件から10年が過ぎた。

▼チャベスの人民優遇政策、経済政策への国家の復権、反米的全方位外交によって伝統的利権を失いつつあった旧支配勢力の中心フェデカマラス(経団連)とベネズエラ労連(CTV)は、軍部と警察の反チャベス派と組んでゴルペを画策した。当時の米、スペイン、エル・サルバドールの右翼政権が陰謀を支援した。

▽ゴルペ首謀者は02年4月11日、CTVなどを動員してミラフローレス殿堂(大統領政庁)にチャベス辞任要求のデモを仕掛けた。これと対峙していたチャベス派の支援者らは、政庁に近いジャグーノ陸橋周辺にいた。ゴルペ首謀者に雇われた狙撃者たちは、近隣の建物の屋上などから狙撃を始め、19人が死亡し、69人が負傷した。

▼政庁一帯は騒乱状態に陥り、ゴルペ派軍部はチャベスを密かに連行し、「混乱の責任をとる」形での辞任を求めた。軍総監ルカス・リンコン将軍は12日未明、「チャベス辞任」を発表した。チャベスは、カリブ海のベネズエラ領オルチラ島の基地に運ばれ、生命の危険や国外への放置の可能性を含む極めて危険な状況に陥っていた。

▽経団連会長ペドロ・カルモーナは<臨時大統領>に収まり、国会、司法機関などを解散させ、チャベスが定めたボリバリアーナ憲法を無効とした。カルモーナはこの日に備えて、大統領が懸ける襷(たすき)を特別注文していた。

▼ゴルペの事実が明確になった。チャベスの盟友で当時のキューバ国家評議会議長フィデル・カストロは、ハバナからベネズエラの軍高官やチャベス派幹部に電話をかけまくり、巻き返しの軍事作戦と人民動員を促した。

▽貧困大衆が中心のチャベス派人民は13日カラカスを埋め、日和見を決め込んでいた軍部中堅将校らはチャベス救出に乗り出した。チャベスは島から救出され、14日未明、政庁に復帰した。

▼カルモーナはコロンビアに亡命した。他のゴルペ首謀者の多くも逮捕されるか、亡命するかした。チャベスは、軍と警察を粛清(逮捕・追放)し、自派で固めた。

▽ベネズエラ経済の命綱の石油産業は依然、反チャベス派が握っていた。ベネズエラ石油公社(PDVSA=ペデベサ)は02年末から03年2月にかけて、石油産業を麻痺させ政権を行き詰らせるため<石油ゴルペ>を打つ。チャベスはこれを乗り切り、PDVSAを粛清し、これまた自派で固めた。

▼軍・警察とPDVSAを握ったこと、貧困大衆を支持派として固めたこと、それを基盤に翼賛政党・ベネズエラ統一社会党(PSUV=ペエセウベ)を結党したこと、ラ米左翼諸国と「米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)」を結成したことなどで、チャベスは13年も政権に居つづけることができた。

▽だが昨年6月、キューバ訪問中に腰部に癌腫瘍が見つかり、除去不術を受けた。これが今年2月再発し、再び手術を受けた。チャベスは、その後3回ハバナを訪れ放射線治療を受けた。4月11日夜帰国するや、政庁で政権幹部やかつての幹部を集めて、ゴルペ10周年行事を開始した。

▼10月7日には次期大統領選挙が実施される。チャベスと、野党統一候補で右翼のエンリケ・カプリレスの一騎打ちになる。聖週間に神に延命を祈願したチャベスだが、体内の敵・癌とも闘いながら
選挙必勝を期している。

2012年4月11日水曜日

「エメラルド王」家の結婚式

☆★☆コロンビアのエメラルド合法輸出部門トップを長年占め<エメラルド王>として知られた早田英志氏(71)の娘さんがこのほど、鎌倉市で挙式した。新郎は在米華人、新婦の母親はコスタ・リカ人。このため親類縁者が集った披露宴は、日本、米国、ラ米(コスタ・リカとコロンビア)、中国の言語、文化、人種が混ざり合って、興味深く、色彩豊かな、楽しい宴となった。

★私は、早田氏の友人として招かれた。会場には生演奏のジャズが流れ、食事の後にはサルサバンドが登場した。新郎新婦がワルツを1曲踊ってから、皆が入り乱れてサルサ、ルンバ、ソン、ブルース、マンボ、ジルバを躍った。

☆「挨拶を、とご指名にあずかり、僭越ながら一言。。。」などという形式ばった空虚な挨拶は一切ない。他人も共感できる感情のこもった言葉ばかりが行き交った。

★21世紀は、日本人にとって大変遅ればせながら、本格的な「混血の時代」になると思う。米州は、混血先進地域である。<純血主義の日本>というイデオロギーが仮にあるとすれば、それはとうに行き詰っている。未来に日本が開くには、日本に新しい血と文化を導入し、日本の血と文化を国際社会に植え付けていくことが不可欠だろう。

☆「混血」は必ずしも肉体的、血縁的なものを意味するだけではない。文化、言語、生き方などの<混血>もある。そのような混血によって共生と共感は普遍化するーー披露宴を楽しみつつ、そんなことを考えた。

2012年4月10日火曜日

ボリビア革命60周年

★☆★☆★ボリビアで鉱山労働者主体の人民軍が蜂起した1952年4月9日のボリビア革命開始から60年が過ぎた。人民軍は政治首都ラパスと鉱山都市オルーロを中心に政府軍と激戦を展開し、11日政府軍を制圧した。一連の戦闘で500人を超える死者が出た。

☆前年51年の大統領選挙で当選した「革命的民族主義者運動(MNR=エメエネエレ)」党のビクトル・パス=エステンソロは亡命先のアルゼンチンから帰国する。

★MNR政権は、先住民の社会参加、国軍解体と人民軍制度化、錫鉱山国有化、農地改革、参政権拡大、教育改革、道路建設などを実行した。ボリビア労働総同盟(COB=コブ)、ボリビア鉱山公社(COMIBOL=コミボール)などが設立された。20世紀のラ米で、メキシコ革命(1911~17)に次ぐ社会革命となった。

☆だがパスをはじめとするMNR幹部は穏健改革派であり、早晩、富裕層や米国と接近する。革命過程は滞り、64年の軍事クーデターにつながった。その張本人は、パスを亡命先から帰国させた飛行機を操縦した空軍将校レネー・バリエントスだった。バリエントスは、2期目に入っていたパス政権の副大統領として政変を起こしたのだった。

★ボリビア革命は、53年7月26日のモンカダ兵営襲撃事件を起こしたフィデル・カストロに閃きを与えた。奇しくも同月ラパスに居たエルネスト・ゲバラも閃きを得て、後年ボリビアで革命戦争を起こす。

☆革命は中途半端に終わったが、先住民族の台頭を促し、2005年の大統領選挙でアイマラ人エボ・モラレスを当選させた。エボは06年1月政権に就き、この国で史上初めて多数派の政権を樹立した。

★60周年記念の日、MNRはラパスでデモ行進と集会を開き、2014年の大統領選挙での政権奪取を誓った。だがMNRは既に国会内少数派に成り下がっており、かつての支持母体COBもモラレス政権による分断工作に遭って、力がない。

2012年4月7日土曜日

チャベスがシリア大統領と電話会談

▼▽▼ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は4月6日、シリアのバッシャール・アサド大統領と電話で30分会談した。会談後チャベスは、「このところずっと通話を試みていたが、やっとつながった」と述べた。

▽アサドは、「シリアでの暴動やテロ活動で軍人2000人が犠牲になった」と語ったという。

▼チャベスは、「米国と、その同盟国がシリアにテロリストを送り込み暴動を起こさせている。カダフィ大佐虐殺に至ったリビア方式だ」と、NATO諸国を非難した。

▽チャベスはまた、「バッシャールは、政治改革を継続中で、事態は近く収拾に向かうと言ったが、そうあってほしい」と述べた。

▼チャベスは一方、7日にハバナに行くと明らかにした。腰部の癌腫瘍除去部位への放射線治療を受けるため。

▽2月26日ハバナで手術を受けたチャベスは、いったん帰国後、既に2度ハバナを訪れ放射線治療を受けており、今回は3度目の治療となる。

▼チャベスは聖週間さなかの5日、故郷バリーナスの教会でのミサに参列し、「主よ、私に命を与えたまえ。燃えるような命を。この人民と祖国のためにまだ為すべきことがあるからです。私を逝かせないでください」と、涙しつつ神に懇願した。その模様はテレビ中継された。

2012年4月6日金曜日

フジモリ<自作自演クーデター>から20年

▼▽▼ペルーで1992年4月5日、当時のアルベルト・フジモリ大統領が軍・警察を動員し国会、裁判所などを解散させ、側近のブラディミロ・モンテシーノスらと組んで独裁体制を敷いた「アウトゴルペ(自作自演ないし、お手盛りのクーデター)」から4月5日で20年が過ぎた。

▽1990年、大統領選挙決選で、保守派・財界候補の作家マリオ・バルガス=ジョサを破って当選し政権に就いたフジモリは、国会に法案をつぶされ、人種差別され、海軍に嫌われ、クーデターで追い落とされる危機にも直面していた。

▼そんな状態が続いていた90年3月、フジモリは来日し、「こんな状態はいつまでも続きませんよ。見ていてください」と日本のある高官にもらした。その翌月、クーデターを打ったのだ。

▽フジモリは強権を行使してゲリラ組織を壊滅状態に追い込み治安を確保し、超インフレを収め新自由主義を導入し、経済を立て直した。だが同時に人権蹂躙、腐敗、大物犯罪者無処罰、言論弾圧など深刻な問題が起きた。

▼フジモリはクーデター後、制憲議会を設置し新憲法を制定、強引な憲法解釈で大統領を連続3期務めることとなった。だが政権絡みの非合法活動が内外で暴露され、2000年に失脚し、日本に亡命した。フジモリは帰国のため05年離日したがチリで逮捕、ペルーに送還され、裁判で禁錮25年の実刑を言い渡され、服役中。モンテシーノスも長期刑に服している。

▽お手盛りクーデター20周年に際して実施された世論調査では、このクーデターに対する評価が賛否に依然割れていることを示した。だが、「クーデター後の政治結果は良かったにせよ、民主制度を破壊したのは許し難い」という意見が少なくない。

▼フジモリの後継者と目される息子の国会議員ケンジ・フジモリは、「あれはクーデターではなかった。国会によるクーデター誘発の陰謀を制御するためのコントラゴルペ(対抗クーデター)だった」と弁明した。

▽一方、オヤンタ・ウマーラ大統領は、「民主制度破壊が腐敗、反国家行為、無処罰などを生んだ」と、厳しく批判した。

2012年4月3日火曜日

マルビーナス=フォークランド開戦30周年

▼▽▼アルゼンチン軍政のガルティエリ政権が、マルビーナス(英国名フォークランド)諸島など「南大西洋領土」の奪回を狙って対英戦争を開始した1982年4月2日から丸30年が過ぎた。亜国では、この日は「退役軍人と戦死者の日」で、M諸島などが所属するとされる亜国南端のティエラデルフエゴ州都ウスアイアのM諸島広場で記念式典が催された。

▽クリスティーナ・フェルナンェス=デ・キルチネル(CFK)大統領は演説し、「30年前の開戦は亜国人民の意志によるものではなかった。独裁延命を狙っていた者たち(軍部)の意志によるものだった」と指摘した。1976年3月の軍事クーデターで始まった軍政は、わかっただけで3万2000人の市民を殺害し、内外で厳しく糾弾されて、存続が覚束なくなっていた。そこで起死回生の大ばくちとして打ったのが、「M諸島奪回の国土回復戦」だった。だがサッチャー英政権の反撃で82年6月敗戦、83年に民政移管を余儀なくされた。

▼CFKは、「21世紀になっても植民地が残存しているとは不当なことだ。我々は亜国領土の一体性
を要求する」と述べ、外交交渉を通じて「南大西洋領土」の回復を図る平和路線を強調した。

▽M諸島は1833年、英海軍に占領され奪われた。来年で180周年になる。亜国政府は今年から来年にかけて、悲願達成に向け前進したい考えだ。

▼亜国文民政権にとって苦々しいのは、血塗られた、違憲の軍政が愚かにも開始した戦争の記念日に、内外に向けて国土回復の主張を訴えなければならないことだ。

▽先ごろ、開戦時の事実関係を分析した「ラテンバッフ報告」の全文が公開された。

【私は、M諸島戦争をブエノスアイレスを拠点に亜国側から取材した。勇ましい音響とともに日に何度も繰り返された「大本営発表」が、いまでも耳に残っている。ホルヘ・ビデラら軍政時代の人道犯罪の責任者たちは大方裁かれ、刑務所に入れられた。だが人道犯罪を「やむをえなかった」と肯定する者が依然少なくない。亜国の民主はまだまだ堅固さが不足している。】

仏映画「キリマンジャロの雪」を観る

☆★☆フランス映画「キリマンジャロの雪」を4月2日、試写会で観た。ロベール・ゲディギャン監督2011年作品、107分。東京・神田神保町の岩波ホールで6月9日公開される。

★地中海岸の港町マルセイユが舞台。造船所作業現場の人員削減で、くじ引きにより19人が馘首された。残る一人は、自ら<当たりくじ>を引いた組合委員長ミシェルだった。

☆このような形で引退したミシェルは、愛妻マリー=クレールの傍らで息子、娘夫婦や孫たちに囲まれた日々を過ごす。結婚30周年を迎えた二人のために記念パーティーが開かれ、夫婦は家族や友人たちからキリマンジャロ山のある東アフリカへの旅行と資金を贈られる。

★それから間もなく、ミシェルの家を2人組の強盗が襲い、資金、航空切符とキャッシュカードを盗み去る。犯人は、東アフリカ旅行の予定を知っていたのだ。

☆後日、ひょんなことからミシェルは犯人の一人を見つけ出す。造船所をくじ引きで解雇された若い労働者クリストフだった。パーティーにも来ていた。ミシェルの通報で犯人たちは逮捕される。

★クリストフには、小さな弟が二人いた。クリストフは禁錮15年の実刑を科せられることになり、弟たちの面倒を見る者はいなくなる。マリー=クレールは食事を運んだり、洗濯物を処理してやったり、世話を始める。ミシェルは、子供たちを引き取る決意をする。

☆強盗が荒々しく登場する場面で日常性は破壊され、どんな展開になるのかと気をもむ。だが、犯人は日常性を失って犯行に走ったのだとわかる。

★全球化(グローバリゼーション)、新自由主義、不況、労働者馘首、犯罪と、社会を上手に背景に描きながら、ヒューマニズムを讃える。ミシェルは、拘置所や検察庁で面会したクリストフに「失業しても生活に困らない身分」を攻撃され、何か<原罪>のようなものを感じ取る。それへの責任を取る形でミシェルは自身の寛大さを増幅させ、子供たちを引き取ることになる。

☆映画の題名は、1966年にフランスで大ヒットしたシャンソンの曲名。この主題曲と、見果てぬ夢に終わった東アフリカ旅行が絡み合わされている。起承転結がはっきりした作品だ。


★人は老いてもなお成長することができるーこの映画の力点の一つだ。

2012年4月2日月曜日

ミゲル・デラマドリー元メキシコ大統領死去

▼▼▼元メキシコ大統領(1982~88年)ミゲル・デラマドリー(77)が4月1日死去した。肺、腎臓などの疾患で長らく入院していた。

▼デラマドリーは任期中、経済路線を民族主義から新自由主義に変えた。85年に大震災に見舞われ、86年にはメキシコで2度目のW杯サッカー大会を開催した。

▼そのころ、政権党PRI(プリ=制度的革命党)内には、クアウテモク・カルデナス(元大統領の息子)、ポルフィリオ・ムニョス=レード元労相ら民主化を求める左翼「民主潮流(CD=セデ)」が生まれていた。PRIはやがて分裂する。

▼1988年の大統領選挙は、PRIと、CD主体の民族民主戦線(FDN)の事実上の一騎討ちになった。FDNのカルデナスが勝っていたが、開票操作でPRIのカルロス・サリーナスが勝ったことになってしまった。この不正を指揮することができたのは、大統領のデラマドリーしかいなかった。

▼サリーナスは新自由主義路線を推進し、94年元日、北米の米加両先進国と「北米自由貿易協定(TLCAN=テエレカン/NAFTA=ナフタ)」の発足にこぎつけた。だがその日、東南端のチアパス州で、サパティスタ民族解放軍(EZLN)が武装蜂起した。

▼94年は大統領選挙年で、サリーナスは後継者にルイス=ドナルド・コロシオを指名する。だがコロシオが選挙戦で麻薬取り締まり強化など改革政策を公約すると、3月、ティフアーナ市郊外で遊説中に暗殺されてしまう。メキシコ人の多くは事件の黒幕が、サリーナスおよび、その兄ラウール・サリーナスだったと観ている。

▼FDNを母体として89年5月5日、民主革命党(PRD=ペエレデ)が発足した。PRDのアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)は2006年の大統領選挙で、やはり開票操作で敗れたことにされてしまった。今年7月1日の大統領選挙にAMLOは再び出馬している。

キューバ「5人の英雄」問題で書籍出版

▽▼▽マイアミを中心とする在米キューバ人亡命社会には、キューバ革命に恨みを抱き、キューバに破壊活動や対人テロを仕掛ける機会をうかがう者たちがいる。キューバ当局は諜報員を潜入させ、情報を探っている。

▼そのような諜報員のうちの5人が1998年9月マイアミで逮捕され、「終身禁錮2回」など極めて理不尽な実刑を科せられている。明らかに、非理性的な憎しみの断罪である。キューバは彼らを「5人の英雄(シンコ・エロエス)」と呼び、米側は「マイアミの5人組(マイアミ・ファイヴ)」と呼ぶ。

▽うち禁錮13年で最も刑の軽かったレネー・ゴンサレス氏は昨年10月釈放されたが、「3年間監視付きでマイアミ居住」が義務付けられている。現在、病床にある肉親を見舞うため短期間キューバに帰国中だ。

▼キューバ政府は、「5人の英雄」解放を、対米対峙戦略の中心に据えてきた。内外で広範な解放運動を展開している。

▽そこに一人の日本人ジャーナリストが登場する。日本経済新聞社会部畑の記者だった津崎至(つざき・いたる)氏=1925年生まれ=である。『グロテスクなアメリカ-オバマ殿よ「キューバの英雄・5人」を解き放ちなさい』という本を、このほど自費出版した。

▼85歳だった2011年11月、キューバ東部オルギン州都オルギン市で「5人の英雄」解放問題をめぐる国際会議が開かれた。津崎は記者魂と義憤・正義感をエネルギーに、はるばる日本から現地に行き、会議を取材した。その取材の旅が、この本の中心を占める。

▽昨4月1日、在京キューバ大使館で、出版記念会が開かれた。著者をはじめ、日玖外務省高官同士の定期会合に出席するためこの日到着したばかりの、マルセリーノ・メディーナ第1副外相(日本側呼称は「第1外務次官」)、ホセ・フェルナンデス=デ・コシーオ駐日大使、ジャーナリストらが出席した。

▼この本の購入などの問い合わせは、電話・ファクス03-3455-0754。

【参考文献:『フィデル・カストロ-みずから語る革命家人生』(2011年、岩波書店)下巻「解説」】

2012年4月1日日曜日

キューバが聖金曜日を休日に

▽▼▽キューバ政府は3月31日、聖週間(復活祭週間)の聖金曜日(ビエルネス・サント)を休日にすると発表した。ことしは4月6日がその日で、半世紀ぶりに休日となる。

▼このほどキューバを訪問したローマ法王ベネディクト16世が、ラウール・カストロ国家評議会議長との会談で申し入れていた。ラウールはこれに応じ、誠意を示した。

▽1998年に前法王ヨハネパウロ2世が訪れた折には、フィデル・カストロ議長(当時)に、12月25日のナビダー(クリスマス)を休日にするよう申し入れ、フィデルはこれに応じた。

▼キューバ政府は、1991年にソ連が消滅し、<無神論>の社会主義への信頼が薄れたことによりキューバ人民に生じた心の空洞を埋めるため、カトリック信仰に寛大になった。