2012年3月31日土曜日

同性愛者暴行致死でチリ社会揺れる

▼▽▼同性愛の青年ダニエル・サムディオ(24)の葬儀が3月30日、首都サンティアゴで挙行され、千人を超える人々が葬送行進に参加した。

▽ダニエルは3月3日、ネオナチを名乗る青年4人に激しく暴行され、病院で苦しみ続けた末、27日死亡した。暴行は拷問まがいのもので、体にはハーケンクロイツ(ナチ鉤十字)が刻み込まれた。

▼チリ社会は事件に動揺し、反差別法の制定を急ぐ世論が高まった。同法案は去年12月上院を通過しており、4月下院で審議される。

▽容疑者4人は逮捕されており、4月下旬起訴される見通し。新法制定後の最初の重大案件となるもようで、4人には長期刑が予測されている。

メキシコ大統領選挙戦始まる

▼▽▼メキシコ大統領選挙は7月1日実施されるが、3月30日、公式の選挙戦が始まった。任期6年の政権を目指して6月27日まで激戦を繰り広げる。事実上、主要3候補の三つ巴の戦い。

▽世論調査で優勢を維持しているのは、2000年まで長らく政権にあった制度的革命党(PRI=プリ、民族主義右翼)のエンリケ・ペーニャ=ニエト前メヒコ州知事(45)。次いで、現政権党・国民行動党(PAN=パン、カトリック系新自由主義右翼)のホセフィーナ・バスケス=モタ元下院議員(51)および、民主革命党(PRD=ペエレデ、民族主義左翼)のアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)元メヒコ連邦地区長官(58)。

▼メキシコ大統領選挙では不正が横行し、1988年の選挙ではPRDのクアウテモク・カルデナス候補が実際は勝ちながら、開票操作によってPRIのカルロス・サリーナス候補に勝利を奪われたとされる。2006年の前回は、AMLOが実際は勝ったが、開票操作でPANの現大統領フェリーペ・カルデロンが勝ったことになった。いずれの不正も、極めて信憑性の高い定説だ。

▽問題点は、ラ米の多くの国にある決選投票制度がないこと。長年PRIが常勝していたため不要だったのと、3党拮抗状態になってからは比較1位に勝たせるため決選は都合が悪いこと、による。決選があれば、得票2,3位候補が連携して容易に政権を奪うことが可能になるからだ。

▼前回、決選制度があったならば、AMLOとカルデロンの双方に勝利の機会はあり、どちらが勝っても、すっきりした勝ち方になったはずだ。

▽たとえば、今回12年ぶりに政権奪回を狙うPRIのペーニャ=ニエトが50%以上の得票で勝てば問題ない。だが1、2位が票差の極めて少ない接戦となれば、前回の不正工作のような事態が起きかねない。カルデロンは政権に就いた後、改憲による決選投票制度導入を一時考えたが、実らなかった。

▼有権者は8000万人だが、いつも棄権率が高い。このため3分の1強の得票で当選しても、有権者の20~25%程度の支持しか持たないことになる。これがメキシコ大統領選挙の問題点だ。

2012年3月30日金曜日

ピニェーラ・チリ大統領来日(差し替え)

▽▼▽チリのセバスティアン・ピニェーラ大統領は3月28日来日し、野田首相と会談した。日本は、同大統領の越韓日3国歴訪の最終訪問国。

▼首脳会談でピニェーラは、「現代世界の中心は太平洋地域であり、APEC加盟国同士として協力関係を拡大させたい」と強調した。また、教育、天然資源、「きれいなエネルギー」、情報機器などでの協力関係強化を求め、とくにチリでのリティウム共同開発の可能性を取り上げた。


▽チリ側発表では、去年の対智外国投資は総額175億ドルで、その33%は日本だった。日本が1位で、次いでカナダ、スペイン、米国、韓国の順。

▼大統領は会談後、東京大学で講演し、チリ北部のアタカマ高地で天体観測をしている「東京大学アタカマ天文台(TAO=タオ)」の活動を讃えた。

▽さらに両国がともに地震被災国であることに触れて、一昨年2月27日のチリ南部地震での死者は524人で、昨年の東日本大震災の1万9000人と比べて少ないが、国内総生産(GDP)に震災が及ぼした影響は14%で、東日本大震災の3~4%を大きく上回ると説明した。

▼ピニェーラは30日、仙台近郊の被災地を視察した。「我々両国民は、大災害に見舞われても、涙を乾かし決として未来を見つめ、再建のため最善を尽くす」と語った。大統領は仙台空港から帰国の途に就いた。

2012年3月29日木曜日

ローマ法王がキューバ訪問終える

▽▼▽ローマ法王ベネディクト16世はキューバ訪問2日目の3月27日、東部のサンティアゴ市から首都ハバナ入りし、革命宮殿でラウール・カストロ国家評議会議長と40分間会談した。法王は「カトリック教会の活動空間拡大」を求め、復活祭の聖金曜日を祭日にするよう要請した。

▼法王庁広報官は、この首脳会談について「とても良い会談だった」と評価した。一方、ヴァティカン首相級のタルチシオ・ベルトーネ枢機卿は、ホセラモーン・マチャード第1副議長と会談した。

▽法王は最終日の28日、革命広場で信者ら30万人を前にミサを執り行った。「キューバと世界は交歓すべきだ。和解と友愛を広めつつ、愛の道を辿るため、真実を求めよ」と説いた。

▼その後、法王はハバナ市内のヴァティカン大使館で、フィデル・カストロ前議長と30分会談した。環境、文化、科学、宗教、人類の問題がテーマだったという。

▽法王は帰国に先立ち、ハバナ空港で、「国外から強いられ、悪い結果をもたらしてきた経済規制措置」を批判した。米国による経済封鎖を批判したものだ。法王はラウール議長に見送られ、アリタリア特別機でローマに向かった。

▼ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は、癌の治療のためハバナに滞在していた27日、同国国営
テレビを通じて、キューバに居合わせた法王に挨拶を送った。チャベスは28日帰国した。

マリオ・バルガス=ジョサが蔵書3万冊贈る

☆★☆ペルー人ノーベル賞作家マリオ・バルガス=ジョサは3月28日、76歳の誕生日に合わせて、生まれ故郷のアレキーパ市に蔵書3万冊を寄贈した。

★作家は、「これらの本は長らく、私の人生の一部だった。このような日が来た」と、感慨深げだったという。

2012年3月27日火曜日

法王がキューバに方向転換求める

▽▼▽ローマ法王ベネディクト16世は3月26日、メキシコからキューバのサンティアゴ市に到着した。法王のキューバ訪問は、1998年の前法王、故ヨハネパウロ2世以来14年ぶり。

▼アントニオ・マセオ空港での歓迎式で、ラウール・カストロ国家評議会議長は、キューバが米国による経済封鎖に抵抗していることや、革命の成果である医療保健と教育の分野で国際協力を果たしてきたことに触れ、「信仰の自由は憲法で保障されている」と強調した。

▽これに対し法王は、「痛ましい状況を長らくもたらしてきた、これまでの文化的・精神的方向をこれ以上たどることはできない」と率直に<方向転換>を求めた。そのうえで、「2年前から続けられている経済・社会改革が進展するのを確信する」と述べた。

▼法王は23日、メキシコに向かう専用機内で記者団に対し、キューバを念頭に置いて「マルクス主義は克服され、もはや現実に対応できなくなっている」と述べた。これを受けてキューバのブルーノ・ロドリゲス外相は、「キューバには、そのような意見を尊重する政治姿勢がある」と応じていた。

▽法王はサンティアゴ市内のアントニオ・マセオ革命広場でのミサ、キューバの守護聖母コブレを祭る大聖堂でのミサ、ハバナの革命広場でのミサなどをし、28日ローマへの帰途に就く予定。

▼聖母コブレは、今年が「出現400周年」で、法王はこれに因んでキューバを訪れた。法王はハバナで、フィデル・カストロ前議長との会談を希望している。

2012年3月25日日曜日

チャベス大統領がハバナで放射線治療

▼▽▼ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領(57)は3月24日、腰部の癌腫瘍除去手術後の放射線治療のためハバナに到着。ホセ・マルティ空港で、ラウール・カストロ国家評議会議長(80)の出迎えを受けた。

▽チャベスは、昨年6月ハバナで手術した部位に癌が再発したため2月26日、腫瘍の除去手術を受け、16日3週間ぶりにカラカスに戻ったばかりだった。

▼放射線治療はハバナ市内の外科医療調査センター(CIMEQ=シメック)で施されるが、4~5週間を要するという。ただし、何回かに分けて断続的に実施されるため、チャベスは、25日からの今回最初の治療が終わったらベネズエラに帰国すると表明している。

▽チャベスの病状は、10月7日の次期大統領選挙との関連で内外で注目されている。野党は先月、初めて統一候補を予備選挙で決め、14年ぶりの政権奪取を目指している。

▼統一候補は右翼のエンリケ・カプリレス(39、ミランダ州知事)。22日に公表された最新の支持率調査では、4選を目指すチャベス46%、カプリレス45%、未定9%で、両者は接近している。

▽この左右の一騎討ちは激戦になる公算が大きいが、チェベスの治療が長引いたり、新たな再発があったりすれば、野党候補が有利になるのは否めなくなる。

LATINAで『カストロ家の真実』解説

★☆★月刊「LATINA」誌4月号(3月20日刊行)の、連載企画「ラ米乱反射74回」は、「カストロ兄弟の実妹が革命の裏面史を語る-玖米関係の狭間でCIAに協力したフアーナ」だ。

☆刊行されたばかりの、フアーナ・カストロ著『カストロ家の真実』(中央公論新社)の訳者による、この本の解説である。参考まで。

2012年3月23日金曜日

ウルグアイ大統領が人道犯罪責任を認める

☆★☆★☆ウルグアイのホセ・ムヒーカ大統領は3月21日、国会で「国家によるテロリズムの責任をとる」と表明し、国家と政府の人道犯罪の責任を認めた。

★アルゼンチン人でメキシコ市在住の著名な詩人フアン・ヘルマンの孫娘マカレーナ・ヘルマン(35)は、ブエノスアイレスで1976年に拉致された母親の胎内におり、同年11月初めモンテビデオで生まれた。母親マリーア=クラウディア(当時19歳)は殺害され、マカレーナは名前を変えられウルグアイ人警察官夫婦に与えられた。

☆祖父ヘルマンは長年、息子マルセーロ、その妻マリーア=クラウディの失踪事件を調査し、1990年代末に、真相の一部を突き止めた。殺害された息子夫婦に子供が居たことが分かった。

★1999年、23歳だった若い女性が孫娘らしいことが分かり、2000年DNA鑑定で、それが証明された。二人は劇的な対面を経て、真相解明をウルグアイ政府に要求した。だが、人道犯罪を組織的に実行した軍政時代の軍部将校・警察上層部らを免罪する1986年成立の「訴因時効法」に阻まれた。

☆そこで祖父と孫娘は、コスタ・リカの首都サンホセにある米州司法裁判所に提訴した。同裁判所は昨年2月、ウルグアイ政府に事件の調査と、無処罰・免罪を認めた悪法を無効だと判断した。裁判所のお墨付きを得たムヒーカ政権は昨年、時効法を無効化する新法を制定し、調査を続けた。

★その結果、76年当時の軍政当事者らの逮捕、取り調べが進展した。マリーア・クラウディ殺害の事実が確認され、遺体が投棄された秘密墓地の場所などが明らかになった。

☆この日、モンテビデオ市内の旧軍部諜報機関本部の建物(近く「人権庁」になる)の壁に、「国家テロの犠牲者として母子らがそこに捕えられていたこと」、「米州司法裁判所の判断を政府が遵守すること」を謳った銅板が設置された。

★その後、ムヒーカ大統領が国会で、責任を認める声明を読み上げた。孫娘とともに傍聴席で見守ったフアン・ヘルマンは、「何というパラドックスだろう! 国家テロの犠牲者として長らく牢獄に入れられていたムヒーカが、いま、大統領として国家・政府の責任を認めるとは。倫理的な勇気が必要だったに違いない」と語った。

☆マカレーナは、「前方には、未解決の失踪事件が残っている。国が裁判所の裁定を遵守していくかどうかを見守っていく」と述べた。

★国会での儀式にはタバレー・バスケス前大統領、最高裁長官、国会議長、3軍司令官らが出席した。だが時効法を成立させたサンギネティ、それを守り通したラカージェ、バトゥレの3代の保守元大統領は出席しなかった。

2012年3月18日日曜日

『ある軌跡-未来社60年の記録』を読む

☆★☆本(書籍)は文化であり、文化を創り育む。優れた本、考えさせる専門書の出版で長年定評のある未来社の60年の風雪を描いた本である。単なる<社史>ではなく、読ませる立派な本だ。


★中心を占める「座談会-未来社の15年・その歴史と課題」は、1966年の創設15周年を機に行なわれた座談会の記録で、圧巻。未来社と縁の深い内田義彦(経済学)、木下順二(戯曲)、野間宏(小説)、丸山眞男(政治学)が、未来社の西谷能雄社長(当時)の司会で、出版文化、出版社の表と裏、編集者と著者の関係などを縦横に語っている。


☆能雄社長の息子である西谷能英現社長が、未来社創設60周年の2011年11月、この本を出版した。非売品なのがもったいない内容だ。「出版ジャーナリズム」に興味のある人には必読の書。

2012年3月17日土曜日

チャベス大統領が帰国

☆★☆ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は3月16日帰国した。腰部に再発した癌腫瘍の除去手術を受けるため2月24日キューバに行き、ハバナで手術を受けた。3週間ぶりの帰国。ハバナではフィデル・カストロ前議長に別れの挨拶をし、ハバナのホセ・マルティ空港ではラウール・カストロ議長に見送られた。

★チャベスは、カラカス郊外マイケティーアのシモン・ボリーバル空港で演説し、「祖国に帰着するたびに特別の感動を覚える。この新たな帰還! ニーチェのツァラトゥストラではないが、超自然的な生命力を感じる。生きよう、そして勝利しよう」と述べた。

☆チャベスは長期不在にも拘わらず、大統領権限を副大統領に委ねなかった。10月7日の大統領選挙を遠望しつつ、「1日たりとも政権を離れていない」ことを強調するためだった。

★野党連合は右翼エンリケ・カプリレス(ミランダ州知事)を統一候補に決め、財界の支援を受けて、激しい選挙戦を展開している。世論調査では、チャベスが50%台半ばで優勢を維持しているが、いつ癌が再発するかが不安材料になっている。

☆新聞は、チャベスが癌で出馬を取り下げる場合、実兄アダン・チャベス(バリーナス州知事)か、政権党ベネズエラ統一社会党(PSUV=ペエセウベ)のディオスダード・カベージョ副党首が代替候補になる公算が大きい、と報じている。

★チャベスが出馬できず、代替候補が擁立された場合、カプリレス当選の可能性が膨らむと見る向きが少なくない。アダンには弟ウーゴのようなカリスマがなく、カベージョは2008年のミランダ州知事選挙でカプリレスに敗れている。

☆カプリレスの弱みは、02年4月のチャベス打倒の軍民クーデタ-(失敗)時に、カラカスのキューバ大使館を襲撃し逮捕されるなど、極右まがいの言動が目立っていたこと。この点を含めて、チャベス陣営は攻撃している。

「3・11後の文明を問う」が単行本に

▽▼▽このブログでも紹介した共同通信社取材班による連載「3・11後の文明を問う-17賢人のメッセージ」が、太郎次郎社エディタスから『世界が日本のことを考えている』という題名の単行本として出版された。文芸評論家の加藤典洋が解説を書いている。

▼語り手である賢者、知識人たちと、聞き手であるジャーナリストたちの合作であり、上質のジャーナリズムである。

▽「人災なんてもんじゃない、国家と企業による歴史的犯罪だ」と、人々が断言する東電福島原発の放射能流出をもって、「東日本大震災」は世界史に刻み込まれた。これを世界の考える人たちは、どう受け止めているのか。それが、このシリーズ記事のテーマだった。

▼<マスコミズム>の堕落は言っても始まらない。ジャーナリズムが踏ん張って、放射能に覆われた日本と周辺の時間と空間を打開していかねばならない。この本には、そんな鍵が詰まっている。

2012年3月14日水曜日

グアテマラ元軍人に禁錮6060年

★☆★グアテマラの法廷は3月12日、大量虐殺に関与した退役軍人ペドロ・ピメンテル(54)に禁錮6060年の実刑判決を言い渡した。事実上の終身刑。

☆内戦中の1982年12月6~8日、北部のペテーン県ドス・エレス村で、村人201人が殺害された。軍部の手先だった「市民自衛巡視隊(PAC=パック)」とともに、この虐殺に関与した他の元軍人4人は昨年8月、それぞれに6060年の禁錮刑が言い渡されている。

★「6060年」は、次のように計算されている。殺人1件30年、201人で6030年。これに人道犯罪による刑罰30年を加えて6060年となる。

☆ピメンテルは米国に逃亡していたが、昨年7月、身柄をグアテマラに引き渡されていた。同じ事件に関与した元軍人12人は依然、逃亡中。

★この虐殺事件は、内戦中最悪の時期とされるエフライン・リオス=モント将軍の軍政期(1982~83年)に起きた。退役した同将軍は今月1日、免罪特権を剥奪され、裁かれる見込み。

☆「真実委員会」の調べでは、1960~96年の内戦中大量虐殺事件669件が起きた。うち626件は軍部の犯行だった。

2012年3月12日月曜日

ホルヘ・イカサ著『ワシプンゴ』を読む

☆★☆エクアドールの古典となって久しいホルヘ・イカサ(1906~78)の名著『ワシプンゴ』(1934年、=伊藤武好訳、1974、朝日新聞社=)を久々に読んだ。内容は、今も新しい。まさに古典たる所以だ。

★「ワシプンゴ」もしくは「ウアシプンゴ」とは、農場主が奴隷的労働の代価として先住民農業労働者に貸与する小さな土地のことだ。先住民の暮らしは、この一片の土地から始まる。いわば彼らの小世界であり、彼らの<世界観>もそこに始まる。

☆著者イカサは、それを、この小説の題名にした。作品では、虐げられた先住民労働者たちは我慢に我慢を重ねた末ついに決起するが、中途半端に終わり、政府の放った陸軍によって殲滅されてしまう。

★差別語の代名詞のような「インディオ」と呼ばれる民族の、集団的個性、社会的個性を、イカサは生き生きと描いている。だから平板な物語でなく、読みごたえのある小説になっている。横暴な大地主の頽廃、彼を背後で操る米国人資本家のよそよそしさ、物欲にまみれたカトリック司祭の堕落なども十分に書き込まれている。

☆イカサの幼少年時代に、メキシコ革命(1910~17)が起きた。イカサは、南米ないしラ米の先住民族の闘争、反逆を歴史的に研究し、実際に先住民の集落で生活を共にしたこともある。エミリアーノ・サパタらが「土地と自由」を求めて蜂起したメキシコ革命を、青年時代に勉強しただろう。

★『ワシプンゴ』が出版されてから18年後にボリビア革命が起きた。その7年後にはキュ-バ革命があった。キューバ革命の立役者の一人チェ・ゲバラは、若き日にイカサに会い、署名入りの『ワシプンゴ』を贈られた。

☆イカサの死後、1990年代以降、エクアドールの先住民は首都キトに大挙して繰り出し、一度ならず悪政を倒すのに力を発揮した。『ワシプンゴ』はそんな未来を、予告するような作品だ。

★訳者は、外交官生活の大部分をラ米で送った伊藤武好(1926~2002)である。私は、伊藤氏が1970年代前半ハバナに駐在していたころ、主にメキシコ市で何度も会い、キューバ情勢を聞いていた。

☆伊藤氏はボリビア駐在大使を最後に外交官生活を終えるが、ラパスの公邸である夜、ボリビア情勢を話してもらったことがある。『ワシプンゴ』の巻末で背景を解説した百合子夫人ともども、たいへんな学者肌だった。先住民語が飛び交うこの小説は、伊藤氏の名訳で理解しやすくなっている。

★久々にこの本を再読したのは、エクアドールのコレア現政権と先住民組織との関係がこじれているのに鑑み、20世紀前半の先住民の状況を振り返ろうと思ったからだった。読んでよかった。新たに考えさせられるところがあった。

2012年3月11日日曜日

連帯の文化-大震災1周年に思う

☆▼☆東日本大震災から3月11日で丸1年が過ぎた。私は1年前のこの日、日本に居なかった。旅の途上、アフリカ大陸の北東端に居た。早朝、ホテルの部屋のテレビで、大津波が東北の大地を急襲する映像を観て、驚愕したものだ。

★4月半ば帰国し、日に何度もあったかなり強い地震を連日体感して、大震災の延長線上に生きていることを実感した。

☆「大震災発生時、きみはどこに居た?」、「どう行動した?」-そんなやり取りが続いていた。私は、「実は日本に居なかったんです」と、ある種の後ろめたさを覚えながら小声で答えるしかなかった。

★震災後、日本人の間には、「放射能からの逃亡」という生存本能に基づく自衛主義、責任を明確にしない政府・東電など支配層の利己主義、そして被災地外から救援・支援活動に乗り出した連帯主義が現れた。自衛本能も利己主義に含まれる。

☆最も印象深いのは連帯主義だった。「3・11」を経験して、日本人の間に「連帯の文化」が定着したと思う。他者の痛みを己の痛みと受け止めて、痛んでいる他者に対応する精神である。それは国境を超える。人間としての普遍的な精神だからだ。

★この10か月余りの間に東京で、外国メディアから大震災について「日本人はどう変わったか」というテーマで、何度か取材を受けた。彼らの共通した質問は「連帯」についてだった。

☆彼ら外国人ジャーナリストは、被災地に向けられた連帯を、当然のことであると同時に、<見えない敵=放射能>の下での連帯であることから一層「尊いもの」として捉えていた。そして、本音や感情を率直に表現するのが上手ではない日本人が、大震災後、連帯を言動ではっきりと表していたのを感知していた。そのことを、日本人の私の口から語らせたかったのだ。私は、そのように理解し、答えた。

★1年前のこの日、日本に居なかったことを、仕方なかったこととはいえ、私は悔恨の気持をもって記憶しつづけるだろう。しかし「連帯の文化」が定着したことを、同胞として誇りに思いつづける。

☆きょうテレビ特集番組で、20年前の雲仙普賢岳火砕流災害の被災地の小学生たちが自作の歌を、大震災の被災地に向けて歌うのを観た。「20年前のことでした」の言葉で始まる歌は感動的だった。20年前には生まれていなかった小学生が、地元の災害を追体験し自分のものとして受け止め、歌にして贈ったのだ。

★このような子供たちや若い世代の優れた連帯精神は、日本の新しい資産だ。頼もしい。油断するとすぐに心が老いぼれる私は、新鮮な活力を注入された。

2012年3月10日土曜日

フアーナが語った『カストロ家の真実』刊行される

★☆★フィデル(85)、ラウール(80)のカストロ兄弟の実妹フアーナ(78)は、1964年6月、カストロ体制に反逆して出国し、メキシコ市で体制糾弾宣言をし、祖国を捨てた。その後マイアミを拠点に、反カストロ体制の宣伝活動を展開する。実はフアーナは1961年にCIAの協力者になっていた。

☆そのフアーナ・カストロは2009年10月、自伝『私の両兄フィデル、ラウール 秘密の歴史』(マリーア=アントニエタ・コリンズ構成)を出版した。キューバ革命前夜の時代から、革命体制建設過程の60年代にかけての裏面史を綴る、極めて興味深い内容が詰まっている。

★その日本語版『カストロ家の真実』(2012年3月10日、中央公論新社)が刊行された。訳者は、私である。

☆半世紀も前のキューバ情勢の裏側を語るこの本の<標的>であるフィデルとラウールはいまも健在で、連日のようにキューバ内外のジャーナリズムを賑わわせている。訳しながら、あらためて不思議な感じがした。

★キューバ革命の秘話や、カストロ兄弟だけでなくチェ・ゲバラ、カミーロ・シエンフエゴス、ウベール・マトスら革命戦争の主人公らの人間が細かく描かれている。拙訳ながら、ご一読をお勧めしたい。

2012年3月6日火曜日

ガルシア=マルケス生誕85周年行事

☆★☆コロンビア人作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(GGM、1927年3月6日生まれ)は3月6日で85歳。居住国メキシコでは、芸術庁(INBA=インバ)が中心となって各地で記念行事が催されている。

★GGMは、同国人作家アルバロ・ムティスに勧められて1961年メキシコ市に住みはじめた。既に永住権を取得している。メキシコ人作家、故フアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』(1955年)を読んで、着想し、出世作『シエン・アニョス・デ・ソレダー(孤独の百年)』(邦題「百年の孤独」)を書いた。

☆今年は処女作『三度目の辞任』執筆60周年、『孤独の百年』刊行45周年、ノーベル文学賞受賞30周年、自伝刊行10周年に当たる。

★シナロア州都クリアカンでは5日夜から連続24時間、『孤独の百年』のリレー朗読会が開かれている。メキシコ市のテレビ局はGGMのドキュメンタリーを放映している。

☆INBAは11月に、GGMの諸作品を集中的に読む「書籍の日」を設ける計画だ。

★最近GGMに会ったジャーナリストは、「ガボは健康がやや落ち目のようだ」と語っている。

2012年3月5日月曜日

チャベス大統領がビデオで語る

▽▼▽ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は3月4日、同国VTV(国営テレビ)で、「診察のとおり、癌の再発だった。約2cmを除去した」と明らかにした。

▼前日、入院中のハバナの外科医療研究所(CIMEQ=シメック)で録画されたビデオが放映されたもの。「(先月27日の)手術後、その部位および周辺器官に癌細胞はない。転移もなかった」とも語った。

▽今後は放射線治療を毎日1時間受けることになるが、回復の度合いに応じて治療法は変わるもようだ。

▼4日実施のロシア大統領選挙に触れて、「私は(10月7日の)大統領選挙でKO勝ちする」と自信を示した。

2012年3月3日土曜日

立教大学ラテンアメリカ研究所修了式

☆★☆立教大学池袋キャンパスにあるラ米研究所(佐藤邦彦所長)の2011年度修了式が3月3日挙行され、吉岡知哉総長が修了者に修了証書を手渡した。

★修了者は8人で、いずれも社会人。ラ米旅行、スペイン語、遺跡などへの関心からラ米研に通い始めた人たちばかりだ。

☆ラ米の魅力に取りつかれ、いまやそれに取りついている。受講生は毎年約150人。修了者がいれば新たに学び始める者もいて、人数が維持される。

★日本人、ドイツ人など、細部に気を配り、完璧であることを志し、<堅苦しい>人々には、ラ米人のもつ「おおらかさ」は大きな魅力だろう。

☆自分の<人間改造>を図りたい人は、ラ米に親しむのが早道だ。ラ米にはもちろん、いいところも悪いところもある。たとえば日本人ないし自分の悪いところを、ラ米人のいいところと置き換えればいいのだ。

★4月半ば、新しいラ米学徒と会うのが楽しみだ。

カストロ兄弟がチャベスを見舞う

☆★☆キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は3月2日、ハバナ市内の医療施設で2月27日、「癌性腫瘍」の除去手術を受けたベネズエラのウーゴ・チャベス大統領を見舞い、2時間会談した。そこにラウール・カストロ現議長が加わり、3人で会談を続けた。

★これはキューバ政府が明らかにしたもので、その時の写真も公表された。会談内容は明らかにされていない。

☆ブラジルのジルマ・ルセフ大統領はチャベスに電話をかけ、「早期回復の様子に喜んでいる」旨を伝えた、という。

★チャベスは今回のキューバ行きに際し、エリーアス・ハウア副大統領に大統領権限を代行させる手続きをとっておらず、ハバナで法令に署名している。

☆ある識者は、施政はベネズエラ国内でのみ可能であり、外国での施政行為は違憲の疑いがある、と指摘する。ハバナの「ベネズエラ大使館内で法令に署名するならば準国内行為として認められうる」との解釈があるが、同識者は「意味をなさない」と否定した。

★チャベスは07年、「ベネズエラとキューバは一つの政府だ」と語ったことがある。この識者は、「まさにそのような状態になっている」と述べた。

☆ベネズエラでは10月7日、次期大統領選挙が実施され、チェベスと野党統一候補エンリケ・カプリレス(ミランダ州知事)との一騎打ちになることが決まっている。

★この国では1958~98年の40年間、穏健な社民主義と保守改良主義の2大政党ないし2大勢力が政権を担っていた。だが98年にチャベスが政権に就いてからは、巨大政権党・ベネズエラ統一社会党(PSUV=ペエセウベ)と弱小野党群の連合体という<異形の2大政党制>が生まれつつある。

☆チャベスは3月1日には、カラカスの国営テレビVTVにトゥイッターで3度、メッセージを送り、「順調に回復しつつある」ことを伝えた。これといい、カストロ兄弟との会談および写真公表といい、「元気であることをことさら強調する意図からに違いない」と観る向きもある。

★「末期癌」説も飛び交うなか、チャベスがいつ帰国するのかに関心が集まっている。

2012年3月2日金曜日

カストロがピースボートの日本人770人と会合

☆★☆★☆「キューバ革命の指導者」の称号を持つ社会主義キューバの精神的指導者フィデル・カスト前国家評議会議長 (85)が3月1日、ハバナ港に同日入港したNGOピースボート(PB)の世界一周航海船オセアニック号の、広島・長崎被爆者10人を含む船客770人と会合した。

★この日、ハバナ市内の会議殿堂で「核兵器のない世界のためのフォーラム」が開かれ、前議長フィデルは壇上に、吉岡達也PB代表、広島・長崎被爆者代表らとともに着席した。

☆現地のPB関係者からの情報によると、フィデルは、国会本会議場としても使用される大会議場の中央席を埋めた日本人たちに、広島・長崎の被爆の実態と悲劇をもっと世界に伝えるべきだと訴えた。フィデルは9年前の2003年3月初め、2度目の来日時に広島市を訪問し、被爆の傷跡に衝撃を受け、その後、折に触れて、その印象を語ってきた。

★フィデルはまた、現代世界の核弾頭2万5000発の不条理な存在を糾弾するよう、呼び掛けた。

☆フィデルは2010年7月以降、イスラエル・米国とイランの対立関係を軸とする中東危機が核戦争の引き金になる虞(おそれ)を絶えず警告してきた。吉岡代表は、中東非核化構想を持ち、PB船が今月下旬地中海に入ってから、同構想を広めるため活動することにしている。

★さらにフィデルは、かつて南太平洋で行なわれた核実験の悲惨な結果を問題にしつづけるよう、注意を喚起した。PB船は今航海で横浜出港後、最初の寄港地パペーテに行くまでの期間およびタヒチで、南太平洋の被曝問題を中心テーマに取り上げていた。

☆前議長は、平和と人類生存のために闘い続けるよう強く訴えた。

★会合では、広島・長崎被爆者代表、タヒチ被曝者代表が経験を語った。丹波史紀福島大学准教授は、東電福島原発大事故について話した。チェルノブイリ原発事故の被曝児童ら2万6000人の治療に当たったキューバのタララー病院のフリオ・メディーナ院長も発言した。


☆フィデルは吉岡代表に対し、広島・長崎の被爆生存者の証言集を本として出版しようと提案し、これを同代表は受け入れた。


★一方、吉岡代表はフィデルに、福島事故で被曝した児童らに医療手当を施すため、チェルノブイリ事故に遭った児童たちの治療経験のあるキューバと医療上の協力関係を築きたいと提案した。

☆現地報道によると、吉岡代表は取材に応じて、米政府によるキューバに対する経済封鎖に反対する立場を表明した。代表は、キューバの港に入港した船舶がその後半年間、米国の港に入港できないという米政府の制裁措置があることも指摘した。

★フィデルは2010年9月、ハバナに入港したPB船乗客700人と初めて同種の会合をした。船上講師として乗船していた筆者も会合に出席した。

【参考資料:拙稿「アレイダ・ゲバラ医師に聞く」(月刊誌「世界」2011年11月号掲載)。同医師は両国間の医療協力についても語っている。】

2012年3月1日木曜日

ピースボートが中東非核化を促進へ

☆★☆キューバ平和運動(MOVPAZ=モブパス)のアウグスト・バルデス代表代行は2月29日、ハバナ市でNGOピースボート(PB)の吉岡達也代表と会談した。バルデス代行は、グアンタナモ市で11月に開かれる外国軍基地をめぐる国際フォーラムへのPBの参加を要請した。

★キューバ国営通信プレンサ・ラティーナによると、吉岡代表は、中東非核地帯化構想を抱いており、PB世界周遊船が3月後半、地中海に入ってから同構想実現を促進する活動を展開すると述べた。

☆日本人1000を乗せたPBオセアニック号は3月1日、ハバナ港に入る。ハバナ市内の会議殿堂では、核軍縮をめぐる会議が開かれ、吉岡代表、乗船している日本人被爆者代表、タヒチ被曝者協会代表らも出席する。

★MOVPAZは、広島・長崎の被爆の悲劇を受けて、1949年8月6日設立された。