亜国検察は5月16日、1982年の亜英マルビーナス(フォークランド)戦争中に徴兵された新兵たちに拷問的仕打ちをした当時の国軍士官・下士官系26人を人道犯罪容疑で逮捕すると明らかにした。検察は、人道犯罪ゆえに時効はないと説明している
開戦当初、亜国軍は英植民地マルビーナス諸島を占領、訓練の不十分な新兵多数を諸島に送り込んだ。季節は4~6月で、亜国東方400kmの南大西洋にある同諸島の気候はは晩秋から初冬の寒さ。
新兵たちは食糧と防寒服の支給不足に不満で抗議、栄養失調になり、現物を盗む者もいた。すると上官らは特に窃盗者に対し、夜間薄着のまま屋外の杭に縛り付けたり、冷水につからせたりし、最もひどい場合は、首から上だけ地上に出す「埋め込み」をした。みぞれの中、日夜「埋め込み」に遭い、衰弱し野戦病院に運ばれる者もいたという。
検察に被害22件について告発した被害者らは、陸軍第3歩兵師団第5歩兵連隊所属の部隊に配属され、諸島の最前線に送り込まれた元新兵70人の一部。英軍の襲来で脱出したが、平均15~20kg体重が減っていたという。
1976年3月クーデターで政権を握った亜国軍部は、3代目のレオポルド・ガルティエリ将軍大統領が対英開戦に踏み切り敗北、翌83年、4代目が民政移管に追い込まれた。7年余り続いた軍政下で市民3万2000人が殺害された。その中には、遺体が見つからず「行方不明者」扱いされている者も少なくない。
極悪非道の軍政は市民の自由と命を奪ったほか、経済を破綻させ、権勢は地に落ちていた。起死回生の大博打として打ったのが勝算のない無謀な対英戦争で、見事に敗北した。
最前線に巷の青少年と変わらないような新兵部隊を派遣し、人道犯罪行為をするなど、軍政は上から下まで倫理が腐り切っていた。
既にほとんどが退役している元士官・下士官らが逮捕、起訴され法廷に立てば、マルビーナス戦争の暗部があらためて明るみに出るはずだ。
当時、この戦争を亜国側から取材した筆者は、この司法案件の行方に関心を抱いている。
▼ウルグアイに政治囚記念碑
ウルグアイ・サンホセ県にある旧リベルタ―刑務所には、1960年代末から80年前半にかけてのゲリラ戦および軍政期に多数の政治囚が収容された。拷問され、30人が殺された。
5月15日、刑務所近くに完成した「リベルター刑務所記念空間」の除幕式が挙行された。この記念碑は高さ15mで、壁面には元政治囚2872人の氏名が刻まれている。制作者は2人の建築家で、いずれの親も元政治囚。
「リベルタ―」は自由を意味する。なんと皮肉で冷笑的な刑務所名だったことか。
▼ベネズエラ選挙戦終了
5月20日の大統領選挙の選挙戦は17日終了した。再選を目指すニコラース・マドゥーロ大統領の政権党連合は、カラカス目抜きのボリーバル大通り中心部を埋め尽くして最後の集票運動を展開。
大統領は壇上で歌い、夫人と踊った。駆け付けた元亜国サッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナは壇上で「私はマドゥーロの戦士」と叫び、VEN民俗歌謡に合わせて踊りながらVEN国旗を振った。
2018年5月18日金曜日
2017年5月1日月曜日
アルゼンチン軍政(1976~83)に肉親を奪われた「五月広場の母たち」が抗議行動開始40周年を迎え、ブエノスアイレスで記念行事挙行
アルヘンティーナ(亜国)軍政期(1976~83)に少なくとも3万2000人が殺害された。その多くは拉致されたまま「行方不明」になり、遺体・遺骨は見つかっていない。この恐るべき人道犯罪には、当時のニクソン米政権や南米南部の軍政諸国も関与した。
この国家テロリズムを果敢に追及してきた勇気ある市民団体が亜国に幾つかある。代表的な組織(NGO)は「五月広場の母たちの会」、「五月広場の母たちの会-創設者路線」、「五月広場の祖母たちの会」である。
肉親、とりわけ娘や息子の命を軍政に奪われた母たちは1977年4月30日、ブエノスアイレス市中心街の大統領政庁(カサ・ロサーダ)前の「五月広場」で軍政に「息子・娘を返せ」と叫び、抗議行動を開始した。それから丸40年が過ぎた。
軍政は、母親たちの集会にスパイを送り込み逮捕、航空機に乗せて、生きたままラ・プラタ川に投棄した。後に2人の母親の遺体が河口近くの岸に流れ着き、軍政の蛮行が明るみに出る。
彼女たちは、父、兄弟姉妹、夫、息子・娘、孫らを失った。抗議すれば命を奪われたり弾圧されたりした。その風雪の40年を深い皺に刻みつつ耐えてきた彼女らの生存者たちは、多くは車椅子で、支援者らとともに4月30日、五月広場を行進した。広場では、「行方不明」になったままの多くの人々の顔写真と拉致された当時の状況を書いた文字が展示された。
「母たちの会」は、民政移管が1983年に成った後、党派性、指導部選出、政権と距離の取り方などをめぐって対立、86年に分裂した。分派したのは、無党派で、突出した指導者を持たない水平組織の「創設者路線」(ノラ・コルティーニャスら集団指導)。一方、「母の会」はエベ・デ・ボナフィニ会長の強力な指導の下、ペロン主義者色を鮮明にしてきた。
孫を奪われた祖母たち約600人が結成した「祖母たちの会」(エステラ・デ・カルロット会長)は、この4月23日、奪われた赤子をまた一人発見した。122人目で、39歳になる女性だ。「祖母たちの会」は「創設者路線」と協働している。
「創設者路線」指導者の一人コルティーニャスはこの日、記者団を前に、「軍政期の犠牲者は3万人余では少なすぎる。もっと多かったはずだ。軍政期の機密文書を公開せよ」と、マクリ現政権に訴えた。
さらに、「大統領よ、間違ってはいけない。あなたたち政治家の言動は記録され歴史になる。拒絶者として歴史に名を残すことになるのだから」と、文書公開を拒否しないよう求めた。
「母たちの会」のエベ会長は、「マクリ(大統領)よ、ヤンキー(トランプ米政権)と愚かな取引するのを止めよ。さもないと、そのうち尻に一発かまされるぞ(裏切られる)」と激しい言葉を吐き、ワシントンでトランプと会談したばかりのマクリを糾弾した。また、「(政府は)対話に応じよ。呼び鈴を決してならすな(軍政期のような連行は許さない)」と厳しく要求した。
この日、マクリは1日繰り上げた「国際労働者の日」(メイデー)の、各労連による行事のうち、ペロン派保守派の「62労組」の集会に顔を出した。エベは、これをも批判、「彼らは(労組とは言っているが)働いていない」と遣り込めた。
この国家テロリズムを果敢に追及してきた勇気ある市民団体が亜国に幾つかある。代表的な組織(NGO)は「五月広場の母たちの会」、「五月広場の母たちの会-創設者路線」、「五月広場の祖母たちの会」である。
肉親、とりわけ娘や息子の命を軍政に奪われた母たちは1977年4月30日、ブエノスアイレス市中心街の大統領政庁(カサ・ロサーダ)前の「五月広場」で軍政に「息子・娘を返せ」と叫び、抗議行動を開始した。それから丸40年が過ぎた。
軍政は、母親たちの集会にスパイを送り込み逮捕、航空機に乗せて、生きたままラ・プラタ川に投棄した。後に2人の母親の遺体が河口近くの岸に流れ着き、軍政の蛮行が明るみに出る。
彼女たちは、父、兄弟姉妹、夫、息子・娘、孫らを失った。抗議すれば命を奪われたり弾圧されたりした。その風雪の40年を深い皺に刻みつつ耐えてきた彼女らの生存者たちは、多くは車椅子で、支援者らとともに4月30日、五月広場を行進した。広場では、「行方不明」になったままの多くの人々の顔写真と拉致された当時の状況を書いた文字が展示された。
「母たちの会」は、民政移管が1983年に成った後、党派性、指導部選出、政権と距離の取り方などをめぐって対立、86年に分裂した。分派したのは、無党派で、突出した指導者を持たない水平組織の「創設者路線」(ノラ・コルティーニャスら集団指導)。一方、「母の会」はエベ・デ・ボナフィニ会長の強力な指導の下、ペロン主義者色を鮮明にしてきた。
孫を奪われた祖母たち約600人が結成した「祖母たちの会」(エステラ・デ・カルロット会長)は、この4月23日、奪われた赤子をまた一人発見した。122人目で、39歳になる女性だ。「祖母たちの会」は「創設者路線」と協働している。
「創設者路線」指導者の一人コルティーニャスはこの日、記者団を前に、「軍政期の犠牲者は3万人余では少なすぎる。もっと多かったはずだ。軍政期の機密文書を公開せよ」と、マクリ現政権に訴えた。
さらに、「大統領よ、間違ってはいけない。あなたたち政治家の言動は記録され歴史になる。拒絶者として歴史に名を残すことになるのだから」と、文書公開を拒否しないよう求めた。
「母たちの会」のエベ会長は、「マクリ(大統領)よ、ヤンキー(トランプ米政権)と愚かな取引するのを止めよ。さもないと、そのうち尻に一発かまされるぞ(裏切られる)」と激しい言葉を吐き、ワシントンでトランプと会談したばかりのマクリを糾弾した。また、「(政府は)対話に応じよ。呼び鈴を決してならすな(軍政期のような連行は許さない)」と厳しく要求した。
この日、マクリは1日繰り上げた「国際労働者の日」(メイデー)の、各労連による行事のうち、ペロン派保守派の「62労組」の集会に顔を出した。エベは、これをも批判、「彼らは(労組とは言っているが)働いていない」と遣り込めた。
2017年4月8日土曜日
アルゼンチンで全国24時間ゼネスト成功。マクリ政権の新自由主義路線に反対。首都ブエノスアイレスでは世界経済フォーラム(WEF)ラ米版開会。労働者庶民と富裕経営者層の対比鮮やか
アルヘンティ-ナで4月6日、マウリシオ・マクリ政権に反対する初の24時間全国ゼネストが実施された。「亜国労働者センター」(CTA)と「労働総同盟」(CGT)の2大労連が組織、「スト参加率は90%」と労連側は評価した。
2015年12月発足したマクリ保守・右翼政権は、新自由主義による緊縮財政政策をとり、労働者解雇、停職、賃下げなどによるインフレ抑制に力を入れている。12年続いた、労働者重視のペロン派左翼政権が敷いた電気・ガス・電話・自動車道・公共玖通機関などの無料サービスを有料化するなどの対策を講じてきた。
だが昨16年、インフレは年率40%。今年の目標は17%だが、既に28%に及ぶ兆候が表れている。労働者の購買力は減り、不満が日ごとに高まっている。去年の失業率は8・5%、25万人が職を失った。
特に教員組合は賃上げを要求し続けてきたが、政府は無視。このほど法廷は、政府に回答するよう命じた。教員組合の闘争が今回のゼネストの引き金の一つとなった。
交通機関、タクシー、航空、学校、銀行、商店、工場、ごみ収集、病院(最小限対応)などがストに応じ、首都ブエノスアイレスは閑散となった。若者や左翼はあちこちで自動車道を遮断した。
これに対し政府は憲兵隊や機動隊を大量に投入、バリケードを除去、ピケラインを崩した。催涙ガスが発射され、数人が逮捕されたり負傷したりした。マクリ政権は昨年2月、法廷命令なしに道路封鎖やピケットを解除できる法令を定め、これを今回発動した。
ストに参加した亜国労働党(POA)のホルヘ・アルタミーラ党首は、「インフレ抑制策と公定歩合引き上げで景気が後退した。インフレはかえって昂進している」と指摘した。
一方、マクリ大統領はこの日、首都で開催中の「世界経済フォーラム」(WEF)ラ米版で演説。パラグアイのオラシオ・カルテス大統領を含むラ米政財界人1100人が参加している。
労連は「ゼネストに参加していない全国で唯一の場はミニWEF会場だ」と皮肉った。外国からのフォーラム参加者は、遭遇したゼネストに亜国が直面する問題を垣間見た。
それでもマクリの支持率は40~50%台。1日には首都でマクリ支持デモが展開された。
2015年12月発足したマクリ保守・右翼政権は、新自由主義による緊縮財政政策をとり、労働者解雇、停職、賃下げなどによるインフレ抑制に力を入れている。12年続いた、労働者重視のペロン派左翼政権が敷いた電気・ガス・電話・自動車道・公共玖通機関などの無料サービスを有料化するなどの対策を講じてきた。
だが昨16年、インフレは年率40%。今年の目標は17%だが、既に28%に及ぶ兆候が表れている。労働者の購買力は減り、不満が日ごとに高まっている。去年の失業率は8・5%、25万人が職を失った。
特に教員組合は賃上げを要求し続けてきたが、政府は無視。このほど法廷は、政府に回答するよう命じた。教員組合の闘争が今回のゼネストの引き金の一つとなった。
交通機関、タクシー、航空、学校、銀行、商店、工場、ごみ収集、病院(最小限対応)などがストに応じ、首都ブエノスアイレスは閑散となった。若者や左翼はあちこちで自動車道を遮断した。
これに対し政府は憲兵隊や機動隊を大量に投入、バリケードを除去、ピケラインを崩した。催涙ガスが発射され、数人が逮捕されたり負傷したりした。マクリ政権は昨年2月、法廷命令なしに道路封鎖やピケットを解除できる法令を定め、これを今回発動した。
ストに参加した亜国労働党(POA)のホルヘ・アルタミーラ党首は、「インフレ抑制策と公定歩合引き上げで景気が後退した。インフレはかえって昂進している」と指摘した。
一方、マクリ大統領はこの日、首都で開催中の「世界経済フォーラム」(WEF)ラ米版で演説。パラグアイのオラシオ・カルテス大統領を含むラ米政財界人1100人が参加している。
労連は「ゼネストに参加していない全国で唯一の場はミニWEF会場だ」と皮肉った。外国からのフォーラム参加者は、遭遇したゼネストに亜国が直面する問題を垣間見た。
それでもマクリの支持率は40~50%台。1日には首都でマクリ支持デモが展開された。
2017年3月27日月曜日
アルゼンチンの知識人ロドルフォ・ワルシュが軍政に殺されてから40年。状況参加ジャーナリズムで不正義を告発、ノンフィクション作品も数多く世に出した
アルヘンティーナ(亜国)の著名なジャーナリストでノンフィクション(NF)作家だったロドルフォ・ワルシュ(1927~77)が1977年3月25日、当時のビデーラ軍政に殺害されてから40年が過ぎた。24日の軍事クーデター41周年記念日と併せて、故人を知る人々が追悼行事を催した。
アイルランド系亜国人ワルシュは、1950年代から創作物語やNF作品を書き、ジャーナリストとしては1959年のキューバ革命後にハバナで設立された通信社プレンサ・ラティーナの創設にも関与、健筆を振るった。
以後、政治・社会状況に関与する「ペリオディズモ・コンプロメティード」(アンガージュマン・ジャーナリズム)の手法で調査報道をよくし、殺害される直前まで書き続けた。
歿後18年の1995年に刊行された『書くという激烈な仕事』には、1953~77年に発表されたジャーナリズムの記事がまとめられている。
ワルシュは、1960年半ばから70年代半ばにかけての都市ゲリラ活動激化期、ペロン派極左の「モントネロス」に参加、イデオローグとなった。76年のクーデターで政権を握った故ホルヘ・ビデーラ陸軍司令官(軍政大統領)の軍部独裁下で3万2000人が暗殺・殺害されることになるが、ワルシュは「状況参加」し、軍政の悪を告発、糾弾した。
地下に潜伏し、76年4月、「ANCLA」(地下通信社)を始め、地下から報道を続けた。その年9月、愛娘ビクトリアが軍政の秘密警察に拉致され殺された。
ワルシュは1977年1月、NF『フアンは川伝いに行こうとしていた』を書き終えた。そのころモントネロス指導部はワルシュにローマに亡命するよう勧告、旅費を渡そうとする。これをワルシュは断り、亜国に留まり、ジャーナリスムを通じて軍政告発を継続した。
77年3月24日、クーデター1周年の日、ワルシュは軍政の人道犯罪、CIAと組んでの国家間連携テロリズム、富裕層のための経済政策などを非難、告発する長文の「ある作家の軍事評議会への公開書簡」を書いた。ブエノスアイレスに亡命していたボリビア軍政の元大統領JJ・トーレス暗殺、同じくアジェンデ・チレ政権の中枢部に居たカルロス・プラッツ将軍暗殺などへの軍部関与を暴いた。
ワルシュは、この書簡の写しを10部作成、国内主要紙と外国メディア支局に配布した。軍政は激怒、翌25日、ブエノスアイレス市内で海軍兵25人がワルシュを包囲、ワルシュは拳銃で抵抗するが、たちまち銃弾を浴びせられ命を絶たれた。
遺体は、拷問・殺害所となっていた市内の海軍上級機械学校(ESMA)に運ばれた。ESMAでの拷問を辛くも生き延びた仲間が、後年、ワルシュの身内に、遺体を見たことを伝え、明るみに出た。
その後、遺体の在り処は不明のままだが、ESMAの向かい側にある土地に埋められている可能性が強いとされている。だが、依然発掘作業は為されていない。
ワルシュのNF作品には、『虐殺作戦』、『サタノフスキ事件』、『誰がロセンドを殺したか』など。物語には『赤の変化』、『一キロの金』、『写真、書簡と、その女』などがある。
アイルランド系亜国人ワルシュは、1950年代から創作物語やNF作品を書き、ジャーナリストとしては1959年のキューバ革命後にハバナで設立された通信社プレンサ・ラティーナの創設にも関与、健筆を振るった。
以後、政治・社会状況に関与する「ペリオディズモ・コンプロメティード」(アンガージュマン・ジャーナリズム)の手法で調査報道をよくし、殺害される直前まで書き続けた。
歿後18年の1995年に刊行された『書くという激烈な仕事』には、1953~77年に発表されたジャーナリズムの記事がまとめられている。
ワルシュは、1960年半ばから70年代半ばにかけての都市ゲリラ活動激化期、ペロン派極左の「モントネロス」に参加、イデオローグとなった。76年のクーデターで政権を握った故ホルヘ・ビデーラ陸軍司令官(軍政大統領)の軍部独裁下で3万2000人が暗殺・殺害されることになるが、ワルシュは「状況参加」し、軍政の悪を告発、糾弾した。
地下に潜伏し、76年4月、「ANCLA」(地下通信社)を始め、地下から報道を続けた。その年9月、愛娘ビクトリアが軍政の秘密警察に拉致され殺された。
ワルシュは1977年1月、NF『フアンは川伝いに行こうとしていた』を書き終えた。そのころモントネロス指導部はワルシュにローマに亡命するよう勧告、旅費を渡そうとする。これをワルシュは断り、亜国に留まり、ジャーナリスムを通じて軍政告発を継続した。
77年3月24日、クーデター1周年の日、ワルシュは軍政の人道犯罪、CIAと組んでの国家間連携テロリズム、富裕層のための経済政策などを非難、告発する長文の「ある作家の軍事評議会への公開書簡」を書いた。ブエノスアイレスに亡命していたボリビア軍政の元大統領JJ・トーレス暗殺、同じくアジェンデ・チレ政権の中枢部に居たカルロス・プラッツ将軍暗殺などへの軍部関与を暴いた。
ワルシュは、この書簡の写しを10部作成、国内主要紙と外国メディア支局に配布した。軍政は激怒、翌25日、ブエノスアイレス市内で海軍兵25人がワルシュを包囲、ワルシュは拳銃で抵抗するが、たちまち銃弾を浴びせられ命を絶たれた。
遺体は、拷問・殺害所となっていた市内の海軍上級機械学校(ESMA)に運ばれた。ESMAでの拷問を辛くも生き延びた仲間が、後年、ワルシュの身内に、遺体を見たことを伝え、明るみに出た。
その後、遺体の在り処は不明のままだが、ESMAの向かい側にある土地に埋められている可能性が強いとされている。だが、依然発掘作業は為されていない。
ワルシュのNF作品には、『虐殺作戦』、『サタノフスキ事件』、『誰がロセンドを殺したか』など。物語には『赤の変化』、『一キロの金』、『写真、書簡と、その女』などがある。
2017年1月5日木曜日
チェ・ゲバラに賛同したアルゼンチン人画家シロ・ブストス死去
1960年代に革命家エルネスト・チェ・ゲバラの命を受けて活動した亜国人画家シロ・ブストス(84)が1月1日、亡命生活を送っていたスウェーデン南部マルメ市の自宅で死去した。3日明らかにされたが、死因は心臓発作だった。
シロは1932年、亜国中西部アンデス山脈沿いのメンドサ市で生まれた。同市にある国立クジョ大学芸術学部に学び、画家になった。61年、亜国芸術家・作家訪問団の一員として革命後間もないクーバを訪問する。
同国人で、チェの親友だった医師アルベルト・グラナードと知り合い、チェに紹介された。グラナードは、チェの第1回南米旅行の同伴者で、ベネスエラで医師をしていたが、クーバ革命成功後、ハバナに移住していた。
シロは同年再度訪玖、チェから亜国内にゲリラ拠点を構築するのに協力するよう求められ、承諾する。チェはクーバ国籍を与えられていたが、紛れもない亜国人だった。
チェ、ジャーナリストとしてハバナで活動、通信社プレンサ・ラティ-ナを率いたこともある亜国人ホルヘ=リカルド・マセッティ、グラナード、シロの亜国人4人は「人民ゲリラ軍」(EGP)結成で合意、グラナードとシロは亜国で結成準備に当たる。
チェは将来の南米でのゲリラ活動に備え、ペルー、ボリビア、亜国、ブラジルなど南米中南部にまたがる広大な戦線構築を構想していた。
1963年、EGPはボリビア南部から国境を越え、亜国北部のサルタ州高地で拠点を設ける。マセッティが司令だったが、EGPの活動が定着したら、チェが最高司令に収まることになっていた。
ところがEGPは存在を察知され、スパイも紛れこみ、64年4月、亜国国境警備隊によって壊滅させられた。シロは逃げおおせ、ウルグアイで地下生活を送る。だがチェとの連絡は維持していた。
1966年11月、ボリビア・サンタクルース州ニャンカウアスー渓谷にゲリラ拠点を設営したチェは、シロを招く。シロは67年3月、ラパスで仏知識人レジ・ドゥブレと落ち合い、女性工作員タニアの案内でチェの陣地に到達する。
当時、ボリビア軍はチェのボリビア民族解放軍(ELN-B)の存在を確認、小規模な戦闘が始まっていた。そんなさなかの4月下旬、シロはドゥブレおよび、取材に来ていた英国系チレ人フォトジャーナリスト、ジョージ・ロスの3人で脱出を図るが、ボリビア軍に捕えられてしまう。
ロスは報道人として釈放されるが、シロとドゥブレは自白を迫られる。2人は自白し、シロはチェ以下、ゲリラの面々の似顔絵を描く。裁判で2人は禁錮30年の実刑判決を受け、服役する。チェは67年10月8日捕えられ、9日処刑された。
1970年、ボリビアにフアン=ホセ・トーレス将軍大統領の人民政権が登場、シロとドゥブレは同年12月恩赦されて、発足したばかりのアジェンデ社会主義政権のチレに行き、サルバドール・アジェンデ大統領に迎えられた。
ドゥブレはフランスに帰国、シロはアンデス山脈を越え、故郷メンドサに潜伏する。亜国ではペロン派左翼のカンポラ政権に続いてフアン=ドミンゴ・ペロン退役将軍が73年政権に就く。だが翌年死去し、夫人イサベル・ペロンが副大統領から昇格する。
ペロン夫妻の腹心だったホセ・ロペス=レガはペロン派極右で、暗殺組織AAA(亜国反共同盟)を結成、左翼狩りを展開していた。76年3月、イサベル政権はクーデターで崩壊、ビデラ極右軍政が発足する。
命を狙われていたシロはブエノスアイレスのスウェーデン大使館に亡命、同国に渡り、画家として暮らした。その後、チェの遺族や研究者から、シロとドゥブレが裏切ったからELN-Bは全滅しチェは殺された、との非難が起きた。
スウェーデンのメディアは2001年、ドキュメンタリー「誰がチェ・ゲバラを裏切ったのか」を製作。チェの最期の場ラ・イゲラ村に居たボリビア軍士官ガリー・プラード(その後将軍)、クーバ系CIA要員フェリックス・ロドリゲス、ドゥブレ、シロらにインタビューした。
プラードとロドリゲスは、シロとドゥブレの供述や似顔絵は必要なかったと語っている。シロは、ボリビア軍を欺くため実在しないゲリラ2人の顔も書き込んでいたと証言している。
シロは07年、『チェは君に会いたがっている』と題した自伝を西語で刊行。13年6月、その英語版刊行に際してシロはロンドンの亜国大使館で記者会見し、「誰もチェを裏切ってはいない。ボリビア軍部はすべてを知っていた」と語った。
シロは元日、家族との祝宴に参加、一人暮らしの自宅に帰ってから息を引き取り、数奇な生涯に終止符を打った。
シロは1932年、亜国中西部アンデス山脈沿いのメンドサ市で生まれた。同市にある国立クジョ大学芸術学部に学び、画家になった。61年、亜国芸術家・作家訪問団の一員として革命後間もないクーバを訪問する。
同国人で、チェの親友だった医師アルベルト・グラナードと知り合い、チェに紹介された。グラナードは、チェの第1回南米旅行の同伴者で、ベネスエラで医師をしていたが、クーバ革命成功後、ハバナに移住していた。
シロは同年再度訪玖、チェから亜国内にゲリラ拠点を構築するのに協力するよう求められ、承諾する。チェはクーバ国籍を与えられていたが、紛れもない亜国人だった。
チェ、ジャーナリストとしてハバナで活動、通信社プレンサ・ラティ-ナを率いたこともある亜国人ホルヘ=リカルド・マセッティ、グラナード、シロの亜国人4人は「人民ゲリラ軍」(EGP)結成で合意、グラナードとシロは亜国で結成準備に当たる。
チェは将来の南米でのゲリラ活動に備え、ペルー、ボリビア、亜国、ブラジルなど南米中南部にまたがる広大な戦線構築を構想していた。
1963年、EGPはボリビア南部から国境を越え、亜国北部のサルタ州高地で拠点を設ける。マセッティが司令だったが、EGPの活動が定着したら、チェが最高司令に収まることになっていた。
ところがEGPは存在を察知され、スパイも紛れこみ、64年4月、亜国国境警備隊によって壊滅させられた。シロは逃げおおせ、ウルグアイで地下生活を送る。だがチェとの連絡は維持していた。
1966年11月、ボリビア・サンタクルース州ニャンカウアスー渓谷にゲリラ拠点を設営したチェは、シロを招く。シロは67年3月、ラパスで仏知識人レジ・ドゥブレと落ち合い、女性工作員タニアの案内でチェの陣地に到達する。
当時、ボリビア軍はチェのボリビア民族解放軍(ELN-B)の存在を確認、小規模な戦闘が始まっていた。そんなさなかの4月下旬、シロはドゥブレおよび、取材に来ていた英国系チレ人フォトジャーナリスト、ジョージ・ロスの3人で脱出を図るが、ボリビア軍に捕えられてしまう。
ロスは報道人として釈放されるが、シロとドゥブレは自白を迫られる。2人は自白し、シロはチェ以下、ゲリラの面々の似顔絵を描く。裁判で2人は禁錮30年の実刑判決を受け、服役する。チェは67年10月8日捕えられ、9日処刑された。
1970年、ボリビアにフアン=ホセ・トーレス将軍大統領の人民政権が登場、シロとドゥブレは同年12月恩赦されて、発足したばかりのアジェンデ社会主義政権のチレに行き、サルバドール・アジェンデ大統領に迎えられた。
ドゥブレはフランスに帰国、シロはアンデス山脈を越え、故郷メンドサに潜伏する。亜国ではペロン派左翼のカンポラ政権に続いてフアン=ドミンゴ・ペロン退役将軍が73年政権に就く。だが翌年死去し、夫人イサベル・ペロンが副大統領から昇格する。
ペロン夫妻の腹心だったホセ・ロペス=レガはペロン派極右で、暗殺組織AAA(亜国反共同盟)を結成、左翼狩りを展開していた。76年3月、イサベル政権はクーデターで崩壊、ビデラ極右軍政が発足する。
命を狙われていたシロはブエノスアイレスのスウェーデン大使館に亡命、同国に渡り、画家として暮らした。その後、チェの遺族や研究者から、シロとドゥブレが裏切ったからELN-Bは全滅しチェは殺された、との非難が起きた。
スウェーデンのメディアは2001年、ドキュメンタリー「誰がチェ・ゲバラを裏切ったのか」を製作。チェの最期の場ラ・イゲラ村に居たボリビア軍士官ガリー・プラード(その後将軍)、クーバ系CIA要員フェリックス・ロドリゲス、ドゥブレ、シロらにインタビューした。
プラードとロドリゲスは、シロとドゥブレの供述や似顔絵は必要なかったと語っている。シロは、ボリビア軍を欺くため実在しないゲリラ2人の顔も書き込んでいたと証言している。
シロは07年、『チェは君に会いたがっている』と題した自伝を西語で刊行。13年6月、その英語版刊行に際してシロはロンドンの亜国大使館で記者会見し、「誰もチェを裏切ってはいない。ボリビア軍部はすべてを知っていた」と語った。
シロは元日、家族との祝宴に参加、一人暮らしの自宅に帰ってから息を引き取り、数奇な生涯に終止符を打った。
2016年12月31日土曜日
対カタール合意不正で、アルゼンチン大統領捜査を検察要請
亜国連邦検察庁は12月30日、マクリ政権とカタール政府が11月6日調印した両国合同財団創設合意には不正があるとして、裁判所に捜査開始許可を要請した。
亜国インフラ整備用として創設が決まった財団は基金13億ドルを持つことになるが、亜国側は社会保障庁(ANSES)の資金から分担額を支出することになっている。検察は、なぜ同庁資金が使われるのかが明確でないうえ、必要な手続きをせずに国際合意がなされた点を追及している。検察はまた、合意には財団が税金回避のための隠れ蓑になる可能性があると指摘している。
検察が不正容疑をかけているのは、マウリシオ・マクリ大統領、ガブリエーラ・ミケッティ副大統領、スサーナ・マルコーラ外相ら政府高官ばかり。ミケッティは合意書に調印した。またマクリは今年4月、「パナマ文書」で払税回避疑惑が明らかになった。
一方、検察は29日、2015年1月18日に謎の死を遂げたアルベルト・ニースマン検事の死因再調査を開始した。ニースマンは、1994年にブエノスアイレスで起きたイスラエル・亜国相互協会(AMIA)爆破事件を捜査していた。
2004年に当時のネストル・キルチネル大統領から同事件の主任捜査官に任命されたニースマンは06年、イラン外交官とヒズボラ(イスラム教シーア派民兵組織)が事件に関与したと結論づけた。事件ではユダヤ系85人が死亡、約300人が負傷した。
ニースマンはその後、キルチネル元大統領の妻クリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)前大統領、CFK政権期のエクトル・ティメルマン外相ら政府高官を同事件の真相隠蔽容疑で起訴する準備を進めた。イラン人関与を隠す見返りにイラン原油の供給を受けるなどの便宜を図ってもらう密約をしていた、という容疑だった。
ニースマンは、その「真相」と現職大統領だったCFKらを起訴する旨を亜国国会で報告する前日、自宅で頭部に銃弾1発を浴びた変死体で発見された。以来、自殺か他殺かで議論が二分されてきた。
今年8月、在亜ユダヤ系組織DAIAは、ニースマン死亡事件の再調査を要請。法廷がこのほど受け入れた。CFK政権とイラン政府は13年にAMIA事件の合同捜査実施で合意に達したが、合同捜査は実行されなかった。
▼ラ米短信 ◎サパティスタが大統領候補擁立へ
メヒコ・チアパス州サンクリストーバル・デ・ラスカサス市で12月30日、サパティスタ民族解放軍(EZLN)と全国先住民理事会(CNI)は2018年7月の大統領選挙にEZLNの候補を出馬させるための政治綱領策定などの話し合いに入った。
かつてサパティスタはメヒコ政治体制の外側から批判する立場をとっていた。だが内側から平和裏に社会正義実現などを目指す方針に切り替えた。
一方、EZLNのガレアーノ副司令(元マルコス副司令)は30日、サパティスタが運営する地球大学で声明を発表、「元日実施のガソリン値上げは国中に大混乱を招くだろう。メヒコの現実はサイエンスフィクションのようだ」 と述べた。
▼ラ米短信 ◎ジャーナリスト93人が今年殺される
ブリュッセルに本部のある国際ジャーナリスト連盟は12月30日、世界で今年、ジャーナリストおよび報道従業者が93人殺害されたと発表した。イラクで15人、アフガニスタンで13人、メヒコで11人の順。
昨年の112人より少ないが、同連盟はジャーナリストへの脅迫、迫害、また自己規制が増えており、言論・報道の自由が脅かされていることに留意せねばならないと指摘した。
このほか、ブラジル人ジャーナリスト29人がコロンビアでの飛行機墜落事故で死亡。ロシア人ジャーナリスト9人も黒海での航空機墜落事故で亡くなった。
▼ラ米短信 ◎グアテマラの米大使館が脅迫受け閉鎖
グアテマラ市の米大使館は12月30日、深刻な脅迫を受けているとして30日から1月2日まで閉館すると発表した。3日には開館する予定。
ことし5月、グアテマラ人の男が米大使館に手製の爆発物を投げ込んだ事件があった。米国から強制退去させられた腹いせだった。大使館は今回の脅迫について明らかにしていない。グアテマラ警察が捜査している。
▼ラ米短信 ◎ベネスエラが輪番制議長を亜国に渡す
ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は12月30日、南部共同市場(メルコスール)の輪番制議長国の資格を亜国に渡した、と発表した。ベネスエラは6月30日から半年間、議長国を務める立場にあった。
だがパラグアイ、ブラジル、アルゼンチンの3国が反対。12月2日には、ベネスエラのメルコスール規約の大量未批准を理由に、同国の加盟資格停止を決めた。
これに納得しないベネスエラは「議長国の任務を遂行し終えた」として、亜国にその地位を引き渡すという外交的パフォーマンスを演じた。
▼ラ米短信 ◎クーバへの外国観光客400万人超える
玖観光省は12月30日、ことしの外国からの来訪観光客は同日400万人を超えた、と発表した。前年比13%増。達成目標を6%上回った。北米人と欧州人が多かった。
亜国インフラ整備用として創設が決まった財団は基金13億ドルを持つことになるが、亜国側は社会保障庁(ANSES)の資金から分担額を支出することになっている。検察は、なぜ同庁資金が使われるのかが明確でないうえ、必要な手続きをせずに国際合意がなされた点を追及している。検察はまた、合意には財団が税金回避のための隠れ蓑になる可能性があると指摘している。
検察が不正容疑をかけているのは、マウリシオ・マクリ大統領、ガブリエーラ・ミケッティ副大統領、スサーナ・マルコーラ外相ら政府高官ばかり。ミケッティは合意書に調印した。またマクリは今年4月、「パナマ文書」で払税回避疑惑が明らかになった。
一方、検察は29日、2015年1月18日に謎の死を遂げたアルベルト・ニースマン検事の死因再調査を開始した。ニースマンは、1994年にブエノスアイレスで起きたイスラエル・亜国相互協会(AMIA)爆破事件を捜査していた。
2004年に当時のネストル・キルチネル大統領から同事件の主任捜査官に任命されたニースマンは06年、イラン外交官とヒズボラ(イスラム教シーア派民兵組織)が事件に関与したと結論づけた。事件ではユダヤ系85人が死亡、約300人が負傷した。
ニースマンはその後、キルチネル元大統領の妻クリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)前大統領、CFK政権期のエクトル・ティメルマン外相ら政府高官を同事件の真相隠蔽容疑で起訴する準備を進めた。イラン人関与を隠す見返りにイラン原油の供給を受けるなどの便宜を図ってもらう密約をしていた、という容疑だった。
ニースマンは、その「真相」と現職大統領だったCFKらを起訴する旨を亜国国会で報告する前日、自宅で頭部に銃弾1発を浴びた変死体で発見された。以来、自殺か他殺かで議論が二分されてきた。
今年8月、在亜ユダヤ系組織DAIAは、ニースマン死亡事件の再調査を要請。法廷がこのほど受け入れた。CFK政権とイラン政府は13年にAMIA事件の合同捜査実施で合意に達したが、合同捜査は実行されなかった。
▼ラ米短信 ◎サパティスタが大統領候補擁立へ
メヒコ・チアパス州サンクリストーバル・デ・ラスカサス市で12月30日、サパティスタ民族解放軍(EZLN)と全国先住民理事会(CNI)は2018年7月の大統領選挙にEZLNの候補を出馬させるための政治綱領策定などの話し合いに入った。
かつてサパティスタはメヒコ政治体制の外側から批判する立場をとっていた。だが内側から平和裏に社会正義実現などを目指す方針に切り替えた。
一方、EZLNのガレアーノ副司令(元マルコス副司令)は30日、サパティスタが運営する地球大学で声明を発表、「元日実施のガソリン値上げは国中に大混乱を招くだろう。メヒコの現実はサイエンスフィクションのようだ」 と述べた。
▼ラ米短信 ◎ジャーナリスト93人が今年殺される
ブリュッセルに本部のある国際ジャーナリスト連盟は12月30日、世界で今年、ジャーナリストおよび報道従業者が93人殺害されたと発表した。イラクで15人、アフガニスタンで13人、メヒコで11人の順。
昨年の112人より少ないが、同連盟はジャーナリストへの脅迫、迫害、また自己規制が増えており、言論・報道の自由が脅かされていることに留意せねばならないと指摘した。
このほか、ブラジル人ジャーナリスト29人がコロンビアでの飛行機墜落事故で死亡。ロシア人ジャーナリスト9人も黒海での航空機墜落事故で亡くなった。
▼ラ米短信 ◎グアテマラの米大使館が脅迫受け閉鎖
グアテマラ市の米大使館は12月30日、深刻な脅迫を受けているとして30日から1月2日まで閉館すると発表した。3日には開館する予定。
ことし5月、グアテマラ人の男が米大使館に手製の爆発物を投げ込んだ事件があった。米国から強制退去させられた腹いせだった。大使館は今回の脅迫について明らかにしていない。グアテマラ警察が捜査している。
▼ラ米短信 ◎ベネスエラが輪番制議長を亜国に渡す
ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は12月30日、南部共同市場(メルコスール)の輪番制議長国の資格を亜国に渡した、と発表した。ベネスエラは6月30日から半年間、議長国を務める立場にあった。
だがパラグアイ、ブラジル、アルゼンチンの3国が反対。12月2日には、ベネスエラのメルコスール規約の大量未批准を理由に、同国の加盟資格停止を決めた。
これに納得しないベネスエラは「議長国の任務を遂行し終えた」として、亜国にその地位を引き渡すという外交的パフォーマンスを演じた。
▼ラ米短信 ◎クーバへの外国観光客400万人超える
玖観光省は12月30日、ことしの外国からの来訪観光客は同日400万人を超えた、と発表した。前年比13%増。達成目標を6%上回った。北米人と欧州人が多かった。
2016年12月28日水曜日
アルゼンチンのフェルナンデス前大統領を公金詐取で起訴
亜国法廷は12月27日、クリスティーナ・フェルナデス=デ・キルチネル(CFK)前大統領らを共同謀議および行政詐欺で起訴。CFKと、フリオ・デビード元企画・社会基盤相(現下院議員)、ホセ・ロペス元公共事業次官(逮捕済み)、建設会社社長ラサロ・バエス(同)の4人に各100億ペソ(約6億3000万米ドル)の資産差し押さえを命じた。
罪状は、2003~15年(CFK政権期および、その前のネストル・キルチネル政権期)に、キルチネル夫妻の出身州サンタクルース州の公共事業工事(総額22億ドル)を銀行員出身のバエスの建設会社「アウストラル建設」に不正発注し、公金を横領したこと。
CFKは昨年12月任期満了で政権を降りたが、今年に入ってから不正蓄財で起訴された。今回は別の罪状で起訴された。収監は免れないと見られている。
バエスは工事代金を11億ドルも水増しして請求、受け取っていた。主に州内の道路工事だったが、未完成の工事も含まれている。工事代金はすべて、山分けされたと見られている。
CFKは、政敵のマウリシオ・マクリ現大統領が今年の経済2・4%縮小など行政の不手際を隠すため、政治的裁判で自分たちを迫害していると非難している。だが裁判所命令にこれ以上抵抗するのは困難と見られている。
▼ラ米短信 ◎コロンビア政府とゲリラELNは1月10日和平交渉へ
コロンビアのサントス政権と「民族解放軍」(ELN)は来年1月10日、エクアドールの首都キトで和平交渉を開始する。ELNは12月27日、年末声明を発表、交渉開始を確認した。
ELNはエクアドール、キューバ、ベネスエラ、チレ、ノルウェー、ブラジルの6カ国に、和平交渉の「保証国」となるよう求めている。
交渉は当初10月27日開始の予定だったが、ELNがチョコー県内で、極右準軍部隊を動かしていたオディオ・サンチェスを拉致、依然解放していない。この事件に怒ったサントス政権は交渉を延期していた。
最大のゲリラ組織FARCは既に政府と和平合意し、武装解除に向けて前進している。FARCが和平に踏み切った以上、ELNは内戦を継続する意味を失い、和平を望んでいる。
罪状は、2003~15年(CFK政権期および、その前のネストル・キルチネル政権期)に、キルチネル夫妻の出身州サンタクルース州の公共事業工事(総額22億ドル)を銀行員出身のバエスの建設会社「アウストラル建設」に不正発注し、公金を横領したこと。
CFKは昨年12月任期満了で政権を降りたが、今年に入ってから不正蓄財で起訴された。今回は別の罪状で起訴された。収監は免れないと見られている。
バエスは工事代金を11億ドルも水増しして請求、受け取っていた。主に州内の道路工事だったが、未完成の工事も含まれている。工事代金はすべて、山分けされたと見られている。
CFKは、政敵のマウリシオ・マクリ現大統領が今年の経済2・4%縮小など行政の不手際を隠すため、政治的裁判で自分たちを迫害していると非難している。だが裁判所命令にこれ以上抵抗するのは困難と見られている。
▼ラ米短信 ◎コロンビア政府とゲリラELNは1月10日和平交渉へ
コロンビアのサントス政権と「民族解放軍」(ELN)は来年1月10日、エクアドールの首都キトで和平交渉を開始する。ELNは12月27日、年末声明を発表、交渉開始を確認した。
ELNはエクアドール、キューバ、ベネスエラ、チレ、ノルウェー、ブラジルの6カ国に、和平交渉の「保証国」となるよう求めている。
交渉は当初10月27日開始の予定だったが、ELNがチョコー県内で、極右準軍部隊を動かしていたオディオ・サンチェスを拉致、依然解放していない。この事件に怒ったサントス政権は交渉を延期していた。
最大のゲリラ組織FARCは既に政府と和平合意し、武装解除に向けて前進している。FARCが和平に踏み切った以上、ELNは内戦を継続する意味を失い、和平を望んでいる。
2016年12月13日火曜日
拉致されたアルゼンチンの左官ロペス氏に名誉博士号
ブエノスアイレス(BA)州都ラ・プラタ市にある国立ラ・プラタ大学は12月12日、旧軍政極右陣営によって強制失踪させられた左官職人ホルヘ=フリオ・ロペスに名誉博士号を授与、息子ルベーン・ロペスが証書を受け取った。
ロペスは軍政時代(1976~83)に連行され、地下収容所で拷問された。2006年に元BA州捜査警察長官ミゲル・エチェコラツら、軍政期に同州内で起きた人道犯罪の責任者たちを裁く法廷で証言。新たに法廷証言する直前の同年9月18日、拉致された。殺害されたと見られている。
だがロペスが済ませていた証言により、エチェコラツらに2012年、終身刑が言い渡された。エチェコラツは拉致、拷問、殺害、政治囚に生まれた赤子奪取などに関与した。
ロペスは、野放しになっているエチェコラツの元部下らによって拉致され抹殺されたと見られている。ロペスは失踪から10年経った今、人権のために闘った功績を認められ、名誉博士号を授与された。
▼ラ米短信 ◎クーバと欧州連合(EU)が関係正常化で調印
クーバとEUは12月12日ブリュッセルで「政治対話・協力合意」に調印した。1996年に当時のスペイン右翼政権の主唱で定められた「共通姿勢」(ポシシオン・コムン)という対玖締め付けのための統一政策は過去のものとなった。
調印式にはブルーノ・ロドリゲス外相(共産党政治局員)が出席した。トゥランプ次期米大統領が就任する前にEUとの関係正常化に到達したことは、クーバにとって重要だ。
トゥランプ次期大統領は12日、米南方軍(マイアミ司令部)の前司令官、ジョン・ケリー退役海兵隊大将を国土安全保障相に任命した。ケリーは南方軍司令官時代、ベネスエラ潰しの工作に力を入れていた。このためベネスエラやクーバは警戒している。
一方、玖電気通信会社ETECSAと米グーグル社は12日ハバナで、電子機器通信協力協定を結んだ。パソコン通信の速度加速化などが目的。
またフランスのカレブ航空は9日、パリ・ハバナ定期便を就航させた。毎金曜日に往復便が運航される。毎火曜日には、同じくパリ・サンティアゴデクーバ便が運航される。また玖国営航空クバーナとの毎土曜日の共同運航を検討している。
ロペスは軍政時代(1976~83)に連行され、地下収容所で拷問された。2006年に元BA州捜査警察長官ミゲル・エチェコラツら、軍政期に同州内で起きた人道犯罪の責任者たちを裁く法廷で証言。新たに法廷証言する直前の同年9月18日、拉致された。殺害されたと見られている。
だがロペスが済ませていた証言により、エチェコラツらに2012年、終身刑が言い渡された。エチェコラツは拉致、拷問、殺害、政治囚に生まれた赤子奪取などに関与した。
ロペスは、野放しになっているエチェコラツの元部下らによって拉致され抹殺されたと見られている。ロペスは失踪から10年経った今、人権のために闘った功績を認められ、名誉博士号を授与された。
▼ラ米短信 ◎クーバと欧州連合(EU)が関係正常化で調印
クーバとEUは12月12日ブリュッセルで「政治対話・協力合意」に調印した。1996年に当時のスペイン右翼政権の主唱で定められた「共通姿勢」(ポシシオン・コムン)という対玖締め付けのための統一政策は過去のものとなった。
調印式にはブルーノ・ロドリゲス外相(共産党政治局員)が出席した。トゥランプ次期米大統領が就任する前にEUとの関係正常化に到達したことは、クーバにとって重要だ。
トゥランプ次期大統領は12日、米南方軍(マイアミ司令部)の前司令官、ジョン・ケリー退役海兵隊大将を国土安全保障相に任命した。ケリーは南方軍司令官時代、ベネスエラ潰しの工作に力を入れていた。このためベネスエラやクーバは警戒している。
一方、玖電気通信会社ETECSAと米グーグル社は12日ハバナで、電子機器通信協力協定を結んだ。パソコン通信の速度加速化などが目的。
またフランスのカレブ航空は9日、パリ・ハバナ定期便を就航させた。毎金曜日に往復便が運航される。毎火曜日には、同じくパリ・サンティアゴデクーバ便が運航される。また玖国営航空クバーナとの毎土曜日の共同運航を検討している。
2016年12月10日土曜日
アルゼンチンのマクリ保守政権が発足1周年
アルヘンティーナ(亜国)のマウリシオ・マクリ大統領の保守・右翼政権は12月10日、発足1周年を迎えた。この1年間にインフレは累計45%、景気は後退した。貧困人口が増えた。870万人が貧困、130万人が窮乏状態にある。両者合わせた1000万人は、人口の38%に相当する。
その間、公務員7000人、民間企業労働者20万人が馘首された。1米ドル=9・75ペソだった外為交換率は、1d=16・11pと、65%もペソの価値が落ちた。
その傍ら、亜国への債権を買い取り、巨額の債務返済を要求していた米投資会社(禿鷹ファンド)と妥協、高額を支払った。
貧困大衆は生活苦から抗議行動を続けている。「五月広場の母たちの会」(エベ・デ・ボナフィニ派)と、同会創設者路線(ノラ・コルティーニャスら)は8~9両日に亘って「24時間抗議行進」を、カサ・ロサーダ(大統領政庁)前の五月広場で実行した。
88歳のボナフィニ会長は車椅子で参加。母たちと支援者は「連帯と闘争か、それとも飢餓と弾圧に身をまかすか」の横断幕を掲げ、ペロン主義キルチネル派の前政権の政治家が共に行進した。
一方、創設者路線の行進には、ノーベル平和賞受賞者アドルフォ・ペレス=エスキベルらが参加した。
両母の会ともに、マクリ政権下で政治的弾圧、失業、飢餓、誹謗、不公正などが急速に増えたと指摘する。ことし初め、フフイ州内で、州当局を批判した女性ミラグロ・サラが逮捕され、拘禁されたままになっている。
親米・新自由主義路線を共にするマクリとテメルの亜伯大統領は関係を深めている。一方でクリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル前亜国大統領と、ルーラ元伯大統領、テメルらの陰謀で弾劾されたヂウマ・ルセフ前伯大統領は連携を進めている。
▼ラ米短信 ◎亜英両国が無名戦士の身元確認で合意
亜英両国は11月29日、マルビーナス戦争(1982年4~6月)で戦死し「無名戦士」としてマルビーナス(フォークアンド)諸島のダーウィン墓地に埋葬されている亜国軍兵士123人のDNA鑑定による身元確認をすることで予備合意、12月9日、最終合意した。双方は赤十字国際委員会(ICRC)に委託し、来年中にDNA鑑定する。
亜国軍がマルビーナス領有権奪回のため開戦した戦争で、亜国軍649人(無名戦士1234人含む、英軍255人、島人3人が死亡した。英国が勝ち、諸島は英国の植民地のままとなっている。
その間、公務員7000人、民間企業労働者20万人が馘首された。1米ドル=9・75ペソだった外為交換率は、1d=16・11pと、65%もペソの価値が落ちた。
その傍ら、亜国への債権を買い取り、巨額の債務返済を要求していた米投資会社(禿鷹ファンド)と妥協、高額を支払った。
貧困大衆は生活苦から抗議行動を続けている。「五月広場の母たちの会」(エベ・デ・ボナフィニ派)と、同会創設者路線(ノラ・コルティーニャスら)は8~9両日に亘って「24時間抗議行進」を、カサ・ロサーダ(大統領政庁)前の五月広場で実行した。
88歳のボナフィニ会長は車椅子で参加。母たちと支援者は「連帯と闘争か、それとも飢餓と弾圧に身をまかすか」の横断幕を掲げ、ペロン主義キルチネル派の前政権の政治家が共に行進した。
一方、創設者路線の行進には、ノーベル平和賞受賞者アドルフォ・ペレス=エスキベルらが参加した。
両母の会ともに、マクリ政権下で政治的弾圧、失業、飢餓、誹謗、不公正などが急速に増えたと指摘する。ことし初め、フフイ州内で、州当局を批判した女性ミラグロ・サラが逮捕され、拘禁されたままになっている。
親米・新自由主義路線を共にするマクリとテメルの亜伯大統領は関係を深めている。一方でクリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル前亜国大統領と、ルーラ元伯大統領、テメルらの陰謀で弾劾されたヂウマ・ルセフ前伯大統領は連携を進めている。
▼ラ米短信 ◎亜英両国が無名戦士の身元確認で合意
亜英両国は11月29日、マルビーナス戦争(1982年4~6月)で戦死し「無名戦士」としてマルビーナス(フォークアンド)諸島のダーウィン墓地に埋葬されている亜国軍兵士123人のDNA鑑定による身元確認をすることで予備合意、12月9日、最終合意した。双方は赤十字国際委員会(ICRC)に委託し、来年中にDNA鑑定する。
亜国軍がマルビーナス領有権奪回のため開戦した戦争で、亜国軍649人(無名戦士1234人含む、英軍255人、島人3人が死亡した。英国が勝ち、諸島は英国の植民地のままとなっている。
2016年8月8日月曜日
ブエノスアイレスで労働者が反マクリ大規模抗議デモ
マクリ新自由主義右翼政権が支配するアルヘンティーナで8月7日、生活苦、政治的圧迫感、弾圧に抗議する労働者ら市民が、労働者の守護聖人「聖カジェターノ」の日に因み、聖カジェターノ教会から、大統領政庁(カサ・ロサーダ)前の五月広場までブエノスアイレスを15km行進、同広場で抗議集会を開いた。
共催した「決起するバリオ(地区)」(BDP)、「階級闘争派」(CCC=トゥリプレ・セ)、「人民経済労働者連盟」(CTEP=セテップ)の発表では、10万人が参加した。
参加者は、「平和、パン、土地、住宅、働き口」と書かれた巨大な横断幕を先頭に、さまざまな訴えや要求を書いたプラカード、旗、チェ・ゲバラ像などを掲げ行進した。
人々はメディアのインタビューに対し、年金生活者の苦しさ、若者の失業の深刻さ、マクリ政権のペロン派左翼弾圧などで抗議の声を挙げた。ある高齢の労働者は、「反政府の世論がこれだけ拡がっていることを行動で見えるように示さねば」と、デモ行進の意義を強調した。
マクリ政権の司法当局からクリスティーナ・フェルナンデス前大統領が公金横領罪などで追及されているが、「市民連立」党首エリサ・カリオー下院議員は7日、ダニエル・シオーリ前ブエノスアイレス州知事が知事時代に公金を横領した可能性があると公言。新たな汚職問題として浮上しつつある。
シオーリはフェルナンデス前大統領の後継候補として昨年の大統領選挙にペロン派キルチネル路線から出馬。第1回投票で1位になったが、決選でペロン派右翼を取り込んだ前ブエノスアイレス市長マウリシオ・マクリに敗れた。
マクリは5日、リオ五輪開会式出席時、リオデジャネイロでテメル伯大統領代行、カルテス・パラグアイ大統領と会談、南部共同市場(メルコスール)輪番制議長にベネスエラが就任するのを阻止する方針で一致した。
これに対し、ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は「3国同盟の陰謀は許さない」と非難、カラカスの外務省にメルコスール旗を掲げ「議長国就任」を演出した。だが就任に賛成しているのはウルグアイだけで、就任は認められていない。
亜伯パラグアイ3国は、加盟国に認められている拒否権をベネスエラから剥奪することも話し合った。ベネスエラが議長国になるのに反対する理由は、同国が域内関税取り決めに完全には参加していないこと、同国の人権や言論の自由が「危機に瀕している」ことなど。
だがブラジルは、ヂウマ・ルセフ合憲大統領を弾劾する「制度的クーデター」の真っ最中で、その首謀者の一人がテメル代行だ。またパラグアイでは2012年にフェルナンド・ルーゴ合憲大統領を、カルテスの政権党コロラード党が「国会クーデター」で追放している。さらにマクリは「パナマ文書」醜聞に関与、公務員大量馘首や左翼弾圧で評判が芳しくない。
こんな時、加盟国でないエクアドールのラファエル・コレア大統領は、「メルコスールにはアルファベット順に議長国が決まる制度があり、ウルグアイの次はベネスエラに決まっている」と述べ、反対する3国に疑問を呈した。
共催した「決起するバリオ(地区)」(BDP)、「階級闘争派」(CCC=トゥリプレ・セ)、「人民経済労働者連盟」(CTEP=セテップ)の発表では、10万人が参加した。
参加者は、「平和、パン、土地、住宅、働き口」と書かれた巨大な横断幕を先頭に、さまざまな訴えや要求を書いたプラカード、旗、チェ・ゲバラ像などを掲げ行進した。
人々はメディアのインタビューに対し、年金生活者の苦しさ、若者の失業の深刻さ、マクリ政権のペロン派左翼弾圧などで抗議の声を挙げた。ある高齢の労働者は、「反政府の世論がこれだけ拡がっていることを行動で見えるように示さねば」と、デモ行進の意義を強調した。
マクリ政権の司法当局からクリスティーナ・フェルナンデス前大統領が公金横領罪などで追及されているが、「市民連立」党首エリサ・カリオー下院議員は7日、ダニエル・シオーリ前ブエノスアイレス州知事が知事時代に公金を横領した可能性があると公言。新たな汚職問題として浮上しつつある。
シオーリはフェルナンデス前大統領の後継候補として昨年の大統領選挙にペロン派キルチネル路線から出馬。第1回投票で1位になったが、決選でペロン派右翼を取り込んだ前ブエノスアイレス市長マウリシオ・マクリに敗れた。
マクリは5日、リオ五輪開会式出席時、リオデジャネイロでテメル伯大統領代行、カルテス・パラグアイ大統領と会談、南部共同市場(メルコスール)輪番制議長にベネスエラが就任するのを阻止する方針で一致した。
これに対し、ベネスエラのデルシー・ロドリゲス外相は「3国同盟の陰謀は許さない」と非難、カラカスの外務省にメルコスール旗を掲げ「議長国就任」を演出した。だが就任に賛成しているのはウルグアイだけで、就任は認められていない。
亜伯パラグアイ3国は、加盟国に認められている拒否権をベネスエラから剥奪することも話し合った。ベネスエラが議長国になるのに反対する理由は、同国が域内関税取り決めに完全には参加していないこと、同国の人権や言論の自由が「危機に瀕している」ことなど。
だがブラジルは、ヂウマ・ルセフ合憲大統領を弾劾する「制度的クーデター」の真っ最中で、その首謀者の一人がテメル代行だ。またパラグアイでは2012年にフェルナンド・ルーゴ合憲大統領を、カルテスの政権党コロラード党が「国会クーデター」で追放している。さらにマクリは「パナマ文書」醜聞に関与、公務員大量馘首や左翼弾圧で評判が芳しくない。
こんな時、加盟国でないエクアドールのラファエル・コレア大統領は、「メルコスールにはアルファベット順に議長国が決まる制度があり、ウルグアイの次はベネスエラに決まっている」と述べ、反対する3国に疑問を呈した。
2016年7月7日木曜日
アルゼンチン法廷がフェルナンデス前大統領の資産差押さえ
アルゼンチン法廷は7月6日、出廷したクリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)前大統領に対し、CFK所有の1500万ペソ(約130万米ドル)相当の不動産を差し押さえる、と伝えた。CFKは起訴されている。
CFKは「迫害だ」と反駁している。これに対し、欧州歴訪中のマウリシオ・マクリ大統領は7日ドイツで、「迫害ではない。亜国を法治国家にするという公約を遵守しているだけ」と交わし、「亜国にはもはや無処罰はない。判事、企業家、政治家、ジャーナリストであろうが誰であろうが、無処罰はない」と強調した。
CFKには以前から不正蓄財疑惑が渦巻いていたが、先月、CFK政権時代の公共事業政策担当者ホセ・ロペスが、ブエノスアイレス郊外の修道院に現金900万ドルを隠そうとして逮捕、起訴され、この事件を契機に、司直の手が前大統領に及んだ。
CFKは既に、3カ所に分散して隠し持っていた未申告の現金600万ドルを摘発されており、今度、不動産を差し押さえられた。法廷は当面、CFKが大統領時代、中銀にドル先物取引で相場より安くドルを売るよう命じ、国庫に損失を及ぼした責任を追及している。
だが追及の的は、公共事業に絡む不正蓄財。ロペスが隠そうとした900万ドルも、その一部と見られている。
CFKのキルチネル派はペロン派左翼。ペロン派は左翼、伝統保守、右翼に分裂しており、昨年の大統領選挙では右翼が離反。その右翼の支持を得た財界候補の右翼マクリが当選した。
マクリは「法治国家化」を大義名分として、ペロン派左翼潰しに乗り出している、と見ることができる。
▼ラ米短信 ブラジル国会下院のエドゥアルド・クーニャ議長は7月7日、辞任した。巨額の収賄事件で起訴されており、5月から議長と下院議員の資格停止処分に遭い、事実上「前議長」となっていた。議員は辞職しないとしている。
下院議長はワルテル・マラニャン議員が代行を務めてきたが、同代行の議長昇格はなく、近く議長選挙が実施されるもよう。
クーニャは、ブラジル民主運動党(PMDB)の実力者で、同党のミシェル・テメル大統領代行と共に、ヂウマ・ルセフ大統領を弾劾する「制度的クーデター」の陰謀の中心人物だった。
CFKは「迫害だ」と反駁している。これに対し、欧州歴訪中のマウリシオ・マクリ大統領は7日ドイツで、「迫害ではない。亜国を法治国家にするという公約を遵守しているだけ」と交わし、「亜国にはもはや無処罰はない。判事、企業家、政治家、ジャーナリストであろうが誰であろうが、無処罰はない」と強調した。
CFKには以前から不正蓄財疑惑が渦巻いていたが、先月、CFK政権時代の公共事業政策担当者ホセ・ロペスが、ブエノスアイレス郊外の修道院に現金900万ドルを隠そうとして逮捕、起訴され、この事件を契機に、司直の手が前大統領に及んだ。
CFKは既に、3カ所に分散して隠し持っていた未申告の現金600万ドルを摘発されており、今度、不動産を差し押さえられた。法廷は当面、CFKが大統領時代、中銀にドル先物取引で相場より安くドルを売るよう命じ、国庫に損失を及ぼした責任を追及している。
だが追及の的は、公共事業に絡む不正蓄財。ロペスが隠そうとした900万ドルも、その一部と見られている。
CFKのキルチネル派はペロン派左翼。ペロン派は左翼、伝統保守、右翼に分裂しており、昨年の大統領選挙では右翼が離反。その右翼の支持を得た財界候補の右翼マクリが当選した。
マクリは「法治国家化」を大義名分として、ペロン派左翼潰しに乗り出している、と見ることができる。
▼ラ米短信 ブラジル国会下院のエドゥアルド・クーニャ議長は7月7日、辞任した。巨額の収賄事件で起訴されており、5月から議長と下院議員の資格停止処分に遭い、事実上「前議長」となっていた。議員は辞職しないとしている。
下院議長はワルテル・マラニャン議員が代行を務めてきたが、同代行の議長昇格はなく、近く議長選挙が実施されるもよう。
クーニャは、ブラジル民主運動党(PMDB)の実力者で、同党のミシェル・テメル大統領代行と共に、ヂウマ・ルセフ大統領を弾劾する「制度的クーデター」の陰謀の中心人物だった。
2016年5月28日土曜日
アルゼンチンで「コンドル作戦」関与者に重い実刑判決
アルヘンティーナ法廷は5月27日、1970年代~80年代に南米軍政6カ国が展開した反政府勢力暗殺共同作戦「コンドル計画」に亜国内で関与した亜国人16人、ウルグアイ人1人の計17人に判決を下した。
亜国軍政(1976~83)最後の非合憲大統領だったレイナルド・ビニョーネ(88)ら2人に禁錮20年の実刑が言い渡された。事実上の終身刑だ。
拉致、拷問、殺害を担当した秘密警察の元幹部ミゲル=アンヘル・フルシ、元陸軍第4軍団司令官サンティアゴ・リベロス、ウルグアイ人元大佐マヌエル・コルデーロの3人に禁錮25年が下された。
コルデーロは、拉致されてきたウルグアイ人政治囚を扱う秘密拘置所「アウトモトーレス・オルレッティ」で拷問、殺害をほしいままにした。ブラジルで逮捕され、2007年亜国に引き渡された。この、ほか禁錮18年1人、13年3人、12年5人、8年1人。2人は無罪だった。
この審理は2013年に始まり、当初容疑者は33人いたが、ホルヘ・ビデーラ元軍政非合憲大統領らが死去、起訴されたのは17人に減っていた。
「コンドル作戦」はニクソン、フォード両米政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーやCIAの肝煎りで策定され、ブラジル、亜国、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、チレの6カ国軍政が加担した。
犠牲者は106人。ウルグアイ人45、智人22、パラグアイ人15、ボリビア人13、亜国人10、エクアドール1。チレ人にはカルロス・プラッツ元陸軍司令官、ボリビア人にはフアン=ホセ・トーレス元軍政大統領が含まれている。
法廷傍聴席は犠牲者の遺族らで埋め尽くされた。亜国「五月広場の母の会(創設期路線)」のタティー・アルメイダ、亜国詩人の故フアン・ヘルマンの孫マカレーナ・ヘルマンらの姿もあった。
ウルグアイでは、軍政の人道犯罪を裁く意志がウルグアイには欠けて、といる批判する声があらためて大きくなっている。
▼ラ米短信 メヒコの教員養成学校生43人らの強制失踪事件発生から5月26日で1年8カ月経った。学生の家族、友人、教員らはメヒコ市中心部のレフォルマ大通りで抗議行進、検察庁前で特に強く抗議した。
抗議する人々は4班に分かれ、約20カ国の大使館を訪ね、支援を求めた。エル・サルバドール(ES)、クーバ、スペイン、ポルトガル、ドイツ、アイルランド、ウクライナ、ルーマニア、イスラエルなど。ESとスペインの大使館員は面談に応じた。
一方、この事件に関するメヒコ国会特別委員会の議員団は26日、事件当日学生らが乗っていたバスの運行会社「エストゥレージャ・ロハ・デ・スール(南赤星)」を訪れたが、同社は情報提供を拒否した。
エンリケ・ペニャ=ニエト大統領の政府は、連邦政府の事件関与に関する捜査を拒否。このため真相は20カ月経っても未解明のままだ。
亜国軍政(1976~83)最後の非合憲大統領だったレイナルド・ビニョーネ(88)ら2人に禁錮20年の実刑が言い渡された。事実上の終身刑だ。
拉致、拷問、殺害を担当した秘密警察の元幹部ミゲル=アンヘル・フルシ、元陸軍第4軍団司令官サンティアゴ・リベロス、ウルグアイ人元大佐マヌエル・コルデーロの3人に禁錮25年が下された。
コルデーロは、拉致されてきたウルグアイ人政治囚を扱う秘密拘置所「アウトモトーレス・オルレッティ」で拷問、殺害をほしいままにした。ブラジルで逮捕され、2007年亜国に引き渡された。この、ほか禁錮18年1人、13年3人、12年5人、8年1人。2人は無罪だった。
この審理は2013年に始まり、当初容疑者は33人いたが、ホルヘ・ビデーラ元軍政非合憲大統領らが死去、起訴されたのは17人に減っていた。
「コンドル作戦」はニクソン、フォード両米政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーやCIAの肝煎りで策定され、ブラジル、亜国、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、チレの6カ国軍政が加担した。
犠牲者は106人。ウルグアイ人45、智人22、パラグアイ人15、ボリビア人13、亜国人10、エクアドール1。チレ人にはカルロス・プラッツ元陸軍司令官、ボリビア人にはフアン=ホセ・トーレス元軍政大統領が含まれている。
法廷傍聴席は犠牲者の遺族らで埋め尽くされた。亜国「五月広場の母の会(創設期路線)」のタティー・アルメイダ、亜国詩人の故フアン・ヘルマンの孫マカレーナ・ヘルマンらの姿もあった。
ウルグアイでは、軍政の人道犯罪を裁く意志がウルグアイには欠けて、といる批判する声があらためて大きくなっている。
▼ラ米短信 メヒコの教員養成学校生43人らの強制失踪事件発生から5月26日で1年8カ月経った。学生の家族、友人、教員らはメヒコ市中心部のレフォルマ大通りで抗議行進、検察庁前で特に強く抗議した。
抗議する人々は4班に分かれ、約20カ国の大使館を訪ね、支援を求めた。エル・サルバドール(ES)、クーバ、スペイン、ポルトガル、ドイツ、アイルランド、ウクライナ、ルーマニア、イスラエルなど。ESとスペインの大使館員は面談に応じた。
一方、この事件に関するメヒコ国会特別委員会の議員団は26日、事件当日学生らが乗っていたバスの運行会社「エストゥレージャ・ロハ・デ・スール(南赤星)」を訪れたが、同社は情報提供を拒否した。
エンリケ・ペニャ=ニエト大統領の政府は、連邦政府の事件関与に関する捜査を拒否。このため真相は20カ月経っても未解明のままだ。
2016年5月14日土曜日
アルゼンチン法廷がフェルナンデス前大統領を背任で起訴
アルヘンティーナ司法当局は5月13日、クリスティーナ・フェルナンデス=デ・キルチネル(CFK)前大統領ら15人を、米ドル先物取引での不正行為による背任行為容疑で起訴した。
CFK政権下の昨年9月、CFKは相場より安くドルを売るよう指示し、国庫に1億ドル余りの損害を与えた疑い。当時の経済相アクセル・キシロフ(現下院議員)、同中央銀行総裁アレハンドロ・バノリほか、元高官ら。法廷は各被告の資産100万ドルずつを差し押さえた。
マクリ現政権の与党カンビエモス(変革しよう)が告訴していた。マクリ大統領のペロン派潰し戦略の一環であり、ルセフ伯大統領停職処分の起訴は、亜伯両国の保守・右翼勢力と財界が連動していることを示す。
一方、起訴されたCFKは13日、マクリ政権が発足直後の12月16日、通貨ペソを34%切り下げた際、その情報を握っていた同政権閣僚らがインサイダー操作で不正に儲けたと非難した。
▼ラ米短信 ブラジルのミシェル・テメル大統領代行は5月13日、「(年末に暫定大統領に就任するとしても)任期2年では奇蹟は起こせない」と述べるとともに、エンリケ・メイヘレス蔵相には経済調整を自由裁量で実行するよう伝えてある、と語った。
メイへレスはまだ政策を発表していないが、13日、年金受給年齢を定める方針を明らかにした。早期退職・受給を規制して財政負担を軽減させる狙いだ。
一方、外務省は13日、今回の政変をゴルペ(クーデター)などと糾弾したり厳しく批判したりしたベネスエラ、クーバ、ボリビア、エクアドール、ニカラグアの5カ国政府に反駁。同じく、南米諸国連合(ウナスール)事務局長エルネスト・サンペール(元コロンビア大統領)と、米州ボリバリアーナ同盟(ALBA)に反論した。
ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は駐伯大使を召還、対伯関係練り直しで協議している。同大統領は、ルセフ大統領弾劾の動きをゴルペと断言、ウナスール諸国に「熟慮」を呼び掛けている。
CFK政権下の昨年9月、CFKは相場より安くドルを売るよう指示し、国庫に1億ドル余りの損害を与えた疑い。当時の経済相アクセル・キシロフ(現下院議員)、同中央銀行総裁アレハンドロ・バノリほか、元高官ら。法廷は各被告の資産100万ドルずつを差し押さえた。
マクリ現政権の与党カンビエモス(変革しよう)が告訴していた。マクリ大統領のペロン派潰し戦略の一環であり、ルセフ伯大統領停職処分の起訴は、亜伯両国の保守・右翼勢力と財界が連動していることを示す。
一方、起訴されたCFKは13日、マクリ政権が発足直後の12月16日、通貨ペソを34%切り下げた際、その情報を握っていた同政権閣僚らがインサイダー操作で不正に儲けたと非難した。
▼ラ米短信 ブラジルのミシェル・テメル大統領代行は5月13日、「(年末に暫定大統領に就任するとしても)任期2年では奇蹟は起こせない」と述べるとともに、エンリケ・メイヘレス蔵相には経済調整を自由裁量で実行するよう伝えてある、と語った。
メイへレスはまだ政策を発表していないが、13日、年金受給年齢を定める方針を明らかにした。早期退職・受給を規制して財政負担を軽減させる狙いだ。
一方、外務省は13日、今回の政変をゴルペ(クーデター)などと糾弾したり厳しく批判したりしたベネスエラ、クーバ、ボリビア、エクアドール、ニカラグアの5カ国政府に反駁。同じく、南米諸国連合(ウナスール)事務局長エルネスト・サンペール(元コロンビア大統領)と、米州ボリバリアーナ同盟(ALBA)に反論した。
ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は駐伯大使を召還、対伯関係練り直しで協議している。同大統領は、ルセフ大統領弾劾の動きをゴルペと断言、ウナスール諸国に「熟慮」を呼び掛けている。
2016年3月25日金曜日
アルゼンチンで軍事クーデター40周年記念行事、大々的に実施
アルヘンティーナは3月24日、軍事クーデター発生40周年記念日(国祭日)を迎えた。ブエノスアイレスの五月広場をはじめ全国各地で抗議行進や記念行事が催された。
「五月広場の祖母たちの会」、同「母たちの会(創設路線)」、逮捕失踪者遺族会などは国会前から7月9日大通りを経て、大統領政庁前の五月広場まで行進した。人々は、軍政に殺された3万2000人余りの犠牲者の顔写真を並べた長い布の幕を掲げながら行進した。
「祖母たちの会」のエステーラ・デ・カルロット会長は五月広場で声明を読み上げ、マクリ政権は排他的で少数者の権利のためにある、と批判。マクリ政権発足後100日間に10万人以上が解雇されたことなどを糾弾した。
同「祖母の会」のタティー・アルメイダ会長は、「オバーマ大統領が約束通り機密文書を公開するのを見守る」と表明した。マクリも亜国の機密文書の公開を約束した。
一方、団体「記憶・真実・正義会合」も左翼や人権団体とともに、国会前から五月広場まで行進した。「調整(首切り)・収奪・弾圧反対、3万人余りの犠牲者はここにいる!」と叫んだ。また、バラク・オバーマ米大統領がこの日、「記憶公園」の「国家テロリズモ犠牲者記念碑」に参ったことに抗議した。
別の「母たちの会」のエベ・デ・ボナフィニ会長は、会の本部から前政権閣僚らと共にトラックで五月広場に行き、定例の「ロンダ」(周回抗議行動)を展開した。
フェルナンデス前大統領の息子らが指揮するペロン派左翼青年団体「ラ・カンポラ」は、五月広場で「権利なしに民主はない」と叫び、気勢を挙げた。
首都のフサイ広場では、政党UCR(急進市民同盟)が、軍政下で殺された国立ブエノスアイレス大学生たちの慰霊板の除幕式を挙行した。
オバマとマウリシオ・マクリ亜国大統領は24日午前、「記憶公園」を訪れた後、首都を離れ、それぞれ別々に家族と共に保養地バリローチェで過ごした。軍政糾弾行事の中心地ブエノスアイレスを早々と離れた印象だ。
同地でマクリはオバーマに会い、別れを告げた。オバーマ一行は同日夜、首都郊外のエセイサ空港経由、帰国の途に就いた。米国では、オバーマが23日の晩餐会の場でタンゴを踊ったことに、ベルギー事件の直後に不謹慎だとする批判が出ている。
オバーマをノーベル平和賞受賞者仲間と見なしている亜国受賞者で人権活動家のアドルフォ・ペレス=エスキベル(APE)は、「24日に亜国に滞在するならば、軍政と米政府との関係を明らかにし、責任を認めるべきだ」という趣旨の書簡を3月初め、米国大使館を通じてオバーマに送付していたことを明らかにした。
APEは24日には、「過去を記念することは過去に留まることではない。よりよい祖国をついくるため、現在を照らすためだ」と語った。
また亜国政府が人権擁護を軍政下での人道犯罪に限りがちなことを批判。「人権は鉱山労働者、先住民、幼児、農民、農薬被害者ら広範な問題に及ぶが、これを理解する者が少ない」と指摘した。
キルチネル夫妻2代12年間のペロン派左翼政権について、「人権問題を自分たちに都合のいいように利用した」と批判した。マクリ大統領に関しては、「新自由主義者であり、人権問題に無関心だ。だから我々はイデオロギー的に政府と対立することになろう」と指摘した。
「五月広場の祖母たちの会」、同「母たちの会(創設路線)」、逮捕失踪者遺族会などは国会前から7月9日大通りを経て、大統領政庁前の五月広場まで行進した。人々は、軍政に殺された3万2000人余りの犠牲者の顔写真を並べた長い布の幕を掲げながら行進した。
「祖母たちの会」のエステーラ・デ・カルロット会長は五月広場で声明を読み上げ、マクリ政権は排他的で少数者の権利のためにある、と批判。マクリ政権発足後100日間に10万人以上が解雇されたことなどを糾弾した。
同「祖母の会」のタティー・アルメイダ会長は、「オバーマ大統領が約束通り機密文書を公開するのを見守る」と表明した。マクリも亜国の機密文書の公開を約束した。
一方、団体「記憶・真実・正義会合」も左翼や人権団体とともに、国会前から五月広場まで行進した。「調整(首切り)・収奪・弾圧反対、3万人余りの犠牲者はここにいる!」と叫んだ。また、バラク・オバーマ米大統領がこの日、「記憶公園」の「国家テロリズモ犠牲者記念碑」に参ったことに抗議した。
別の「母たちの会」のエベ・デ・ボナフィニ会長は、会の本部から前政権閣僚らと共にトラックで五月広場に行き、定例の「ロンダ」(周回抗議行動)を展開した。
フェルナンデス前大統領の息子らが指揮するペロン派左翼青年団体「ラ・カンポラ」は、五月広場で「権利なしに民主はない」と叫び、気勢を挙げた。
首都のフサイ広場では、政党UCR(急進市民同盟)が、軍政下で殺された国立ブエノスアイレス大学生たちの慰霊板の除幕式を挙行した。
オバマとマウリシオ・マクリ亜国大統領は24日午前、「記憶公園」を訪れた後、首都を離れ、それぞれ別々に家族と共に保養地バリローチェで過ごした。軍政糾弾行事の中心地ブエノスアイレスを早々と離れた印象だ。
同地でマクリはオバーマに会い、別れを告げた。オバーマ一行は同日夜、首都郊外のエセイサ空港経由、帰国の途に就いた。米国では、オバーマが23日の晩餐会の場でタンゴを踊ったことに、ベルギー事件の直後に不謹慎だとする批判が出ている。
オバーマをノーベル平和賞受賞者仲間と見なしている亜国受賞者で人権活動家のアドルフォ・ペレス=エスキベル(APE)は、「24日に亜国に滞在するならば、軍政と米政府との関係を明らかにし、責任を認めるべきだ」という趣旨の書簡を3月初め、米国大使館を通じてオバーマに送付していたことを明らかにした。
APEは24日には、「過去を記念することは過去に留まることではない。よりよい祖国をついくるため、現在を照らすためだ」と語った。
また亜国政府が人権擁護を軍政下での人道犯罪に限りがちなことを批判。「人権は鉱山労働者、先住民、幼児、農民、農薬被害者ら広範な問題に及ぶが、これを理解する者が少ない」と指摘した。
キルチネル夫妻2代12年間のペロン派左翼政権について、「人権問題を自分たちに都合のいいように利用した」と批判した。マクリ大統領に関しては、「新自由主義者であり、人権問題に無関心だ。だから我々はイデオロギー的に政府と対立することになろう」と指摘した。
2016年3月24日木曜日
オバマ米大統領がマクリ・アルゼンチン大統領に「同盟関係」強調
バラク・オバーマ米大統領は3月22日午後訪玖を終え、ラウール・カストロ議長に見送られてハバナを出発、23日午前1時過ぎ、ブエノスアイレスのエセイサ国際空港に到着、亜国外相の出迎えを受けた。
カサ・ロサーダ(亜国大統領政庁)で23日午前、マウリシオ・マクリ大統領と、2国間関係、ブラジル情勢、ベルギーテロリズム事件などについて会談した。両国は安全保障、麻薬取締り、通商に関する協力協定に調印した。
首脳会談後の記者会見で、マクリはベルギー事件犠牲者のため1分間黙祷を、と切り出し、「アルヘンティーナが新しい地平線を切り開きつつある時にオバーマ大統領が来訪した」と歓迎。
オバーマが、亜国側の要請に応じて、1976年の軍事クーデター40周年(3月26日)に合わせて、軍政期の人道犯罪や、米政府と亜国軍政との関係に関する米政府機密文書の解禁を決めたことに「真実を知るのに貢献する」と謝意を表明した。
次いでオバーマが発言。亜国は同盟国であり地域の主導国と讃え、「マクリ大統領の最初の100日間は印象的で、素早く包含的、持続的経済政策を打ちだしたと評価。さらに、亜国は地域だけでなく国際社会の指導国になり得、協働していきたい、と持ち上げた。
記者団との質疑では、ベルギー事件とブラジル情勢に関する質問が目立った。オバーマはベルギー事件については、「世界は反テロリズムで団結すべきだ。シリア和平でも協働したいとマクリ大統領は提言した。IS潰しは最優先課題だが、その実行方法が問題だ。広範な空爆はかえってIS勢力を増幅させることになる。金融締め付けであるとか、機能する方法が重要だ」と述べた。
終わりつつある施政を問われたオバーマは、「経済を強化した。外交面の成果はクーバは一例にすぎない。イランでもある。だがシリア和平は実現していない。北朝鮮の核兵器問題もある」と答えた。
マクリは、オバーマ大統領のクーバ訪問を評価して、「クーバの若い世代に自由についての討論を活発化させる」と述べた。また「亜国は国際社会と協働しないと駄目だ。孤立はいけない」と述べ、暗にペロン派左翼の前政権との違いを指摘した。
ブラジルについて両首脳は、「我々は強力な友邦ブラジルを望んでいる」という点で同意見だった。過去の亜国軍政との関係で謝罪する気があるかと問われたオバーマは、「過去の米国とラ米との関係を逐一顧みるつもりはない」と交わした。
1時間近い記者団との会合の後、オバーマ大統領は、政庁近くにある大聖堂とサンマルティン廟を訪れた。この大聖堂は、フランシスコ法王がミサをしていた。オバーマは若者との会合では、社会主義とか資本主義とかイデオロギーに囚われずに実践的に生きるべきだ、と忠言した。
玖亜歴訪でのオバーマ発言を点検してきたベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は23日カラカスで、米政府はラ米への干渉メカニズモを復活させようとしている、と批判した。
一方モスクワでは、セルゲイ・ラブロフ露外相が、玖米首脳会談を支持。ベネスエラについては、外部から干渉されており、ロシアは事態を注意深く見守っている、と述べた。
カサ・ロサーダ(亜国大統領政庁)で23日午前、マウリシオ・マクリ大統領と、2国間関係、ブラジル情勢、ベルギーテロリズム事件などについて会談した。両国は安全保障、麻薬取締り、通商に関する協力協定に調印した。
首脳会談後の記者会見で、マクリはベルギー事件犠牲者のため1分間黙祷を、と切り出し、「アルヘンティーナが新しい地平線を切り開きつつある時にオバーマ大統領が来訪した」と歓迎。
オバーマが、亜国側の要請に応じて、1976年の軍事クーデター40周年(3月26日)に合わせて、軍政期の人道犯罪や、米政府と亜国軍政との関係に関する米政府機密文書の解禁を決めたことに「真実を知るのに貢献する」と謝意を表明した。
次いでオバーマが発言。亜国は同盟国であり地域の主導国と讃え、「マクリ大統領の最初の100日間は印象的で、素早く包含的、持続的経済政策を打ちだしたと評価。さらに、亜国は地域だけでなく国際社会の指導国になり得、協働していきたい、と持ち上げた。
記者団との質疑では、ベルギー事件とブラジル情勢に関する質問が目立った。オバーマはベルギー事件については、「世界は反テロリズムで団結すべきだ。シリア和平でも協働したいとマクリ大統領は提言した。IS潰しは最優先課題だが、その実行方法が問題だ。広範な空爆はかえってIS勢力を増幅させることになる。金融締め付けであるとか、機能する方法が重要だ」と述べた。
終わりつつある施政を問われたオバーマは、「経済を強化した。外交面の成果はクーバは一例にすぎない。イランでもある。だがシリア和平は実現していない。北朝鮮の核兵器問題もある」と答えた。
マクリは、オバーマ大統領のクーバ訪問を評価して、「クーバの若い世代に自由についての討論を活発化させる」と述べた。また「亜国は国際社会と協働しないと駄目だ。孤立はいけない」と述べ、暗にペロン派左翼の前政権との違いを指摘した。
ブラジルについて両首脳は、「我々は強力な友邦ブラジルを望んでいる」という点で同意見だった。過去の亜国軍政との関係で謝罪する気があるかと問われたオバーマは、「過去の米国とラ米との関係を逐一顧みるつもりはない」と交わした。
1時間近い記者団との会合の後、オバーマ大統領は、政庁近くにある大聖堂とサンマルティン廟を訪れた。この大聖堂は、フランシスコ法王がミサをしていた。オバーマは若者との会合では、社会主義とか資本主義とかイデオロギーに囚われずに実践的に生きるべきだ、と忠言した。
玖亜歴訪でのオバーマ発言を点検してきたベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は23日カラカスで、米政府はラ米への干渉メカニズモを復活させようとしている、と批判した。
一方モスクワでは、セルゲイ・ラブロフ露外相が、玖米首脳会談を支持。ベネスエラについては、外部から干渉されており、ロシアは事態を注意深く見守っている、と述べた。
2016年3月16日水曜日
アルゼンチン巡視艇が逃走図った中国漁船を撃沈
アルヘンティーナ海事庁は3月14日、同国南部パタゴニアのチュブー州プエルト・マドゥリン沖の排他的経済水域(ZEE)内で違法操業していた中国漁船「ル・ヤン・ユアン・ユ 010」号を臨検しようとしたところ逃走を図ったため、沿岸警備隊の巡視艇ペルフェクト・デルベス号が機関砲を発射、同漁船は沈没した、と発表した。
発表によると、この漁船は4日前にもZEEを侵犯、巡視艇を振り切って逃走した。巡視艇は14日、漁船を発見するや、無線によりスペイン語と英語で警告、ついで音声や信号で合図を送った。だが公海に向けて逃走を図ったため、接近して砲撃した。漁船は何度も巡視艇に体当たりしようと試みた。
沈没した際、船長ら4人はボートで脱出、巡視艇が救助した。他の乗組員28人は、付近にいた中国漁船に救助された。死傷者は出ていない。
船長ら中国人4人を乗せた巡視艇は16日にもマドゥリン港に到着するもよう。最寄りのラウソン市の法廷がこの事件を扱う。
一方、中国外務省とブエノスアイレスの中国大使館は15日、亜国外務省に厳重抗議し、事件の究明を要請した。中国側は、漁船がZEE内で不法操業した事実には言及していないもよう。
中国は、フェルナンデス前政権期に亜国にとり最大の貿易相手国、融資源となった。だが昨年12月発足したマクリ政権は対米関係改善を通じ国際金融界復帰を図っており、亜国経済にとって中国は依然重要だが、以前よりは重要性が減る方向にある。
発表によると、この漁船は4日前にもZEEを侵犯、巡視艇を振り切って逃走した。巡視艇は14日、漁船を発見するや、無線によりスペイン語と英語で警告、ついで音声や信号で合図を送った。だが公海に向けて逃走を図ったため、接近して砲撃した。漁船は何度も巡視艇に体当たりしようと試みた。
沈没した際、船長ら4人はボートで脱出、巡視艇が救助した。他の乗組員28人は、付近にいた中国漁船に救助された。死傷者は出ていない。
船長ら中国人4人を乗せた巡視艇は16日にもマドゥリン港に到着するもよう。最寄りのラウソン市の法廷がこの事件を扱う。
一方、中国外務省とブエノスアイレスの中国大使館は15日、亜国外務省に厳重抗議し、事件の究明を要請した。中国側は、漁船がZEE内で不法操業した事実には言及していないもよう。
中国は、フェルナンデス前政権期に亜国にとり最大の貿易相手国、融資源となった。だが昨年12月発足したマクリ政権は対米関係改善を通じ国際金融界復帰を図っており、亜国経済にとって中国は依然重要だが、以前よりは重要性が減る方向にある。
2016年1月7日木曜日
アルゼンチン右翼政権が国家公務員1万人解雇
アルヘンティーナのマクリ右翼政権が、ペロン派左翼のフェルナンデス前政権の「残滓」を荒っぽく破壊している。これまでに、前政権が雇用した国家公務員約1万人を解雇した。
1月6日には保健相ホルヘ・レムスが、医師が行きたがらない亜国の僻地で医療業務に当たってきた医師380人の医師資格を剥奪した、と報じられた。この380人は、2007年の亜玖協定に基づきクーバで医学を学び、医師免許を取得していた。保健相は「亜国には十分な数の医師がいる」と述べたと伝えられたが、積極的に僻地医療に携わる者は極めて少ない。
だが保健省は報道を受けて同日、そのような通達は出していないと否定した。なぜ「医師免許剥奪」の情報が報じられたのか、原因は明らかにされていない。
12月10日就任したばかりの大統領Mマクリは同月下旬、軍政時代に拉致、拷問、殺害などの人道罪に関与し収監されていた元軍人、刑務所所長ら10人を行政措置で釈放した。悪しき無処罰の伝統が甦りつつある、と内外から厳しく批判されている。
政府は、マスメディアの一社集中を禁じた法制度を潰し、その管理機関に介入したり、他の機関からペロン派職員を大量解雇したりするなど、容赦なく大鉈を振るっている。
外交面では米政府と歩調を合わせるかのように、マドゥーロ・ベネスエラ政権への内政干渉を繰り返している。
政権発足後3カ月と言われる「蜜月期間」に前政権の「遺物」を一掃するという衝撃療法を採っているわけだ。ペロン派をはじめとする反政府派は野に下る転換期で、全国的な反撃態勢はまだ整っていない。
だが知識人らの間で少しずつ政府批判の論調が現れつつある。
1月6日には保健相ホルヘ・レムスが、医師が行きたがらない亜国の僻地で医療業務に当たってきた医師380人の医師資格を剥奪した、と報じられた。この380人は、2007年の亜玖協定に基づきクーバで医学を学び、医師免許を取得していた。保健相は「亜国には十分な数の医師がいる」と述べたと伝えられたが、積極的に僻地医療に携わる者は極めて少ない。
だが保健省は報道を受けて同日、そのような通達は出していないと否定した。なぜ「医師免許剥奪」の情報が報じられたのか、原因は明らかにされていない。
12月10日就任したばかりの大統領Mマクリは同月下旬、軍政時代に拉致、拷問、殺害などの人道罪に関与し収監されていた元軍人、刑務所所長ら10人を行政措置で釈放した。悪しき無処罰の伝統が甦りつつある、と内外から厳しく批判されている。
政府は、マスメディアの一社集中を禁じた法制度を潰し、その管理機関に介入したり、他の機関からペロン派職員を大量解雇したりするなど、容赦なく大鉈を振るっている。
外交面では米政府と歩調を合わせるかのように、マドゥーロ・ベネスエラ政権への内政干渉を繰り返している。
政権発足後3カ月と言われる「蜜月期間」に前政権の「遺物」を一掃するという衝撃療法を採っているわけだ。ペロン派をはじめとする反政府派は野に下る転換期で、全国的な反撃態勢はまだ整っていない。
だが知識人らの間で少しずつ政府批判の論調が現れつつある。
2015年12月26日土曜日
アルゼンチン:「39年ぶりの対面」は事実でなかった
亜国軍政期の1976年11月24日ブエノスイアレス州都ラプラタ市で、軍・警察コマンドに急襲され殺害されたペロン派極左モントネロス要員4人のうちの一人の娘で軍政に奪われたクラーラ=アナイー・マリアーニ=テルッジ(当時生後3カ月)を名乗る女性が(2015年)12月24日、「祖母」の元を訪れ、「39年ぶりに再会」と大々的に報じられた。だがノーチェ・ブエナ(クリスマスイヴ)に合わせた偽りだったことがわかった。
祖母マリーア・チェロビック=デ・マリアーニ(91)の代理人である弁護士が、法廷に判断を依頼したところ、法廷は国立遺伝子試料銀行(BNDG)に照会、その結果、名乗り出た女性は孫娘クラーラ=アナイーでないことが判明した。代理人はナビダー(クリスマス)の25日、この沈痛な事実を発表した。
その女性はコルドバ州内に住むマリーア=エレーナ・ウェルリ(39)。ことし6月、同州内の民間検査施設で遺伝子検査を受け、76年に殺害されたモントネロス要員ディアナ・テルッジ(当時26、母親)の娘に「99・9%間違いない」と判断された。そこでウェルリはBNDGに照会したが、同銀行は保管試料に基づき血縁を否定した。しかし女性は、その事実を「祖母」と対面した時、言わなかった。
つまり、女性は半年前から孫娘でないことを知っていたことになる。祖母の息子で孫娘の父ダニエル・マリアーニ(当時28)は77年8月治安部隊に殺害されたが、祖母のDNAと名乗り出た女性のDNAはかけ離れたものだった。
軍政期に奪われた孫たちを探し続ける「五月広場の祖母たちの会」は「120人目の孫が見つかった」と歓喜したが、一転して落胆した。マリーア・チェロビックも同会創設者の一人で、2代目会長を務めた。
軍部は76年3月、イサベル・ペロン政権をクーデターで倒した。登場したホルヘ・ビデーラ軍政は周到に用意していた左翼活動家、知識人らの暗殺名簿を基に殺戮作戦を開始。82年の対英マルビーナス(フォークランド)戦争敗北を経て83年に4代の軍政が終わった時、少なくとも3万2000人が殺されていた。日本国籍保持者1人を含む日系人約10人も殺された。
フォード米政権はビデーラ軍政を支持していた。日本政府もビデーラを訪日に招いた。ビデーラは2013年5月、罪を悔い改めないまま獄中で転倒し死亡した。
祖母マリーア・チェロビック=デ・マリアーニ(91)の代理人である弁護士が、法廷に判断を依頼したところ、法廷は国立遺伝子試料銀行(BNDG)に照会、その結果、名乗り出た女性は孫娘クラーラ=アナイーでないことが判明した。代理人はナビダー(クリスマス)の25日、この沈痛な事実を発表した。
その女性はコルドバ州内に住むマリーア=エレーナ・ウェルリ(39)。ことし6月、同州内の民間検査施設で遺伝子検査を受け、76年に殺害されたモントネロス要員ディアナ・テルッジ(当時26、母親)の娘に「99・9%間違いない」と判断された。そこでウェルリはBNDGに照会したが、同銀行は保管試料に基づき血縁を否定した。しかし女性は、その事実を「祖母」と対面した時、言わなかった。
つまり、女性は半年前から孫娘でないことを知っていたことになる。祖母の息子で孫娘の父ダニエル・マリアーニ(当時28)は77年8月治安部隊に殺害されたが、祖母のDNAと名乗り出た女性のDNAはかけ離れたものだった。
軍政期に奪われた孫たちを探し続ける「五月広場の祖母たちの会」は「120人目の孫が見つかった」と歓喜したが、一転して落胆した。マリーア・チェロビックも同会創設者の一人で、2代目会長を務めた。
軍部は76年3月、イサベル・ペロン政権をクーデターで倒した。登場したホルヘ・ビデーラ軍政は周到に用意していた左翼活動家、知識人らの暗殺名簿を基に殺戮作戦を開始。82年の対英マルビーナス(フォークランド)戦争敗北を経て83年に4代の軍政が終わった時、少なくとも3万2000人が殺されていた。日本国籍保持者1人を含む日系人約10人も殺された。
フォード米政権はビデーラ軍政を支持していた。日本政府もビデーラを訪日に招いた。ビデーラは2013年5月、罪を悔い改めないまま獄中で転倒し死亡した。
2015年12月17日木曜日
アルゼンチン政府が為替管理制度を廃止
亜国のマクリ新政権は12月16日、外為二重相場制度を廃止、17日から自由変動相場制にすると発表した。個人・法人は月200万米ドルまでのドル買いが認められる。
16日現在の相場は公定交換率が1ドル=9・84ペソ、並行相場(闇相場)が同14・25ペソだった。為替一本化で、公定価値が切り下げられる形で実勢が反映されることになる。インフレ加速が予想されている。
マウリシオ・マクリ大統領は16日、ウラディーミル・プーチン露大統領と電話会談し、国連、G20など多国間機関での外交協力、通商、麻薬取締り、テロリズム対策などについて話し合った。
一方、検察は16日、「五月広場の母たちの会」のエベ・デ・ボナフィニ会長の発言を有罪と判断、捜査を開始した。同会長は11月末、大統領就任直前のマクリを「敵」と位置付け、就任翌日の12月11日に首都で「抵抗行進」をするよう呼び掛けた。
検察は、これを「集団暴行罪」および「治安撹乱罪」で起訴可能と捉えた。世論は、マクリ政権による反対派人権団体への弾圧が始まった、と受け止めている。
同「母の会」は国家予算で運営され、「労働大学」などを維持してきた。だが予算打ち切りの公算が大きくなっている。
16日現在の相場は公定交換率が1ドル=9・84ペソ、並行相場(闇相場)が同14・25ペソだった。為替一本化で、公定価値が切り下げられる形で実勢が反映されることになる。インフレ加速が予想されている。
マウリシオ・マクリ大統領は16日、ウラディーミル・プーチン露大統領と電話会談し、国連、G20など多国間機関での外交協力、通商、麻薬取締り、テロリズム対策などについて話し合った。
一方、検察は16日、「五月広場の母たちの会」のエベ・デ・ボナフィニ会長の発言を有罪と判断、捜査を開始した。同会長は11月末、大統領就任直前のマクリを「敵」と位置付け、就任翌日の12月11日に首都で「抵抗行進」をするよう呼び掛けた。
検察は、これを「集団暴行罪」および「治安撹乱罪」で起訴可能と捉えた。世論は、マクリ政権による反対派人権団体への弾圧が始まった、と受け止めている。
同「母の会」は国家予算で運営され、「労働大学」などを維持してきた。だが予算打ち切りの公算が大きくなっている。
2015年12月16日水曜日
アルゼンチン新政権が人権政策支出削減に着手
今月10日に新自由主義経済路線のマクリ保守・右翼政権が発足した亜国で、早くも人権・社会政策の後退が始まった。軍政期(1976~83)に犯された夥しい数の人道犯罪の現場を象徴する旧海軍機会学校(ESMA)=現「記憶・人権空間」=で建物の修復・維持作業に携わってきた労働者2000人に15日、18日をもって解雇するという通告がなされた。
この作業は、ペロン派左翼のフェルナンス前政権下で、社会開発省、人権庁、国立ブエノスアイレス大学建築・設計・都市計画学部(FADU)が共同で進めてきた「アルヘンティーナは働く」計画に基づく事業の一つだった。
旧ESMAはブエノスアイレスのリベルタドール大通り8151番地にあるが、解雇通告を受けた労働者のうち500人は15日、同施設前で抗議行動を展開、「政府の不当な決定」を訴えた。
新政権のへルマン・カラバーノ法相は14日、旧ESMAを視察、人道犯罪被害者の代表的組織である「五月広場の祖母たちの会」のエステラ・デ・カルロット会長に会い、「人権政策継続」を伝えている。法相は、「忘却・沈黙に反対し責任者特定と正義を求める息子・娘たちの会」代表とも会った。その翌日の解雇通告ゆえに、不信感が拡がっている。
この作業は、ペロン派左翼のフェルナンス前政権下で、社会開発省、人権庁、国立ブエノスアイレス大学建築・設計・都市計画学部(FADU)が共同で進めてきた「アルヘンティーナは働く」計画に基づく事業の一つだった。
旧ESMAはブエノスアイレスのリベルタドール大通り8151番地にあるが、解雇通告を受けた労働者のうち500人は15日、同施設前で抗議行動を展開、「政府の不当な決定」を訴えた。
新政権のへルマン・カラバーノ法相は14日、旧ESMAを視察、人道犯罪被害者の代表的組織である「五月広場の祖母たちの会」のエステラ・デ・カルロット会長に会い、「人権政策継続」を伝えている。法相は、「忘却・沈黙に反対し責任者特定と正義を求める息子・娘たちの会」代表とも会った。その翌日の解雇通告ゆえに、不信感が拡がっている。
登録:
投稿 (Atom)