これぞ映画だ。文句なく面白い。それでいて考えさせる。アルヘンティニダー(アルゼンチン性)が十分に描かれている。亜国、南米、ラ米、スペイン語、バルセローナなどが好きな人には必見だ。
亜国人でバルセローナ在住の作家ダニエル・マントバーニはノーベル文学賞を受賞する。世界各地から講演依頼などが殺到するが、ダニエルは40年前に捨てた生まれ故郷の田舎町からの帰郷招待を受けることにする。
この映画は2016年の作品だが、40年前の1976年は、ホルヘ・ビデーラ将軍らがクーデターでイサベル・ペロン政権を倒し、軍政ファシズムを敷いた年である。1983年まで7年続いた軍政下で、じつに3万2000人が殺害された。ダニエルが、軍政を逃れて出国した多くの左翼、知識人、芸術家の一人であったことが、まず窺える。
ブエノスアイレスのエセイサ空港に着くや、入道のような風貌の粗野な大男が待っていた。首都ブエノスアイレス周辺に拡がるブエノスイアレス州の「サラス」の市長から派遣された出迎えだった。軍政期の秘密警察の拷問者を連想させる、乱暴な口のきき方しかできないこの男は、パンパ(大草原)を走る道でタイヤをパンクさせるが、スペタイヤを持っていない。
この男は便意を催すと、ダニエルの小説のページを破り取り、それを持って草むらにしゃがみ込む。この男の絡む最初の難儀の逸話が、ダニエルの帰郷の先行きが荒れ模様になることを予感させる。
待っていたサラスの市長は好人物だ。市庁舎の壁には、故フアン・ペロン大統領と故エバ・ペロン夫人の写真が並ぶ。市長がペロン派であることを示唆している。市長は、ダニエルを「卓越した市民」(この映画の原題)として表彰し、胸像を建てる。
だが、地元の実力者は、農牧業者協会(ソシエダー・ルラル)の面々で、伝統的に農牧業者とペロン派は折り合いが良くない。同協会員を思わせる富裕な旧友アントニオ、地元美術界のボスであるロメーロの存在がダニエルの滞在を不確かなものにする。
ロメーロは自作の絵画がダニエルによって選考から外されるや、ダニエルを敵視、手下をも使って公然、非公然の攻撃を仕掛ける。その度を超えた激しさが、軍政期の市民迫害を想起させる。
成り金の友人アントニオは、粗野なマチスタ(男性優位主義者)の本性を露わにする。妻がかつてのダニエルの恋人だったことが、わだかまちになって消えていないアントニオだが、娘フリアがダニエルのホテルを訪ね関係をもったことを知るや激怒。ダニエルを小型トラックの荷台に荷物のように乗せ、空港に送る。
と、アントニオは、闇夜のパンパの道でダニエルを降ろし、走れと命じる。そして、逃げ惑うダニエルの足元をライフル銃で撃つ。だが突然、ダニエルは転倒する。フリアのボーイフレンドが狙い撃ちしたのだ。
ボーイフレンドは大柄の若者で、野豚の鳴き声が得意だが、やはり粗野な人物。これまた軍政期の「法律外処刑」を連想させる。物語は暗転するのだが、と思いきや、舞台はバルセローナに転じる。ノーベル賞受賞後、最初の書き下ろし作品を発表する記者会見の場面だ。
ダニエルは、胸をはだけて銃弾が貫通した傷跡を示し、フィクションとノンフィクションの狭間を記者らに悟らしめる。満面笑顔の作家は、遠い故郷の粗野で嫉妬深い人々よりも数段上手だった。笑えない話だ。
実は、この映画は、その新作の物語を展開させる形で描かれているのだ。故ガブリエル・ガルシア=マルケスがコロンビアを描きつづけ、マリオ・バルガス=ジョサがペルーを題材とし続けているように、ダニエルも故郷の田舎町から逃れられないのだ。
粗野ではあっても怒ることを知る純朴な田舎町の人々と、バルセローナに住み、故郷を発想源として使い続けるしたたかで富裕な作家の対比も、よく描かれている。それは、「アメリカーノ」(この場合は亜国人)と「ペニンスラル」(イベリア半島人=スペイン人)との対比でもある。
イタリア移民の末裔らしいダニエルは、バルセローナ人、欧州人になってしまい、「アメリカーノ」(米大陸人)から見れば、「彼岸の人」にすぎない。サラス市長に閃いた「卓越した市民」の表彰は、実態のない空しいエピソードだった。だが市長は誠実さにおいては、著名人ダニエルに勝っている。しかし、誠実さが必ずしも評価されない世の中なのだ。
★「笑う故郷」は、現在「静かなる情熱」を上映中の岩波ホールで9月16日~10月27日上映される。
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2017年8月8日火曜日
2017年7月24日月曜日
岩波ホールで29日(土)封切り:重厚で美しい映画「静かなる情熱」▼詩人エミリー・ディキンソンの生涯を描く傑作
米国の著名な女流詩人エミリー・ディキンソン(1830~86)は、この映画の冊子では「エミリ・ディキンスン」とか書かれている。尊重しよう。19世紀中葉の米国には、米国がメヒコ(メキシコ)から国土の北半分を奪った悪名高い「米墨戦争」(1845~48)と、「米国内戦=南北戦争」(1861~65)があった。
これら二つの戦争の間の1853年、米国のペリー黒船船団が那覇に入港、次いで浦賀で末期の徳川幕府に開港を迫った。米国では、エイブラハム・リンカーン大統領が内戦のさなかの1863年、奴隷解放を宣言した。だが65年に暗殺された。
エミリーは、そんな時代をマサチューセッツ州の上流階級の娘として生まれ、過ごし、生きた。映画は、エミリーの女学生時代から始まる。修道女や教師が生徒に集団的に押し付け信じさせようとする集団的な神に、エミリーは異論を唱える。この最初の反逆的場面が、彼女の人生が波乱含みであることを予測させる。
エミリーは極めて保守的だった時代に、言動に制約が課せられる上流家庭で過ごした娘時代から、無神論や不可知論と、「自分の神」との間を行き来していたはずだ。
異性に対しては、ある種の潔癖主義、引っ込み思案、理想に忠実な空想主義から晩生(おくて)だったようだ。このため「見当違い」の愛を抱いたり、恋を仕掛けたりして失敗する。
結局、女としては不完全燃焼、満たされない人生を送った。森のような庭園のある大邸宅に死の日まで住み続けた。キリスト教には、修道院の内奥に蟄居して毎瞬、神と向き合う「クラウスラ」(禁域主義)という厳しい修行がある。エミリーは、あたかも禁域主義の修道女のごとく、邸宅内に生き続けた。
このような生き方から、どんな詩が生まれたのか。それは映画を観る各自が、エミリーの詩編を読めばいい。ここでは触れまい。だが少し触れれば、作品は詩人が生きた時代背景の中心にあった内戦(南北戦争)と奴隷解放の影響を受けている。
これから確認したいのは、エミリーが米墨戦争に影響を受けたか否かということだ。この不正な戦争を米国人である詩人は、どう捉えていたのだろうか。
米国は、傲慢な「モンロー教義」を1823年に宣言。メヒコとの戦争時には、「明白なる天命」という傍若無人で独りよがりの覇権主義=帝国主義理論を身につけていた。ヘンリー・ソーローは、「不正な戦争」に反対し、戦費となる税金の支払いを拒否して投獄された。
と、この映画は、昨今滅多にお目にかかれない、人間の魂を描いた重厚で美しい作品であるがゆえに、いろいろなことを観る者に考えさせずにはおかないのだ。
2016年の英ベルギー合作。125分だが、時間の長さを感じさせない。友人の中に、この映画を観た人がいるとすれば、それはとても素敵なことだ。
これら二つの戦争の間の1853年、米国のペリー黒船船団が那覇に入港、次いで浦賀で末期の徳川幕府に開港を迫った。米国では、エイブラハム・リンカーン大統領が内戦のさなかの1863年、奴隷解放を宣言した。だが65年に暗殺された。
エミリーは、そんな時代をマサチューセッツ州の上流階級の娘として生まれ、過ごし、生きた。映画は、エミリーの女学生時代から始まる。修道女や教師が生徒に集団的に押し付け信じさせようとする集団的な神に、エミリーは異論を唱える。この最初の反逆的場面が、彼女の人生が波乱含みであることを予測させる。
エミリーは極めて保守的だった時代に、言動に制約が課せられる上流家庭で過ごした娘時代から、無神論や不可知論と、「自分の神」との間を行き来していたはずだ。
異性に対しては、ある種の潔癖主義、引っ込み思案、理想に忠実な空想主義から晩生(おくて)だったようだ。このため「見当違い」の愛を抱いたり、恋を仕掛けたりして失敗する。
結局、女としては不完全燃焼、満たされない人生を送った。森のような庭園のある大邸宅に死の日まで住み続けた。キリスト教には、修道院の内奥に蟄居して毎瞬、神と向き合う「クラウスラ」(禁域主義)という厳しい修行がある。エミリーは、あたかも禁域主義の修道女のごとく、邸宅内に生き続けた。
このような生き方から、どんな詩が生まれたのか。それは映画を観る各自が、エミリーの詩編を読めばいい。ここでは触れまい。だが少し触れれば、作品は詩人が生きた時代背景の中心にあった内戦(南北戦争)と奴隷解放の影響を受けている。
これから確認したいのは、エミリーが米墨戦争に影響を受けたか否かということだ。この不正な戦争を米国人である詩人は、どう捉えていたのだろうか。
米国は、傲慢な「モンロー教義」を1823年に宣言。メヒコとの戦争時には、「明白なる天命」という傍若無人で独りよがりの覇権主義=帝国主義理論を身につけていた。ヘンリー・ソーローは、「不正な戦争」に反対し、戦費となる税金の支払いを拒否して投獄された。
と、この映画は、昨今滅多にお目にかかれない、人間の魂を描いた重厚で美しい作品であるがゆえに、いろいろなことを観る者に考えさせずにはおかないのだ。
2016年の英ベルギー合作。125分だが、時間の長さを感じさせない。友人の中に、この映画を観た人がいるとすれば、それはとても素敵なことだ。
2017年5月30日火曜日
名画「ローマ法王になる日まで」が6月3日東京で公開。3万2000人が殺されたアルゼンチン軍政期の凄惨な人道犯罪と、ホルヘ・ベルゴリオ司教(後の法王フランシスコ)の人間的素晴らしさが描かれている。ラ米学徒には見逃せない作品
イタリア映画「ローマ法王になる日まで」(2015年ダニエーレ・ルケッティ監督作品、ロドリーゴ・デラセルナ主演、113分)を観た。6月3日から、ヒューマントラストシネマ有楽町と新宿シネマカリテで公開される。
現代アルゼンチン(亜国、アルヘンティーナ)最悪の時代だった軍政期(1976~1983)の人道犯罪の実態を、この映画で垣間見、想像することができる。また、現在の法王フランシスコがなぜ法王にふさわしい人物だったかが、この映画で明確に示される。
亜国、南米、ラ米、米州、カトリック教会、ヴァティカンに関心を持つ人にとり、また映画を愛する人々にとって必見の名画だ。壮年期のホルヘ・ベルゴリオ(後の法王)役のロドリーゴ・デラセルナは、革命家エルネスト・チェ・ゲバラが学生時代に第1回南米旅行に出た折、行動を共にした6歳年上の親友アルベルト・グラナードを演じている。この点からも興味深い。
この映画は、書籍『教皇フランシスコ キリストとともに燃えて』(オースティン・アイヴァリー著、宮崎修二訳、2016年、明石書店)の内容に沿っているように見受けられる。この本を読んでおけば、理解ははるかに深くなるだろう。
1492年10月12日、クリストーバル・コロン(コロンブス)は西大西洋中央部のバハマ諸島サンサルバドール島に漂着した。これがスペインによる新世界到達なのだが、その日はローマカトリックが新世界(ラス・アメリカス)に強引に植え付けられた最初の日でもある。先住民族は改宗を拒否すれば、その場で殺されかねなかった。
以来5世紀余り、法王庁(教皇庁=ヴァティカン)の2013年の統計では、全世界のカトリック教徒は12億5400万人(世界人口の17・7%)。その49%は、米州(南北両米大陸およびカリブ海)が占める。そして米州ではラ米(ラテンアメリカ)が圧倒的に多い。
欧州は米州に次ぐ22・9%だが、ごくわずかな例外を除き、欧州人の法王が十数世紀も君臨していた。だが法王を選び、かつ法王に選ばれる資格を持つ枢機卿たちの中には、米州、特にラ米から法王を選ぶのが民主的と考える者がいて、その声は年々高まっていた。
司祭による未成年者への性的虐待事件が世界各地で続発、カトリック教会全体が猛省を促されて久しいが、そうした信仰の危機や、米国生まれの新教系宗派の台頭・浸透で、カトリック教会は危機感を抱いてきた。
そのような状況の下、<救世主>として2013年3月抜擢された亜国人イエズス会士J・ベルゴリオ枢機卿が法王フランシスコである。現在80歳だ。もちろんアメリカ人=米州人として初の法王である。
アイヴァリーの本を読めば、あるいは、この映画を観れば、なぜベルゴリオがカトリック世界の最高指導者に選ばれたかが理解できる。言わば<最後の切り札>だったのだ。だがベルゴリオは、カトリック教会の頂点に立つまでに、さまざまな試練を乗り越えなければならなかった。その最大の難関は、1976年3月に始まり、血塗られた軍政期だった。
ベルゴリオは司祭の立場を生かし、放置すれば殺されかねない人々を匿い、国外に逃がした。悲観も楽観もせず、前方にひたすら向かうベルゴリオは、「神の深遠な理想」を抱きながら、極めて現実的、実践的に自身の人生を操っていた。
軍政最高幹部に通じる人脈を持つかと思えば、文豪ホルヘ=ルイス・ボルヘス(1899~1986)とも知己だった。法王になるや、ギリシャ正教、ロシア正教、英国教会、イスラム教、ユダヤ教など異なる宗派・宗教の最高指導者に歩み寄り、相互理解と友好の橋を架けた。偏見を持たずに相手を理解しようと努める法王の真摯な姿勢が、相手の心を開くのだ。
地中海で難渋する難民の救済活動にも見られるように、法王は生の国際情勢にも積極的に関与している。資本主義の総本山・米国と、社会主義クーバとの間で半世紀余り展開されていた米州の頑迷な冷戦に終止符を打つべく関係正常化のための秘密交渉を側面援助した。その甲斐あって、米玖両国は2014年12月17日、国交正常化合意に至り、15年7月国交は再開した。
また、南米に残る最後の冷戦構造であるコロンビア内戦を終わらせるため、同国政府とゲリラ組織FARC(コロンビア革命軍)がハバナで続けていた和平交渉を支援した。双方は16年11月和平過程に入り、17年5月現在、FARCゲリラは武装解除に応じている。7月末には全員の武装解除が終わる見通しだ。
世界最大のカトリック教国ブラジルでは16年8月末、労働者党の合憲政権が腐敗した保守・右翼勢力によって、正当な理由なく国会で弾劾された。まさに「国会クーデター」だった。弾劾賛成派の議員たちは「神のために」と叫んで投票、「神」を大安売りした。この政変に心を痛めた法王は、ブラジルに向けて「祈りと対話をもって和合と平和の道を進んでほしい」と呼び掛けた。
今ラ米を揺さぶっているのは、大産油国ベネスエラの左翼革新政権を倒そうとする国内保守・右翼層と、これを支援する米政府が、政変誘発を狙って激しい破壊活動を仕掛けていることだ。法王はベネスエラ政府と反政府勢力の双方に向けて対話を訴えたが、政府打倒を目指す反政府側は聴く耳を持たない。自身の影響力の限界を知る法王は謙虚である。
国際社会の最重要当事者の一人であり、世界平和構築に意識的に取り組んでいる法王フランシスコの思想と人間性を、この映画によって知ることになれば、国際情勢を読み解く上で欠かせない新しい視座が開けるだろう。
多くの人々に観てほしい名画である。
現代アルゼンチン(亜国、アルヘンティーナ)最悪の時代だった軍政期(1976~1983)の人道犯罪の実態を、この映画で垣間見、想像することができる。また、現在の法王フランシスコがなぜ法王にふさわしい人物だったかが、この映画で明確に示される。
亜国、南米、ラ米、米州、カトリック教会、ヴァティカンに関心を持つ人にとり、また映画を愛する人々にとって必見の名画だ。壮年期のホルヘ・ベルゴリオ(後の法王)役のロドリーゴ・デラセルナは、革命家エルネスト・チェ・ゲバラが学生時代に第1回南米旅行に出た折、行動を共にした6歳年上の親友アルベルト・グラナードを演じている。この点からも興味深い。
この映画は、書籍『教皇フランシスコ キリストとともに燃えて』(オースティン・アイヴァリー著、宮崎修二訳、2016年、明石書店)の内容に沿っているように見受けられる。この本を読んでおけば、理解ははるかに深くなるだろう。
1492年10月12日、クリストーバル・コロン(コロンブス)は西大西洋中央部のバハマ諸島サンサルバドール島に漂着した。これがスペインによる新世界到達なのだが、その日はローマカトリックが新世界(ラス・アメリカス)に強引に植え付けられた最初の日でもある。先住民族は改宗を拒否すれば、その場で殺されかねなかった。
以来5世紀余り、法王庁(教皇庁=ヴァティカン)の2013年の統計では、全世界のカトリック教徒は12億5400万人(世界人口の17・7%)。その49%は、米州(南北両米大陸およびカリブ海)が占める。そして米州ではラ米(ラテンアメリカ)が圧倒的に多い。
欧州は米州に次ぐ22・9%だが、ごくわずかな例外を除き、欧州人の法王が十数世紀も君臨していた。だが法王を選び、かつ法王に選ばれる資格を持つ枢機卿たちの中には、米州、特にラ米から法王を選ぶのが民主的と考える者がいて、その声は年々高まっていた。
司祭による未成年者への性的虐待事件が世界各地で続発、カトリック教会全体が猛省を促されて久しいが、そうした信仰の危機や、米国生まれの新教系宗派の台頭・浸透で、カトリック教会は危機感を抱いてきた。
そのような状況の下、<救世主>として2013年3月抜擢された亜国人イエズス会士J・ベルゴリオ枢機卿が法王フランシスコである。現在80歳だ。もちろんアメリカ人=米州人として初の法王である。
アイヴァリーの本を読めば、あるいは、この映画を観れば、なぜベルゴリオがカトリック世界の最高指導者に選ばれたかが理解できる。言わば<最後の切り札>だったのだ。だがベルゴリオは、カトリック教会の頂点に立つまでに、さまざまな試練を乗り越えなければならなかった。その最大の難関は、1976年3月に始まり、血塗られた軍政期だった。
ベルゴリオは司祭の立場を生かし、放置すれば殺されかねない人々を匿い、国外に逃がした。悲観も楽観もせず、前方にひたすら向かうベルゴリオは、「神の深遠な理想」を抱きながら、極めて現実的、実践的に自身の人生を操っていた。
軍政最高幹部に通じる人脈を持つかと思えば、文豪ホルヘ=ルイス・ボルヘス(1899~1986)とも知己だった。法王になるや、ギリシャ正教、ロシア正教、英国教会、イスラム教、ユダヤ教など異なる宗派・宗教の最高指導者に歩み寄り、相互理解と友好の橋を架けた。偏見を持たずに相手を理解しようと努める法王の真摯な姿勢が、相手の心を開くのだ。
地中海で難渋する難民の救済活動にも見られるように、法王は生の国際情勢にも積極的に関与している。資本主義の総本山・米国と、社会主義クーバとの間で半世紀余り展開されていた米州の頑迷な冷戦に終止符を打つべく関係正常化のための秘密交渉を側面援助した。その甲斐あって、米玖両国は2014年12月17日、国交正常化合意に至り、15年7月国交は再開した。
また、南米に残る最後の冷戦構造であるコロンビア内戦を終わらせるため、同国政府とゲリラ組織FARC(コロンビア革命軍)がハバナで続けていた和平交渉を支援した。双方は16年11月和平過程に入り、17年5月現在、FARCゲリラは武装解除に応じている。7月末には全員の武装解除が終わる見通しだ。
世界最大のカトリック教国ブラジルでは16年8月末、労働者党の合憲政権が腐敗した保守・右翼勢力によって、正当な理由なく国会で弾劾された。まさに「国会クーデター」だった。弾劾賛成派の議員たちは「神のために」と叫んで投票、「神」を大安売りした。この政変に心を痛めた法王は、ブラジルに向けて「祈りと対話をもって和合と平和の道を進んでほしい」と呼び掛けた。
今ラ米を揺さぶっているのは、大産油国ベネスエラの左翼革新政権を倒そうとする国内保守・右翼層と、これを支援する米政府が、政変誘発を狙って激しい破壊活動を仕掛けていることだ。法王はベネスエラ政府と反政府勢力の双方に向けて対話を訴えたが、政府打倒を目指す反政府側は聴く耳を持たない。自身の影響力の限界を知る法王は謙虚である。
国際社会の最重要当事者の一人であり、世界平和構築に意識的に取り組んでいる法王フランシスコの思想と人間性を、この映画によって知ることになれば、国際情勢を読み解く上で欠かせない新しい視座が開けるだろう。
多くの人々に観てほしい名画である。
2017年1月28日土曜日
ダニス・タノヴィッチ監督映画「サラエヴォの銃声」を観る
3月25日に新宿シネマカリテで封切られるダニス・タノヴィッチ監督2016年作品『サラエヴォの銃声』(原題「サラエヴォでの死」、フランス・ボスニアヘルツェゴビナ合作、85分)を試写会で観た。
セルビア人ガヴリロ・プリンツィプは1914年6月末、サラエヴォ市内でオーストリア・ハンガリー帝国皇太子夫妻を待ち伏せ攻撃し暗殺した。この「サラエヴォ事件」を契機として、第1次世界大戦が勃発した。映画は、2014年6月末の事件100周年記念日に巻き起こる人間模様を描いている。
サラエヴォ市内にある「ホテル・ヨーロッパ」が舞台。冒頭、記念番組制作中の女性の映像ジャーナリストが実際の暗殺現場に立つが、この場面以外はすべてホテル内部と屋上で撮影されている。サラエヴォの街はホテルの屋上と支配人室のガラス壁越しに見えるだけだ。
筆者は、内戦のあった1990年代に取材でサラエヴォや周辺を取材したが、当時は戦火で破壊された建物が数多く残っていて、戦争の傷跡が生々しかった。だが、この映画は意図的に街並みを隠しており、街がどうなっているのか、この映画ではわからない。
屋上に場所を移した女性ジャーナリストは歴史家に「サラエヴォ事件」以後の歴史を語らせ、次いで、100年前の暗殺者と同名のセルビア人青年にインタビューする。ボスニア人の彼女は、プリンツィプが「英雄かテロリストだったか」をめぐって論争する。
一方、ホテルには欧州各地から100周年記念行事に参加する要人らが訪れつつある。早めに到着したフランス人は、部屋にこもって記念演説の稽古に余念がない。この仏要人も、サラエヴォにまつわる歴史を語る。その模様を、支配人の部下の男は密かに設置したカメラで監視する。この警備員の男はコカイン常習者。
ホテルを取り仕切る支配人は大忙しだが、ホテルの経営は実は思わしくなく、借金取りと従業員から支払いを迫られている。既に2カ月給料をもらっていない従業員たちはストライキを決行する。
ひょんなことからストの指導者にまつりあげられたのは、宿泊客の衣類を洗い整える係りの年配女性。その娘は、支配人から信頼される若く美しい切れ者だ。
以上のような幾つもの人物と出来事が絡み合い、ドラマは進行する。題名は、暗殺者の再来を思わせる青年が、女性ジャーナリストと口論し気が高ぶったまま銃を手に階段を下りたところ、コカイン常習者の警備員と出くわし即座に射殺されてしまう場面に基づく。
ここには「歴史は(変形されながら)繰り返される」というメッセージも含められている。ホテル内で、来訪する欧州要人らを迎えるため「喜びの歌」を練習していた少女らの合唱団は銃声が聞こえると避難するが、その際、わざわざ二列に並んで出てゆく。ここには、集団が機械的、組織的に行動するドイツ人への皮肉がある。かつてボスニアの通貨として独マルクが使われていた。
現代欧州はメルケル政権のドイツによって動かされているが、ドイツ人が笛を吹いても欧州は踊れない、という批判が見受けられる。
殺人事件の発生、ストライキで機能マヒに陥ったホテル、絶望する支配人という権力者。。。ここには90年代のボスニア内戦、その後の移民流入、右翼台頭、近年のロシアによるクリミア併合を防げなかったことなど、「欧州の分裂・失敗」への批判が込められている。それは、「ホテル・ヨーロッパ」の解体的危機に象徴されている。
ボスニア人の監督ならではの視点がある。この映画に先立ち、パキスタンで起きた事件を基にした同監督作品「汚れたミルク あるセールスマンの告発」が3月4日に新宿シネマカリイテで公開される。
【参考:伊高浩昭著『ボスニアからスペインへ-戦の傷跡をたどる』(2004年、論争社)】
セルビア人ガヴリロ・プリンツィプは1914年6月末、サラエヴォ市内でオーストリア・ハンガリー帝国皇太子夫妻を待ち伏せ攻撃し暗殺した。この「サラエヴォ事件」を契機として、第1次世界大戦が勃発した。映画は、2014年6月末の事件100周年記念日に巻き起こる人間模様を描いている。
サラエヴォ市内にある「ホテル・ヨーロッパ」が舞台。冒頭、記念番組制作中の女性の映像ジャーナリストが実際の暗殺現場に立つが、この場面以外はすべてホテル内部と屋上で撮影されている。サラエヴォの街はホテルの屋上と支配人室のガラス壁越しに見えるだけだ。
筆者は、内戦のあった1990年代に取材でサラエヴォや周辺を取材したが、当時は戦火で破壊された建物が数多く残っていて、戦争の傷跡が生々しかった。だが、この映画は意図的に街並みを隠しており、街がどうなっているのか、この映画ではわからない。
屋上に場所を移した女性ジャーナリストは歴史家に「サラエヴォ事件」以後の歴史を語らせ、次いで、100年前の暗殺者と同名のセルビア人青年にインタビューする。ボスニア人の彼女は、プリンツィプが「英雄かテロリストだったか」をめぐって論争する。
一方、ホテルには欧州各地から100周年記念行事に参加する要人らが訪れつつある。早めに到着したフランス人は、部屋にこもって記念演説の稽古に余念がない。この仏要人も、サラエヴォにまつわる歴史を語る。その模様を、支配人の部下の男は密かに設置したカメラで監視する。この警備員の男はコカイン常習者。
ホテルを取り仕切る支配人は大忙しだが、ホテルの経営は実は思わしくなく、借金取りと従業員から支払いを迫られている。既に2カ月給料をもらっていない従業員たちはストライキを決行する。
ひょんなことからストの指導者にまつりあげられたのは、宿泊客の衣類を洗い整える係りの年配女性。その娘は、支配人から信頼される若く美しい切れ者だ。
以上のような幾つもの人物と出来事が絡み合い、ドラマは進行する。題名は、暗殺者の再来を思わせる青年が、女性ジャーナリストと口論し気が高ぶったまま銃を手に階段を下りたところ、コカイン常習者の警備員と出くわし即座に射殺されてしまう場面に基づく。
ここには「歴史は(変形されながら)繰り返される」というメッセージも含められている。ホテル内で、来訪する欧州要人らを迎えるため「喜びの歌」を練習していた少女らの合唱団は銃声が聞こえると避難するが、その際、わざわざ二列に並んで出てゆく。ここには、集団が機械的、組織的に行動するドイツ人への皮肉がある。かつてボスニアの通貨として独マルクが使われていた。
現代欧州はメルケル政権のドイツによって動かされているが、ドイツ人が笛を吹いても欧州は踊れない、という批判が見受けられる。
殺人事件の発生、ストライキで機能マヒに陥ったホテル、絶望する支配人という権力者。。。ここには90年代のボスニア内戦、その後の移民流入、右翼台頭、近年のロシアによるクリミア併合を防げなかったことなど、「欧州の分裂・失敗」への批判が込められている。それは、「ホテル・ヨーロッパ」の解体的危機に象徴されている。
ボスニア人の監督ならではの視点がある。この映画に先立ち、パキスタンで起きた事件を基にした同監督作品「汚れたミルク あるセールスマンの告発」が3月4日に新宿シネマカリイテで公開される。
【参考:伊高浩昭著『ボスニアからスペインへ-戦の傷跡をたどる』(2004年、論争社)】
2016年10月2日日曜日
ドイツ映画「アイヒマンを追え」を観る
「ナチスが最も畏れた男」の副題は、ユダヤ人ながら西ドイツ時代のヘッセン州検事長になった実在の人物フリッツ・バウアー(1903~68)を指す。反ユダヤ人意識が根強く残る戦後の西独司法界で、政治的、思想的な敵たちに囲まれながら、頑固に一徹に、ナチ戦犯を追及し、ついにはアルヘンティーナに逃亡していたアドルフ・アイヒマンの所在を突き止める。
バウアーは、イスラエルを2度訪れてモサドに会い、アイヒマン逮捕の手柄を譲る。アイヒマン裁判はドイツでという約束だったが、裁判はイスラエルで行なわれることになる。モサドは1960年5月アイヒマンをブエノスアイレス州で逮捕、アイヒマンはエルサレムでの裁判を経て、62年処刑された。
日本人に興味深いのは、この映画から、戦後の西アデナウアー政権期ごろまでは、ドイツ人によるナチス断罪という有名な戦後処理がなされていなかったという事実である。「ドイツは日本と異なり、自ら戦犯を裁き、戦後処理を済ませた」などと言われるが、そうなるまでには苦難に満ちた道程があった。その過程をバウアーが象徴する。
アイヒマンが偽名で亜国に入国したのは1950年7月だった。当時の亜国はフアン・ペロン将軍の政権期だった。ペロンはムッソリーニの協同翼賛体制に学び、これを亜国に取り入れていた。反米だったペロンは、枢軸国に敵対的態度をとらなかったペロンの時代だったから、アイヒマンらの入国が可能だった。だがアイヒマンの亜国での<安寧>は9年10カ月しか続かなかった。
見応えのある作品だ。2017年1月、渋谷文化村のル・シネマ、 有楽町のヒューマントラストシネマで封切られる。2015年作、105分。
バウアーは、イスラエルを2度訪れてモサドに会い、アイヒマン逮捕の手柄を譲る。アイヒマン裁判はドイツでという約束だったが、裁判はイスラエルで行なわれることになる。モサドは1960年5月アイヒマンをブエノスアイレス州で逮捕、アイヒマンはエルサレムでの裁判を経て、62年処刑された。
日本人に興味深いのは、この映画から、戦後の西アデナウアー政権期ごろまでは、ドイツ人によるナチス断罪という有名な戦後処理がなされていなかったという事実である。「ドイツは日本と異なり、自ら戦犯を裁き、戦後処理を済ませた」などと言われるが、そうなるまでには苦難に満ちた道程があった。その過程をバウアーが象徴する。
アイヒマンが偽名で亜国に入国したのは1950年7月だった。当時の亜国はフアン・ペロン将軍の政権期だった。ペロンはムッソリーニの協同翼賛体制に学び、これを亜国に取り入れていた。反米だったペロンは、枢軸国に敵対的態度をとらなかったペロンの時代だったから、アイヒマンらの入国が可能だった。だがアイヒマンの亜国での<安寧>は9年10カ月しか続かなかった。
見応えのある作品だ。2017年1月、渋谷文化村のル・シネマ、 有楽町のヒューマントラストシネマで封切られる。2015年作、105分。
2016年9月7日水曜日
カントリー音楽の王ハンク・ウィリアムズの短い全盛期描いた映画「アイ・ソー・ザ・ライト」を観る
私の小学校時代は、ハンク・ウィリアムズ(1923~53)の全盛期にして晩年だった。日本を占領していた米軍の極東放送(FEN)から連日、「ジャンバラヤ」が流れていたのを記憶している。教室では、誰がハンクのような裏声を出せるか、競争したものだ。
ハンク・トンプソン、ハンク・スノーを加えた「3人のハンク」がカントリー界にいるのを知識として仕入れ、自慢する同級生さえいた。私は、ハンクの歌の中では「マンション・オン・ザ・ヒル」(丘上の大邸宅)が好きだった。
この米国映画の試写会の案内状を手にした時、これは絶対に観落とすまいと決意した。だが9月6日、試写会の最終日に辛くも観ることができた。酷暑の下、目黒駅近くの会場まで足を運んだのだ。だが、その意味はあった。
全編123分終始流れるハンクのヒット曲を楽しんだ。特訓で自ら歌った英国人主演俳優トム・ヒドルストンの歌なのだが、決して悪くはなかった。この役者は2014年の撮影時43歳だったが、20歳も若い23歳のハンクを演じたのだ。
題名の「アイ・ソー・ザ・ライト」(私は光を見た)は、「神との魂の出合い」を歌ったもので、「アメイジング・グレース」と歌詞が似ている。この歌は、ハンクの長男ランドール(ハンク・ウィリアムズ2世)が生まれた時と、ハンクが死んだ時の2つの場面で効果的に使われている。ハンク2世はカントリー歌手として活躍してきた。
私はカントリー好きが昂じて駆け出し記者のころ、休暇をとってテネシー州ナッシュヴィルに行き、カントリーの聖地グランド・オール・オプリ(「大きく古いオペラ劇場」を意味)を見学、カントリー街を歩き回って歌を聞きまくった。当時の一番人気は「シティー・オブ・ニューオーリンズ」だった。私はバンドにチップを払って、テネシー州歌「テネシーワルツ」を演奏してもらった。
この映画は、カントリー好き、ポピュラー音楽好きには欠かせない傑作だ。監督はマーク・エイブラハム。★10月1日(土)に新宿ピカデリーで封切られる。
★ニカラグア短信 ニカラグアの誇る世界的詩人ルベーン・ダリーオ(1867~1916)の作品60点を紹介する『ルベーン・ダリーオ詩選』が9月初め、マナグアで発売された。ニカラグア中央銀行、国家大学理事会(CNU)、文化庁が共同で刊行した。
▼メヒコ短信 9月6日のエル・フィナンシエロ紙によると、2018年7月実施の次期大統領選挙予想候補の支持率は、アンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(国家改新運動=MORENA)24%、マルガリータ・サバーラ(国民行動党=PAN)23%、ミゲル=アンヘル・オソリオ=チョン(現内相、制度的革命党=PRI)22%が上位を占めている。
政党別支持率はPRI30%、PAN26%、MORENA16%。これら3党が、同3党以外の友党と連合した場合、PRI35%、PAN32%、MORENA24%となる。メヒコには決選投票制度はなく、第1回投票での得票1位の候補が当選する。
★ドミニカ共和国(RD)短信 レオネル・フェルナンデスRD前大統領は9月6日、同国のリスティン・ディアリオ紙のコラムで、ヂウマ・ルセフ大統領を8月31日に弾劾罷免したブラジル政変について糾弾した。
フェルナンデスは、「これは、ならず者集団の仕業だ。これをクーデターでないという者がいるが、一理ある。クーデターより一層邪悪なものだからだ。あれは裁判ではなく、腐敗した国会議員たちの存在に触れずに権力闘争した演劇、田舎芝居、悲喜劇だった」と指摘した。
ハンク・トンプソン、ハンク・スノーを加えた「3人のハンク」がカントリー界にいるのを知識として仕入れ、自慢する同級生さえいた。私は、ハンクの歌の中では「マンション・オン・ザ・ヒル」(丘上の大邸宅)が好きだった。
この米国映画の試写会の案内状を手にした時、これは絶対に観落とすまいと決意した。だが9月6日、試写会の最終日に辛くも観ることができた。酷暑の下、目黒駅近くの会場まで足を運んだのだ。だが、その意味はあった。
全編123分終始流れるハンクのヒット曲を楽しんだ。特訓で自ら歌った英国人主演俳優トム・ヒドルストンの歌なのだが、決して悪くはなかった。この役者は2014年の撮影時43歳だったが、20歳も若い23歳のハンクを演じたのだ。
題名の「アイ・ソー・ザ・ライト」(私は光を見た)は、「神との魂の出合い」を歌ったもので、「アメイジング・グレース」と歌詞が似ている。この歌は、ハンクの長男ランドール(ハンク・ウィリアムズ2世)が生まれた時と、ハンクが死んだ時の2つの場面で効果的に使われている。ハンク2世はカントリー歌手として活躍してきた。
私はカントリー好きが昂じて駆け出し記者のころ、休暇をとってテネシー州ナッシュヴィルに行き、カントリーの聖地グランド・オール・オプリ(「大きく古いオペラ劇場」を意味)を見学、カントリー街を歩き回って歌を聞きまくった。当時の一番人気は「シティー・オブ・ニューオーリンズ」だった。私はバンドにチップを払って、テネシー州歌「テネシーワルツ」を演奏してもらった。
この映画は、カントリー好き、ポピュラー音楽好きには欠かせない傑作だ。監督はマーク・エイブラハム。★10月1日(土)に新宿ピカデリーで封切られる。
★ニカラグア短信 ニカラグアの誇る世界的詩人ルベーン・ダリーオ(1867~1916)の作品60点を紹介する『ルベーン・ダリーオ詩選』が9月初め、マナグアで発売された。ニカラグア中央銀行、国家大学理事会(CNU)、文化庁が共同で刊行した。
▼メヒコ短信 9月6日のエル・フィナンシエロ紙によると、2018年7月実施の次期大統領選挙予想候補の支持率は、アンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(国家改新運動=MORENA)24%、マルガリータ・サバーラ(国民行動党=PAN)23%、ミゲル=アンヘル・オソリオ=チョン(現内相、制度的革命党=PRI)22%が上位を占めている。
政党別支持率はPRI30%、PAN26%、MORENA16%。これら3党が、同3党以外の友党と連合した場合、PRI35%、PAN32%、MORENA24%となる。メヒコには決選投票制度はなく、第1回投票での得票1位の候補が当選する。
★ドミニカ共和国(RD)短信 レオネル・フェルナンデスRD前大統領は9月6日、同国のリスティン・ディアリオ紙のコラムで、ヂウマ・ルセフ大統領を8月31日に弾劾罷免したブラジル政変について糾弾した。
フェルナンデスは、「これは、ならず者集団の仕業だ。これをクーデターでないという者がいるが、一理ある。クーデターより一層邪悪なものだからだ。あれは裁判ではなく、腐敗した国会議員たちの存在に触れずに権力闘争した演劇、田舎芝居、悲喜劇だった」と指摘した。
2016年8月16日火曜日
オダギリジョー主演の日本キューバ合作映画が撮影開始
ボリビアでエルネスト・チェ・ゲバラのゲリラ部隊「ボリビア民族解放軍」(ELN-B)の一員として戦い1967年8月31日死んだ日系2世のボリビア人医師フレディ・マエムラ(前村)を主人公とする日本クーバ合作の映画「エルネスト」の撮影が日本で始まる。
8月15日、チェ・ゲバラ役など俳優3人、監督補佐、プロデューサー、化粧係の計6人のクーバ人チームが来日した。一行は、阪本順治監督の下、広島市の原爆記念公園で撮影を開始する。ゲバラが1959年7月、広島を訪れた事実に基づく場面だ。
日本での撮影は8月末に終了。撮影はクーバに移る。フレディ役の主演オダギリジョーは15日ハバナに向かい、現地での役作りと撮影の準備に入った。台詞はすべてスペイン語。画面には日本語の字幕がつく。
来年10月9日は、ゲバラ歿後50周年。この時期に合わせて公開される。
この映画の基には、フレディの実姉マリー・マエムラ(故人)が夫(故人)とともに取材してまとめた原稿を2007年、マリーと、その息子エクトルが完成させたフレディの伝記がある。
その訳書が2009年8月、東京の長崎出版から『革命の侍』(伊高浩昭監修、松枝愛訳)として刊行された。これを阪本監督が読み、映画化を決めた。
この日(15日)、到着した一行6人を迎えての歓迎晩餐会が新宿で催された。1968~69年の日玖合作映画「キューバの恋人」(黒木和雄監督、津川雅彦主演)以来47年ぶりの両国合作映画であり、クーバ側も張り切っており、その意気込みを語っていた。
映画の題名「エルネスト」は、本職が医師だったゲバラの名前であると同時に、ゲバラが同じ医師フレディに付けた戦士名だった。フレディは「エル・メディコ」(医師)とも呼ばれていた。
8月15日、チェ・ゲバラ役など俳優3人、監督補佐、プロデューサー、化粧係の計6人のクーバ人チームが来日した。一行は、阪本順治監督の下、広島市の原爆記念公園で撮影を開始する。ゲバラが1959年7月、広島を訪れた事実に基づく場面だ。
日本での撮影は8月末に終了。撮影はクーバに移る。フレディ役の主演オダギリジョーは15日ハバナに向かい、現地での役作りと撮影の準備に入った。台詞はすべてスペイン語。画面には日本語の字幕がつく。
来年10月9日は、ゲバラ歿後50周年。この時期に合わせて公開される。
この映画の基には、フレディの実姉マリー・マエムラ(故人)が夫(故人)とともに取材してまとめた原稿を2007年、マリーと、その息子エクトルが完成させたフレディの伝記がある。
その訳書が2009年8月、東京の長崎出版から『革命の侍』(伊高浩昭監修、松枝愛訳)として刊行された。これを阪本監督が読み、映画化を決めた。
この日(15日)、到着した一行6人を迎えての歓迎晩餐会が新宿で催された。1968~69年の日玖合作映画「キューバの恋人」(黒木和雄監督、津川雅彦主演)以来47年ぶりの両国合作映画であり、クーバ側も張り切っており、その意気込みを語っていた。
映画の題名「エルネスト」は、本職が医師だったゲバラの名前であると同時に、ゲバラが同じ医師フレディに付けた戦士名だった。フレディは「エル・メディコ」(医師)とも呼ばれていた。
2016年7月28日木曜日
パトリシオ・グスマン監督の「チリの闘い」3部作を観る
チレのアジェンデ社会主義政権(1970・11~73・9)期の同国の苦悩に満ちた状況を描いた本格的ドキュメンタリー「チリ(チレ)の闘い」3部作を試写会で観た。言わずと知れたパトリシオ・グスマン監督の不朽の名作だ。
第1部「ブルジョアジーの叛乱」(1975)、第2部「クーデター」(77)、第3部「民衆の力(人民の権力」(79)で、上映時間は計4時間23分。間に15分ずつ休憩が入った。
グスマンら撮影チームは1973・9・11のゴルペ・デ・エスタード(クーデター)直後に逮捕されるが、幸運にも難を逃れで国外に脱出。撮影した映像なども持ち出すことができた。
グスマンらは、それをクーバ映画芸術産業庁(ICAIC=イカイク)の故アルフレド・ゲバラ長官の支援を得て、作品に仕上げた。作品は国際社会に強い衝撃を与え、世界各地の映画祭で最高級の評価を得た。
この3部作も、クーバ革命後に始まった「新らしい映画」の作品、あるいは「流れを汲む作品」である。
この3部作は、撮影したチレ人カメラマン、ホルヘ・ミュラーに捧げられている。ミューラーは軍政に逮捕され、恋人とともに抹殺された。
第3部は、第1~2部の補完的詳述だが、グスマンが国外に去ったため、政変後の状況を内側から描けなかったことを示しており、胸が痛む。当時のチレファシズムの下では、「逃げて生きるか、捕まり殺されるか」だったのだ。
この作品は、ファシズムはいつでも、どこでも、どこからでも現れる、という教訓を与える。かつて軍国主義のファシズムで国が滅び内外の夥しい数の人民庶民市民常民大衆が命を奪われた歴史を待つ日本人にも、必見の映画だ。時代が改憲の方向に動きつつある深刻な状況下にあって、この映画の発するメッセージの価値は高い。
折から岩波書店で、アリエル・ドルフマンの『南に向かい、北を求めて』の訳書が出た。ドルフマンはクーデター当日、大統領政庁(モネーダ宮)勤務をたまたま友人に代わってもらっていたため死なずにすんだのだが、これを負い目かつエネルギーとして、死者の代弁もしつつ、数々の作品を書いてきた。
ドルフマンは、アジェンデ政権の人民連合(UP)の一翼を担ったMAPU(マプ=統一人民行動運動)の党員だった。グスマンのこの作品にMAPUが行進したり集会を開いたりする場面が再三登場する。私は、その中に若き日のドルフマンがいないか探したが、確認できなかった。
アジェンデ政権時代のチレを、私は拠点だったメヒコ市から何度も出張して取材した。そしてクーデター直後のサンティアゴ一帯、ランカグア、バルパライソなどを取材した。私がクーデターの首謀者の一人アウグスト・ピノチェー陸軍司令官を初めて見たのは、ランカグアでの軍政支持派集会の場だった。
焚書がなされ、坑儒もあった。夜間外出禁止令を守らざるを得ず、その時刻に宿舎に帰れないときには、レストラン、酒場、店でも何でも飛び込んで、朝まで滞在させてもらった。
政庁近くにあったホテルには、毎夜、機関銃掃射の音があちこちで響いていた。連夜悪夢に苛まれ、寝汗をたっぷり書いた。グスマンの映画を観て、あらためて記憶が疼き、グスマン(1941年生)、ドルフマン(1942年生)、私(1943年生)の同時代性を感じた。
「チレの闘い」3部作は、8月24~27日、東京神田駿河台のアテネフランセでのグスマン作品上映会で公開される。
次いで、★9月10日から、東京渋谷のユ-ロスペースで公開、全国で順次上映される。連絡先は、配給会社「アイ・ヴィー・シー」 03ー3403-5691。
チレ学徒、ラ米学徒、歴史学徒、西語学徒、そして、あらゆる市民に観てほしい映画であると間違いなく言える。
第1部「ブルジョアジーの叛乱」(1975)、第2部「クーデター」(77)、第3部「民衆の力(人民の権力」(79)で、上映時間は計4時間23分。間に15分ずつ休憩が入った。
グスマンら撮影チームは1973・9・11のゴルペ・デ・エスタード(クーデター)直後に逮捕されるが、幸運にも難を逃れで国外に脱出。撮影した映像なども持ち出すことができた。
グスマンらは、それをクーバ映画芸術産業庁(ICAIC=イカイク)の故アルフレド・ゲバラ長官の支援を得て、作品に仕上げた。作品は国際社会に強い衝撃を与え、世界各地の映画祭で最高級の評価を得た。
この3部作も、クーバ革命後に始まった「新らしい映画」の作品、あるいは「流れを汲む作品」である。
この3部作は、撮影したチレ人カメラマン、ホルヘ・ミュラーに捧げられている。ミューラーは軍政に逮捕され、恋人とともに抹殺された。
第3部は、第1~2部の補完的詳述だが、グスマンが国外に去ったため、政変後の状況を内側から描けなかったことを示しており、胸が痛む。当時のチレファシズムの下では、「逃げて生きるか、捕まり殺されるか」だったのだ。
この作品は、ファシズムはいつでも、どこでも、どこからでも現れる、という教訓を与える。かつて軍国主義のファシズムで国が滅び内外の夥しい数の人民庶民市民常民大衆が命を奪われた歴史を待つ日本人にも、必見の映画だ。時代が改憲の方向に動きつつある深刻な状況下にあって、この映画の発するメッセージの価値は高い。
折から岩波書店で、アリエル・ドルフマンの『南に向かい、北を求めて』の訳書が出た。ドルフマンはクーデター当日、大統領政庁(モネーダ宮)勤務をたまたま友人に代わってもらっていたため死なずにすんだのだが、これを負い目かつエネルギーとして、死者の代弁もしつつ、数々の作品を書いてきた。
ドルフマンは、アジェンデ政権の人民連合(UP)の一翼を担ったMAPU(マプ=統一人民行動運動)の党員だった。グスマンのこの作品にMAPUが行進したり集会を開いたりする場面が再三登場する。私は、その中に若き日のドルフマンがいないか探したが、確認できなかった。
アジェンデ政権時代のチレを、私は拠点だったメヒコ市から何度も出張して取材した。そしてクーデター直後のサンティアゴ一帯、ランカグア、バルパライソなどを取材した。私がクーデターの首謀者の一人アウグスト・ピノチェー陸軍司令官を初めて見たのは、ランカグアでの軍政支持派集会の場だった。
焚書がなされ、坑儒もあった。夜間外出禁止令を守らざるを得ず、その時刻に宿舎に帰れないときには、レストラン、酒場、店でも何でも飛び込んで、朝まで滞在させてもらった。
政庁近くにあったホテルには、毎夜、機関銃掃射の音があちこちで響いていた。連夜悪夢に苛まれ、寝汗をたっぷり書いた。グスマンの映画を観て、あらためて記憶が疼き、グスマン(1941年生)、ドルフマン(1942年生)、私(1943年生)の同時代性を感じた。
「チレの闘い」3部作は、8月24~27日、東京神田駿河台のアテネフランセでのグスマン作品上映会で公開される。
次いで、★9月10日から、東京渋谷のユ-ロスペースで公開、全国で順次上映される。連絡先は、配給会社「アイ・ヴィー・シー」 03ー3403-5691。
チレ学徒、ラ米学徒、歴史学徒、西語学徒、そして、あらゆる市民に観てほしい映画であると間違いなく言える。
2016年5月1日日曜日
フランス映画「めぐりあう日」を観る
理学療法士として働く主人公の女性エリザ(セリーヌ・サレット)は、ダンケルクで生まれて間もなく、擁護施設に入れられた。「出自の秘密」を知りたい彼女はパリに夫を残し、8歳の息子ノエとともにダンケルクに引っ越し、働きながら出自について調査を進めるが、埒が明かない。
ある日、転倒して肉離れした初老の女性アネット(アンヌ・ブノア)が治療を受けに訪れる。レネが通う学校で給食や清掃をしている用務員だ。アネットは、レネにアラブの血が流れているのを密かに察知していた。
エリザとアネットは治療の時間を重ねるうちに心を通わせるようになる。アネットはいつしか、エリザが実の子ではないかと思い始め、遂に調査を依頼する。
双方からの調査は収斂され、2人が母娘同士であることが証明される。アネットが若いころ、アラブ男との間に身ごもったのがエリザだった。男は去り、アネットは家族の反対で娘を養護施設に渡したのだった。アネットは祖母の瞳で、アラブの風貌が隔世遺伝した孫レネを見つめていたのだ。
物語の途中には、エリザと夫とのすれ違い、エリザの妊娠と中絶、エリザの<浮気>、レネの反抗期の問題などが絡む。変哲ない女性の生き方と出自探しだが、変哲ない物語を映画作品に仕立てたウニー・ルコント監督をはじめ製作側の確かな技量が感じられる。
背景に流れるとトランペットのアラブ調の音色と、ダンケルクの港や街の情景が心に染みる。
★この映画は7月30日、東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。2015年作品、104分。
ある日、転倒して肉離れした初老の女性アネット(アンヌ・ブノア)が治療を受けに訪れる。レネが通う学校で給食や清掃をしている用務員だ。アネットは、レネにアラブの血が流れているのを密かに察知していた。
エリザとアネットは治療の時間を重ねるうちに心を通わせるようになる。アネットはいつしか、エリザが実の子ではないかと思い始め、遂に調査を依頼する。
双方からの調査は収斂され、2人が母娘同士であることが証明される。アネットが若いころ、アラブ男との間に身ごもったのがエリザだった。男は去り、アネットは家族の反対で娘を養護施設に渡したのだった。アネットは祖母の瞳で、アラブの風貌が隔世遺伝した孫レネを見つめていたのだ。
物語の途中には、エリザと夫とのすれ違い、エリザの妊娠と中絶、エリザの<浮気>、レネの反抗期の問題などが絡む。変哲ない女性の生き方と出自探しだが、変哲ない物語を映画作品に仕立てたウニー・ルコント監督をはじめ製作側の確かな技量が感じられる。
背景に流れるとトランペットのアラブ調の音色と、ダンケルクの港や街の情景が心に染みる。
★この映画は7月30日、東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。2015年作品、104分。
2016年3月28日月曜日
映画「山河ノスタルジア」と「ボーダーライン」を観る
試写会を梯子した。ジャジャンクー監督の中国映画「山河ノスタルジー」(原題「山河故人」、2015)は125分の長物。カメラの動きや不要な場面の挿入が素人っぽいところがあり、やや気になった。共産党独裁政権が「社会主義市場経済」を採って三十余年、この映画は共産党支配や社会主義をほとんど感じさせない。
ただ、有産層、知識層らが米加豪など白人支配の資本主義工業諸国に移住する筋から、捨てた祖国・中国の問題点を間接的に描いている。祖国は祖国であり、望郷が生まれる。
移住した金権主義者の中国人実業家ジンシェンは豪州で暮らしながら、手元から拳銃を離せない。その息子ダオラーは父に愛想を尽かし、父と別れた母タオの居る中国を目指す。
カナダに移住した女性ミアは白人の夫と離婚し、豪州に住み、ダオラーと出会い、年の差のある恋をする。ダオラーと中国への帰国を試みようとする。
ジンシェンとタオを争い敗れた青年リャンズーは、その痛手から中国の異境に出稼ぎに行き、炭鉱夫なるが重度の珪肺に罹り、妻子とともに故郷に戻る。入院費用を工面してくれたのは、かつて愛したタオだった。
このような幾つかの人生が交錯しながら物語は展開する。中国人が金持になって世界に散らばりディアスポラ(華人)化するが、根なし草になりかねないこと、国内に巨大な貧困状況があり、そこから抜け出せない人々が数多いこと、だが国内では人情がまだ健在であること、中国内外での文化の違いの大きさなどが、この作品から感じ取れる。
急激な変化からは必ず無理が出る、という認識がある。
登場人物たちがどうなるのか、映画は寸止めで終わる。あとは観る者が想像すれば良いわけだ。★4月23日、東京渋谷文化村のル・シネマで公開される。
× × ×
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の米作品「ボーダーライン」(2015、121分)は、米墨国境3200kmの中央部エルパソ・フアレス市の国境、その西方にあるアリゾナ州ノガレス・ソノラ州ノガレスの国境が主要舞台。
原題は「シカリオ」。ラ米スペイン語で「職業的殺し屋」を意味する。この映画の冊子が訳しているような「暗殺者」ではない。ニュアンスが違う。事実上の主人公は「殺し屋」を演じ、強烈な存在感を見せているベニチオ・デルトロだ。
主人公は女性FBI捜査官の女性(エミリー・ブラント)。メヒコの麻薬マフィア殲滅を狙って奇襲攻撃をかけるCIA殺戮部隊の凄惨な流血劇の中で、女性捜査官は「作戦にはFBIのお墨付きがある」証拠として利用されたのだが、感傷的に描かれている。
非人道的な凄惨さに「人間味」「現実味」を与えるため、敢えて女性を主人公にしたのだろう。もちろん女性客にそっぽを向かれない用心もあろう。彼女が戦闘の最前線に出ること自体、虚構性を感じさせ、観客を安心させるのかもしれない。
米墨国境地帯の麻薬絡みの戦闘は、米国という世界最大の麻薬消費国があるから起きている。コロンビアからメヒコに密輸されてくるコカインが米国に密輸されるのを食い止める戦いが実際に行われているのだが、この映画は、殺し屋の協力を得て作戦するCIAを「善」、メヒコを「悪」と位置付ける伝統的、通俗的な捉え方から脱していない。それを補うかのように、デルトロ扮する殺し屋を「元メヒコ検察官」としている。
人間性の失われた、あるいは人間が破壊された過酷な状況として真っ先に思い当たるのは戦場だ。映画は「麻薬戦争」の戦場を描いている。マフィア要員もCIA要員もみな殺される可能性の高い戦士であり、命の価値はない。だからこそ、女性捜査官が主人公に引っ張りだされたのだ。
このような映画が人気を博する現代世界の状況は、人間性喪失があたかも当然のことであるかのような錯覚を与える。やりきれない。★4月9日、東京の角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーなどで公開される。
一言付け加える。殺し屋よ、驕るなかれ。シカリオだけでなく、兵士、警官、CIA、麻薬マフィアら皆、驕るなかれ。映画人もジャーナリストも驕るなかれ。
ただ、有産層、知識層らが米加豪など白人支配の資本主義工業諸国に移住する筋から、捨てた祖国・中国の問題点を間接的に描いている。祖国は祖国であり、望郷が生まれる。
移住した金権主義者の中国人実業家ジンシェンは豪州で暮らしながら、手元から拳銃を離せない。その息子ダオラーは父に愛想を尽かし、父と別れた母タオの居る中国を目指す。
カナダに移住した女性ミアは白人の夫と離婚し、豪州に住み、ダオラーと出会い、年の差のある恋をする。ダオラーと中国への帰国を試みようとする。
ジンシェンとタオを争い敗れた青年リャンズーは、その痛手から中国の異境に出稼ぎに行き、炭鉱夫なるが重度の珪肺に罹り、妻子とともに故郷に戻る。入院費用を工面してくれたのは、かつて愛したタオだった。
このような幾つかの人生が交錯しながら物語は展開する。中国人が金持になって世界に散らばりディアスポラ(華人)化するが、根なし草になりかねないこと、国内に巨大な貧困状況があり、そこから抜け出せない人々が数多いこと、だが国内では人情がまだ健在であること、中国内外での文化の違いの大きさなどが、この作品から感じ取れる。
急激な変化からは必ず無理が出る、という認識がある。
登場人物たちがどうなるのか、映画は寸止めで終わる。あとは観る者が想像すれば良いわけだ。★4月23日、東京渋谷文化村のル・シネマで公開される。
× × ×
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の米作品「ボーダーライン」(2015、121分)は、米墨国境3200kmの中央部エルパソ・フアレス市の国境、その西方にあるアリゾナ州ノガレス・ソノラ州ノガレスの国境が主要舞台。
原題は「シカリオ」。ラ米スペイン語で「職業的殺し屋」を意味する。この映画の冊子が訳しているような「暗殺者」ではない。ニュアンスが違う。事実上の主人公は「殺し屋」を演じ、強烈な存在感を見せているベニチオ・デルトロだ。
主人公は女性FBI捜査官の女性(エミリー・ブラント)。メヒコの麻薬マフィア殲滅を狙って奇襲攻撃をかけるCIA殺戮部隊の凄惨な流血劇の中で、女性捜査官は「作戦にはFBIのお墨付きがある」証拠として利用されたのだが、感傷的に描かれている。
非人道的な凄惨さに「人間味」「現実味」を与えるため、敢えて女性を主人公にしたのだろう。もちろん女性客にそっぽを向かれない用心もあろう。彼女が戦闘の最前線に出ること自体、虚構性を感じさせ、観客を安心させるのかもしれない。
米墨国境地帯の麻薬絡みの戦闘は、米国という世界最大の麻薬消費国があるから起きている。コロンビアからメヒコに密輸されてくるコカインが米国に密輸されるのを食い止める戦いが実際に行われているのだが、この映画は、殺し屋の協力を得て作戦するCIAを「善」、メヒコを「悪」と位置付ける伝統的、通俗的な捉え方から脱していない。それを補うかのように、デルトロ扮する殺し屋を「元メヒコ検察官」としている。
人間性の失われた、あるいは人間が破壊された過酷な状況として真っ先に思い当たるのは戦場だ。映画は「麻薬戦争」の戦場を描いている。マフィア要員もCIA要員もみな殺される可能性の高い戦士であり、命の価値はない。だからこそ、女性捜査官が主人公に引っ張りだされたのだ。
このような映画が人気を博する現代世界の状況は、人間性喪失があたかも当然のことであるかのような錯覚を与える。やりきれない。★4月9日、東京の角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーなどで公開される。
一言付け加える。殺し屋よ、驕るなかれ。シカリオだけでなく、兵士、警官、CIA、麻薬マフィアら皆、驕るなかれ。映画人もジャーナリストも驕るなかれ。
2016年3月17日木曜日
巨匠オルミの「緑はよみがえる」と、英作品「さざなみ」を観る
エルマンノ・オルミ監督の「緑はよみがえる」(2014年イタリア、76分)を観た。第1次世界大戦中の1917年冬、イタリア北部アジアーゴ高原の戦線で、敵のオーストリア軍と塹壕戦を展開、迫撃砲の攻撃で劣勢に立たされていたイタリア軍部隊の塹壕が舞台だ。
映画の締めくくりの言葉は、「戦争とは、大地を絶え間なく這いまわる醜い獣だ」。100年前には第1次大戦が展開され、日本も参戦していた。戦略も戦術も兵器も100年で様変わりしたが、戦争の醜さは同じだ。この本質が伝わってくる。反戦を言わずに反戦を語っている。芸術たるゆえんだ。
オルミは、第1次大戦に出兵した実父の過酷な体験を基に、この映画製作を企図、戦争の愚かさと悲惨さを若い世代に教訓として引き継がせようと、この作品を世に出した。監督の息子が撮影、娘がプロデューサーをそれぞれ担当している。オルミ家3世代に亘る作品のなのだ。
雪原と、雪に埋まった塹壕という狭く閉ざされた半地下空間に、生死の狭間で蠢く兵士たちの人間模様が見事に描かれている。監督は、兵士を群像として、個人として、丁寧に描いている。
ナポリ民謡を切々と歌うイタリア軍兵士は、さらに歌うよう所望されると、「歌は幸福でないと歌えない」と応える。私は、クーバ革命戦争中、マエストラ山脈の戦線で歌を口ずさんでいた黒人の司令フアン・アルメイダ=ボスケ(故人)を思い浮かべた。ヘミングウェイの「武器よさらば」や「誰がために鐘は鳴る」を想起した。
塹壕という限られた異常な舞台設定で76分、観衆をスクリーンに釘づけにするオルミは、さすが巨匠である。そして多くの場合、巨匠は深く人間的だ。
この映画は、4月23日(土)から東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。ぜひ多くの人々に観てほしい作品だ。2年前の作品だが、文句なく、既に「戦争映画の古典」となった感がある。戦争の本質が描かれているからだ。
☆ ☆ ☆
同じ日、同じ試写会場で、英国映画「さざなみ」(アンドリュー・ヘイ監督、2015年、95分)を観た。結婚45周年を迎えた老夫婦の心に起きた波紋を上手に描いている。主演のシャーロット・ランプリング(70)はスラブ系のような風貌で、雰囲気は故ローレン・バコールに少し似ている。
夫は結婚前、山の事故で死別した恋人への思いにかられ、妻はそんな夫に嫉妬からか疑念を抱く。美しい田園の生活を背景に、過去と現在が二重のさざ波のように交錯しながら、結婚45周年祝宴の日が来る。
夫は祝宴の席で「人生最大の選択は妻との結婚だった」と語り、泣き崩れる。2人は司会者に促されて、ザ・プラターズの「煙が目にしみる」で踊る。「いまや私の恋は過ぎ去り、私には恋(恋人)がない」という歌詞がある。妻の表情は踊りの後も冴えない。
男の古いロマンは時として女の心を傷つけかねない、というのが主題だろうか。私は、この種の物語は本で読む気はしない。だが映画ならば1時間半、楽しめる。4月9日(土)、東京のシネスイッチ銀座で公開される。
映画の締めくくりの言葉は、「戦争とは、大地を絶え間なく這いまわる醜い獣だ」。100年前には第1次大戦が展開され、日本も参戦していた。戦略も戦術も兵器も100年で様変わりしたが、戦争の醜さは同じだ。この本質が伝わってくる。反戦を言わずに反戦を語っている。芸術たるゆえんだ。
オルミは、第1次大戦に出兵した実父の過酷な体験を基に、この映画製作を企図、戦争の愚かさと悲惨さを若い世代に教訓として引き継がせようと、この作品を世に出した。監督の息子が撮影、娘がプロデューサーをそれぞれ担当している。オルミ家3世代に亘る作品のなのだ。
雪原と、雪に埋まった塹壕という狭く閉ざされた半地下空間に、生死の狭間で蠢く兵士たちの人間模様が見事に描かれている。監督は、兵士を群像として、個人として、丁寧に描いている。
ナポリ民謡を切々と歌うイタリア軍兵士は、さらに歌うよう所望されると、「歌は幸福でないと歌えない」と応える。私は、クーバ革命戦争中、マエストラ山脈の戦線で歌を口ずさんでいた黒人の司令フアン・アルメイダ=ボスケ(故人)を思い浮かべた。ヘミングウェイの「武器よさらば」や「誰がために鐘は鳴る」を想起した。
塹壕という限られた異常な舞台設定で76分、観衆をスクリーンに釘づけにするオルミは、さすが巨匠である。そして多くの場合、巨匠は深く人間的だ。
この映画は、4月23日(土)から東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。ぜひ多くの人々に観てほしい作品だ。2年前の作品だが、文句なく、既に「戦争映画の古典」となった感がある。戦争の本質が描かれているからだ。
☆ ☆ ☆
同じ日、同じ試写会場で、英国映画「さざなみ」(アンドリュー・ヘイ監督、2015年、95分)を観た。結婚45周年を迎えた老夫婦の心に起きた波紋を上手に描いている。主演のシャーロット・ランプリング(70)はスラブ系のような風貌で、雰囲気は故ローレン・バコールに少し似ている。
夫は結婚前、山の事故で死別した恋人への思いにかられ、妻はそんな夫に嫉妬からか疑念を抱く。美しい田園の生活を背景に、過去と現在が二重のさざ波のように交錯しながら、結婚45周年祝宴の日が来る。
夫は祝宴の席で「人生最大の選択は妻との結婚だった」と語り、泣き崩れる。2人は司会者に促されて、ザ・プラターズの「煙が目にしみる」で踊る。「いまや私の恋は過ぎ去り、私には恋(恋人)がない」という歌詞がある。妻の表情は踊りの後も冴えない。
男の古いロマンは時として女の心を傷つけかねない、というのが主題だろうか。私は、この種の物語は本で読む気はしない。だが映画ならば1時間半、楽しめる。4月9日(土)、東京のシネスイッチ銀座で公開される。
2016年3月10日木曜日
映画「エスコバル 楽園の掟」トークショーで語る
映画「エスコバル 楽園の掟」は3月12日、東京のシネマサンシャイン池袋で公開される。これを前に9日夕刻、東京・六番町のスペイン政府国際文化伝播機関「セルバンテス文化セントロ」で、配給会社トランスファー主催のトークショーと、最後の試写会が催された。
トークショーは、テレビ番組出演で1990年代後半にコロンビアに旅行したことのあるドロンズ石本(マセキ芸能社所属、石本武士)と私の対談形式。彼が主に旅行体験、私がコロンビアの麻薬状況とパブロ・エスコバルについて、それぞれ語った。
試写会は、前列を報道陣が占め、他は一般応募の観衆150人だった。観衆は年配が多かったが、若い女性も来ていた。
このところ、コロンビアやメヒコの「麻薬戦争」を題材にした映画が目立っている。SF物や恐怖映画に飽きた観衆が、虚構よりもはるかに恐ろしい闇の麻薬業界の実態になびいているためなのだろうか。
製作者が観衆の興味を先取りして作品を生産しているからには違いないが、考えてみれば殺伐とした需給関係だ。黒澤のように人間を深く描く大河劇も、ジョン・フォードのような文句なしに楽しめる活劇も見られなくなっている。
創作・虚構よりも生の現実、芸術よりもジャーナリズム、劇映画よりもドキュメンタリーというご時世なのだろう。
映画は同時に内外の新作が何十本も上映されている。可能ならば、常にさまざまな作品を同時的に観ながら、比較、位置付け、解釈、批評し、
楽しむことだろう。
映画の洪水に巻き込まれながら、正気を維持するのが面白いのだ。
トークショーは、テレビ番組出演で1990年代後半にコロンビアに旅行したことのあるドロンズ石本(マセキ芸能社所属、石本武士)と私の対談形式。彼が主に旅行体験、私がコロンビアの麻薬状況とパブロ・エスコバルについて、それぞれ語った。
試写会は、前列を報道陣が占め、他は一般応募の観衆150人だった。観衆は年配が多かったが、若い女性も来ていた。
このところ、コロンビアやメヒコの「麻薬戦争」を題材にした映画が目立っている。SF物や恐怖映画に飽きた観衆が、虚構よりもはるかに恐ろしい闇の麻薬業界の実態になびいているためなのだろうか。
製作者が観衆の興味を先取りして作品を生産しているからには違いないが、考えてみれば殺伐とした需給関係だ。黒澤のように人間を深く描く大河劇も、ジョン・フォードのような文句なしに楽しめる活劇も見られなくなっている。
創作・虚構よりも生の現実、芸術よりもジャーナリズム、劇映画よりもドキュメンタリーというご時世なのだろう。
映画は同時に内外の新作が何十本も上映されている。可能ならば、常にさまざまな作品を同時的に観ながら、比較、位置付け、解釈、批評し、
楽しむことだろう。
映画の洪水に巻き込まれながら、正気を維持するのが面白いのだ。
2016年3月7日月曜日
メキシコ・米国合作映画「カルテル・ランド」を観る
この映画は、現代の一部を時間をかけて切り取ったドキュメンタリーであるがゆえに面白い。虚構のドラマ、半実半虚のドキュドラマでは、この味は出ない。
メヒコ中西部のミチョアカン州の自警団創設者ホセ=マヌエル・ミレレス医師の密着取材を、よくもここまでやったものだと思わざるを得ない。このこと自体、感嘆に値する。
メヒコでは1960年代に大麻が蔓延していたが、南米産のコカインの消費地、および対米・対欧・対亜密輸の中継地になったのは1990年代のこと。コロンビアの「麻薬戦争」でマフィアが降参してからのことだ。
当時のメヒコ政府は、脆弱なメヒコ資本主義経済に、莫大にして潤沢な麻薬資金を投下し、経済強化を図った。政府・財界と麻薬マフィアが結託した瞬間だった。
以来、政府は麻薬マフィアと持ちつ持たれつの関係に陥り、本気で取締まることは不可能となった。メヒコの政治家、官憲、自治体が麻薬資金で汚染、買収されてしまったからだ。抗えば、容赦なく殺される。
そんな状況に、昔の米保安官よろしく立ち上がったのが、ミレレスと仲間たちだった。そして、治安を奪回し、あなりの成果を挙げた。「銃の平和」を敷いたのだ。それが時代離れしていないところに、メヒコ治安状況の深刻さがある。
だが、それは、政府という最大の官憲の存在と役割を否定することに等しい。当局は結局、自警団潰しにかかった。もちろん、自警団にやられていたマフィアからの賄賂が効いた。
私は若いころ、メヒコ全土を取材した。ミチョアカンは貧しくも美しい大地だった。素晴らしい先住民文化がある。私の大好きな州の一つだった。それがいまでは、麻薬マフィアが群雄割拠する麻薬マフィアベルト(支配地帯)に包みこまれてしまっている。
「もしも狂気の絶頂に居ることができたならば」(さぞ素晴らしい瞬間になるだろう)という言い方がある。だが、ミチョアカンはまさに「狂気の絶頂」に在り続けている。瞬間でなく、果てしない継続である。これは厳しい苦痛以外の何物でもない。
この映画の失敗面は、米墨国境の北側・アリゾナ州の国境線一帯を武装警備する勝手組の男たちの生態と、ミチョアカンの状況を対(つい)にしたところにある。これによって、その分だけ作品が安っぽくなってしまった。期待されていたアカデミー賞も逃げて行った。製作者や監督は、状況を真に理解していなかったようだ。
だが見るに十分に値する映画であるのは疑いない。東京・青山のイメージフォーラム劇場で5月公開される。問い合わせ先は、配給会社「トランスファー」。
先日も当ブログに少しだけ書いたが、主人公ミレレスは刑務所に閉じ込められており、この映画を観ていない。
映画の題名は、カルテル(麻薬マフィア)のはびこる地域というような意味。この場合のマフィアは、テンプラリオス=聖堂騎士団。字幕では「テンプル騎士団」となっているが、これでは日本人には意味不明だ。
メヒコ中西部のミチョアカン州の自警団創設者ホセ=マヌエル・ミレレス医師の密着取材を、よくもここまでやったものだと思わざるを得ない。このこと自体、感嘆に値する。
メヒコでは1960年代に大麻が蔓延していたが、南米産のコカインの消費地、および対米・対欧・対亜密輸の中継地になったのは1990年代のこと。コロンビアの「麻薬戦争」でマフィアが降参してからのことだ。
当時のメヒコ政府は、脆弱なメヒコ資本主義経済に、莫大にして潤沢な麻薬資金を投下し、経済強化を図った。政府・財界と麻薬マフィアが結託した瞬間だった。
以来、政府は麻薬マフィアと持ちつ持たれつの関係に陥り、本気で取締まることは不可能となった。メヒコの政治家、官憲、自治体が麻薬資金で汚染、買収されてしまったからだ。抗えば、容赦なく殺される。
そんな状況に、昔の米保安官よろしく立ち上がったのが、ミレレスと仲間たちだった。そして、治安を奪回し、あなりの成果を挙げた。「銃の平和」を敷いたのだ。それが時代離れしていないところに、メヒコ治安状況の深刻さがある。
だが、それは、政府という最大の官憲の存在と役割を否定することに等しい。当局は結局、自警団潰しにかかった。もちろん、自警団にやられていたマフィアからの賄賂が効いた。
私は若いころ、メヒコ全土を取材した。ミチョアカンは貧しくも美しい大地だった。素晴らしい先住民文化がある。私の大好きな州の一つだった。それがいまでは、麻薬マフィアが群雄割拠する麻薬マフィアベルト(支配地帯)に包みこまれてしまっている。
「もしも狂気の絶頂に居ることができたならば」(さぞ素晴らしい瞬間になるだろう)という言い方がある。だが、ミチョアカンはまさに「狂気の絶頂」に在り続けている。瞬間でなく、果てしない継続である。これは厳しい苦痛以外の何物でもない。
この映画の失敗面は、米墨国境の北側・アリゾナ州の国境線一帯を武装警備する勝手組の男たちの生態と、ミチョアカンの状況を対(つい)にしたところにある。これによって、その分だけ作品が安っぽくなってしまった。期待されていたアカデミー賞も逃げて行った。製作者や監督は、状況を真に理解していなかったようだ。
だが見るに十分に値する映画であるのは疑いない。東京・青山のイメージフォーラム劇場で5月公開される。問い合わせ先は、配給会社「トランスファー」。
先日も当ブログに少しだけ書いたが、主人公ミレレスは刑務所に閉じ込められており、この映画を観ていない。
映画の題名は、カルテル(麻薬マフィア)のはびこる地域というような意味。この場合のマフィアは、テンプラリオス=聖堂騎士団。字幕では「テンプル騎士団」となっているが、これでは日本人には意味不明だ。
2016年3月1日火曜日
「アイヒマン・ショー」「グランドフィナーレ」「Mrホ-ムズ」を観る
東京浅草で少年時代を過ごした私は、小学4年~中学2年のころ、ほとんど毎土曜日、3本立ての映画を観ていた。浅草6区に数多くあった上映館か、鶯谷駅に少し近い入谷地区の入谷金美館(通称「いりきん」)かで観ていた。
当時、コロッケ4個で10円、もりそば・かけそば一杯15円、ラーメン20円、映画3本立て40円ぐらいだった。こどもの小遣い銭で毎週、映画を楽しめたのだ。
たまに、国際劇場の楽屋に首を突っ込むこともあった。松竹歌劇団は小月冴子、川路龍子の2枚看板の全盛時代だった。子供の私は、踊り子たちから可愛がられ、たばこを買ってきてくれと頼まれ、買ってきてやると、お駄賃として小遣い銭をもらったものだ。
2016年に飛ぶが、私は今年に入ってから、一日映画を3本観る日が3回あった。新しくは、つい最近のことだが、都内で「アイヒマンショー 歴史を映した男たち」(96分、4月23日公開)、「グランドフィナーレ」(124分、4月16日公開)、「Mr。ホームズ 名探偵最後の事件」(104分、3月18日公開)の試写会をはしごした。
「アイヒマンショー」は、「絶対悪ナチ」を「絶対善ユダヤ人」が断罪する実話のテレビ中継放送がいかにして可能になったか、というドキュドラマである。
この映画を観て誰もが気付くだろうが、日本では2013年上映された「ハンナ・アーレント」というアイヒマン裁判にまつわるドキュドラマがあった。ハンナは、アイヒマンを「絶対悪」と見なさず、平凡なナチ軍事官僚機構の一部品にすぎないと喝破し、当時のユダヤ人社会を敵に回した。
今回の映画は、本筋を「ハンナアー・レント」を踏まえて展開させている。一つの進歩があり、定着したようだ。私は1967年にメヒコで、壁画家ダビー・アルファロ=シケイロスにインタビュ-していた時、画伯が「第2次大戦中、ユダヤ人には正義があったが、今日裁かれるべきは彼ら(ユダヤ)だ」と吐き捨てるように言ったのを覚えている。パレスティーナと周辺のアラブ諸国に軍事攻勢をかけていたイスラエルを厳しく批判してのことだ。
シケイロスの批判の延長線上に、先ごろ観た「オマールの壁」がある。
「グランドフィナーレ」は、老いの悲哀は過去の栄光が輝かしければ輝かしいほど深い、ということを讃えている。仏僧が最終局面で空中浮遊する場面があるが、これには人間の喜怒哀楽の上位に身を置く「超越」の意味がある。
欧米人の映画監督には、禅僧らを画面に盆栽や日本庭園の石のように置くのを好む傾向がある。「何やらわけのわからないもの」をも、自分たちの「多様性」の中に取り込んで乙に澄ますのだ。
主人公のマイケル・ケイン、ハーヴェイ・カイテル両老人と、厚化粧の「大女優」役のジェーン・フォンダが懐かしかった。
「Mr。ホームズ」は、1月に観た「シャーロック 忌まわしき花嫁」(付録付き115分、2月19日公開済み)とどっこいどっこいだ。コナン・ドイルの原作にない亜流作品の域を出ない。老いさらばえたホームズなど誰も好んで観ようとは思うまい。かといって、ホームズが空を飛ぶのに喝采するお人よしも多くはあるまい。
教訓は、誰も、自分の全盛期に精いっぱいやれ、ということだろう。
ともあれ、映画はありがたい。製作者や監督、俳優、撮影班、裏方勢、映画記者ら何百人もの映画人が長い時間と膨大な資金をかけて生み出す作品を、我々は90分か120分で簡単に消費してしまう。単なる消費ではなく、学ぶことも少なくない。
試写会場では、紙誌の映画記者、映画評論家、俳優・女優と会ったり見たりすることがしばしばある。映画が専門でない私のような者もいれば、評論家もいる。大学教授やテレビキャスターもいる。「グランドフィナーレ」では、評論家T氏と隣り合わせた。
どうも3本立てを観ると遠い日の習慣が甦りつつあるようだ。年老いても、老いぼれないために映画はいい眼薬になる。
当時、コロッケ4個で10円、もりそば・かけそば一杯15円、ラーメン20円、映画3本立て40円ぐらいだった。こどもの小遣い銭で毎週、映画を楽しめたのだ。
たまに、国際劇場の楽屋に首を突っ込むこともあった。松竹歌劇団は小月冴子、川路龍子の2枚看板の全盛時代だった。子供の私は、踊り子たちから可愛がられ、たばこを買ってきてくれと頼まれ、買ってきてやると、お駄賃として小遣い銭をもらったものだ。
2016年に飛ぶが、私は今年に入ってから、一日映画を3本観る日が3回あった。新しくは、つい最近のことだが、都内で「アイヒマンショー 歴史を映した男たち」(96分、4月23日公開)、「グランドフィナーレ」(124分、4月16日公開)、「Mr。ホームズ 名探偵最後の事件」(104分、3月18日公開)の試写会をはしごした。
「アイヒマンショー」は、「絶対悪ナチ」を「絶対善ユダヤ人」が断罪する実話のテレビ中継放送がいかにして可能になったか、というドキュドラマである。
この映画を観て誰もが気付くだろうが、日本では2013年上映された「ハンナ・アーレント」というアイヒマン裁判にまつわるドキュドラマがあった。ハンナは、アイヒマンを「絶対悪」と見なさず、平凡なナチ軍事官僚機構の一部品にすぎないと喝破し、当時のユダヤ人社会を敵に回した。
今回の映画は、本筋を「ハンナアー・レント」を踏まえて展開させている。一つの進歩があり、定着したようだ。私は1967年にメヒコで、壁画家ダビー・アルファロ=シケイロスにインタビュ-していた時、画伯が「第2次大戦中、ユダヤ人には正義があったが、今日裁かれるべきは彼ら(ユダヤ)だ」と吐き捨てるように言ったのを覚えている。パレスティーナと周辺のアラブ諸国に軍事攻勢をかけていたイスラエルを厳しく批判してのことだ。
シケイロスの批判の延長線上に、先ごろ観た「オマールの壁」がある。
「グランドフィナーレ」は、老いの悲哀は過去の栄光が輝かしければ輝かしいほど深い、ということを讃えている。仏僧が最終局面で空中浮遊する場面があるが、これには人間の喜怒哀楽の上位に身を置く「超越」の意味がある。
欧米人の映画監督には、禅僧らを画面に盆栽や日本庭園の石のように置くのを好む傾向がある。「何やらわけのわからないもの」をも、自分たちの「多様性」の中に取り込んで乙に澄ますのだ。
主人公のマイケル・ケイン、ハーヴェイ・カイテル両老人と、厚化粧の「大女優」役のジェーン・フォンダが懐かしかった。
「Mr。ホームズ」は、1月に観た「シャーロック 忌まわしき花嫁」(付録付き115分、2月19日公開済み)とどっこいどっこいだ。コナン・ドイルの原作にない亜流作品の域を出ない。老いさらばえたホームズなど誰も好んで観ようとは思うまい。かといって、ホームズが空を飛ぶのに喝采するお人よしも多くはあるまい。
教訓は、誰も、自分の全盛期に精いっぱいやれ、ということだろう。
ともあれ、映画はありがたい。製作者や監督、俳優、撮影班、裏方勢、映画記者ら何百人もの映画人が長い時間と膨大な資金をかけて生み出す作品を、我々は90分か120分で簡単に消費してしまう。単なる消費ではなく、学ぶことも少なくない。
試写会場では、紙誌の映画記者、映画評論家、俳優・女優と会ったり見たりすることがしばしばある。映画が専門でない私のような者もいれば、評論家もいる。大学教授やテレビキャスターもいる。「グランドフィナーレ」では、評論家T氏と隣り合わせた。
どうも3本立てを観ると遠い日の習慣が甦りつつあるようだ。年老いても、老いぼれないために映画はいい眼薬になる。
2016年2月17日水曜日
映画3本「オマールの壁」「人生は小説より奇なり」「無音の叫び声」を観る
昨日、試写場を3カ所はしごして、映画3本を観た。家を出てから帰宅するまで9時間、映画を観ていたのは計5時間15分だった。駅から会場、会場から会場、会場から駅へと歩いたのは計90分くらいか。くたびれた。
一つ目は、東銀座と築地の間にある松竹本社で、パレスティーナ人のハニ・アブアサド監督の2013年の作品「オマールの壁」(原題「オマール」、97分)。異常な日常の中の異常な出来事を描く、政治的人間ドラマの秀作だ。
ヨルダン川西岸のパレスティーナ領と、その領土を軍事力を持って侵食するイスラエルが築いた高さ8mのコンクリートの壁越しに物語は展開する。
日本人観衆にとっては、パレスティーナの置かれている状況の理解の一助となることだろう。4月16日、東京の渋谷アップリンクと角川シネマ新宿で公開される。
歩いて京橋に移動し、「人生は小説よりも奇なり」(原題「愛は奇なり」)を観た。アイラ・サックス監督の2014年の作品で95分。同性愛者である中年の音楽家と初老の画家が長年の同居生活の末、結婚する。ニューヨークを舞台に、居住という生活の根本が醸す問題を中心に物語が展開する。人間の生き方と物悲しさをさりげなく描いた好作品。東京のシネスイッチ銀座で3月公開される。
地下鉄で京橋から青山一丁目に行き、神宮外苑にある東北芸術工科大学で、「無音の叫び声」を観た。122分のドキュメンタリー。原村政樹監督の2015年の作品。
山形県牧野(まぎの)村在住の農民詩人、木村みち夫(80歳、「みち」は、しんにゅうに由)の戦中、戦後、現代を辿り、戦争絶対反対の立場を打ち出す。
木村の詩集の同人は、かつて無着成恭の「山びこ学校」の生徒であり、木村らの農民文化運動と「山びこ学校」が繋がっていることがわかる。
上映の前後に木村が挨拶した。私は、木村に最も影響を受けた詩人は誰かと訊いた。同郷の黒田喜夫(1926~84)だと答え、外国人の詩人とは無縁だったと言った。
4月9日、東京の「ポレポレ東中野」で公開される。詩を好む人には特に見応えがあるだろう。ネルーダのようなメタフォラ(隠喩)を駆使した作風ではなく、物事や心情を直接的に描く。一作の一部を紹介する。
「コメのなる葉」
コメのなる葉はかなしい おおわが田むらの稲(オリザ)よ コメのなる葉よ ぬめりぬめる泥の深みから 必死に這いあがり 朝の世界をめざす勇姿よ
原村監督編著の木村みち夫詩集「無音の叫び声」(農文協、2592円)が刊行されている。
一つ目は、東銀座と築地の間にある松竹本社で、パレスティーナ人のハニ・アブアサド監督の2013年の作品「オマールの壁」(原題「オマール」、97分)。異常な日常の中の異常な出来事を描く、政治的人間ドラマの秀作だ。
ヨルダン川西岸のパレスティーナ領と、その領土を軍事力を持って侵食するイスラエルが築いた高さ8mのコンクリートの壁越しに物語は展開する。
日本人観衆にとっては、パレスティーナの置かれている状況の理解の一助となることだろう。4月16日、東京の渋谷アップリンクと角川シネマ新宿で公開される。
歩いて京橋に移動し、「人生は小説よりも奇なり」(原題「愛は奇なり」)を観た。アイラ・サックス監督の2014年の作品で95分。同性愛者である中年の音楽家と初老の画家が長年の同居生活の末、結婚する。ニューヨークを舞台に、居住という生活の根本が醸す問題を中心に物語が展開する。人間の生き方と物悲しさをさりげなく描いた好作品。東京のシネスイッチ銀座で3月公開される。
地下鉄で京橋から青山一丁目に行き、神宮外苑にある東北芸術工科大学で、「無音の叫び声」を観た。122分のドキュメンタリー。原村政樹監督の2015年の作品。
山形県牧野(まぎの)村在住の農民詩人、木村みち夫(80歳、「みち」は、しんにゅうに由)の戦中、戦後、現代を辿り、戦争絶対反対の立場を打ち出す。
木村の詩集の同人は、かつて無着成恭の「山びこ学校」の生徒であり、木村らの農民文化運動と「山びこ学校」が繋がっていることがわかる。
上映の前後に木村が挨拶した。私は、木村に最も影響を受けた詩人は誰かと訊いた。同郷の黒田喜夫(1926~84)だと答え、外国人の詩人とは無縁だったと言った。
4月9日、東京の「ポレポレ東中野」で公開される。詩を好む人には特に見応えがあるだろう。ネルーダのようなメタフォラ(隠喩)を駆使した作風ではなく、物事や心情を直接的に描く。一作の一部を紹介する。
「コメのなる葉」
コメのなる葉はかなしい おおわが田むらの稲(オリザ)よ コメのなる葉よ ぬめりぬめる泥の深みから 必死に這いあがり 朝の世界をめざす勇姿よ
原村監督編著の木村みち夫詩集「無音の叫び声」(農文協、2592円)が刊行されている。
2016年1月18日月曜日
ニカラグアでの米企業実態描くスウェーデン映画「バナナの逆襲」観る
中米に連なる小さなバナナ生産国は「バナナ共和国」と呼ばれ、蔑まれてきた。かつてニカラグアもその一つだった。時は1979年のサンディニスタ革命前のアナスタシオ・ソモサ2世大統領独裁の末期。米果物野菜大手ドーンフード(旧スタンダードフルーツ)が、ニカラグアのバナナ農園で、不妊症を招く恐れのある農薬を散布し、米当局がその農薬使用に警告を発した後も同社はそれを使い続けた。
スウェーデン人ジャーナリストで映画監督のフレドリック・ゲルテンは、同バナナ農場での農薬使用の凄じい実態を調査、被害者農民の代理人としてロサンジェルスの法廷に告訴した熱血のクーバ系弁護士フアン・ドミンゲスの動きを追う。ドミンゲスは企業相手の裁判で実績を重ねていた弁護士デュアン・ミラーと組み、企業実態を知らしめ賠償金獲得をも目指して闘い、一審で勝利する。
ゲルデン監督は、上記の一部始終を描いた映画をロサンジェルス映画祭に出品したが、ドーン社の圧力で映画祭の枠外でしか上映されないことになる。やがて、監督は同社から訴えられる。しかしスウェーデンで監督と作品は支持され、有利な世論が拡がり、監督は勝訴する。
敵と味方の弁護士の闘争、陪審員の態度、ニカラグア現地の表情、スェーデンでの支援の動きなどが絡み合い、観応えある白熱したドキュメンタリーとなっている。
第1作「敏腕?弁護士ドミンゲス」(2009)、第2作「ゲルデン監督、訴えられる」(2011)は、いずれも87年分。事情をわかりやすくするため、第2作が先に上映される。
★2月17日から東京・渋谷文化村・ユーロスペースで公開される。配給は「きろくびと」。問い合わせ:03-3461-0211。
(サンディニスタ革命政権の80年代、新自由主義政権の90年代以降、2007年以降のサンディニスタ政権復活後、バナナ農園の労働実態はどう変化したのか。この「後日談」が何らかの形で示されていれば、もっとよかった。)
スウェーデン人ジャーナリストで映画監督のフレドリック・ゲルテンは、同バナナ農場での農薬使用の凄じい実態を調査、被害者農民の代理人としてロサンジェルスの法廷に告訴した熱血のクーバ系弁護士フアン・ドミンゲスの動きを追う。ドミンゲスは企業相手の裁判で実績を重ねていた弁護士デュアン・ミラーと組み、企業実態を知らしめ賠償金獲得をも目指して闘い、一審で勝利する。
ゲルデン監督は、上記の一部始終を描いた映画をロサンジェルス映画祭に出品したが、ドーン社の圧力で映画祭の枠外でしか上映されないことになる。やがて、監督は同社から訴えられる。しかしスウェーデンで監督と作品は支持され、有利な世論が拡がり、監督は勝訴する。
敵と味方の弁護士の闘争、陪審員の態度、ニカラグア現地の表情、スェーデンでの支援の動きなどが絡み合い、観応えある白熱したドキュメンタリーとなっている。
第1作「敏腕?弁護士ドミンゲス」(2009)、第2作「ゲルデン監督、訴えられる」(2011)は、いずれも87年分。事情をわかりやすくするため、第2作が先に上映される。
★2月17日から東京・渋谷文化村・ユーロスペースで公開される。配給は「きろくびと」。問い合わせ:03-3461-0211。
(サンディニスタ革命政権の80年代、新自由主義政権の90年代以降、2007年以降のサンディニスタ政権復活後、バナナ農園の労働実態はどう変化したのか。この「後日談」が何らかの形で示されていれば、もっとよかった。)
2016年1月13日水曜日
映画「エスコバル 楽園の掟」を観る
コロンビアの麻薬王・故パブロ・エスコバル(1949~93)の非情で凄惨な生き方を縁者との関係で描いた映画「エスコバル 楽園の掟」(アンドレア・ディステファノ監督、仏ベルギー西パナマ合作、119分)の試写会が1月13日、東京・京橋で始まった。
主演はプエルト・リコ出身のベニチオ・デルトロで、製作も兼ねている。中背で太っていた本物と比べると細身で長身だが、雰囲気は出ている。さすがデルトロだ。
事実と虚構を混ぜたドキュドラマで、物語は1982年の国会議員選挙から91年に自首するまでの時代を背景として展開されている。エスコバルはこの選挙で、出身州アンティオキアから下院議員補欠として出馬し当選したが、後に犯罪歴を暴かれ補欠資格を剥奪された。
牙を剥いた麻薬王は私兵団を使って激しい殺戮、爆弾テロを展開する。しかし映画では、むごたらしい場面は最小限に留めてあり、質を落とさずに済んでいる。
私(ブログ子)は、エスコバル全盛期に繰り広げられた「麻薬戦争」やコロンビア情勢を現地で取材した経験があるが、今回、報道や映画館資料用に、エスコバルという人物の解説を依頼された。
デルトロが以前チェ・ゲバラを演じた上下2本物の作品が上映された際も、解説を書いた。デルトロには縁があるようだ。
「エスコバル 楽園の掟」は、3月12日(土)から、東京の「シネマサンシャイン池袋」などで封切られ、全国を順次回る。配給・宣伝は、トランスフォーマー社。www.movie-escobar.com
主演はプエルト・リコ出身のベニチオ・デルトロで、製作も兼ねている。中背で太っていた本物と比べると細身で長身だが、雰囲気は出ている。さすがデルトロだ。
事実と虚構を混ぜたドキュドラマで、物語は1982年の国会議員選挙から91年に自首するまでの時代を背景として展開されている。エスコバルはこの選挙で、出身州アンティオキアから下院議員補欠として出馬し当選したが、後に犯罪歴を暴かれ補欠資格を剥奪された。
牙を剥いた麻薬王は私兵団を使って激しい殺戮、爆弾テロを展開する。しかし映画では、むごたらしい場面は最小限に留めてあり、質を落とさずに済んでいる。
私(ブログ子)は、エスコバル全盛期に繰り広げられた「麻薬戦争」やコロンビア情勢を現地で取材した経験があるが、今回、報道や映画館資料用に、エスコバルという人物の解説を依頼された。
デルトロが以前チェ・ゲバラを演じた上下2本物の作品が上映された際も、解説を書いた。デルトロには縁があるようだ。
「エスコバル 楽園の掟」は、3月12日(土)から、東京の「シネマサンシャイン池袋」などで封切られ、全国を順次回る。配給・宣伝は、トランスフォーマー社。www.movie-escobar.com
2015年12月16日水曜日
エルマンノ・オルミ監督の長編「木靴の樹」を観る
イタリア映画の巨匠エルマンノ・オルミ監督(83)が1978年に制作し、カンヌ国際映画祭最高賞パルムドールをはじめ数々の映画賞を獲得した『木靴の樹』を試写会で観た。187分の一大長編だ。
監督の生地であるイタリア北部ロンバルディア州ベルガモの田園が舞台で、時代設定は19世紀末。悪代官を彷彿させる万能の地主の下で虐げられて働く貧しいの農民4家族の喜怒哀楽と過酷な運命を描く。
彼方の山脈まで続く広大で美しい田園の四季、絵画の「落ち穂拾い」や「種まく人」を想起させる人々など、情景描写が素晴らしい。だが家畜のガチョウや豚を殺し料理する残酷なリアリズムも映し出される。
封建的風土で農奴のように生きる人々の実存を見る。現代に生きる私たちは、時空を超えて、彼らに私たちの過去を見る。さらに現在も苦境から解放されていない世界各地の無数の人々の存在に思いを馳せる。だから共感できるのだ。
制作から38年、今も新しいのは、作品が人間を深く描き、「古典」となっているからだ。
★2016年3月26日(土)から、東京・神田神保町の岩波ホールで公開され、順次全国展開する。必見の名作!
監督の生地であるイタリア北部ロンバルディア州ベルガモの田園が舞台で、時代設定は19世紀末。悪代官を彷彿させる万能の地主の下で虐げられて働く貧しいの農民4家族の喜怒哀楽と過酷な運命を描く。
彼方の山脈まで続く広大で美しい田園の四季、絵画の「落ち穂拾い」や「種まく人」を想起させる人々など、情景描写が素晴らしい。だが家畜のガチョウや豚を殺し料理する残酷なリアリズムも映し出される。
封建的風土で農奴のように生きる人々の実存を見る。現代に生きる私たちは、時空を超えて、彼らに私たちの過去を見る。さらに現在も苦境から解放されていない世界各地の無数の人々の存在に思いを馳せる。だから共感できるのだ。
制作から38年、今も新しいのは、作品が人間を深く描き、「古典」となっているからだ。
★2016年3月26日(土)から、東京・神田神保町の岩波ホールで公開され、順次全国展開する。必見の名作!
2015年9月21日月曜日
チリ映画「光のノスタルジア」と「真珠のボタン」を観る
チレ映画界の名匠パトリシオ・グスマン監督(74)の「光のノスタルジア」(2010)と「真珠のボタン」(2015)を試写会で観た。
何万光年もの遠い彼方・過去から地球に届く星の光を見る天文学者と、42年前(1973年)の軍事クーデターで殺された肉親の遺骨を探す女たちが、アタカマ砂漠で隣り合わせている。大空の星と、砂漠の砂に真実を求める人々の接点を描くのが第1作だ。
19世紀に英国人船長に連れ去られたチレ南部パタゴニアの先住民青年と、1973年の軍事クーデターで殺され死体を海に投下された人々が海底に残した物の共通点は「ボタン」だった。第2作は、「水や海に宿る記憶」を描く。
自然科学、地理、冷酷な史実が無理なく巧みに絡ませられている。
これほど敬虔な気持ちにさせられる映像を創り出す監督も少ない。ラ米学徒、チレ学徒に観ることをお薦めする。
10月10日から、東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。
何万光年もの遠い彼方・過去から地球に届く星の光を見る天文学者と、42年前(1973年)の軍事クーデターで殺された肉親の遺骨を探す女たちが、アタカマ砂漠で隣り合わせている。大空の星と、砂漠の砂に真実を求める人々の接点を描くのが第1作だ。
19世紀に英国人船長に連れ去られたチレ南部パタゴニアの先住民青年と、1973年の軍事クーデターで殺され死体を海に投下された人々が海底に残した物の共通点は「ボタン」だった。第2作は、「水や海に宿る記憶」を描く。
自然科学、地理、冷酷な史実が無理なく巧みに絡ませられている。
これほど敬虔な気持ちにさせられる映像を創り出す監督も少ない。ラ米学徒、チレ学徒に観ることをお薦めする。
10月10日から、東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。
2015年7月8日水曜日
映画「フリーダ・カーロの遺品-石内都、織るように」を観る
映画「フリーダ・カーロの遺品-石内都、織るように」(2015、小谷忠典監督、90分)を試写会で観た。8月、東京・青山のイメージフォーラム館で公開される。
石内の前作「ひろしま」と同じように、被写体の衣類選び、写真撮影、完成、展示会という流れで構成されている。前作では、被爆死した娘が、かすりにもんぺという戦時服の下に若い女性らしい、あでやかな、おそらくなけなしの下着を着けていた、という石内の「発見」に心を打たれた。
今回は、フリーダ(1907~54)の死後半世紀経ってから他人の目に晒された故人の衣装、下着、コルセット、靴などが被写体。これらの遺品にはフリーダ特有の鬼気迫る魂が宿っている。石内は、それを宿したまま見事に撮影した。2012年の仕事だ。
女性写真家でなければできない仕事だ。感性、着眼点、共感などで、男は到底及ばない。
写真の撮影舞台はメヒコ市コヨアカン地区にある「青の家」だが、映画は合間に、テオティウアカン遺跡、テウアンテペック地峡(イスモ)にかかるオアハーカ州フチタン、メヒコ市憲法広場(ソカロ)、死者の日の情景などを挟みこんで、メヒコを出している。
最後の場面は、2013年パリで開かれた前年撮影の石内フリーダ遺品写真展で終わる。ここで私は残念な思いを禁じ得ない。なぜ最後の場面はパリでなく、フリーダの故国メヒコの、国立劇場大サロンなどでの写真展にしなかったのか。
石内のことだから、メヒコに、メヒコの歴史と文化に敬意を表し、仕事の成果を還元したと思う。ならば、映画の最後の場面はメヒコにすべきだった。なぜパリが出てこなくてはならないのか、意図がわからない。
伏線があることはある。メヒコ市ソカロで石内は、パリ在住の親しい友人が自殺したことを知り、泣きながら通話する。この場面には違和感を禁じえなかった。ここだけメロドラマのようになってしまっている。
メヒコ市で、コヨアカン地区で、オアハーカ州で、石内のフリーダ遺品写真展が開かれたというニュースを知りたい。
コヨアカンには、青の家のすぐ近くに、トロツキーがスターリンの刺客からピッケルで脳天を割られた「トロツキーの家」がある。フリーダは夫ディエゴ・リベーラの浮気への腹いせもあってトロツキーと結ばれ、彫刻家イサム・ノグチとも愛を交わした。映画には、少なくとも「トロツキーの家」を登場させるべきではなかったか。
コヨアカン界隈は私の駆け出し時代の「青春の地」だ。だから、ついつい思い入れが出てしまう。この映画が観るに値する作品であるのは疑いない。
石内の前作「ひろしま」と同じように、被写体の衣類選び、写真撮影、完成、展示会という流れで構成されている。前作では、被爆死した娘が、かすりにもんぺという戦時服の下に若い女性らしい、あでやかな、おそらくなけなしの下着を着けていた、という石内の「発見」に心を打たれた。
今回は、フリーダ(1907~54)の死後半世紀経ってから他人の目に晒された故人の衣装、下着、コルセット、靴などが被写体。これらの遺品にはフリーダ特有の鬼気迫る魂が宿っている。石内は、それを宿したまま見事に撮影した。2012年の仕事だ。
女性写真家でなければできない仕事だ。感性、着眼点、共感などで、男は到底及ばない。
写真の撮影舞台はメヒコ市コヨアカン地区にある「青の家」だが、映画は合間に、テオティウアカン遺跡、テウアンテペック地峡(イスモ)にかかるオアハーカ州フチタン、メヒコ市憲法広場(ソカロ)、死者の日の情景などを挟みこんで、メヒコを出している。
最後の場面は、2013年パリで開かれた前年撮影の石内フリーダ遺品写真展で終わる。ここで私は残念な思いを禁じ得ない。なぜ最後の場面はパリでなく、フリーダの故国メヒコの、国立劇場大サロンなどでの写真展にしなかったのか。
石内のことだから、メヒコに、メヒコの歴史と文化に敬意を表し、仕事の成果を還元したと思う。ならば、映画の最後の場面はメヒコにすべきだった。なぜパリが出てこなくてはならないのか、意図がわからない。
伏線があることはある。メヒコ市ソカロで石内は、パリ在住の親しい友人が自殺したことを知り、泣きながら通話する。この場面には違和感を禁じえなかった。ここだけメロドラマのようになってしまっている。
メヒコ市で、コヨアカン地区で、オアハーカ州で、石内のフリーダ遺品写真展が開かれたというニュースを知りたい。
コヨアカンには、青の家のすぐ近くに、トロツキーがスターリンの刺客からピッケルで脳天を割られた「トロツキーの家」がある。フリーダは夫ディエゴ・リベーラの浮気への腹いせもあってトロツキーと結ばれ、彫刻家イサム・ノグチとも愛を交わした。映画には、少なくとも「トロツキーの家」を登場させるべきではなかったか。
コヨアカン界隈は私の駆け出し時代の「青春の地」だ。だから、ついつい思い入れが出てしまう。この映画が観るに値する作品であるのは疑いない。
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