2016年7月28日木曜日

パトリシオ・グスマン監督の「チリの闘い」3部作を観る

 チレのアジェンデ社会主義政権(1970・11~73・9)期の同国の苦悩に満ちた状況を描いた本格的ドキュメンタリー「チリ(チレ)の闘い」3部作を試写会で観た。言わずと知れたパトリシオ・グスマン監督の不朽の名作だ。

 第1部「ブルジョアジーの叛乱」(1975)、第2部「クーデター」(77)、第3部「民衆の力(人民の権力」(79)で、上映時間は計4時間23分。間に15分ずつ休憩が入った。

 グスマンら撮影チームは1973・9・11のゴルペ・デ・エスタード(クーデター)直後に逮捕されるが、幸運にも難を逃れで国外に脱出。撮影した映像なども持ち出すことができた。

 グスマンらは、それをクーバ映画芸術産業庁(ICAIC=イカイク)の故アルフレド・ゲバラ長官の支援を得て、作品に仕上げた。作品は国際社会に強い衝撃を与え、世界各地の映画祭で最高級の評価を得た。

 この3部作も、クーバ革命後に始まった「新らしい映画」の作品、あるいは「流れを汲む作品」である。

 この3部作は、撮影したチレ人カメラマン、ホルヘ・ミュラーに捧げられている。ミューラーは軍政に逮捕され、恋人とともに抹殺された。

 第3部は、第1~2部の補完的詳述だが、グスマンが国外に去ったため、政変後の状況を内側から描けなかったことを示しており、胸が痛む。当時のチレファシズムの下では、「逃げて生きるか、捕まり殺されるか」だったのだ。

 この作品は、ファシズムはいつでも、どこでも、どこからでも現れる、という教訓を与える。かつて軍国主義のファシズムで国が滅び内外の夥しい数の人民庶民市民常民大衆が命を奪われた歴史を待つ日本人にも、必見の映画だ。時代が改憲の方向に動きつつある深刻な状況下にあって、この映画の発するメッセージの価値は高い。

 折から岩波書店で、アリエル・ドルフマンの『南に向かい、北を求めて』の訳書が出た。ドルフマンはクーデター当日、大統領政庁(モネーダ宮)勤務をたまたま友人に代わってもらっていたため死なずにすんだのだが、これを負い目かつエネルギーとして、死者の代弁もしつつ、数々の作品を書いてきた。

 ドルフマンは、アジェンデ政権の人民連合(UP)の一翼を担ったMAPU(マプ=統一人民行動運動)の党員だった。グスマンのこの作品にMAPUが行進したり集会を開いたりする場面が再三登場する。私は、その中に若き日のドルフマンがいないか探したが、確認できなかった。

 アジェンデ政権時代のチレを、私は拠点だったメヒコ市から何度も出張して取材した。そしてクーデター直後のサンティアゴ一帯、ランカグア、バルパライソなどを取材した。私がクーデターの首謀者の一人アウグスト・ピノチェー陸軍司令官を初めて見たのは、ランカグアでの軍政支持派集会の場だった。

 焚書がなされ、坑儒もあった。夜間外出禁止令を守らざるを得ず、その時刻に宿舎に帰れないときには、レストラン、酒場、店でも何でも飛び込んで、朝まで滞在させてもらった。

 政庁近くにあったホテルには、毎夜、機関銃掃射の音があちこちで響いていた。連夜悪夢に苛まれ、寝汗をたっぷり書いた。グスマンの映画を観て、あらためて記憶が疼き、グスマン(1941年生)、ドルフマン(1942年生)、私(1943年生)の同時代性を感じた。

 「チレの闘い」3部作は、8月24~27日、東京神田駿河台のアテネフランセでのグスマン作品上映会で公開される。

 次いで、★9月10日から、東京渋谷のユ-ロスペースで公開、全国で順次上映される。連絡先は、配給会社「アイ・ヴィー・シー」 03ー3403-5691。

 チレ学徒、ラ米学徒、歴史学徒、西語学徒、そして、あらゆる市民に観てほしい映画であると間違いなく言える。