2015年9月29日火曜日

キューバのアフリカ政策を担ったホルヘ・リスケーが死去

 社会主義クーバの古参指導者がまた一人、この世を去った。アフリカ政策を長年担ったホルヘ・リスケー(85)が9月28日、死去した。

 リスケーは人民社会党(PSP=旧共産党)青年部指導者として活躍、革命戦争では、1958年にラウール・カストロ司令(現議長)が率いた東部第2戦線に参加した。

 革命後は1965年の共産党(PCC)結党に参加。労相、党書記局員、政治局員などを歴任。1965~67年、コンゴで「パトリス・ルムンバ国際大隊」の司令官を務めた。

 その時期、チェ・ゲバラがコンゴでルムンバ派のゲリラ組織・解放人民軍(EPL)を支援し戦っていた。リスケーは、ゲバラを側面支援する任務を帯びており、ゲバラの現地司令部を訪れている。

 その後、南アフリカ解放組織・アフリカ民族会議(ANC=現在の政権党)のゲリラ組織「民族の槍」の戦略・戦術顧問を務めた。またアンゴラ戦争では、アンゴラ解放人民運動(MPLA)を支援、和平交渉ではクーバ代表団の中心となった。

 最近まで、クーバを訪れるアフリカ諸国要人と会っていた。数年前までアフリカ諸国をしばしば歴訪していた。

 ラウール・カストロはハバナ大学年代、PSP青年部に属し、リスケーと接点があった。リスケーの遺骨は、東部第2戦線の霊廟に安置される。