霧雨、小雨が交互に繰り返された後、本降りになった。戦国時代に包囲された大坂城のように、国会議事堂は主権者市民に包囲されていた。軍勢ごとの、さまざまな幟や旗がたなびくがごとく、プラカードや横断幕が行き交っていた。
悪法、参戦法、戦争法を葬るため、自由、民主、憲法、生活、命を維持するため、馳せ参じた市民の群は絶えず流れ、絶えなかった。
若者、中年、老人、女性、子連れ、外国人の老若男女たち。スローガンの叫びに呼応しつつ歩く。
共産党、社会民主党、民主党、知識人、市民運動家らが演壇に立つ。まぎれもない人民戦線だ。
と思った時、眼前を流れる目覚めた群衆のプラカードの中に、「ノーパサラン 奴らを通すな」と書かれた文字を見た。若い娘が掲げていた。
スペイン内戦(1936~39)のさなか、反フランコファシズムの女性闘士ドローレス・イバルリが叫んだ言葉ではないか!
「ラ・パシオナリア」の、あの叫びだ。
やがて、若者たちが演壇に上がる。「ノーパッサラン」と音便で勢いをつけた合唱。続いて「奴らを通すな」、「ファシズムを通すな」、「独裁者を通すな」の合唱。
そして、憲法を蹂躙する悪法を通すな、だ。知性なき野蛮を通すな、だ。
若い人々は歴史を、政治の欺瞞と愚かさと底知れない恐ろしさを、見抜いている!
彼方の国で内戦が起きた年、2・26事件が勃発。日本は問答無用、軍国主義に急傾斜した。国会議事堂は悲劇を目撃した。
機動隊は戦闘服でなく、警官の制服姿でばか丁寧に群衆をさばく。慇懃無礼。怒れる人々の海と大河を見、命の声を聞いた彼ら警官たちは、何を考えていたのか。
民衆による国会周辺での闘争は普段、機動隊に制圧され、「民主対弾圧」の低次元で終わる。だが今、治安部隊は民衆の洪水を制御できない。闘争は「民主対政府・政権党」 の対決となって、極右国家体制を揺さぶっている。
政権党2党の議員たちの民主が機能しなくなって久しい。主権者は、選挙民は選んだ議員に全権を託してはいない。議員は主権者に抗議されれば、言動を改めねばならない。これが代表制の神髄だ。
議員が唯我独尊に陥り、議事堂外の声に耳を傾けなくなった時、市民は怒りの声を上げる。今がまさにそうだ。
選挙民と議員は相互に補完する。これをこれぽっちも理解していないのが狂気の首相であり、保守・右翼議員たちだ。大方のマスメディアだ。歴史を知らない記者たちだ。だから日本は、これほどまでに荒廃した。
「ノーパサラン!」
この言葉を聞けただけでも、雨に打たれた価値があった。
付言すれば、世界の多くの政治デモで必ず見られるチェ・ゲバラの肖像は、誰かが掲げていたかもしれないが、私は見かけなかった。