2012年2月5日日曜日

ベネズエラ「国家尊厳の日」-クーデター未遂20周年

▽▼▽ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は、陸軍中佐で降下部隊長を務めていた1992年2月4日、政権打倒を狙って軍事蜂起を決行した。激しい銃撃戦の末、多数の死傷者を出し、チャベスは降伏した。それから満20年が過ぎた。

    チャベスはこの日を「国家尊厳の日」と定め、毎年、首都カラカスのプロセレス(英雄)大通りで軍事行進を観閲する。今年は国軍1万2000人と文民8000人が行進した。先住民部隊も行進した。

    ロシア製のスホーイ戦闘爆撃機、戦車、装甲車、自走砲、地対空ミサイル発射装置、ロケット弾発射装置、戦闘ヘリコプター、AK47突撃銃などが登場した。

    チャベスは記念演説で、クーデターの戦闘で命を落とした人々への感謝と追悼の言葉を述べてから、「寡頭勢力は帝国主義に従属していた。だがあの日、ボリバリアーナ革命の道が始まり、20年後の今日、大なる祖国は解放され団結し、社会主義になりつつある」と強調した。

   「ボリバリアーナ」とは、独立期の英雄シモン・ボリーバルの思想を受け継ぐ、という意味だ。

   「国軍兵士は今や、愛国者であり革命家である」と軍部を讃え、「歳出の60%を社会政策に回してきた。これにより貧困は就任時と比べ50ポイントも減った」と、過去13年間の施政を自賛した。

   観閲式には、キューバのラウール・カストロ国家評議会議長、ボリビアのエボ・モラレス大統領、ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領、ハイチのミシェル・マルテリ大統領も出席した。

   一方、野党勢は、「自分が決行し失敗した軍事クーデターを栄光の日にしている。違憲行為だ。軍事行進に450万ドルも費やした」などと批判している。

第2次ハバナ宣言から50年

☆★☆1962年2月4日、ハバナの革命広場に市民100万人を動員して開かれた第2回人民集会で、フィデル・カストロ首相(当時)は、「第2次ハバナ宣言」を発表した。それから、この2月4日で半世紀が過ぎた。

     「全革命家の義務は、革命を為すことだ」-こう高らかに謳いあげたこの宣言は、「反米帝国主義」と、「ラ米の広範な地域に革命を拡げていくキューバの理想」を打ち出した重要な歴史的文書として位置付けられている。

     その4日前の62年1月31日、米州諸国機構(OEA=OAS)は、ウルグアイの保養地プンタデルエステで開かれた外相会議で、ケネディ米政権の主導により、キューバを同機構から追放した。この追放は、米軍によるキューバ直接侵攻に備えた外交的措置と解釈されている。

     追放決議は、賛成14、反対1(キューバ)、棄権6(亜、ボリビア、伯、智、エクアド-ル、墨)で可決された。当時OEAには、カリブ英連邦諸国、カナダ、スリナムは加盟していなかった。

     フィデルは、この追放決議を受けて、人民集会を招集した。米国と、その言いなりになってキューバを追放したラ米諸国を糾弾し、次のように語った。

     「キューバが教えられるものは何か? それは、人民にとって革命は可能だ、ということだ。現代世界には、人民解放運動を止められる勢力はない。ラ米の多くの国に、革命が起こりうる現実がある。帝国主義か革命かのジレンマにあって、最も進歩的な層は人民である」

     フィデルは、59年元日の革命直後からラ米での革命運動の支援に着手していたが、第2次宣言後、その支援活動に拍車をかけた。

     米政府は、これを<革命輸出>と呼んでいた。フィデルは「各国の条件が異なるため、革命輸出などありえない」と否定する一方で、米国のラ米での抑圧政策を<反革命輸出>と呼んだ。

2012年2月4日土曜日

キューバ経済封鎖公式化50周年

▼▼▼▼▼ケネディ米政権が1962年2月3日「第3447布告」を発動し、キューバへの経済・金融・貿易封鎖を公式化してから、この3日で50年が過ぎた。

    米国は59年元日のキューバ革命後、キューバの外資国有化、農地改革、共産圏接近などを受けて、キューバへの輸出禁止、キューバ糖輸入割当量大幅削減などの封鎖措置を講じていた。
ケネディの布告は、封鎖を制度化し、拡大させた。

    米国が1898年の<米西戦争>以降、属領化していたキューバでの帝国主義権益が音を立てて崩れつつあったのを、米政府ははっきりと感じ取っていたのだ。

    アイゼンハワー米政権は61年1月キューバと断行し、政権をケネディに引き渡した。ケネディはアイゼンハワーが決めていた、傭兵部隊によるキューバ侵攻作戦を同年4月決行して、敗北した。

    ケネディは62年1月キューバを米州諸国機構(OEA=OAS)から追放し、2月封鎖を公式化した。フルシチョフ・ソ連政権は、次に来るのは米軍によるキューバ直接侵攻とにらみ、フィデル・カストロ首相(当時)と協議して、ソ連製核ミサイルのキューバ配備に踏み切った。

    その結果、62年10月のキューバ核ミサイル危機が勃発した。

    東西冷戦が89年終結し、91年にソ連が消滅すると、米国は社会主義キューバ打倒のため、
封鎖を強化させる。父親ブッシュは92年トリセリ法で、クリントンは96年ヘルムズ・バートン(HB)法で、キューバを締め付けた。米玖以外の第3国を巻き込む悪法だ。

    キューバはこれまでの封鎖による<被害額>を総額1000億ドルと計算している。

    国連総会は昨年も賛成186、反対2(米、イスラエル)、棄権3で、封鎖廃棄決議を採択している。米国は、これを無視しつづけてきた。

    ラウール・カストロ現政権は、市場原理を導入しての経済改革に慎重に取り組んでいるが、封鎖が足枷となっている。兄弟2代のカストロ政権は、キューバ経済停滞の主要な原因の一つを、米国による封鎖だと主張してきた。

    そこには、「責任転嫁の言い訳」の意図もないとは言えない。だが、封鎖による打撃の方が「言い訳」の狙いよりも、はるかに重く大きいのだ。

2012年2月3日金曜日

チャベス・ベネズエラ政権発足13周年

☆★☆ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領(57)が1999年2月2日就任してから、この2日で13年が過ぎた。チャベスは、首都カラカスの大衆地区カティアの劇場での記念式典で演説した。

    「巨人は立ち上がり、自分の脚で歩き始めた」-チャベスは、ベネズエラを巨人にたとえて、強調した。

    チャベスは、ベネズエラがボーキサイト埋蔵量で米州1であることを指摘し、金、鉄鉱石、原油、天然ガスなどの埋蔵量も豊かなことに触れ、資源大国の意味を込めて「巨人」と形容したのだ。

    13年前に政権に就いた時点でのベネズエラの貧困率は50~70%とされるが、現在は20%台半ばに落ちている。チャベスは、これを最大の成果の一つとして掲げている。

    国内総生産(GDP)はその間、900億ドルから3000億ドルへと3倍強に拡大した。

    チャベスは陸軍降下部隊指揮官(中佐)だった1992年2月4日、新自由主義路線のカルロス=アンデレス・ペレス政権の打倒を狙って軍事クーデターを仕掛けたが、政府軍に制圧された。

    「あの行動は、国が陥っていた奈落の底から脱出するための歴史的必要時だった」

    チャベスは、そう述べた。チャベスは事件後、投獄されたが恩赦され、98年の大統領選挙に出馬し、得票率56%で当選した。

    2000年に現在の「ボリバリアーナ憲法」に基づく新たな大統領選挙で、あらためて当選を果たした。

    ところが02年4月11日、財界、軍部保守派など伝統的支配階層による軍民クーデターが発生し、チャベスはカリブ海の小島に幽閉された。

    だが、貧困大衆がカラカスの大統領政庁に向かって大デモ行進をかけ、これに動かされた軍精鋭部隊が決起し、13日、チャベスを政権に復帰させた。

    チャベスは04年、自身の罷免をかけた国民投票に勝ち、06年の大統領選挙で3選された。

    ことし10月7日、4選をかけて大統領選挙に臨む。保守・右翼の伝統的勢力を代表する諸野党は今月12日予備選を実施し、統一候補を決定する。

    チャベスは1月末現在、61%強の支持率を維持している。

    外交面では、キューバ、ボリビア、エクアドール、ニカラグアなどと「米州ボリバリアーナ同盟」(ALBA=アルバ) を結成して、ラ米左翼の中核となった。

    ブラジルやアルゼンチンと連携して、米国が設立しようとしていた「米州自由貿易地域」(ALCA=アルカ)を葬った。さらに、「南米諸国連合」(UNASUR=ウナスール)の結成にも貢献した。

    これらの外交上の成果を踏まえて、昨年12月3日、カラカスで「ラ米・カリブ諸国共同体」(CELAC)の創設にこぎ着けた。

    昨年6月、癌腫瘍の除去手術を受け、現在も定期検診を受けている。「前立腺癌で、転移している」との未確認情報が流れているが、チャベスは「全快した」と言いつづけている。

ブラジル大統領がハイチ訪問

▽▼▽ブラジルのジルマ・ルセフ大統領は2月1日、ハイチを訪問した。早朝キューバから首都ポルトープランスに到着したルセフは、ミシェル・マルテリ大統領と、両国関係や国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)の要員削減問題について話し合った。

    両首脳は会談後、そろって記者会見に臨んだ。ルセフは次のように語った。

    「ブラジルは、強い立場にある国が弱い立場の国を支援するという精神で、ハイチを支援してきた。治安、司法、スポーツ、環境などの分野でも支援していく」

    「飢餓撲滅政策の遂行を支援する」

    「ブラジルを第2の祖国としてブラジルにやってきたハイチ人(約4000人)の安全と尊厳を保障する」

    「キューバと協力して、ハイチ人医療・保健要員2000人を養成する」

    「国連方針に沿って、派遣団のうちのブラジル軍部隊を現在の2000人から1900人に減らす」

    ブラジルは、ハイチ安定化派遣団の団長国で、最大の駐在規模をもつ。現在、派遣団の要員は1万1600人だが、国連は当面2700人を削減する方針。

    マルテリ大統領は、派遣団の将来の撤退に備えて、廃止され現在ない軍隊を再び組織する政策を打ち出し、準備を進めている。2年前の大地震後ハイチ援助を増やしてきた国際社会からは、「軍隊を持つ余裕などないではないか」と、批判する声が上がっている。

    同大統領は、この日の記者会見では、ブラジルへの感謝をルセフに表明した。ルセフは1日、帰国の途に就いた。

2012年2月1日水曜日

ブラジル大統領がキューバ訪問

▽▼▽▼▽ブラジルのジルマ・ルセフ大統領は1月30、31両日、キューバを公式訪問した。31日ハバナでラウール・カストロ国家評議会議長と会談し、経済協力協定に調印した。フィデル・カストロ前議長とも会談した。ルーラ前政権以来ブラジルは、対玖関係を「戦略的関係」と位置付けている。

    ラウール、ルセフの両首脳は、ハバナ西方40kmのマリエル港に行き、港湾近代化工事の現場を視察した。総工費9億ドルのうちブラジルが6億4000万ドルを負担し、同国のオデブレヒト社が施工している。来年1月完成予定で、ハバナ港に入港できない大型船舶が接岸できるようになる。一帯には、商工業団地も建設される。

    大統領は、今回の訪玖、キューバの人権問題、反体制派接見の可能性などについて記者団に訊かれ、次のように語った。

    「キューバは経済封鎖されている。それとの闘いでブラジルが貢献できるのは、我々が広範な経済協力をすることだ。たとえば、ブラジル産食糧買い付け用の借款を供与すること。マリエル港近代化に参画しているのも、その一環だ」

    「人権問題に触れれば、グアンタナモ基地における米国の問題や、ブラジル自身の問題にも触れざるをえなくなる。人権問題を政治やイデオロギーの闘争手段にしてはならない。政治問題が、意義ある訪問を傷つけてはならない。キューバの内政に干渉してはならない。人権問題を多国間で話し合うことには賛成する」

    「今回のキューバ訪問とフィデルとの会談を誇りとする」

    キューバが「反革命派」と呼ぶ反体制派に大統領が会うことはなかった。ルセフは31日、次の訪問国ハイチに向かった。

パラグアイで独裁期の記憶回復のため「記憶週間」始まる

▼▽▼パラグアイで1月30日、「ラ・セマーナ・デ・モメリア(記憶週間)」が始まった。1989年まで35年間続いた故アルフレド・ストロエスネル将軍の軍事独裁時代に殺害されたり拷問されたりした人々の記憶を回復し、同じ過ちを繰り返さないようにするのが目的。

    フェルナンド・ルーゴ大統領は開会式で、「パラグアイの記憶は、恐怖、弾圧、拷問によって長年隠され、彷徨ってきた。この週間は、自由と平和のために闘った同胞を讃えるためのものだ。暴力や憎悪の週間ではなく、不当にも処刑された人々らのためのものだ」と述べた。

    また、アウグスト・ドスサントス情報相は、「国営ラジオの、独裁時代の出来事の録音記録がすべて紛失している。暗黒時代の記録が失われた。これまで探してきたが、見つかっていない」と明らかにした。

    国の「真実・正義・回復委員会」は、今後も録音記録を探し続ける。同委員会は、独裁時代に処刑されたのは最低400人、最大1000人と推定している。

    国は2月1日、首都アスンシオンの南方370kmのニェエンブクー県ピラルで、「記憶の公園」の建設工事に着手する。

    ドスサントス情報相は、「35年の独裁は人道犯罪だけでなく、貧富格差と差別の時代でもあった。独裁は人民を貧困と無知に置きつづけることによって、独裁を維持していた。記憶を取り戻せば取り戻すほど、同じことを繰り返さないための、未来への保障となる」と強調した。

    「記憶週間」は、独裁崩壊23周年の2月3日まで続き、さまざまな行事が催される。