2011年10月12日水曜日

エルネスト・チェ・ゲバラ処刑44周年に思う

   革命家チェ・ゲバラは1967年10月8日、ボリビア・サンタクルス州のアンデス前衛山脈山中でのゲリラ戦に敗れ、ボリビア軍にラ・イゲーラ村に連行されて、CIAから尋問された。そして翌9日、ボリビア軍の兵士によって至近距離から撃たれ処刑された。それから44年が過ぎた。

   「無花果(イチジク)の村」を意味するラ・イゲーラ村は、山脈の尾根に拡がる平地の小さな村だ。チェが一夜監禁され尋問されたのは、内部が2部屋に仕切られた一棟の小さな小学校だったが、後にキューバ政府の支援で診療所になり、ボリビア人医師が定期的に診療に通ってくる来るようになった。それまで無医村だった寒村に医療の灯がともることになったのだが、これは医師だったチェの遺志をフィデル・カストロが汲んで命じた措置だった。

   今日、この村や、村が行政上属する山脈裾野のバジェグランデ町は、「チェの聖地」となっている。チェの遺体はラ・イゲーラ村からヘリコプターでバジェグランデに運ばれ、病院内で検死がなされ、その後、メディアに公開された。そして、両腕を肘下で切断されてから、町なかの小さな飛行場の滑走路の下の地中に密かに埋められた。腕の切断は指紋を確認するためだった。

     遺体が発見されたのは、没後30周年の1997年のことだ。チェの遺体は、両腕の骨が肘から先が無いたため特定しやすかった。もちろんDNA鑑定がなされた。

   今年も10月8、9両日を挟んで、戦闘地域だった渓谷などを含めバジェグランデからラ・イゲーラまでの山岳地帯は、チェを信奉する若者たちの巡礼の順路となった。私は90年代半ばにこの一帯を取材したが、村に自家発電の電気しかなかった当時、まっ暗闇の尾根から満天の星座群を何時間も眺め、あまりの星の美しさに感激したものだ。流れ星がひっきりなしに走っていた。おそらく生涯、あれほど美しい星降る夜を体験することはないだろう。

   世界中の、とりわけラ米の若者たちの間で「チェ信仰」は衰えることをしらない。「キューバ革命を知らずにチェに憧れる世代」である。全球化(グローバリゼーション)によって、弱肉強食・貧富格差の一大矛盾が地球的規模で拡がっている。だが、その状況は変えたくとも容易には変えられない。絶望が来る。だが、絶望してはならない。

     そこに一筋の希望の光が差す。そこにチェがいる。チェは、ラ米革命、世界革命という見果てぬ夢を見つつ死んでいった。革命も知らない現代の若者たちは、「変革への希望の神」としてチェを捉え、帰依するのだろう。

   チェの娘で小児科医のアレイダ・ゲバラ=マルチ(50歳)が7月21日~8月11日、3度目の来日を果たし、東日本大地震と放射能事故の現場を訪ね、広島・長崎の原爆式典に出席した。

       私は今回も長いインタビューをしたのだが、「キューバ革命から52年が経って、チェが打ち出した<新しい革命的人間>を現代キューバの若者に教えるのは難しくなっているのではないか」と問うた。

     すると彼女は、「現代キューバの問題は、人民に社会的認識を失わせないことだ。たとえばクエンタプロピスタ(自営業者)は教育や医療が無料なことを忘れず、利益の一部を社会に還元する義務を怠ってはならない。教育程度の高いキューバの若者はイデオロギーや革命文化を学びつづけており、チェの思想も一層価値を増している」と答えた。

   チェは早世して、永遠の英雄になった。生きていれば83歳になるが、そんな老いぼれたチェの姿を誰も見たくも想像したくもないだろう。

      その老いぼれた姿をさらして依然先頭に立っているのが、弟ラウールと兄フィデルのカストロ兄弟だ。人間と同じように革命もまた死ぬ運命にある。凛々しく死んだチェは、ある意味で幸福だった。

伊高浩昭


【ラ・イゲーラ村ルポルタージュは、伊高浩昭著『キューバ変貌』(三省堂)参照。今回のアレイダ・ゲバラへのインタビューについては、伊高浩昭執筆「アレイダ・ゲバラ医師に聞く」(『世界11月号』岩波書店)参照】