2011年10月23日日曜日

スペインの季節

  スペイン北部バスク州の独立派政治・武闘組織「バスク国と自由(ETA=エウスカディ・タ・アスカタスナ)」が10月20日、「武闘恒久放棄宣言」をした。11月20日に控える総選挙のちょうど1か月前という日付を計算しての宣言がいかにも<政治的>で、気になる。総選挙で劣勢が伝えられるサパテロ政権の政権党スペイン労働社会党(PSOE=ペソエ)は、同宣言が自党に有利に作用することを明らかに期待しているように見受けられる。だが宣言に意味がないわけではない。

  バスク州の主要都市の一つサンセバスティアンで10月17日、コフィ・アナン前国連事務総長、ゲリー・アダムス氏(北アイルランドの政治家)ら国際的な政治畑の人々も出席して「サンセバスティアン国際平和会議」が開かれ、ETA(エタ)に武闘放棄を呼び掛けた。その3日後にETAが宣言に踏み切ったわけだ。

  1年ちょっとさかのぼる2010年9月25日、バスク州の主要な政治家らがゲルニーカに集って、「ゲルニカ合意(アクエルド・デ・ゲルニーカ)」 を結んだ。ETAに武闘恒久放棄を呼び掛け、スペイン政府には獄中にいるETA要員の身柄をバスク州内の刑務所に移すよう要求した。その延長線上に「サンセバスティアン会議」があった。

  ETAの宣言を受けて10月22日土曜日、数万人の市民がバスク州中心都市ビルバオの中心街をデモ行進した。先頭には「解決が必要だ」とバスク語で書かれた巨大な横断幕が掲げられていた。デモ隊代表は、次のような要求を盛り込んだ声明を発表した。

  一つ、スペイン、フランス両国政府にETAとの対話を求める。
  一つ、武闘は終わっても、政治闘争は終わらない。
  一つ、囚人(ETA要員)の人権を尊重せよ。
  一つ、政府は、北アイルランド和平を達成した英国政府のような対応をすべきだ。
  一つ、来年1月7日、デモ行進をしよう。

  私はフランコ時代末期、フランス南部でETA若手幹部とインタビューしたことがある。当時のETAは、フランコ独裁体制への抵抗者と見なされ、広範な支持と共感を得ていた。だからこそ、私のような外国人記者に会見取材が可能だった。90年代にはバスク州の主要な政治家やETA公然部門と見られていた政党の指導者とインタビューした。

  エスパーニャ(スペイン)とイスパノアメリカ(スペイン系米州)の歴史は長らく表裏一体だった。現代でも、切っても切れない関係にある。ラ米学徒はイベリア半島情勢を常に観察していなければならない。ETAの恒久武闘放棄宣言は、ラ米学徒にとっても印象深い。希望が恒久化するのを祈りたい。 

(2011年10月23日 伊高浩昭) 【私のバスク取材については、拙著『ボスニアからスペインへー戦(いくさ)の傷跡をたどる』(2004年、論創社)を参照されたい。】