2011年10月18日火曜日

新自由主義政権に挑むチリ学生

  チリでことし4月から中等学校(高校、大学予科)生と大学生が、セバスティアン・ピニェーラ大統領の新自由主義政権に40波もの抗議デモを全国規模でかけ、教育政策の変更を迫っている。端的にいえば、「無料で質の高い公共教育」の実現を要求しているのだが、富豪の実業家ピニェーラを戴く政権が「無料教育の普遍化」に首を縦に振るわけがない。弱肉強食イデオロギーを前面に打ち出している右翼政権と、教育の機会均等復活を目指す学生は、教育を対立点としつつ、本質的には新自由主義政策の存否をめぐって戦っているのだ。
  この国の教育民営化が進んだのは、1973年9月社会主義政権を、当時のニクソン米政権と連携して流血の軍事クーデターで倒し登場したピノチェー新自由主義実験政権の下でだった。90年3月の民政移管以降の中道・左翼の4政権は、新自由主義に立った経済の構造を変えることはできなかったが、福祉面などで「中産・貧困層への利益還元」策を加味して、政権を計20年間維持した。言わば「弱肉色」を和らげたのだ。そして昨年、ピノチェー軍政下で潤った財界・富裕層・保守右翼層を基盤とするピニェーラ政権が発足した。軍政の経済政策の流れを汲む政権で、弱肉強食の牙を剥き出しにした。
  実業家政権は、企業益や私益の追求には敏いが、国政には無知・無関心・無能だ。政治哲学があるとすれば「金儲け」だろう。富裕層優遇税制を敷いて富を拡大し、労働市場<柔軟化>で労組の抵抗力を殺ぎ、多数派が求める教育・保健・雇用・社会保障の拡充は手を抜き疎かにした。ピニェーラは、チリを大企業を経営するかのように(国政でなく)<私政>に熱中していた。
  これに怒りを爆発させたのが、未来が見えなくなった学生だった。昨今「富裕層1%に対する怒れる99%の反乱」が世界各地で展開されているが、チリの学生は政変を実現させたエジプトなどの人民運動にも触発され、インターネットを駆使しつつ、ピニェーラ施政2年目の開始時に変革の戦いを挑んだのだ。アジェンデ政権時代に日常化していた人民運動の伝統が久々に甦ったと言うこともできる。
  すでに全国で学生を中心に労働者、主婦など延べ350万人がデモ行進に参加したが、このほか250万人が参加の用意があると意思表示しているという。世論調査では、チリ人の80%が学生を支持している。市民団体である「教授会」が組織して10月7~8日実施された教育問題をめぐる「国民投票」には有権者150万人が参加し、無料教育普遍化に88%が賛成した。またこのような、市民が組織する国民意思確認の投票実施を同じく95%が支持した。
  教育の民営化がこのまま進み続ければ、「機会均等がさらに失われるばかりか、チリのイデンティダー(アイデンティティー=認同)がばらばらになってしまう」、「批判力や判断力をもつ個性ある人格の形成が困難になり、企業に都合のよい人材だけが大量に生み出されることになる」と、学生は訴えてきた。
  チリが「ラ米1の経済先進国」、「最も投資家に有利な国の一つ」などと喧伝されて久しい。だがチリは同時に「貧富格差が最もひどい国の一つ」でもあるのだ。チリ学生の多くは、自分たちの闘いを「一種の階級闘争」と見なしていると伝えられる。
  世界最大級の銅生産国であるチリには、世界最大の国営銅会社(CODELCO=コデルコ)があるが、ピニェーラは国際資本と連携して、その民営化を狙っている。その荒業を打つ前に「教育問題ごときに足を引っ張られてはならない」と考えているようだ。そのピニェーラの支持率は20%台に落ちた。
  「金のかかる教育」、「機会均等が薄れ富裕層に有利な社会」は、21世紀初頭の日本社会の象徴的事象でもある。チリ学生の果敢な闘争は、地震と津波の関係のように、太平洋を挟んで私たちとつながっている。(2011年10月18日執筆 伊高浩昭)