2012年5月22日火曜日

ガルシア=マルケスがC・フエンテスの思い出綴る

☆★☆メキシコ在住のコロンビア人作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(GGM)と、5月15日死去したメキシコ人作家カルロス・フエンテス(CF)は親交があった。GGMはメキシコのラ・ホルナーダ紙に1988年6月26日、フエンテスとの交友について随筆風の記事を書いたが、同紙はフエンテスの死に際し19日、その記事を再録した。GGMは敢えて新しい記事を書かずに、再録を希望したのだろう。以下は、その記事の要旨である。

★私とCFとの付き合いは1961年8月メキシコ市で始まった。その2か月前に私は、発表する当てのない小説と映画制作の構想を抱いてメキシコにやって来ていた。「ヌエバ・シネ(新しい映画)」作りに熱意を抱く作家たちが集まるコルドバ街の「ドラキュラ城」で、私たちは出会った。

☆当時の私は、CFの『ラ・レヒオン・マス・トランスパレンテ(最も透明なる地域)』(邦題「澄みわたる大地」)を読んでいた。驚いたことに、私がボゴタで書いていた初期の小説2作を彼が読んでいたことだ。ほとんど知られていなかった作品を彼が本当に読んでいたのを知ったのだが、このことが私たちの友情を長らくつなぎとめる基盤となった。

★1968年12月のこと、私たちはプラハで摂氏120度のサウナに入り、チェコ人から政情を聴かされていた(同年8月「プラハの春」がソ連軍に蹂躙された)。ところがサウナを出る際、冷水シャワーが出ないのを知った。私たちはモルダヴァ川の氷を割って川水に浸かった。死ぬかもしれなかった(GGM一流の幻想的リアリズモか)。

☆だが、そのような思い出よりも記憶に残るのは、CFが無名の作家志望者から送られてくる原稿を読んでは、出版社にかけ合っていたことだ。人は誰でも人類全体のために責任を負う、ということを彼は知っていたのだ。それがCF文学に込められた哲学だった、と思う。

★CFは、作家だけが住む理想的な地球を思い描いていたようだ。「それは既にあるさ、地獄だよ」と私が冗談で言うと、彼は冗談とは受け止めなかった。それほどまでに彼の文学救世主的運命は留まるところをしらなかった。だから彼は、二重の意味でいい作家なのだ。