▼▼▼キューバ島東部のグアンタナモ湾の大きな部分は1903年、「無期限租借」という形で米国に奪われた。99年後-2002年の1月11日、そこに収容所が開かれ、最初の20人の「容疑者」が連行されてきた。前年のあの「9・11事件」の「容疑者」である。
それから丸10年経った。世界中のメディアが「10周年」を伝えている。
779人にまで膨らんだ収容者は、現在171人に減っている。その内訳は23国籍の、25歳から62歳までの男性だという。
10年間に8人が死んだが、うち6人は自殺で、他の2人は病死だという。
バラク・オバマ米大統領は、この収容所の閉鎖を公約していたが、いつしか公約は葬られた。米市民の間には、1月11日を「米国民の恥の日」と捉える人々がいる。
この収容所でも、ひどい拷問が国際的な大問題になった。数年前には閉鎖を求める世論が世界的に高まった。今でも、その世論は消えていない。
だが、仮に収容所が閉鎖されたとしても、問題の本質は変わらない。
当事国キューバをはじめラ米の立場からすれば、グアンタナモ基地がキューバに完全に返還された時、初めて問題が終わることになる。
英国は香港を、ポルトガルはマカオを、それぞれ中国に返還した。米国は運河地帯をパナマに返した。だが米国は、社会主義キューバには、グアンタナモを絶対に返さない構えだ。
収容所の存在は依然、人道的見地から大問題だ。だが、歴史的見地からは<租借地>返還こそが問題の核心にある。