☆★☆ニカラグア政府は2012年1月1日、プエルト・リコ(PR)人大リーガー、故ロベルト・クレメンテ選手の顕彰追悼碑を建設すると発表した。
クレメンテは1972年12月31日、大地震で破壊されたマナグアに救援物資を運ぶ途上、飛行機がカリブ海に墜落、帰らぬ人となった。
ピッツバーグ・パイレーツの主力選手だったクレメンテは、72年11月、PRチームを率いてニカラグアを訪れ、親善試合をした。翌月23日大地震がマナグア一帯を見舞うと、支援活動に乗り出した。その結果、悲劇に遭った。
ニカラグア人はクレメンテを「忘れ得ぬ人」、「国際連帯の英雄」と讃えてきた。政府は、没後40周年に合せて顕彰追悼碑を建てることにした。
私は、この地震を現地で取材した。メキシコ空軍の救援物資輸送隊に同行してマナグア入りし、帰りも同じだった。パスポートもビザも不要だった。国家機能が完全に麻痺していたからだ。
熱帯のマナグアでは、遺体が腐るのが早い。1万人近い人々が死亡したが、多くは路上で、ガソリンをかけられて火葬された。風下にいると異臭が運ばれてきた。辛く厳しい取材だった。クレメンテは私にとっても、忘れがたい人だ。
私は1969年に3ヶ月間、マナグアを拠点に中米諸国を巡回取材した。その記憶にあった懐かしい街並みは、大地震で消えてしまった。
顕彰追悼碑建設には、対米関係悪化を避けたいニカラグア政府の思惑が絡んでいるかもしれない。だが私は、クレメンテのヒューマニズムを讃える記念碑の建設として純粋に捉えたい。
それは、昨年12月3日の「ラ米・カリブ諸国共同体(CELAC=セラック)」発足時の首脳会議で、ダニエル・オルテガ大統領が「CELACでのプエルト・リコの不在」を指摘したことからもうかがえる。
(2012年1月2日 伊高浩昭執筆)