2012年4月6日金曜日

フジモリ<自作自演クーデター>から20年

▼▽▼ペルーで1992年4月5日、当時のアルベルト・フジモリ大統領が軍・警察を動員し国会、裁判所などを解散させ、側近のブラディミロ・モンテシーノスらと組んで独裁体制を敷いた「アウトゴルペ(自作自演ないし、お手盛りのクーデター)」から4月5日で20年が過ぎた。

▽1990年、大統領選挙決選で、保守派・財界候補の作家マリオ・バルガス=ジョサを破って当選し政権に就いたフジモリは、国会に法案をつぶされ、人種差別され、海軍に嫌われ、クーデターで追い落とされる危機にも直面していた。

▼そんな状態が続いていた90年3月、フジモリは来日し、「こんな状態はいつまでも続きませんよ。見ていてください」と日本のある高官にもらした。その翌月、クーデターを打ったのだ。

▽フジモリは強権を行使してゲリラ組織を壊滅状態に追い込み治安を確保し、超インフレを収め新自由主義を導入し、経済を立て直した。だが同時に人権蹂躙、腐敗、大物犯罪者無処罰、言論弾圧など深刻な問題が起きた。

▼フジモリはクーデター後、制憲議会を設置し新憲法を制定、強引な憲法解釈で大統領を連続3期務めることとなった。だが政権絡みの非合法活動が内外で暴露され、2000年に失脚し、日本に亡命した。フジモリは帰国のため05年離日したがチリで逮捕、ペルーに送還され、裁判で禁錮25年の実刑を言い渡され、服役中。モンテシーノスも長期刑に服している。

▽お手盛りクーデター20周年に際して実施された世論調査では、このクーデターに対する評価が賛否に依然割れていることを示した。だが、「クーデター後の政治結果は良かったにせよ、民主制度を破壊したのは許し難い」という意見が少なくない。

▼フジモリの後継者と目される息子の国会議員ケンジ・フジモリは、「あれはクーデターではなかった。国会によるクーデター誘発の陰謀を制御するためのコントラゴルペ(対抗クーデター)だった」と弁明した。

▽一方、オヤンタ・ウマーラ大統領は、「民主制度破壊が腐敗、反国家行為、無処罰などを生んだ」と、厳しく批判した。