▼▼▼元メキシコ大統領(1982~88年)ミゲル・デラマドリー(77)が4月1日死去した。肺、腎臓などの疾患で長らく入院していた。
▼デラマドリーは任期中、経済路線を民族主義から新自由主義に変えた。85年に大震災に見舞われ、86年にはメキシコで2度目のW杯サッカー大会を開催した。
▼そのころ、政権党PRI(プリ=制度的革命党)内には、クアウテモク・カルデナス(元大統領の息子)、ポルフィリオ・ムニョス=レード元労相ら民主化を求める左翼「民主潮流(CD=セデ)」が生まれていた。PRIはやがて分裂する。
▼1988年の大統領選挙は、PRIと、CD主体の民族民主戦線(FDN)の事実上の一騎討ちになった。FDNのカルデナスが勝っていたが、開票操作でPRIのカルロス・サリーナスが勝ったことになってしまった。この不正を指揮することができたのは、大統領のデラマドリーしかいなかった。
▼サリーナスは新自由主義路線を推進し、94年元日、北米の米加両先進国と「北米自由貿易協定(TLCAN=テエレカン/NAFTA=ナフタ)」の発足にこぎつけた。だがその日、東南端のチアパス州で、サパティスタ民族解放軍(EZLN)が武装蜂起した。
▼94年は大統領選挙年で、サリーナスは後継者にルイス=ドナルド・コロシオを指名する。だがコロシオが選挙戦で麻薬取り締まり強化など改革政策を公約すると、3月、ティフアーナ市郊外で遊説中に暗殺されてしまう。メキシコ人の多くは事件の黒幕が、サリーナスおよび、その兄ラウール・サリーナスだったと観ている。
▼FDNを母体として89年5月5日、民主革命党(PRD=ペエレデ)が発足した。PRDのアンデレス=マヌエル・ロペス=オブラドール(AMLO=アムロ)は2006年の大統領選挙で、やはり開票操作で敗れたことにされてしまった。今年7月1日の大統領選挙にAMLOは再び出馬している。