▽▼▽ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領の打倒を狙った2002年4月11日の民軍合同のゴルペ・デ・エスタード(クーデター)事件から10年が過ぎた。
▼チャベスの人民優遇政策、経済政策への国家の復権、反米的全方位外交によって伝統的利権を失いつつあった旧支配勢力の中心フェデカマラス(経団連)とベネズエラ労連(CTV)は、軍部と警察の反チャベス派と組んでゴルペを画策した。当時の米、スペイン、エル・サルバドールの右翼政権が陰謀を支援した。
▽ゴルペ首謀者は02年4月11日、CTVなどを動員してミラフローレス殿堂(大統領政庁)にチャベス辞任要求のデモを仕掛けた。これと対峙していたチャベス派の支援者らは、政庁に近いジャグーノ陸橋周辺にいた。ゴルペ首謀者に雇われた狙撃者たちは、近隣の建物の屋上などから狙撃を始め、19人が死亡し、69人が負傷した。
▼政庁一帯は騒乱状態に陥り、ゴルペ派軍部はチャベスを密かに連行し、「混乱の責任をとる」形での辞任を求めた。軍総監ルカス・リンコン将軍は12日未明、「チャベス辞任」を発表した。チャベスは、カリブ海のベネズエラ領オルチラ島の基地に運ばれ、生命の危険や国外への放置の可能性を含む極めて危険な状況に陥っていた。
▽経団連会長ペドロ・カルモーナは<臨時大統領>に収まり、国会、司法機関などを解散させ、チャベスが定めたボリバリアーナ憲法を無効とした。カルモーナはこの日に備えて、大統領が懸ける襷(たすき)を特別注文していた。
▼ゴルペの事実が明確になった。チャベスの盟友で当時のキューバ国家評議会議長フィデル・カストロは、ハバナからベネズエラの軍高官やチャベス派幹部に電話をかけまくり、巻き返しの軍事作戦と人民動員を促した。
▽貧困大衆が中心のチャベス派人民は13日カラカスを埋め、日和見を決め込んでいた軍部中堅将校らはチャベス救出に乗り出した。チャベスは島から救出され、14日未明、政庁に復帰した。
▼カルモーナはコロンビアに亡命した。他のゴルペ首謀者の多くも逮捕されるか、亡命するかした。チャベスは、軍と警察を粛清(逮捕・追放)し、自派で固めた。
▽ベネズエラ経済の命綱の石油産業は依然、反チャベス派が握っていた。ベネズエラ石油公社(PDVSA=ペデベサ)は02年末から03年2月にかけて、石油産業を麻痺させ政権を行き詰らせるため<石油ゴルペ>を打つ。チャベスはこれを乗り切り、PDVSAを粛清し、これまた自派で固めた。
▼軍・警察とPDVSAを握ったこと、貧困大衆を支持派として固めたこと、それを基盤に翼賛政党・ベネズエラ統一社会党(PSUV=ペエセウベ)を結党したこと、ラ米左翼諸国と「米州ボリバリアーナ同盟(ALBA=アルバ)」を結成したことなどで、チャベスは13年も政権に居つづけることができた。
▽だが昨年6月、キューバ訪問中に腰部に癌腫瘍が見つかり、除去不術を受けた。これが今年2月再発し、再び手術を受けた。チャベスは、その後3回ハバナを訪れ放射線治療を受けた。4月11日夜帰国するや、政庁で政権幹部やかつての幹部を集めて、ゴルペ10周年行事を開始した。
▼10月7日には次期大統領選挙が実施される。チャベスと、野党統一候補で右翼のエンリケ・カプリレスの一騎打ちになる。聖週間に神に延命を祈願したチャベスだが、体内の敵・癌とも闘いながら
選挙必勝を期している。