★☆★☆★ボリビアで鉱山労働者主体の人民軍が蜂起した1952年4月9日のボリビア革命開始から60年が過ぎた。人民軍は政治首都ラパスと鉱山都市オルーロを中心に政府軍と激戦を展開し、11日政府軍を制圧した。一連の戦闘で500人を超える死者が出た。
☆前年51年の大統領選挙で当選した「革命的民族主義者運動(MNR=エメエネエレ)」党のビクトル・パス=エステンソロは亡命先のアルゼンチンから帰国する。
★MNR政権は、先住民の社会参加、国軍解体と人民軍制度化、錫鉱山国有化、農地改革、参政権拡大、教育改革、道路建設などを実行した。ボリビア労働総同盟(COB=コブ)、ボリビア鉱山公社(COMIBOL=コミボール)などが設立された。20世紀のラ米で、メキシコ革命(1911~17)に次ぐ社会革命となった。
☆だがパスをはじめとするMNR幹部は穏健改革派であり、早晩、富裕層や米国と接近する。革命過程は滞り、64年の軍事クーデターにつながった。その張本人は、パスを亡命先から帰国させた飛行機を操縦した空軍将校レネー・バリエントスだった。バリエントスは、2期目に入っていたパス政権の副大統領として政変を起こしたのだった。
★ボリビア革命は、53年7月26日のモンカダ兵営襲撃事件を起こしたフィデル・カストロに閃きを与えた。奇しくも同月ラパスに居たエルネスト・ゲバラも閃きを得て、後年ボリビアで革命戦争を起こす。
☆革命は中途半端に終わったが、先住民族の台頭を促し、2005年の大統領選挙でアイマラ人エボ・モラレスを当選させた。エボは06年1月政権に就き、この国で史上初めて多数派の政権を樹立した。
★60周年記念の日、MNRはラパスでデモ行進と集会を開き、2014年の大統領選挙での政権奪取を誓った。だがMNRは既に国会内少数派に成り下がっており、かつての支持母体COBもモラレス政権による分断工作に遭って、力がない。