米国の著名な女流詩人エミリー・ディキンソン(1830~86)は、この映画の冊子では「エミリ・ディキンスン」とか書かれている。尊重しよう。19世紀中葉の米国には、米国がメヒコ(メキシコ)から国土の北半分を奪った悪名高い「米墨戦争」(1845~48)と、「米国内戦=南北戦争」(1861~65)があった。
これら二つの戦争の間の1853年、米国のペリー黒船船団が那覇に入港、次いで浦賀で末期の徳川幕府に開港を迫った。米国では、エイブラハム・リンカーン大統領が内戦のさなかの1863年、奴隷解放を宣言した。だが65年に暗殺された。
エミリーは、そんな時代をマサチューセッツ州の上流階級の娘として生まれ、過ごし、生きた。映画は、エミリーの女学生時代から始まる。修道女や教師が生徒に集団的に押し付け信じさせようとする集団的な神に、エミリーは異論を唱える。この最初の反逆的場面が、彼女の人生が波乱含みであることを予測させる。
エミリーは極めて保守的だった時代に、言動に制約が課せられる上流家庭で過ごした娘時代から、無神論や不可知論と、「自分の神」との間を行き来していたはずだ。
異性に対しては、ある種の潔癖主義、引っ込み思案、理想に忠実な空想主義から晩生(おくて)だったようだ。このため「見当違い」の愛を抱いたり、恋を仕掛けたりして失敗する。
結局、女としては不完全燃焼、満たされない人生を送った。森のような庭園のある大邸宅に死の日まで住み続けた。キリスト教には、修道院の内奥に蟄居して毎瞬、神と向き合う「クラウスラ」(禁域主義)という厳しい修行がある。エミリーは、あたかも禁域主義の修道女のごとく、邸宅内に生き続けた。
このような生き方から、どんな詩が生まれたのか。それは映画を観る各自が、エミリーの詩編を読めばいい。ここでは触れまい。だが少し触れれば、作品は詩人が生きた時代背景の中心にあった内戦(南北戦争)と奴隷解放の影響を受けている。
これから確認したいのは、エミリーが米墨戦争に影響を受けたか否かということだ。この不正な戦争を米国人である詩人は、どう捉えていたのだろうか。
米国は、傲慢な「モンロー教義」を1823年に宣言。メヒコとの戦争時には、「明白なる天命」という傍若無人で独りよがりの覇権主義=帝国主義理論を身につけていた。ヘンリー・ソーローは、「不正な戦争」に反対し、戦費となる税金の支払いを拒否して投獄された。
と、この映画は、昨今滅多にお目にかかれない、人間の魂を描いた重厚で美しい作品であるがゆえに、いろいろなことを観る者に考えさせずにはおかないのだ。
2016年の英ベルギー合作。125分だが、時間の長さを感じさせない。友人の中に、この映画を観た人がいるとすれば、それはとても素敵なことだ。