東京・大手町の日経ホールで10月9日、冴木杏奈の歌を聴いた。ハバナで9月23日合意された「半年後のコロンビア和平達成」について長い記事を書き、その編集作業を終えたところに突然、招待が舞い込んだのだ。頭の疲れを休めるのに音楽は良い。
彼女は美貌と声量が売り物の歌手で、「デビューし28年経った」と言った。4半世紀前のことだが、歌手になって間もないころ、彼女はピアニストの故羽田健太郎やタイム・ファイブとともにテレビの音楽番組出ていた。この番組や他の番組で、「愚かなりし我が心」、「小雨降る路」など、ゆっくりした歌をよく歌っていた。とてもよかった。以来初めて、そして生で初めて彼女の歌を聴いた。
テレビで観ていた若いころの面影はない。別の型の美貌を築いている。亜国から来たキンテート(5人組)の演奏で歌い、かつ語る2時間の舞台は、まるで宝塚スターと追っかけファン集団の掛け合いの場のようだった。言わば「身内のショー」なのだ。歌を味わいたい一見の客は閉口する。
私は、25年前のあの声の名残を探し、ところどころで確認した。そしてフアン集団の居ない場所で、「歌手個人」としての彼女の歌を聴いてみたいと思った。「山あり谷ありでした」と彼女は言った。その味が出るのはサロンで歌う時だろう。
タンゴも数曲歌ったが、歌詞はほとんどが日本語だった。スペイン語で歌うと、どのような感じになるのか、これも聴いてみたい。ブエノスアイレスで故メルセデス・ソサから「アニータ」と呼ばれて可愛がられたと言った。私もインタビュー取材で訪れたソサの自宅や劇場を、彼女も訪れたに違いない。そして共演したのだろう。
歌の合間に、実はノーベル平和賞の受賞者が誰になるのか、気になっていた。それが「憲法9条」でなかったことを後で知った。