チリ社会党のフアン=パブロ・レテリエル上院議員は10月8日、父オルランド・レテリエル元外相の暗殺を命じたのは独裁者アウグスト・ピノチェー(故人)だった、と述べた。
同上院議員は5日、この事件の真相をめぐる米政府極秘解禁文書を、チレ訪問中のジョン・ケリー米国務長官から渡されていた。
上院議員はまた、ピノチェーは自身の関与を隠すため、暗殺の指揮を執った当時の国家情報局(DINA)長官マヌエル・コントレラスの殺害を検討していた、と指摘した。
ピノチェーが1973年9月の軍事クーデターで倒したアジェンデ社会主義政権の外相だったオルランド・レテリエルは1976年9月ワシントンで、秘書の米国人女性ロニー・モフィットとともに自動車内で爆殺された。
73年当時のニクソン米政権は、アジェンデ政権打倒を支援した。ニクソン大統領を補佐していたのはヘンリー・キッシンジャー(大統領補佐官-国務長官)だった。