私は、ラ米文化専門の月刊誌『ラティーナ』に「ラ米乱反射」シリーズを6年近く連載してきた。10月20日発行の11月号には、「<9・11アジェンデの死>はやはり自殺だったーー永遠の眠りを邪魔されなかったネルーダ」と題して、同時代の偉大なチリ人2人の死にまつわる逸話について書いた。
1973年9月11日チリで起きたピノチェーとニクソンの連携による軍事クーデター当日、首都サンティアゴのラ・モネーダ政庁内で死亡した社会主義者サルバドール・アジェンデ大統領と、盟友だったノーベル文学賞詩人パブロ・ネルーダの同月23日の<後追い急死>には長らく、謎がつきまとっていた。
アジェンデの死因は、イサベル・アジェンデ上院議員ら遺族の要請を受けて法的な遺体解剖がなされて今年七月、自殺と公式に断定された。一方、ネルーダには毒殺の疑いがあったが、司法当局は、病死の可能性が強く、解剖はしないとの立場を示した。妻マティルデが生前、「前立腺癌による死」を明言していたことなどによる。一緒に眠っているネルーダ夫妻の墓が解剖のために暴かれることはなくなり、私は「永遠の眠りを邪魔されなかった。。。」と書いた。
チリ共産党幹部だったネルーダは1949年、政府から迫害されて52年まで欧州でマティルデとともに亡命生活を送った。52年には地中海のイタリア領カプリ島に住んだのだが、この事実を基にチリ人作家アントニオ・スカールメタは85年、『ネルーダの郵便配達夫』という小説を書いた。これを映画化したのが、94年のイタリア映画『イル・ポスティーノ(郵便配達夫)』である。
私は今年3月、カプリ島を訪れ、ネルーダ夫妻が半年余り暮した邸宅を探した。島人たちの協力で探し当てることができた。このエピソードも11月号の文章に盛り込んである。
私はアジェンデ政権時代の70年代初め、ネルーダの肉声による詩の朗読をラジオで聴いた。その一節を紹介したい。
チリよ、お前が黙っている時が好きだ
いないみたいだからだ
チリよ、お前が眠っている時が好きだ
遠くにいるみたいだからだ
チリよ、お前が遠くにいる時が好きだ
心の中にいるからだ
この詩の「チリ」を、恋人や故郷に置き換えて読んでみてはいかがか。
【ラティーナ社 電話03-5768-5588、電郵(イーメイル)latina@latina.co.jp,
HP http://www.latina.co.jp/】 2011年10月19日 伊高浩昭)