2012年9月12日水曜日

チリ法廷が「アジェンデは自殺」と断定

★★★1970年に自由選挙で誕生したサルバドール・アジェンデ大統領の人民連合社会主義政権が、軍事クーデターで倒された39周年記念日に当たる9月11日、サンティアゴ高裁は、同大統領の死は自殺だった、と断定した。

★アジェンデは、クーデターが発生した73年9月11日、空爆され炎上していた政庁内で、キューバのフィデル・カストロ首相(当時)から贈られ所持していたAK47突撃銃で自殺した。

★遺族の申し立てで去年5月、首都の一般墓地のアジェンデ家の廟から遺体が取り出され、解剖された。サンティアゴ地裁は12月末に「自殺」と判断した。これに対し、今年1月、異議が申し立てられた。これを受けて高裁は、さらなる調査をしていた。

★今回が最終判断となり、この問題で審理が繰り返されることはない、という。

★この日、クーデター後に逮捕されたり失踪した人々の家族(遺族)の会は、一般墓地内の記念碑の前で追悼行事を催した。

★クーデター後、ピノチェー軍政によって3225人が殺された。数万人が拷問され、多くの市民が国外亡命を余儀なくされた。

★これまでに軍政時代の要員76人が人道犯罪裁判で有罪になり、うち67人が収監された。依然350件の裁判が続いている。