2012年9月20日木曜日

スペイン共産党のサンティアゴ・カリージョ元書記長死去


★★★スペイン共産党(PCE)の元書記長サンティアゴ・カリージョが9月18日、マドリー市内の自宅で午睡中に死去した。97歳だった。

★カリージョは1915年1月18日、アストゥリアス州ヒホンの、労働運動指導者の家に生まれ、15歳で、スペイン労働社会党(PSOE=ペソエ)の機関紙エル・ソシアリスタの記者になった。34年に社会主義青年同盟(JS)幹部になり、モスクワでスターリンに説得され、共産主義青年同盟(JC)との合体の交渉に臨んだ。

★36年7月スペイン内戦が勃発すると、フランスから帰国し、共和国防衛のため戦闘に参加する。内戦末期フランスに出国し、パリを拠点に抵抗戦線を構築する。当時PCE書記長だったドローレス・イバルリ(ラ・パシオナリア)から指令を受けていた。

★60年、PCE書記長に就任する。ソ連軍が68年8月チェコスロヴァキアを侵略するとソ連を非難し、伊共産党書記長エンリコ・ベルリンゲル、仏共産党書記長ジョルジュ・マルシェらとともに、「欧州共産主義=エウロコムニズモ」を構築する。

★PCEは77年に合法化され、カリージョは民主化過程に関与する。その後、総選挙で党勢は下降し82年、書記長の座を明け渡した。その時の対立が尾を引き、85年カリージョ派は党から追放される。一部はPSOEに入党し、一部は86年「統一左翼(IU)」を結成した。

★カリージョは執筆活動に力を注ぎ、多くの著書を発表する。最後の著書は96歳の日に刊行した『困難なスペイン人の和解』だった。

★19日の告別式には、2万5000人が参列した。国王夫妻も、カリージョ宅を弔問した。粘り強い現実主義者で、毀誉褒貶の多い政治家だった。

【1970年代半ば過ぎカリージョは来日し、東京で記者会見を開いた。スペイン内戦への思い入れの強かった私は、最前列に着席し、質疑応答をした。会ったのは、この時だけだ。応答の内容は既に記憶が薄れ、当時の記事を探さなければわからない。】