2012年9月14日金曜日

石川好著『60年代って何?』を読む


☆1960年代の調べごとがあって、『60年代って何?』(石川好著、2006年、岩波書店)を読んだ。著者が特筆する1968年に、メキシコで体制変革を求めた学生運動を取材し、ヘンリー・ミラーを愛読し、ベトナム反戦とチェ・ゲバラの大人気の波に煽られていた私には、懐かしい場面がずいぶんあった。 

☆周辺ではマリファナが愛され、性が奔放に開花し、プロテストソングが盛んに流れていた。私は60年代の東京とメキシコで青年時代を送った、紛う方無い60年代世代である。 

☆考えてみると、あのまま成長しないで40余年経ってしまったような気がする。この本の中心テーマは著者が得意とする米国政治・社会の潮流だが、米国人もさして成長していないように見受けられる。 

☆「リベラル論」が当然出てくる。私はかつて恩師から、「リベラルとは、たとえば反共主義に反対することだ」と教わった。米国の右翼・保守頑迷派は、この言葉のもつ本来的な意味を歪曲し矮小化してしまっている。ここに米国政治の限界がある、と私は見る。否、そこに米国政治の恐ろしさがある、と言うべきか。 

☆日本では、自民党が政権奪回に向かって色めいている。党首候補が顔を並べているが、旧時代のように視野が偏狭な国会議員が数人含まれている。「自由と民主」という結構な名称を所属党に付けているが、彼らにとって「リベラル」とは、米共和党右翼のそれとどう違うのか。日本政治も進歩が止まっている。 

☆メキシコでは、金権選挙の結果、ことし12月、旧秩序政党PRIが12年ぶりに政権に復帰する。自民党政権が復活すれば、日本もメキシコのように過去に向かって進むことになる。すなわち、政治の<後進>である。