2012年9月18日火曜日

片桐薫著『ポスト・アメリカニズムとグラムシ』を読む


☆『ポスト・アメリカニズムとグラムシ』(片桐薫著、2002年、リベルタ出版)には幾つかの興味深い指摘がある。国際的な右翼陣営は1970年代から新自由主義という、国家の役割を限定させる一種の変革イデオロギーを編み出したが、これに気づくのが遅れた左翼陣営は、組織解体と方向感覚喪失という歴史的敗北を喫した、という指摘もその一つだ。

☆ラ米では21世紀第1デカダ(10年期)に、新自由主義の廃墟から登場したウーゴ・チャベスら新しい型の左翼が相次いで、国家の復権を正面に据える「21世紀型社会主義」を打ち出し、その潮流がうねりとなった。(もちろん、この潮流は本書の出た02年にはさほど顕著ではなく、本書には、ブラジルの変化の方向性のわずかな指摘を除いて、潮流についての記述はない。)

☆本書は、時代が激変する過程で「古いものが死に、新しいものが生まれていない事実のなかに、まさに危機がある」と喝破したグラムシの有名な言葉を掲げている。チャベスは演説などで、グラムシのこの言葉をしばしば引用して、「その危機のなかで自分は新しい革命体制を構築しつつある」と強調してきた。

☆グラムシの洞察をキューバに当てはめれば、20世紀型社会主義が死につつあるのに死にきれず、市場経済原理導入も難産で生まれきらないという現状は、まさに重大な危機ということになる。

★著者は知識人論のなかで、エドワード・サイードの持論を紹介する。ブッシュ息子政権のような極悪の無法権力体制の存在を前置きし、「最も質(たち)が悪いのは、そのような政策実行者に対して、知識人や芸術家やジャーナリストの側が、たとえ積極的でないにせよ、共犯者になってしまうことだ。彼らは国内では進歩的であり、注目に値する所見を発表していても、こと国外で米国の名の下に行なわれていることが問題になると、体制(米国)支持の側に回る」と、サイードは言うのだ。

★あの米国のイラク侵略戦争開始当時、私はサイードが指摘するような、メディアの編集幹部を何人見たことか! まさに「ワシントン-東京-日本メディア」という従属構造があった。いまも同じだ。情けない。知識人の裏切り以外の何ものでもない。否、似非知識人だから、平気でそうなるのだろう。

☆グラムシが使った「サバルタン(従属者)」についての記述も面白い。グラムシは出自や自ら辿った運命から、自身を「ネオサバルタン(新型従属者)」と見なした。これを後年、ガルブレイスは「アンダークラス」と呼んだ。今日の「怒れる99%」はまさに、これだ。「21世紀型社会主義」の指導者たちは、「新型従属者」を現代の「階級」と捉え、「階級闘争」は変質しながらも存続している、と主張する。

☆グアテマラの旧ゲリラ勢力(現在は野党)は先月(8月)、新しい闘争主体を「先住民、女性、若者」と規定した。自国のネオサバルタンを基盤として新しい闘争形態を構築しようと<過去からの脱皮>を試みつつあるのだ。

★本書は、ラ米の状況に当てはめられる点が多いことから、読みやすかった。