2012年9月9日日曜日

パラグアイ政変に<石油の臭い>


▼▼▼『南米革命と新左翼台頭』などの著書で知られる米国人ラ米専門家ニコラース・コズロフ(43)は先ごろ(8月10日)、過去のウイキリークス情報を踏まえて、6月パラグアイで発生した国会クーデターの原因について分析した。 

▼同ク-デターで追放されたフェルナンド・ルーゴ前大統領は、08年4月当選し同年8月就任した。米クレセント石油は、ルーゴ政権登場以前の08年、チャコおよびアルトパラナーで2012年5月まで原油を採掘する契約をパラグアイ政府と結んでいた。 

▼一方、チャベス・ベネズエラ政権のPDVSA(ペデベサ=ベネズエラ石油公社)は07年、PETROPAR(ペトロパル、パラグアイ石油公社)と、6億ドルの製油所現代化のための契約を結んでいた。 

▼当時のブッシュ米政権下の国務省は、チャベスがパラグアイを通じてコノスール(南米南部)に足場を固めようと狙っていると警戒し、当選が有力と見られていたルーゴの身辺を探っていた。 

▼ルーゴが大統領になると、ベネズエラはALBA(アルバ=米州ボリバリアーナ同盟)の優遇措置を適用して、パラグアイの需要の30%分の原油を供給することにした。また石油派生製品と、パラグアイの牛肉、牛乳、大豆、トウモロコシ、米と交換する契約も結んだ。PDVSAがチャコで天然ガス採掘に協力することも決まった。
 
ルーゴ政権は、クレセント社との契約を打ち切った。同社は法的闘争を開始するとともに、パラグアイの右翼メディアを使って、ルーゴとチャベスの「癒着」を攻撃した。 

▼ルーゴ政権は、新たに露ルコイル石油と連携するエクアドールのトゥリペトロール社系のLAN石油の参入を支持した。
 
▼当時、ルーゴ政権の副大統領だった右翼のフェデリコ・フランコ(現・暫定大統領)は、ルーゴに歯向かってクレセント社復権のため工作したが、失敗した。 

▼国会クーデターで政権に就いたフランコは、直ちにクレセント社のチャコでの採掘権を復活させた。チャベスは、原油優遇供給を打ち切った。
 
コズロフは、「確証はないが、国会クーデターには石油の臭いがする」と指摘する。