2013年4月15日月曜日

マシャード=ジ・アシスの分析本『千鳥足の弁証法』を読む


 『千鳥足の弁証法』(武田千香著、2013年・東京外語大学出版会)という、風変わりな題名の本を読んだ。

 ブラジル人作家マシャード=ジ・アシス(1839~1908)の代表作『ブラス・クーバスの死後の回想』(1881年)の作風、筋・内容、作者と主人公の関係、時代背景などを数学的に分析した労作だ。

 迂闊にも、この代表作(武田訳、光文社古典新訳文庫)を読まずに本書を読んだため、要領を得なかった。読書の順番を間違ったのだ。だが逆に先入観なしに読むことができた。

実に面白い。同代表作を読まずにはいられなくなった。それを読んでから、本書を読み直すことにしよう。ブラジル式ポルトガル語の意味の説明や、ブラジル社会・文化の解説も興味深い。

<老爺心>から敢えて指摘する。「クリスチー事件」の項(223ページ)で使われている「マスコミ」という言葉について苦言を呈したい。1861年の出来事を語るのに「マスコミ」はおかしい。幻滅する。著者のうっかりミスだ。当時のメディアは新聞であり、ここは「新聞」と書けばよかった。メディアでも間違いではない。

「マスコミ」は、「マス・コミュニケーション(大衆・大量伝達)」の略称として登場した。テレビが隆盛期に入りつつあった1950年代後半に、評論家大宅壮一が作り出した用語だと記憶する。だが「マスメディア」の意味で使われるようになってしまったため、不正確な略語となった。

ジャーナリズムという言葉さえも「マスコミ」という用語で代用される嘆かわしい時代だ。新聞学徒だった私は、「マスコミ」という略語は認ないし、絶対に使わない。