2013年5月28日火曜日

カルロス・フエンテス著『誕生日』を読む


 著者が1969年に発表した作品だ。読む者を途方に暮れさせる小説だ。と言うよりか、独りごと、とか、飾り立てた手記、などと呼ぶべきか。作品社も、よく翻訳出版する気になったものだ。

 巻末の訳者解説に、執筆にまつわる逸話が書かれている。著者がこの本を執筆していたと思われる1968年は、メキシコで7月から10月まで100日間も反体制学生運動が続いた年だった。それは、パリの「五月革命」と呼応していた。駆け出し記者時代の私は、連日必死でカバーしていた。

 この激しくも長い闘争のさなか、フエンテスとオクタビオ・パスに私は会った。二人が状況にアンガージュマンして、学生指導者とジャーナリストを招いて、自分の意見を述べ、我々と討論したのだ。

 そのころフエンテスは、こんな本を書いていたのかと、あらためて思う。学生闘争はメキシコ五輪開会式の10日前、「トラテロルコの虐殺」で押しつぶされた。私は虐殺現場で取材した。巻末には、その虐殺を扱ったパスの短い詩が紹介されている。パスは、事件の後、抗議して、インド駐在大使を辞めている。

 あのころ、あの時代を振り返ると、なんとなく「誕生日」の意味が分かるような気がしないでもない。いずれにせよ不思議な物語だ。パスもフエンテスも既にいない。