ニカラグア司教会議(CEN)を率いるレオポルドオ・ブレネス枢機卿は5月14日、政府と反政府勢力が対話を16日開始する、と発表した。枢機卿は、対話(ニカラグア国民対話)の目的を「民主化過程を促進するため」と説明した。
ダニエル・オルテガ大統領が、CENが提示していた対話仲介4条件を呑んだため対話開始が決まったが、4条件のうち際立つのは、米州諸国機構(OEA)の機関である「米州人権委員会」(CIDH)の調査団受け入れ。
この調査団は、4月以来の一連の反政府抗議行動とそれに対する規制・弾圧で死者53人以上、行方不明者60人、負傷者400人強、および不当逮捕者多数が出、店舗などの略奪・放火が続いた事実を調査・検証し、加害者を特定するため近く派遣される。死者の半数は、首都マナグアで出ている。
全国の自動車道の13か所で14日も道路遮断が続いた。ニカラグア横断運河建設に反対する組織が中心となって、対政府抗議行動の一環として遮断作戦をとっている。
オルテガ大統領は4条件を受け入れた週末、「同胞の死と破壊に終止符を打つため呼びかけと約束をした。これ以上、流血がないことを」と述べている。
大統領は常日頃、演説で「愛、平和、慈悲」を必ず口にするが、小一カ月続く反政府行動への激しい弾圧を目の当たりにした人々は、大統領の言葉を「偽善」と捉えている。
メキシコ人女優ルセロ・ミジャンは14日、メキシコ市からマナグアの報道機関にメッセージを送り、「死の脅迫を受けたためニカラグアを離れた」と明らかにした。
ミジャンは、オルテガらのサンディニスタ革命が成功した1979年、ニカラグアに移住。劇団を結成し、演劇活動を30年近く続けていた。だが、「劇場を放火破壊する」との脅迫も受けていたという。
今回の反政府抗議行動が全国化した後、芸術家や知識人の協会は政府支持の署名運動を展開した。ミジャンはこれに参加していなかった。
ニカラグアで活動するさまざまなNGOは14日、オルテガ大統領退陣を要求した。だが、こうしたNGOには米国際開発局(USAID)から活動資金をもらっているものが少なくない。USAIDは2016年に3100万ドルをNGOを中心とする「市民社会」に提供している。
一方、日本外務省は14日、ニカラグアの状況を懸念し注視しているとする声明を発表した。声明は、ニカラグアの政府、民間、大学生、「市民社会」に事態打開のため努力するよう強く要請する、とも表明している。
今回のように反政府行動が燃え上がることを誰も予測していなかった。連続3期、11年余り続くオルテガ政権への不満がマグマのように鬱積していたのだ。「オルテガはゲリラの英雄から、腐敗した皇帝に成り下がった」とする厳しい指摘もある。
ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領も1990年から2期10年の任期を務めた段階で退陣すればよかったものを強引に3期目に入り、多くの不正事実が暴露され、日本に亡命し辞表を送ったが拒否され、国会に解任された。
ベネズエラのマドゥーロ政権が存続の危機に陥っているのも、1999年2月の故ウーゴ・チャベス大統領就任から数えて19年もチャベス派が続いていることへの飽き要求がや不満が根底にある。