2012年1月5日木曜日

チリ教科書用語が「軍事独裁」から「軍政」に変更

▼▼▼▼▼チリのハラルド・ベジェル教育相は1月4日、小学校の歴史教科書では今後、ピノチェー軍政(1973年9月11日~90年3月11日の16年半)を「<軍事独裁>と呼ばず、一般的な呼び方である<軍政>と呼ぶことにする」と発表した。

    昨年末、右翼の市長が長期禁錮刑に処せられている元軍人を礼賛する会合を開くなど、ピニェーラ右翼・保守政権になってから、独裁時代への<ノスタルジー>が社会の表面に出つつある。

    人権団体や、軍政下で肉親を殺された遺族会は、「歴史を白紙化しようとしている」と猛反発している。知識人は、「歴史改竄が台頭しつつある」と警告している。

    ピノチェークーデター当日、死んだサルバドール・アジェンデ大統領の娘イサベル・アジェンデ上院議員は、「国会も自由もなく、迫害・暗殺・強制失踪という凄まじい人権侵害のあった獰猛な独裁が17年近く支配したことを誰もが知っている。呼び方を変えるのは常識に反する。これは同じ過ちを繰り返すことになり、民主制度の破壊につながりかねない」と、厳しく批判した。

    また、バチェレー前政権で教育相を務めたパウリーナ・ウルティーアも、「パンはパン、ビノ(ワイン)はビノだ。チリ人は独裁化に17年近く生きて、独裁がどういうものか熟知している。小学生が<単なる軍政だった>と教えられるのは、過去の傷を癒し未来に向かおうとしている国にとって恥だ」と非難した。

           エドゥアルド・フレイ=ルイスタグレ元大統領は、ピノチェー当局に1982年1月毒殺されたエドゥアルド・フレイ=モンタルバ元大統領の息子。「今月で父の暗殺の30周年になる。あれは軍事独裁だったに決まっている」と、糾弾した。

    一方、右翼の政権党は、「権力を民主的に移管した政権を独裁呼ばわりするのは、その政権に汚名を着せることになる」として、呼び方を変えるのを正当化している。

    べジェルは1週間前の12月29日に就任したばかり。ピニェーラ大統領と謀って「軍事独裁」を「軍政」に変えるよう決めたのは明らかだ。