2012年1月24日火曜日

エルナン・コルテスの生地とメキシコ上陸地が姉妹都市に

▼▽▼1521年にアステカ王国を滅ぼしたスペイン人征服者エルナン・コルテスの生まれ故郷と、コルテスがキューバを発進して上陸したメキシコの地が1月23日、覚書に調印し、姉妹都市になった。凄惨な征服史を知る者にとっては、驚くべき出来事だ。

    スペイン西部のエステレマドゥーラ州バダホス県の片田舎にある小さなメデジン市は、コルテスの生地。街の中心には細長い「エルナン・コルテス広場」があり、中央には鎧兜姿のコルテスが、アステカ最後の王クアウテモクのものらしい斬首された首を踏みつけ、剣を高く掲げている銅像がある。その近くには、「コルテスはこの辺りで生まれた」と書かれた小さな石碑がある。広場の彼方の丘の上に、コルテスが洗礼を受けた古く小さな教会が残っている。

   メキシコ湾岸のベラクルス州ラ・アンティグア市は、コルテスが1519年に到達した場所に建てた古い街。「ラ・アンティグア(古都)」の名のとおり、米州の大陸部分で最も古い都市の一つとして知られている。

   そのアルトゥーロ・ナバレテ市長がメデジンを訪れ、迎えたアントニオ・パラル市長と姉妹都市の絆を結んだのだ。両市は社会、歴史、文化、教育、観光の分野で協力を進めていくが、特に観光に力を入れるという。

   調印式はコルテス広場で行なわれ、双方は、「両市は、メデジンの最も優れた息子であるエルナン・コルテスの絆を通じて関係が育まれ強化された」と謳った。

   ナバレテは、「この征服者によるメキシコ史への文化的貢献を特筆したい。コルテスがメキシコで為したすべてのことを認める。とりわけラ・アンティグアを米州大陸最初の都市に選んだことを」と挨拶した。

   パラルは、「歴史の立役者たちが大西洋の両岸で為した業績を共に守るため相互協力しつつ、未来に向かおう」と応じた。

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   今朝(24日朝)、雪かきをしようと早めに起きたところ、メキシコ市に駐在する友人のスペイン人記者から電郵(Eメイル)が入っていた。「君が興味を抱くはずの話だ」とあって、すぐに読んだら、上記の姉妹都市のニュースだった。

   この友人は東京に以前居て、その時、友人になった。90年代に私がエステレマドゥーラ州内の<征服者の地>を取材すると伝えたら、いろいろと教えてくれた。何と、ペルーの征服者フランシスコ・ピサーロの生地である同州カセレス市の出身だったのだ。同市には、「馬上のピサーロ」の銅像があり、それと同じものがペルーの首都リマにもある。

   取材から戻って、土産話をすると、友人は大いに喜んだ。この思い出を思い出し、姉妹都市のニュースを伝えてきてくれたのだ。

   それにしても、コルテスの血塗られた征服を全面肯定し、姉妹都市を結ぶ時代になったとは!
メキシコ市のレフォルマとインスルヘンテスの2大目抜き通りが交差するグロリエタ(ロータリー)にはクアウテモク像がある。

   この像が、あのメデジンのコルテス像と私の脳裏でいま交錯し、戦っている。私は、このコルテス像を見た時、絶句した。私が長年過ごしたメキシコでは「存在し得ない像」だったからだ。

   これから、メキシコ市の友人の感想を訊くことにする。因みに、メデジン市は、コロンビアの大都市メデジンの名前の故郷でもある。

   【エステレマドゥーラ州の<征服者たちの故郷>取材については、拙著『イベリアの道』(1995年、マルジュ社)を参照されたい。】