チリのノーベル文学賞詩人パブロ・ネルーダ(1904~73)は病死か他殺か? この疑惑を解明するため、詩人の遺体が4月8日発掘される。
ネルーダは、サルバドール・アジェンデ大統領の社会主義政権が軍事クーデターで打倒され大統領が死んだ73年9月11日のわずか12日後の23日、首都サンティアゴの病院で謎の死を遂げた。「マティルデ夫人(1912~85)は前立腺癌による死亡と認めた」との情報が流れ、癌死説が定着していた。
だが数年前、エドゥアルド・フレイ元大統領(父)がピノチェー軍政によって毒殺された事実が公表されると、ネルーダの運転手だったマヌエル・アラヤ氏が口を開き、「ネルーダはフレイが毒殺されたのと同じ病院で、毒物を注射され殺された」と証言した。
これを受けて、ネルーダが所属していたチリ共産党(PCCH)は2011年半ば、法廷に遺体発掘調査の実施を求めて提訴した。だが却下され、毒殺説は葬られたかに見えた。ところがアラヤ証言の波紋は拡がり、法廷は今年2月末、発掘調査を法務省法医学局に命じた。
遺体は当初、首都の一般墓地に埋葬されたが、民主化後の92年、太平洋岸にあるイズラ・ネグラの旧ネルーダ邸の庭に夫人の遺体とともに埋葬された。現在、邸宅は博物館になっている。
法医学局は7日発掘作業を開始、8日発掘し、首都の法医学局に遺体を移し、解剖などの死因特定作業に着手する。作業団に参加する専門家は法医学局5人、チリ大学4人、外国人4人の計13人。過去にアジェンデ大統領や歌手ビクトル・ハラの遺体を調査した経験者が含まれている。