2013年4月29日月曜日

「小さな祖国沖縄、大きな祖国アジア・太平洋」


 安倍首相は、祖父で戦犯だった故・岸信介元首相を敬愛している。日本本土は1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効して独立を取り戻したが、沖縄などは米国施政権下に置かれ続けた。岸信介は条約発効で公職追放を解除された。安倍が昨日、「主権回復・国際社会復帰記念式典」を強引に開いた理由の一端が頷けるというものだ。

 講和条約は日米安保条約と表裏一体だった。切り離され切り捨てられた沖縄は、引き続き米軍支配下に置かれ、1972年5月15日の施政権返還(日本復帰)後も安保条約を最前線で支えさせられてきた。「主権回復」式典にしらけ怒るのは当然のことだ。

 「国際社会復帰」の言葉も空々しい。日本軍が侵略戦争をした結果、沖縄を奪われ、広島・長崎に原爆を投下された。このような明白な歴史的事実があるにも拘わらず、安倍は国会で「侵略の定義は定まっていない」と妄言を吐いて憚らない。侵略されたアジア諸国は怒り、日本を降伏させた米国も、あきれ返りつつ困っている。

 南米北部アンデス諸国独立の英雄シモン・ボリーバル(1783~1830、ベネズエラ人)は、「小さな祖国ベネズエラ、大きな祖国ラテンアメリカ」という、ラ米統合主義の思想を打ち出した。3月に死去したウーゴ・チャベス大統領は、このボリーバル思想に立って、ラ米・カリブ33カ国の機構「ラ米・カリブ諸国共同体」(CELAC=セラック)を2011年12月結成した。

 日本がアジアで中朝などとの対立を超克するには、狭量な「靖国主義」や、寄らば大樹の陰主義の「日米安保国体論」などにしがみつくのをやめることだ。「小さな祖国日本、大きな祖国アジア・太平洋」という、ボリーバル思想のような遠大な理想主義を掲げ、その実現に尽力しなければ、袋小路状態の歴史的状況は打開できない。

 日本が「美しい国」などという時代錯誤の国家右翼主義に固執しつつ、沖縄をないがしろにし続ければ、沖縄が日本を置き去りにして「小さな祖国沖縄、大きな祖国アジア・太平洋」という方向に将来進んで行かないともかぎらない。沖縄より小さな独立国は世界にいくらでもある。いまは日本と沖縄にとってまさに、歴史的正念場である。