2013年9月1日日曜日

映画「ジンジャーの朝」トークショーでキューバミサイル危機を語る

 映画「ジンジャーの朝」が8月31日、渋谷の「シアター・イメージフォーラム」で封切られた。4回目の上映に先立つトークショーで、伊高浩昭が、物語の背景にあるキューバ核ミサイル危機について語った。以下は、その要旨:

 キューバの核ミサイル危機は1962年10~11月に起きました。キューバの社会主義体制をUSAの攻撃から守るという理由で、当時のソ連、今のロシアですが、核弾頭を搭載したミサイルをキューバ配備し、米国を狙うようにしたのです。その証拠をつかんだ米国のケネディ大統領は、ソ連のフルシチョフ首相に撤去するよう求めました。撤去しなければ断固対抗すると言いました。世界中が核戦争の瀬戸際に追い込まれた瞬間でした。
 当時、私は19歳、大学1年生でした。新聞学科というところでジャーナリストになる勉強をしていたので、同世代の若者よりも多く情報を得て分析することができました。ジャパンタイムスなど英字紙を毎日読んで、ニュースを追っていました。しかし当時はインターネット、パソコン、スマホ、携帯電話などは一切ありません。誰もが自宅で新聞と、テレビとラジオでニュースを把握していた時代です。
 ですから現代のような事件の「臨場感」とか「劇場型同時進行性」はありません。いかに重大な出来事であっても、遠い外国の出来事であれば、のんびりと構えていたものです。しかしキューバ危機の時は違いました。現代のような生々しい映像や音声に触れられないからこそ生まれる想像力が特に働き、見えない状況への不安を醸したのです。
 世界の戦争は通常兵器の時代から、広島・長崎を経て核戦争の時代に突入しました。世界は、第2次世界大戦終戦から17年にして核戦争の危機に陥ったのです。ニュースを知っていた人ならば誰も、深刻な不安に陥ったはずです。青年だった私もそうでした。それは日常性を超え、日常性を否定したり破壊したりする得体の知れない大状況への際限ない恐怖でした。
 原爆を歴史体験として持つ私たち日本人は、その2年前の日米安保反対闘争で最大限に浮かび上がった日米安保条約や、米軍基地が日本にたくさんあることによって、ソ連から核攻撃されるのではないかと恐れていました。 
 この映画の監督サリー・ポッターは当時13歳の少女でした。この冊子に書いてありますが、「世界が終わるのではないか」と思っていたそうです。その思いが、この映画の主人公ジンジャーに投影されています。ジンジャーは詩を書く、早熟で多感で賢い娘さんです。おそらく監督自身がそうだったのでしょう。この映画は、ジンジャーを通じて、個人の日常が全く計り知れない次元で世界的な大惨事・大事件に巻き込まれてしまいかねない恐るべき不条理を警告しています。
 しかし、少女には理解と想像力の限界がありました。だから彼女は日常性から独り浮き上がり、終末論的な不安に人一倍駆られたのです。実際は、米ソ両国が話し合い、核戦争は回避されていったのですが、彼女の恐怖はなかなか消えません。
 ところが、危機が収拾過程に入ったのと反比例するように、ジンジャーの日常性が大きく膨らんでいきます。両親の不仲、ジンジャーが母の元を去り父親と同居すること、その父親がジンジャーの親友ローザと関係しローザが妊娠してしまうこと、それを知ったジンジャーの母親が自殺を図ること。。。日常性の大きな暗転です。
 このクライマックスで現実に引き戻されたジンジャーは、一命を取り留めた母が搬送された病院で父とともに母の容体を気にしながら、詩を綴り、父親らを許すのです。ジンジャーの朝は明け、短期間に大きく成長したジンジャーがそこにいました。
 監督は、核ミサイル危機と英国の少女の生き方を結びつる風変わりな手法をとりながら、見事に着地させました。この映画は若者も年配者も、当時を知る私のような世代も、誰もが味わえる、観応えのある優れた作品だと思います。
 翻って日本をながめれば、2年半前の東電福島原発大事故が大状況として依然、私たちの頭上に、足元に、水の中に、放射能を伴って存在します。私たち一人一人が日常性と原発という大状況をどう関連させるか、生きたテーマがあります。
 また世界では今、米国がシリアを軍事攻撃しようとしているため、これが大状況となって、圧迫感を醸しています。これも自分の生き方、日常性と絡めればどうなるか、考えるべきテーマでしょう。
 私は、51年前のあのミサイル危機を自分の生き方に関連させて悩み考えた、主人公ジンジャーとポッター監督に拍手を送ります。