2016年2月4日木曜日

詩人ネルーダの遺骨からバクテリア発見、鑑定調査開始

 チリ人ノーベル・文学賞詩人パブロ・ネルーダ(1904~73)の遺骨から発見されたバクテリア(葡萄状菌)が、遺伝子鑑定など分析調査のためカナダとデンマークの研究所に送付された、と2月3日、詩人の甥ロドルホ・レジェスが明らかにした。

 このバクテリアは2014年5月、スペインの法医学研究所がネルーダの遺骨から発見していた。詩人は毒殺された可能性があり、その判断結果はバクテリアの分析を踏まえて、ことし3月公表される見通し。

 一方、ネルーダの死因調査のため遺骨発掘を許可したマリオ・カローサ判事は3日、法廷管理下にある遺骨はチレ法医学局を通じて4月26日、太平洋岸イズラネグラにある旧ネルーダ邸庭の墓地に戻される、と発表した。

 ネルーダは、故アウグスト・ピノチェーらによる軍部のクーデターが1973年9月11日起き、サルバドール・アジェンデ大統領が自殺、その社会主義政権が崩壊した12日後の9月23日、首都サンティアゴのサンタマリーア診療所で急死した。

 発足したばかりのピノチェー軍政は、ネルーダは前立腺末期癌で死去した、と発表。だがネルーダはクーデター発生後、イズラネグラの自邸から軍隊によって強引に首都の同診療所に移送されていた。ネルーダはまた、9月24日、当時のメヒコ大統領ルイス・エチェベリーアが派遣するメヒコ政府機で同国に亡命することになっていた。

 ネルーダの運転手だったマヌエル・アラヤは2011年、ネルーダはサンタマリーア診療所でも元気だったのに、自分とネルーダ夫人マティルデが病室を離れていた間に容体が急変し死亡したとして、「軍部による毒殺」を告発した。ネルーダがメヒコに亡命すれば、軍政にとって最も手ごわい反軍政の旗頭になりうるから殺した、とアラヤは主張する。

 これを受けてネルーダが所属していたチレ共産党(PCCH)は同年、遺族とともに法廷に真相究明を求めて提訴。担当判事カローサは13年4月8日、イズラネグラの墓を発掘。詩人の遺骨は米国とスペインの法医学研究所に送られ調査された。

 その結果、スペインの研究所でバクテリアが見つかった。

 カローサ判事は、ネルーダの一部骨片は埋葬されずに研究機関に保管される、と明らかにした。

 サンタマリーア診療所では1980年代初め、エドゥアルド・フレイ=モンタルバ元大統領が毒殺されたことが明らかになった。フレイは当初はクーデターに賛成していたが、軍政が長期化し横暴が増したことから、軍政を厳しく批判していた。

 運転手アラヤは、フレイ毒殺の事例に勇気づけられて、「ネルーダ毒殺」を告発した。