ボリビア社会主義の著名な指導者マルセロ・キロガ=サンタクルースを殺害した首犯の元陸軍下士官フェリーペ・モリーナが1月31日、ラパス市内で逮捕された。エボ・モラレス大統領が同日記者会見し、この逮捕について発表した。
キロガは49歳だった1980年7月17日起きたルイス・ガルシア=メサらによる軍事クーデターのさなか、ボリビア労働中央連盟(COB)本j部に居たところ、モリーナらのコマンドに襲撃され、陸軍司令部に連行された。そこで拷問された後、殺害され、遺体を隠された。モラレス大統領は、モリーナはキロガの遺体を埋めた場所を知っているはずであり、白状してほしいと述べた。
警察はモリーナの娘を尾行、隠れ家を突き止めた。警官80人が2時間かけて探し、屋根裏部屋の壁を偽装し造られていた隠れ場所からモリーナを見つけ出した。最高裁は2010年、逃亡中のモリーナに禁錮30年(短縮無し)の実刑判決を下している。
元軍政首班ルイス・ガルシア=メサも1995年から禁錮30年で服役中。
文学青年だったキロガは1957年、社会派小説「立ち退かされた人々」を著し、後にJLボルヘスやGガルシア=マルケスから「20世紀ラ米小説の中で最良の作品の一つ」と評価された。
ジャーナリストでもあり、新聞を創刊した。60年代末のバリエントス軍政期に下院議員、その後のオバンド軍政下の69年、鉱山・石油相を務め、米ガルフ石油を国有化した。
軍政を離れ71年社会党を結成。クーデターによるバンセル軍政登場でチレに亡命する。次いで亡命した亜国の国立ブエノスアイレス大学とメヒコの国立自治大学(UNAM)で教鞭を執った。72年に論文「くたばれ独裁」、73年に同「ボリビア略奪」を書いた。
77年秘密裏に帰国、78年社会党を「UNO社会党」(PS-1)と改名。79年下院議員となって、バンセル軍政の人道犯罪を追及した。軍部ににらまれ、80年の新たなクーデター時に殺害された。
キロガは、現代ボリビアの最も優れた知識人の一人とされていた。モラレス大統領は、2月21日実施の、憲法大統領再選条項改定のための国民投票の運動中だったが、記者会見を開いてモリーナ逮捕を発表した。