2017年7月5日水曜日

~~ピースボート2017波路遥かに~~① 東京-ハミルトン

 6月後半、NGOピースボート世界周遊船オーシャン・ドゥリーム(OD)号で船上講師を務めた。成田-上海-ニューヨークー英領バーミューダ島都ハミルトンの計2万km弱を40時間かけて飛んだ。NYまでは中国東方航空だった。

 当然のことながら中国語が機内を埋める。そこで中国語の地名を採集した。紐約(NY)、温哥華(バンクーバー)、旧金山(サンフランシスコ)、華盛頓(ワシントン)、芝加哥(シカーゴ)、温尼伯(ウィニペグ)、多倫多(トロント)、魁北克城(ケベック市)、辛辛那堤(シンシナティー)、渥太華(オタワ)、休侘湖(ヒューロン湖)、波土頓(ボストン)。。。漢字の略字が多く、日本語のパソコンでは表せない。kmは「公里」という。米ドルは「美元」だ。

 真夜中にJFK空港に着き、エアートゥレインで空港を一周してからフェデラル・サークル駅で降り、無料電話で予約していたホテルに迎えの車を頼む。やがて送迎バスがやってきたが、ホテルの部屋に辿り着いたのは午前1時半だった。

 眠らずに午前5時、ロビーで集合。パナマのクナ民族のモラ制作者エイラ・エスキベル、日系メヒコ人通訳グティエレス実、女優東ちづる、そのカメラマン、その世話係に私を加えた6人で、AA機に乗り、ハミルトンに渡る。

 島の空港と反対側に位置する港に停泊中のOD号の船室に入ったのは、東京の自宅を出てからちょうど40時間後だった。エイラの師ワゴは私の親友であり、エイラおよび実とハミルトンを散歩した。植民地独特の風情で、通貨は事実上、美元だ。物価高で、「アイルランド風酒場」で飲んだラム酒のマンゴージュース割カクテルは10ドルだった。

 ハミルトンの街は整然としている。灼熱の陽光に対し、白亜の家々がずらりと並ぶ。米英人の別荘地で、自家用ヨットが入江を埋めている。だが灼熱に堪えるものがない。土着の強烈な文化がない。

 この島の南方にある旧英領バハマは独立国だが、米国の植民地的経済状態にあり、首都ナッソーも米ドルに支配されている。ハミルトンとナッソーには、共通する佇まいがある。つまり島の認同(イデンティダー、アイデンティティー)が感じられないのだ。これは悲しく寂しい。

 船はいつしか、ドミニカ共和国と米領プエルト・リコ島の間のラ・モナ水道を抜けて、カリブ海に入った。

 東ちづるは、TV番組で主演する「旅館の若女将」そのままに活発、勝気で、威勢がいい。広島の酒は甘いと言うと、直ちに否定され、呑むべき辛口の銘柄を2つ教えられた。彼女は広島県出身で、酒豪なのだった。

 船内で「ドイツ国際平和村」、「まぜこぜの社会」などたくさんの講演をこなした東ちづるは、主宰する社団法人「Get in touch」の制作で、自らプロデュースした、LGBT問題を取り上げた映画「私はワタシ」を紹介。船内、寄港地での撮影も済ませ、パナマで下船した。エイラもモラについて講演したり、実習会を開いたりして、パナマで降りた。私は港でワゴと再会することにしている。

 私はカラカス訪問に備え、玖米関係、ベネスエラ情勢、故ウーゴ・チャベス大統領について話した。4月に横浜・神戸を出航したOD号船客にとって、3ヶ月半の旅程の最後の3分の1にかかる山場が2日間のカラカス訪問だった。私にとっては、ちょうど1年ぶりのベネスエラである。

 船客には韓国、台湾、シンガポール、マレーシアの人々が計約100人いた。中国語は「中文」と呼ばれ、その通訳が2人乗船していた。もちろん韓国(朝鮮)語通訳もいる。あとは英語と西語の通訳だ。アジアや第2次大戦について話す時、彼ら近隣の人々をも慮って話さねばならない。その緊張感をもって語るのも、かえって楽しい。