2017年7月4日火曜日

 メキシコの画家・彫刻家ホセ=ルイス・クエバス(86)が死去

 メヒコの画家・彫刻家ホセ=ルイス・クエバス(86)が7月3日、メヒコ市内の病院で死去した。オロスコ、リベーラ、シケイロスらの「メヒコ社会派壁画運動」に反旗を翻し、それを自身の認同(イデンティダー、アイデンティティー)としていた。メヒコ芸術庁(INBA)は4日、首都中心街の芸術殿堂で告別式を挙行する。

 私は1971年4月、クエバスの邸宅で2時間インタビューした。画伯が40歳の時だった。「私はメヒコ市の下町の路地に面した製紙工場の中の貧しい部屋で1934年2月のある日生まれた」と言った。3歳若く言っていたのだ。少年時代に売春街の女たちから鍛えられ、貧困ゆえの人間のいびつさ、醜悪さに心を惹かれ、それを題材にした。

 クエバスは、白黒でメヒコを表す線画を評価され、50年代ニューヨークでデニューし、メヒコに凱旋。「サボテン(ノパレス)のカーテンを打ち破れ」と叫び、壁画運動への反対運動を開始した。

 67年には、メヒコ市ソナ・ロサ地区で「はかない壁画」を制作、半永久的に続く壁画作品を揶揄した。当時、存命だった大御所ダビー・アルファロ=シケイロスを「敵」に見立て、自身の存在を強調していた。

 だが1992年、生地に近い首都下町の「歴史地区」に、自分の名前を被せた美術館を開き、94年には、そこに高さ8m、重さ8トンの銅製の巨像「ラ・ヒガンタ」(女巨人)を建てた。

 私は、この巨像を観ながら、壁画運動を蔑視していたクエバスも後世に残る大型の記念碑的作品を結局は作っではないか、と思った。だが再度インタビューする機会はなかった。

 クエバスは1974年シケイロスが死ぬと、芸術殿堂の告別j式に駆け付けた。それから43年後、クエバスが芸術殿堂に横たわることになった。

★拙著『メヒコの芸術家たち』(1997年、現代企画室)参照