2017年7月8日土曜日

 マリオ・バルガス=ジョサが故ガブリエル・ガルシア=マルケスとの関係を初めて語る。「共作さえ構想した」と明かす。1976年の絶交の理由は語らず

 初めて『百年の孤独』(孤独の百年)を読んだ時、ラ米についに騎士道、現実を踏まえた幻想の語り、記述にうるさい読者を魅了する徳のある大作が現れたと驚き、眼がくらみ、しばらくの間ガブリエル・ガルシア=マルケス(GGM)の幻影に苛まれた。

 ペルー人でスペイン国籍も持つ作家マリオバルガス=ジョサ(MVLL、81歳)は7月5日、スペインのエル・エスコリアルでのコンプルテンセ大学夏期講座で、『百年の孤独』刊行50周年に因み、GGMについて語った。GGMの『族長の秋』については、彼の作品の中で最も軟調であり、漫画的だと思った、と述べた。

 2人とも20世紀後半のラ米大作家時代に属し、ノーベル文学賞作家同士。MVLLはGGMとの共通点について、「共に母方の祖母たちに育てられ、父親と難しい関係にあった」ことを挙げた。さらに、「ウィリアム・フォークナーに傾倒し、欧州に滞在して自分たちがラ米人であるのを悟ったこと」と強調した。

 クーバ革命との関係については、「自分は革命を熱狂的に迎えたが、GGMはさめていた。彼はプレンサ・ラティーナで働いていた当時すでに友人プリニオ・アプレヨとともに玖共産党(PSP)から排除されていた。だが彼はやがてフィデル・カストロと知り合った。実利主義が働いたのか、反玖よりも親玖である方が望ましいと気付いたのだろう」と指摘した。

 「クーバ革命は当初の自由主義、社会主義から共産主義へと傾斜した。我々批判的だった者はクーバから離れていった」と、自らの立場を語った。現代のラ米政治に関しては、「GGMは同意したがらなかったようだが、問題は軍部や社会主義では解決できず、暴力がより少なく貧困を減らすことが可能な民主でやらねばならない。だが腐敗は掃討せねばならない」と述べた。

 GGMとの友情は、「互いに相手の作品を読んで知っていたが、1967年にカラカスの空港で初めて会い、一緒にボゴタに行った。その時はもう親友同士になっていた。書簡をしばしば交わすようになり、アマソニアをめぐって起きたペルー・コロンビア戦争の史実を踏まえた小説を2人で書こうとさえ計画した。この構想は立ち消えになったが」と明らかにした。

 MVLLは1967年、リマでGGMに公開インタビューした。「彼は公衆の面前では引っ込み思案で臆病なところがあった。だが私生活では羽目をはずすほど楽しんでいた」と述べた。「私たちの友情は、ラ米文学が仏英伊などの読者を驚かせていた状況の下で深まっていた」と指摘した。

 GGMは2014年4月死去した。「コルタサルやフエンテスが死んだときと同じように悲しかった。彼らは大作家であり、かつ友人だった。私は、その世代の最後の一人だと思う。今や、彼らのことを語る立場になってしまった」と述懐した。

 MVLLとGGMの友情は1976年に途絶え、以後、2人が会うことはなかった。その年、2人はメヒコ市の劇場で殴り合い、MVLLはGGMを殴り倒した。当時のMVLLのパトリシア夫人にGGMがちょっかいを出したのに怒ったのが原因とされている。この決裂に話が及ぶとMVLLは、「話が危険な領域に及んだ。そろそろ切り上げよう」と当時の逸話に触れず、話を終えた。

 質問役のスペイン人カルロス・カネスは、「カミュがサルトルを、トルストイがドストエフスキーを、フォークナーがヴァージニア・ウルフやジョイスを語るように、ラ米文学の巨人がもう一人の巨人を語った」と称賛した。

【1980年代末に私がリマ市でMVLLにインタビューした際、GGMと絶交した逸話を訊くと、MVLLは「私は彼とインタビューし、彼について評論を書いた。彼とは友好関係にあった」としか答えなかった。】