2013年12月8日日曜日

幻のタンゴ歌手阿保郁夫とのタンゲーラな夜


 いまや「幻のタンゴ歌手」となってしまった阿保郁夫(あぼ・いくお、76歳)のタンゴと話を聴いた。12月7日夜開かれた立教大学ラ米研究所主催の「タンゴとともに半世紀」という講演会でだった。

 「津軽の百姓の倅」だった阿保は1961年タンゴ歌手としてデビューし、64年には本場ブエノスアイレスで歌った。「オルケスタティピカ東京」の早川真平に抜擢され、スターの藤沢嵐子とともに南米公演に参加したのだった。

 以後、阿保の亜国通いは50回に及び、さまざまなタンゴを吹き込んだ。その一つが

「ラ・ウルティマ・コパ(最後の杯)」だった。とりわけ思い入れの深い曲だ。

 スペイン語の発音、歌い方をじっくりと仕込まれ、自身も歌詞を日本語に訳し日本人ファンに理解してもらえるよう努めた。歌詞には未経験のことが多く含まれていた。役者のように当事者になったような気持で歌い、こなしていた、という。

 「女の嵐子、男の阿保」と呼ばれるほどのタンゴ歌手になったが、2001年「エル・ビエント」を東京で録音した日、脳梗塞で倒れた。64歳だった。

 幸運にも杖を手に歩けるようになり、会話もできるようになったが、倒れて以来、今日まで人前で歌うことはない。

 講演会では、阿保の歌17曲が録音で流された。最初と最後は「ラ・ウルティマ・コパ」だった。

 阿保は時折、感涙にむせびながら語った。「心を聴いてもらえるよう歌ってきた」と言った。壇上には、8月に死去した嵐子の遺影が飾られていた。

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 寒い夜、すっかりア・ラ・タンゲーラ(タンゴ風)になり、赤葡萄酒を探して友人たちと池袋の街を彷徨い歩いた。