2014年7月8日火曜日

革命直後のキューバを取材した亀山旭氏の死を悼む

 亀山旭記者が死んだ。84歳だった。5月14日、私が、パナマ運河を通航し太平洋に出て、ペルーのカヤオ港に向かうピースボートに乗っていた時のことだった。横浜に帰着し、つい最近、死の報に触れた。

 私は共同通信時代、外信部デスク、外信部長、ロンドン支局長、編集局長などを歴任した亀さんに世話になった。重役になって退職したが、退職後も含め最後まで記者魂を持った大先輩だった。この通信社で会うことのできた本物のジャーナリストの一人だった。

 亀さんは1959年1月、革命直後のハバナに入り、カストロが打った「真実報道作戦」に参加して、当時の状況をつぶさに観察した。その成果は、著書『キューバ革命 中南米の昨日と今日』(1964年、新潮社)でも読むことができる。

 当時、ラ米に最も理解と知識のある共同記者だった。だから、私のラ米へののめり込みを理解してくれていた。

 その後、『ベトナム戦争-サイゴン・ソウル・東京』(1972年、岩波新書)、『激動のアジア-ポストインドシナと日本』(1975年、ダイヤモンド社、林雄一郎記者との共著)などを著した。

 「思っていることをそっくり記事に書けたら一流なんだよ。それが難しいんだ」-亀さんから受けた訓示だ。ご冥福を祈る。